第181話 三つ目の【祝福】とフィーの特技
土の1の月、5の週の陽の日。
ミカは指名依頼を受けた家に来ていた。
この家の絵画が呪いを宿しているようで、その解呪が依頼内容だ。
落ち着いた雰囲気の書斎。
だが、一つだけ異様な雰囲気を漂わせる物があった。
それは、ミカの身長ほどもある大きな額縁に飾られた、少々不気味な絵。
抽象画とでもいうのだろうか。
よく分からない、うねうねとした線を塗ったくった、幼児が適当に描いたような絵だ。
色使いも赤、黒、茶色が全面に塗られ、飛沫のように飛び散った様々な色が強烈なアクセントを与える。
ミカにはこの絵が一ラーツとも、一億ラーツとも判断がつかない。
心情的には一ラーツすら払いたくないが。
「…………あの、やっぱり難しいでしょうか……?」
ミカが変な顔をして絵画を見上げていると、依頼者の男性が恐るおそる声をかけてくる。
「ああ、いえ、呪いの方はまだ、何とも……。 絵を下ろしてもらえますか? できれば額縁も外した状態で、そちらのテーブルに置いてもらえれば。」
ミカは部屋の一画にある、ソファとテーブルを指さすと、男性は「分かりました」と頷いた。
そうして、男性は使用人二人に指示をして、絵画を壁から外させる。
ソファに腰掛けて、ミカはその作業を見守った。
この絵画。
冒険者ギルドが預かりを拒否した程度には、強い呪いを宿している。
絵画の元の所有者は依頼者の父親。
中々の資産家で、芸術にも造詣が深い人物だったらしい。
だが、昨年亡くなられ、依頼者が相続したのだとか。
依頼者は様々なものを父親から受け継いだが、残念ながら美的センスまでは受け継がなかったらしい。
件の絵画を「不気味な絵だ」と思い、処分しようと考えた。
ところが、この不気味な絵を壁から取り外すと、額縁の後ろに封筒が付いていた。
封筒は依頼者の父親が、相続した後のこの絵の取り扱いについて、アドバイスするものだった。
『このままにするように。 決して動かしてはならない。』
非常に簡潔に警告を残した。
勿論そんなことを真に受ける訳もなく、他の売却する予定の美術品などと一まとめにし、別の部屋に保管していた。
そこから、様々な怪奇現象が起き始めた。
一緒に保管していた美術品などが、なぜか破損し始めたのだ。
十点以上の美術品を一まとめにしていたが、そのうちの半数近くが破損した。
気味の悪い音も保管していた部屋からするようになり、極めつけは屋敷のあちこちの床や壁に絵の具のような汚れが現れるようになった。
何が何だか分からない依頼者は、それでも美術品の引き取りを依頼し、鑑定をお願いした。
その鑑定結果により、この絵画が呪われていることが判明する。
他の美術品は破損してダメになった物以外はすべて引き取ってもらえたが、この絵画だけは引き取りを拒否。
鑑定した人に、これまで呪いが現れなかった理由があるはずだ、と言われ思い出した。
父親からの警告、――――動かすな。
そこで元の場所に飾ることで、とりあえず怪奇現象は収まったらしい。
ミカは額縁を外す作業を見ながら、ぼんやりと考える。
(父親は、何でこんな呪われた絵を飾っていたんだ?)
本当に芸術的な価値があり、飾っていたのだろうか?
素人のミカには分からないが、優れた何かがあるのかもしれない。
ただ、ミカには一つだけ心当たりがあった。
淫紋の呪いを宿していたネックレスだ。
商品としての価値を低く見積もりながら、それでも父親はそのネックレスを購入した。
実物を見る前から、ネックレスに強い興味を持ったヘーミニッキ。
ある種の呪いは、人の心に強く影響を与える。
行動を、誘導するほどに。
ミカが考え込んでいると、使用人が額縁を外した絵画をテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます。 それでは、後は任せてください。」
ミカがそう言うと、依頼者はホッとした表情になって、使用人たちと部屋を出て行く。
本当は、依頼者はこの部屋に入ることすら嫌がっていた。
だが、ミカが話を聞くと、絵画は壁にかかっているという。
しかも、それなりに高い位置にだ。
ミカが外すのでは大変だと思い、依頼者に作業してもらうことにしたのだ。
「さてさて、どんなもんかね。」
ミカは左手に魔力を集め、絵画に触れる。
強烈な波動が左手に伝わるが、問題なく押さえ込める。
だが……。
「うーん……、このレベルになると、自動では無理か。」
消費する魔力が多すぎる。
”吸収翼”を出せれば使えるが、”吸収”では魔力不足だった。
(どうしよう……。 やっちゃう?)
いつもの廃屋なら人目がないだろうと考えてバンバン使っているが、さすがに人の住む屋敷内ではいつ人が来るか分からない。
(近づいたら、呪いのとばっちりを受けるぞぉ~、とか脅しておくか。)
そうすれば、わざわざ来る人はいないだろう。
ミカはテーブルベルを使って屋敷の人を呼び、依頼者に「この部屋に絶対に誰も近づけるな」と脅しておいた。
そうしたら、脅しが効きすぎたのか依頼者は使用人を含めて、全員を庭に避難させた。
ごめんて。
脅し過ぎたね。
だが、これで遠慮なく”吸収翼”を使える。
”自動解呪”もフルで稼働させられる。
「うっし、それじゃちゃっちゃっと片付けますか。」
ミカは書斎のカーテンを閉めながら、”照明球”を発現する。
いつまでも屋敷の人を外に出してるのも悪い。
なるべく早く解呪しよう。
ミカはソファに座ると手を伸ばし、絵画に触れて意識を集中する。
「”吸収翼”、”自動解呪”。」
そう呟くと、光の翼がミカの背中に発現し、急速に呪いの解除を始める。
目に見える”呪い”ほどではないが、ここ最近ではちょっとお目にかからなかったレベルの呪い。
(それでも、この速さで解呪していったらすぐだね。)
そう思った瞬間。
「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”アアアアアアアアアァァァーーーーッ!」
「ッッッ!?」
突然耳をつんざくような叫び声が聞こえた。
ビリビリと窓ガラスを震わせ、振動が皮膚にも伝わるような叫び声。
絵画から”何か”が噴き出す。
だが、”何か”が噴き出しているのはミカにも感じられたが、それが何かまでは分からなかった。
目には見えない。
それでも、確実に”何か”が噴き出している。
「何だ、これ!?」
ミカはソファから立ち上がり、絵画と少し距離を空ける。
”地獄耳”を発現するが、あまりにも遅すぎた。
今更ながら叫び声をカットしたが、耳鳴りがする。
「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”アアアアアアアアアァァァーーーーッ!」
叫び声は続いている。
ミカは周囲を警戒するが、特に叫び声以外には何も起こらない。
絵画から噴き出す”何か”も、何となく感じはするが具体的には何も分からない。
ただ、その噴き出す勢いが弱まると、叫び声も徐々に弱まっていった。
そうして、茫然と絵画を見ていると、ついには叫び声も”何か”も収まる。
何が起きていたのか、初めてのパターンで予想もつかない。
ミカは絵画を警戒しながら、窓の近くまで行く。
そうして外の様子を確認するが、特にこれと言って変わったところはない。
依頼者や使用人が、突然の叫び声に驚き慌てているが、それだけだ。
悪霊が外に出てきた、といった事態ではなさそうだった。
「…………一応、屋敷内を見回っておくか。」
”不浄なる者”でも飛び出してきたのなら、気づきそうなものだが、念のためだ。
ネリスフィーネの時の”悪霊の群体”の例もある。
呪いの中に何かが潜んでいた可能性はある。
ミカは”吸収翼”を”吸収”に切り替えると、魔力範囲を展開し、屋敷内のすべての部屋を見回った。
不意打ちに警戒するなら自分の身体に纏わせるべきだが、今は索敵が目的。
すべての部屋を隅々まで魔力で確認し、潜んでいる”何か”がいないかを確認した。
「特にはいないか。」
最初の勢いで屋敷の外に飛び出してしまっていたらお手上げだが、少なくとも屋敷に潜んでいるということはなさそうだ。
まあ、いくら驚いたとは言え、ミカは目の前で見ていたのだ。
魔物の類でも出てくれば、おそらく気づいたと思う。…………多分。
「とりあえず、依頼は完了させるか。」
依頼が終わらない限り、屋敷の人はずっと外に出たままになってしまう。
ミカは書斎に戻ると”吸収翼”を出して、解呪の続きに取り掛かった。
「いやあ、あの声には驚きましたよ。 だけど、さすがは”解呪師”と言われるだけはあります。 安全のために、予め避難させてくれたのですね。」
「あー……、いやぁ。 あ、あははは……。」
はい。
そういうことになりました。
予測不能な事態が起きそうだと気づいた”解呪師”が、依頼者たちの安全のために、先に避難させておいた。
と、いうことらしいです。
折角なので、乗っかることにした。
「何が起こるかまでは分からないのですけどね。 特に危険なことがなくて良かったです。」
そう、にっこりと微笑んでみる。
「失礼だとは思ったのですが、念のために一応屋敷の中は見て回りました。 ですが、万が一もあるかもしれません。 何か怪しいことがあれば、冒険者ギルドまでご連絡ください。 今回の件に関連すると判断した場合は、優先して対応します。」
「分かりました。 それで、絵画の方は?」
依頼者はそう言うと、自分で用意した鑑定人に視線を向ける。
尋ねられた鑑定人は、黙って頷く。
「この絵に宿っていたのは、かなり強い呪いでした。 ここまでの呪いは、僕も滅多に見ません。 何か、曰くとかは聞いてますか?」
「いえ、そういうのは、まったく……。」
いつの間にか父親が購入し、自分の書斎に飾り始めた。
趣味が悪いから外すように言っても、まったく聞かなかったらしい。
「美術的な価値はどうなのですか?」
ミカが鑑定人に聞くと、何とも言えない表情で首を横に振る。
おそらく、普通に考えれば大した価値の物ではないのだろう。
(まー、こーいうのはなあ。 作者が有名な画家って分かると、途端にすごい値がついたりするからなあ。)
ミカにはまったく無縁の世界である。
例え目の前にすごい画家の絵があり、それが破格の値段で売っていても、とても買おうとは思わない。
なぜなら、その真贋すら分からないからだ。
あまりに安ければ偽物を疑うし、あまりに高ければやはり偽物を恐れて手が出せない。
もしもインテリアで「絵でも飾ろうかなあ」と思ったら、小さな個展にでも行って、風景画でも買ってくるのが無難だろう。
単純に、この値段で、この絵を眺めて暮らす生活、を天秤にかければ済む。
小難しい芸術論は置いて、何となく観ていたくなる絵が傍らにある。
それ以上の価値を求めるのは、ちょっと身の丈に合わない気がする。
絵画の後にも、二件ほど置き物や装飾品の解呪の依頼をこなして、冒険者ギルドへ。
依頼完了の報告をし、注意事項として一件目のことを報告した。
何かあれば、すぐに連絡をください、と伝えておく
「ただいまー。」
そうして、まだ夕方にもならない時刻。
自宅に帰ると、玄関を開けた瞬間にフィーが突撃…………してきたと思った途端に、即座に反転した。
フィーはぴゅーーっと逃げて行き、キスティルの後ろに隠れてガクガクブルブルと震え始めた。
「んんーー?」
ミカは首を傾げる。
「おかえりなさい、ミカくん。」
「お帰りなさいませ、ミカさ――――っ!?」
テーブルに着いてくつろいでいたキスティルとネリスフィーネが挨拶を返すが、ネリスフィーネの表情が驚きで固まった。
「ミ、ミカ様っ!? 何がっ……何があったのですかっ!?」
そして目を見開き、血相を変えて慌てふためく。
「んー? 何って?」
よく分からないミカは、そのまま家の中に入る。
が――――。
「だめですっ! ミカ様っ!」
ネリスフィーネが必死になって、声を振り絞るように言う。
「ちょ、ちょっと。 どうしたのよ、ネリスフィーネ?」
キスティルはネリスフィーネの態度の理由が分からず、おどおどする。
そして、それはミカも同じである。
「何? どうしたの、ネリスフィーネ?」
「外! 出てください、ミカ様!」
まさかの、出て行け宣言!?
ミカは地味にショックを受けた。
「ネリスフィーネ、本当にどうしたのよ……。」
「いいから、早く外へ! キスティルはミカ様に近寄ってはだめ!」
何だかよく分からないが、ネリスフィーネがあり得ないくらいに必死だ。
きっと何か理由があるのだろう。
ミカは若干のショックを受けつつ、黙ってネリスフィーネに従った。
そうして、ミカは庭からも追い出され、道路に立たされた。
ひどい……。
家の敷地から一歩下がった位置のミカ。
そこから三メートルくらい距離を取るネリスフィーネ。
そのネリスフィーネの、更に後ろにキスティル。
キスティルの後ろには、未だに震えているフィー。
何?
本当に何が起きているの?
「あの……、ネリスフィーネ。」
ミカが恐るおそる声をかける。
ネリスフィーネは、じっとミカを見るだけ。
ただ、ミカからは微妙にズレた部分を見ているような印象を受ける。
「ミカ様は……、私の【祝福】はご存じですね。」
「え? ああ、うん。」
ネリスフィーネの急な質問に、一瞬どきりとする。
「【癒し】と【清め】だろ。 あとは、よく分からない物が見え、る――――。」
そこまで言って、気づく。
よく分かっていない、ネリスフィーネの三つ目の【祝福】。
何かが見える、という謎の【祝福】をネリスフィーネは宿しているのだ。
「…………見えているんだね。 ネリスフィーネには。」
ようやくミカにも、事態の深刻さが少し分かって来た。
ミカの言葉に、ネリスフィーネがこくんと頷く。
まだまだ分からないことも多いが、少なくとも何かの事態が起きていることは確実とみていいだろう。
それから、ネリスフィーネに今日何があったのかを聞かれた。
「…………おそらく、その絵画が怪しいと思います。」
話を聞き終わり、ネリスフィーネがぽつりと呟く。
だが、それまでの張り詰めた表情から、少しだけほっとしたように力が抜けていた。
「どうやらミカ様自身の物ではなく、いつものように持って来てしまっただけのようですね。」
「……持って来た? いつも?」
ネリスフィーネが言うには、どうやらミカが解呪の仕事に行くと、多少はくっついて来る物があるらしい。
だが、それはごく少ない物で、ネリスフィーネも気にしないようにしていたようだ。
特に害があるわけでもなく、放っておいてもそのうち消えて無くなるのだという。
ただ、今日はびっくりするくらい大量に”それ”をくっつけて帰ってきたため、ネリスフィーネもちょっとパニックになってしまったらしい。
「……で、それは一体何な訳?」
ミカがそう尋ねるが、ネリスフィーネは首を振る。
「分かりません。 ただ、ミカ様の物でないなら、そこまで深刻な問題はないでしょう。 どうすれば消えるのかは、分かりませんが……。」
ネリスフィーネも見えるだけで、どうにかできるものではないと言う。
「僕の物?とか、そういう場合もあるの?」
「そうですね。 多少は誰でも出ることがあるのです。 買い物に行けば、何人かはそういう人を見かけることがあります。 ただ……。」
「……ただ?」
そこまで言って、ネリスフィーネが少し苦し気な表情になる。
「あんまり多く”それ”が出ている人は、大抵その後良くないことがあります。 その人だったり、その人の周りだったりするのですが……。 原因は、その人であることが多いと思います。」
例は少ないが、そういうのを何度か見てきているらしい。
「ミカ様についているのとは、また別の感じの物もあるのです。 そういうのは沢山ついててもあまり問題はないのですが。」
話を聞き、ミカは考え込む。
対処法が何も思いつかない。
まあ、この話だけでは当然だが、
「とりあえず、そのうち消えるっていうなら、しばらく外に泊まろうか? ……宿の人には悪いけど。」
どうせ見えないのだ。
気にしなければ、どうということはない。…………よな?
多分……。
「あ、フィーちゃん。」
キスティルの声がして、ミカとネリスフィーネがキスティルの方を見る。
キスティルの後ろで震えていたフィーが、ふよふよ~……ネリスフィーネの肩に飛んできた。
それから、フィーはミカに向かって細い光を照射してくる。
ミカの身体に直径で十センチメートルくらいの光が映った。
だが、その光はミカの身体から五センチメートルほど浮いた位置に映っていた。
「は……? 何だ、これ?」
でこぼことした”何か”に、フィーの照射する光が当たっている。
「そうか。 フィーにはこれが見えていたのか。」
だから、ミカの姿を見て一目散で逃げ出したのだ。
「でも、この光に何か意味はあるのか?」
「フィーちゃん?」
キスティルがネリスフィーネの横に来て、フィーに声をかける。
だが、フィーはそのまま光の照射を続けていた。
「すごいです! さすがフィー様です!」
ネリスフィーネが歓喜の声を上げる。
しかし、ミカにはさっぱり分からない。
フィーは何をしてるんだ?
何でネリスフィーネは喜んでいるんだ?
「フィー様が光を当てている所の”それ”が、消えていってます。 少しずつですけど、目で見てもはっきり分かるくらい消えてます。」
「え、まじで!?」
フィー、そんな特技があったの?
何がくっついていて、何が消えているのか分からないが、どうやら事態は解決に向かっているようだ。
願わくば、どなたかに説明をしていただきたいのですけど……。
そうして十分以上かけて、ミカの身体についていた”何か”をフィーが取り除く。
ただ、フィーも途中で魔力が足りなくなったのか、ミカの魔力を吸い始めた。
それに対してミカも”吸収”を全開にして、フィーに「好きなだけ吸え」と大盤振る舞いをしてやる。
だが、今はそれをちょっと後悔している。
なぜなら、”何か”の除去が終わった今もフィーが魔力を吸い続けているからだ。
いつまで吸う気だ?
まあ、いいけど。
「もう大丈夫です、ミカ様。」
そうネリスフィーネは笑顔で言うが、結局ミカには何のことかさっぱりだった。
ただ、この日から……。
「これからも、綺麗に全部取ってあげてくださいね、フィー様。」
ネリスフィーネからの指示により、ミカが家に入るにはフィーの確認を必要とするようになった。
(ここ、俺の家なのに……。)
いや、それは言うまい。
皆の家だ。
皆のためのルールなら、従おう。
ただ、確認は解呪の仕事の後だけに、条件を緩和してもらいました。




