第184話 赤の他人です 書類上は
土の3の月、1の週の火の日。
ミカはリッシュ村に里帰りしていた。
当然ながらキスティルとネリスフィーネもリッシュ村に同行している。
キスティルはリッシュ村に行く前からそわそわし、家族との再会の日を指折り数えるような感じだった。
ミカたちが村に着くと、すでに帰省中に借りる家は用意されていた。
アマーリアとロレッタには、手紙で帰省の凡その日程を伝えておいた。
そうしたら、村長に話を通し、昨年借りた家をまた借りるということで話をつけ、掃除まで済ませておいてくれたのだ。
驚きの行動力である。
「キスティルッ!」
「お母さんっ!」
掃除をする必要がなくなったため、村に着いたらすぐにキスティルの母親に会いに行った。
職場にお邪魔するのも悪いと思ったが、事情が事情だ。
キスティルも家族と手紙のやり取りをし、近況はある程度分かっているが、やはり直接顔を合わせないと不安もあるのだろう。
再会したキスティルと母親は、抱き合って涙を流した。
工場の厨房にいた他のおばちゃんも、微笑ましそうに見たり、貰い泣きをしている人もいた。
すいません、お仕事の邪魔をしちゃって。
ミカとネリスフィーネは、キスティルの邪魔をしないように、離れた所でホレイシオと話をする。
「どうですか、お仕事の様子は。 元気そうなのは手紙で知ってはいるんですけど。」
「ああ、体調は問題ないようだ。 少し体力のないところもあるが、そこはシスター・ラディがいるからね。」
単純に重い物を持ち上げたりといった部分では、どうしても非力さで周りに迷惑をかけることがあるようだ。
ただ、その分調理の技術や知識があり、厨房のおばちゃんたちからも頼りにされているという。
「元々は食堂で腕を振るっていたようだぞ。 工場で出す食事や弁当の質が上がって、皆も喜んでくれている。」
「そうなんですか?」
何でも、母親は昔、食堂で調理を担当していたことがあるらしい。
キスティルの料理スキルがいきなりヤロイバロフに認められるほどだったのは、そんな母親から教わってきたからなのだ。
しかも、ヤロイバロフの下で修行したキスティルが、その技術を自宅でも発揮した。
それにより、今度は母親もそのノウハウの影響を受けたようだ。
「カミさんの料理よりも工場の食事の方が美味いと口を滑らせて、いくつか夫婦喧嘩が起きたよ。」
「そ、それは……っ!」
思っても、言っちゃだめ、絶対!
仕事中の雑談なんかでうっかり口を滑らし、それを人伝で耳にした奥さんが、旦那さんを家から叩き出すという事件が何件か起きたらしい。
その後、何とか解決したらしいが。
(メシマズ系のスレは、読んでる分には面白いんだけどね。)
リアルファイトに発展するのはまずい。…………メシマズだけに。
ミカがそんなことを思っていると、ホレイシオがやや深刻そうな顔になる。
「……これは、私の憶測でしかないのだがね。」
腕組みをしながら、そんな前置きをする。
「身体が弱かった元々の原因は、精神的なものだったんじゃないかね?」
ホレイシオはキスティルと母親の方に視線を向け、少し表情を曇らせる。
「生まれつき身体が弱かったという訳ではないようだ。 以前は普通に働いていたようだし。 ただ、結婚した相手が悪かったのだろう。 相当、精神的に追い詰められていたようだ。」
キスティルの母親の弱さは身体ではなく、心の方だったのではないか。
ホレイシオは、そう考えているようだ。
(確かに母親の方も心が弱ってるとは思っていたけど、むしろそっちが一番の問題だったのか。)
王都にいた頃は、時々ミカが【癒し】を使いはするが、それでも元気を取り戻すという感じではなかった。
だが、リッシュ村に来てからは、少しずつでも元気を取り戻している。
(新天地で一から頑張ろうと、気持ちが前向きになっているのも理由の一つか?)
夫であるヨークアデスから離れ、得意な料理に関わる仕事に就き、精神的な負担が軽減したのかもしれない。
(王都では思うように動けず、ずっと家の中に籠って生活をしていたしね。 それじゃあ、どれだけ薬を飲もうが、【癒し】を使おうが快復する訳がないか。 思考が負のスパイラルに陥るだろうし。)
おそらく、今もヨークアデスの陰に怯えている部分はあると思う。
もう死んだから、ヨークアデスはいないよ、と教えてあげるのが一番の薬になるかもしれない。
だけど……。
(何でそれを俺が知ってる?って話になるよな。 まさか、俺が殺りましたとは言えんし。)
しっかりと止めを刺した訳でもない。
今更ながら、あの場で首を刎ねておかなかったことを後悔した。
致命傷ではあったし、あんな場所で回復薬を使ってくれるような親切な人がいるとも思えない。
(王都に戻ったら、情報屋ギルドに調査を頼んでみるか? …………もっとも、状況的には俺が殺ったとバレバレだろうけど。)
尾行していたギルドの人から引き継ぎ、その後すぐに死んだのだ。
誰が聞いても「ミカに決まってんじゃん」と言うだろう。
そして、事実その通りなのだ。
単なる藪蛇でしかない。
やはり、そっとしておこう。
ミカとネリスフィーネは、キスティルたちをそのままにして、教会やニネティアナの家に向かうことにした。
いつものお土産配布行脚だが、今年はニネティアナの家は留守だった。
おそらくデュールが大きくなったので、仕事に復帰したのだろう。
ニネティアナの仕事は工場の方ではなく、綿花畑だ。
基本的には工場の紡績や機織りの仕事は女性、畑は男性が従事することが多い。
だが、本人の希望によりどっちの仕事でも選ぶことができる。
勿論、責任者のホレイシオや、他のまとめ役の人たちが了承すればではあるが。
そうして、夕方になりミカの借りた家に皆が集合した。
ノイスハイム家からは、アマーリアとロレッタ。
スコバータ家からは、チェルーシスさんと、一人息子のモスミール君。
スコバータさん一家は昨年の春、何でも北東の辺境からわざわざ南東の辺境であるリッシュ村まで引っ越して来たらしい。
そして、ノイスハイム家ととても仲良くなり、今日はお呼ばれしたという訳です。
勿論、キスティルとスコバータ家の間には、何の関係もありませんよ。
血縁なんてとんでもない。
そんなキスティルがモスミール君に抱きつき、涙を流している。
だが、モスミール君の方は恥ずかしいのか照れくさいのか、皆の視線が気になる様子。
はーなーしーてー、とか言ってます。
あれ、なんか既視感を感じるな。
「キスティル、その辺にしてあげなよ。」
「…………だってぇ……。」
ミカが少しだけ助け船を出してあげる。
しかし、キスティルは鼻をすすり、涙を拭くがモスミール君を放す気はないようだ。
皆で苦笑してしまう。
ちなみに、フィーもリッシュ村に来ている。
現在はステルスモードでミカの肩に乗っているはずである。
…………ちゃんと乗ってるよな?
「ミカ君のおかげで、この村に来てからすごく調子がいいのよ。 工場長さんもシスターにも良くしてもらって……。 本当に、どれだけ感謝して……しきれな……くらい、で……。」
そう言ってキスティルの母親…………じゃなかった、チェルーシスさんが涙ぐむ。
「僕は大したことはしてませんよ。 村の皆に任せっぱなしで、申し訳ないくらいで。」
ミカはそう言うが、チェルーシスさんは首を振る。
涙を拭うと、翳りのない、すっきりとした微笑みでミカを見た。
「皆が良くしてくれるのも、ミカ君のことがあるからよ。 普通はこんな風に、皆に親身になんてなってもらえないわ。 これは、何気ないことかもしれないけど、すごく特別なことなのよ……。」
チェルーシスさんの言葉に、アマーリアとロレッタも頷く。
ここにいるのは皆、何某かに苦労してきた人ばかりである。
だからこそ、感じるものがあるのだろう。
(というか、一番苦労してないのって俺か?)
アマーリアとロレッタに守られ、ミカの幼少期は好きにやらせてもらった。
学院や冒険者としても、割と好きにやっている。
危険や大変なことは勿論あったが、自分だけではどうにもならないような、そんな雁字搦めの状態というのは記憶にない。
「まー、何とかなるかー。」
で、本当に何とかなってしまった。
そんな半生だった。
反省はしていない。
「まあまあ、湿っぽい話はよしましょうよ。 キスティル! 今日はご馳走を作るんだって言ってたでしょ。 ネリスフィーネに任せちゃっていいの?」
ミカがそう言うと、キスティルはようやくモスミール君を放す。
モスミール君が一目散でチェルーシスさんの後ろに隠れた。
それから、キスティルはチェルーシスさんと一緒に夕食を作り、その間にも何度も涙ぐんでいた。
アマーリアとロレッタとネリスフィーネは、気を利かせて軽く手伝いをする程度に留め、談笑している。
モスミール君はミカの一つ下のはずだが、身長では余裕でミカを超えている。
ただ、魔法学院の学院生だというのはチェルーシスさんから聞いているのか、ちょっと遠慮というかミカを怖がっている節がある。
なので、お菓子で釣った。
後でデュールにも持って行ってやるつもりのお菓子をあげると、あっという間にミカに懐いた。
(やっぱり、子供は甘い物好きだね。)
そもそも、リッシュ村にはお菓子なんて売ってさえいない。
王都にいた時も、多分買えなかっただろう。
一度に沢山あげるのも教育に良くないと思い、飴とクッキーをいくつかあげただけなのだが、効果覿面だった。
そんな、楽しい団欒の翌日。
ミカはリッシュ村の森の奥深くに来ていた。
森の手前の方には魔獣はいないので、ずんずん奥に進んで魔獣を探す。
そうして魔獣たちを見つけたらすぐには倒さず、どんどん奥へと誘った。
そうして、十分に奥に誘い、十分に数が集まったところから戦闘開始である。
「”氷槍”!」
”吸収翼”でかき集めた魔力に物を言わせ、百を超える氷の槍が降り注ぎ、無数の魔物や魔獣を地面に串刺す。
巻き添えで、数本の木が幹を抉られて倒れた。
「”風刃”!」
数十の見えない刃に、魔獣たちが血飛沫を上げて切断される。
巻き添えで、数本の木が幹を切断されて倒れた。
「”鉄弾”!」
マシンガンのように撃ち出される鉄の弾丸に、魔物たちがもんどり打って倒れる。
巻き添えで、数本の木が――――。
そのうち、環境保護団体に訴えられそうである。
まあ、あと数百年かはそんな団体自体ができないだろうけど。
「いやあ、やっぱいいなあ。 魔獣の森が近くにあるって。」
ミカは魔物の攻撃を躱しながら”風刃”で切断し、思わず感想が漏れる。
ちょっとだけ、リッシュ村に引っ越したくなってきた。
まあ、リッシュ村のメリットって、ぶっちゃけこれだけだが。
それすら、普通はメリットではない。
今年はニネティアナに言われていないが、ミカは自主的に魔物や魔獣の間引きに来ていた。
というか、今年の帰省の一番の目的は、この森での戦闘と言っても過言ではない。
やはり、王都の近くには魔獣の生息域が少なく、冒険者の競争も激しい。
依頼としてやろうとすると、中々チャンスが少なかったのだ。
それでもまったくやれない訳ではないが、ミカの活動のウェイトが、ちょっと指名依頼と錬金術に移ってきた。
必然的に、魔獣討伐の回数が減ってしまったのである。
「一年でどのくらい増えたか知らないけど、モデッセの森みたいにしてやろっか。」
冒険者の増加で、ほとんど魔獣が狩られてしまったというモデッセの森。
生息していない訳ではないが、かなり数は少ない。
あれくらい減らせたら、リッシュ村も安全になっていいね。
生態ピラミッドにどんな影響が出るか分からないが、魔物や魔獣は普通の人には対応が難しい。
もしも捕食者としての魔獣が減り、森の獣が増えたら、そっちは村人でも何とかなるだろう。
どうにもならなかったら、連絡するようにニネティアナや村長に言っておこう。
ミカは次々と魔物や魔獣を屠り、奥へと進む。
”吸収翼”から、鱗粉のように美しい光の粒が舞った。
そうして魔獣たちを屠っていると、漆黒の群れを見つける。
光を一切反射しない猿のような姿形。
無数の目だけが爛々と赤く輝く姿に懐かしさすら憶える。
エン・バタモスの群れだった。
「お前、こんなとこにもいたのかよ。」
ミカは油断なく魔法具の袋から短剣を取り出すと、鞘だけを袋に戻す。
エン・バタモスはかなり素早いので、すべての攻撃を躱すのはちょっとつらい。
攻撃を受け止めたり、受け流すためにも、短剣はあった方がいい。
ミカが”鉄弾”をばら撒くと、数体のエン・バタモスの身体が千切れながら吹き飛ぶ。
密集しすぎて、躱すに躱せなかったのだろう。
それでも、まだ二~三十体はいそうだ。
つーか、影の塊みたいな感じだから、数が把握し辛いな。
ビュッ!ビュビュッ!
素早く攻撃に移った数体のエン・バタモスの攻撃を躱しつつ、短剣でその腕を斬り上げ、顔面を”鉄弾”で撃ち抜く。
サイドステップをしながら横腹を薙ぎ、すれ違いざまに首を刎ねる。
”吸収翼”から零れる光の粒で、綺麗な軌跡を描きながら。
五体ほどのエン・バタモスの集まりに潜り込み、通り過ぎながら短剣と”風刃”で首を刎ね飛ばした。
そのミカの背中を目掛けて突っ込んできたエン・バタモスの攻撃を、振り向き様に短剣で受け止める。
と同時に、”鉄弾”で胴体に大穴を開けた。
ビュッ!ビュビュッ!ザシュッ!ビュッ!ザシュッ!ビュビュッ!ザシュッ!
エン・バタモスはまったく怯むことなくミカに襲い掛かる。
そのいくつもの攻撃を掻い潜りながら、短剣で反撃していく。
ガシッ!
それでも受けきれず、とうとう左手の手甲で受け止める。
「チッ! ”風刃”!」
そうして、攻撃してきたエン・バタモスの腕と胴体を切断した。
ミカは素早く移動し、一瞬だけ息をつく。
「ふぅ……、さすがに全方位は苦しいね。」
それでも、再びエン・バタモスの群れに飛び込む。
買った時の防具屋の言う通り、手甲で受け止めてもダメージらしいダメージはない。
これなら、何の問題もない。
もっと素早く、もっと鋭くミカが動けばいいだけだ。
全方位からのエン・バタモスの攻撃を躱しつつ、魔法と短剣を使い反撃。
エン・バタモスは、一体、また一体とミカの餌食となった。
ミカは森の奥へ奥へと誘いながら、踊るように魔獣を屠り続ける。
そうして、西の空が赤みを帯び始めた頃。
「……とりあえず、今日はこんなもんかな。」
ミカ以外、動く物のいない森で独りごちた。
「ご馳走様ぁ。」
夕食を食べ終わり、ミカはギシッと椅子を軋ませて、背もたれに寄りかかる。
「あー……、お腹苦しい。」
「…………いくら何でも、ミカくん……。」
「食べ過ぎです、ミカ様……。」
お腹を摩るミカに、二人が呆れたような目を向ける。
「今日はいっぱい運動したからお腹空いちゃって。 むしろ、何でお腹っていっぱいになっちゃうんだろうね。 もっと詰め込めればいいのに。」
満腹中枢に「余計なことすんな」と心の中で呟く。
そんなことまで言い出すミカに、二人は増々呆れた様子になる。
ミカはお代わり、お代わりと王都で買ってきた日持ちするパンをいくつも食べ、キスティルとネリスフィーネは明日の朝食の分まで無くなるかも、とハラハラしていた。
「あの……明日、食材の買い物に行こうと思うのですけど……。 ミカ様は何かご予定はありますか?」
「明日? 特にないよ。 コトンテッセ?」
ミカがそう聞くと、ネリスフィーネがこくんと頷く。
今まさに、十分に足りるはずだったパンが消えてしまったため、買い出しに行く必要ができてしまった。
だが、そんなことを二人はミカに言わない。
ネリスフィーネの気づかいを理解しているのは、残念ながらキスティルだけだった……。
王都であれば、こんなことを言う必要もない。
黙って、明日キスティルとネリスフィーネが買い物に行くだけだ。
小麦粉を買ってきて、せっせと二人で庭の窯でパンを焼くだけである。
リッシュ村にも、共同でパンを焼く場所がある。
ただ、その窯に火を入れるのは曜日が決まっていて、予約しないといけない。
なので、数日はパン屋で日持ちするパンを買ってきて、凌がなくてはならないのだ。
気軽にパンを買いに行けない普通の家庭の場合、パンが無くなったらパンもどきで凌ぐことになる。
小麦粉と塩と水だけで作った、フライパンで焼く硬いパンもどきで。
ミカが腹ごなしにフィーとあっちむいてホイをしている間に、キスティルとネリスフィーネが食器を洗いに行く。
この世界に来てから、ミカは一切家事をやらないダメ人間になっていた。
自分の部屋の掃除すら、自分でやらないだめっぷりである。
ちなみにミカとフィーのあっちむいてホイだが、見ている人にはよく分からないものになっている。
最初はミカの「あっちむいて、ホイ」の掛け声で開始されるが、ミカの指さす方向とは、別の方向にフィーが逃げるというもの。
そのタイミングが少しずつ早くなっていき、「ホイ、ホイ、ホイ!」とどんどん早くなる。
最終的には「ホホホホホホホホホイ!」としか聞こえない、キスティルとネリスフィーネには、ミカの手の動きすら見えないよく分からない遊びに変わる。
そして、勝率は互角。
おそらく光のフィーにとっては、ミカの動きを見てから自分が動いても余裕で間に合うのだろう。
ただし、ミカのフェイントにはよく引っかかるため、現在は互角の勝負をしていた。
もしかしたら、わざと負けてあげてる説も無きにしも非ず?
ミカがへそを曲げて、遊んでくれなくならないように。
そして、二人が戻ってきたら自分の部屋へ。
ここからミカはお勉強の時間である。
ミカはベッドの横に置いた大きなリュックサックから、苦労して巨大な本を取り出す。
大金貨一枚もした、精霊球についての本だ。
この本。
大き過ぎてとてもじゃないが魔法具の袋に入らない。
だが、一カ月もあるリッシュ村での帰省に、持っていかないという選択肢はない。
なので、この本が入るリュックサックを特注で作り、それを前に抱え、背中にハーネスで連結したキスティルとネリスフィーネを背負って飛んできたのである。
「ったく……でか過ぎなんだよなあ。」
思わず愚痴りたくなるくらい場所を取るし読みにくい大きさ。
しかし、不満はそれだけだった。
内容に関してはまったく不満はない。
まだ半分くらいしか読めていないが、非常に丁寧で分かりやすく説明されている。
パラレイラに紹介された魔法具店の魔女が、この本について「精霊球について書かれた傑作」と評していたが、ミカもまったくの同感だった。
「凄まじく深い理解をした上で、それを知らない人に一から理解しやすく説明するとか。 並みの人じゃないだろ、著者は。」
難しいことを難しいまま人に伝えることは簡単だ。
相手が理解しようがお構いなしに、専門用語を並べ立てればいい。
だが、ロクな知識もない人に理解させようと言うのだから、これを書いた人の苦労は想像を絶するだろう。
最低限、錬金術や魔力についての知識を必要とするが、錬金術の勉強を始めて一年にも満たないミカが理解できるレベルにまで落とし込んでいる。
錬金術に関わる人、すべてに教科書として読ませた方がいいと思うほどだった。
ミカは表紙をめくる。
そこには、『精霊球の理解 著 アーデルリーゼ・トラエット』と書かれていた。
大仰な文句などはなく、ただ『理解』とだけ謳う。
この一言に、著者の籠めたすべての思いと、自信を感じた。
「すごい人もいるもんだね。」
おかげで、後塵は楽ができる。
まあ、楽と言っても、読むだけでも楽じゃないけど。
これなら、普通の本のサイズで十巻セットでもいいと思うのだが……。
「とにかく、今月中にもう一回は読み直さないと。」
まだ一周目も半分だが、できればもう一回読み直して、一度読んだだけでは零れてしまった部分を埋め直したい。
さすがに情報量が膨大過ぎて、一度読んだだけでは憶えきれないのは確実だった。
そうして、ミカはベッドの上でその本を読んだ。
魔獣討伐の疲労が祟り、いつの間にか寝落ちしてしまうまで……。
翌朝、まだ寒い時期にそんなことをしたもんだから、ミカはまんまと熱を出した。
そして、昨夜読んだ部分はまったく頭に入ってなかった。
そして更に、約束した買い物には、当然ながら行けなかった。
ミカの家のパンは尽きたが、キスティルとネリスフィーネが平べったくて硬いナンのような物を焼いて、何とか急場を凌いだ。
ごめんなさい……。




