第177話 何気ない日常の光景
風の3の月、1の週の水の日。
今年最後の月になり、朝晩の冷え込みも少しずつ厳しくなってきた。
ミカは寝不足の頭をぽりぽりと掻きながら、ベッドで身体を起こす。
寒さに思わず、ぶるっと身体が震えた。
「…………”制限解除”……”吸収”……”照明球”。 ……”突風”。」
すぐに”突風”で暖かい空気を自分の周囲に展開する。
そうしてからベッドを降り、学院の制服に着替えた。
フィーが頭の上にふよふよ~……と乗ってくる。
「ふぁ~~~~……。」
ミカは着替えながら大きく欠伸をし、身体を伸ばす。
昨夜はちょっと寝るのが遅くなってしまった。
自分の魔力を安定させる魔法具の回路を描いていたのだが、どうにも上手くいかない箇所があり、あれやこれやと試行錯誤していたのだ。
いつもの時間にフィーが知らせに来たが、生返事で追い返し、そのまま没頭してしまった。
現在、魔力を安定させる魔法具は試作型三号が完成し、四号を設計中である。
ただ、扱う魔力量が増えてくると、それまでは気にしないで済んでいたような小さな誤差でも、段々と無視できない大きさになっていく。
回路を描いていても、「あ、これじゃだめじゃん」と自分でも気づいてしまうのだ。
そうして一部を見直したり、誤差を抑えるための別の回路を組み込んだりといろいろやっているうちに、二時間、三時間があっという間に過ぎてしまう。
「おはよー……。」
頭にフィーを乗っけたまま、半分眠ったようなままミカがダイニングに行くと、キスティルとネリスフィーネが朝食の準備をしていた。
「おはよう、ミカくん。」
「おはようございます、ミカ様。」
笑顔で返事を返す二人に、ミカは項垂れたような姿勢のまま頷く。
そうして、自分の席にドサッと座る。
やや身体を傾かせ、目は瞑って。
「ミカくん、眠いの?」
「んー……。」
ミカは生返事を返す。
「何時くらいまで起きてたのですか、ミカ様?」
「んー……。」
また、生返事を返す。
そんな様子のミカに、キスティルとネリスフィーネが同時に溜息をつく。
そうして二人は顔を見合わせ、てきぱきと動き出した。
「はい、ミカ様。 しゃっきり背筋を伸ばしてください。」
そう言ってネリスフィーネがミカの身体を起こし、背中を伸ばす。
何かを察したフィーは、静かにミカの頭から離れた。
キスティルはその間に冷蔵庫から、直径で三センチメートルもないくらいの赤い果物を取り出す。
赤い薄皮を剥くと、中から白くて艶のある実が現れる。
「はい、ミカくん。 お口開けてー。 甘くて美味しいわよ。」
そうして、優しい声で囁くように言う。
ミカが少し口を開けると、キスティルは果実を唇に軽く当てた。
もっとしっかり口を開けないと入らないと、それだけで脳に伝わる。
ほぼ条件反射のようなものだ。
そうして無意識のうちに口を開けたミカに、キスティルが果実を入れてやる。
丸ごと。
ほのかな甘みが口に広がっていき、ミカは無意識にその果実を噛む。
芳醇な甘みが口いっぱいに広がった。
瞬間――――。
「ぶふぅっ!?」
強烈過ぎる酸味に、ミカが咽せた。
咄嗟に吐き出そうとするミカの口を、キスティルが手で押さえる。
堪らず手足をバタつかせようとするミカを、ネリスフィーネが必死になって押えた。
「んんーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!???」
「ミカくん! ちゃんと食べないとだめよっ!」
「もう、そんなに暴れないでください、ミカ様っ!」
この果実。
薬に使われたりするくらい、とても身体に良い果実なのだが、残念ながら普通に食べるには厳し過ぎる酸味が特徴。
外側に薄い甘い層があるのだが、その内側に凄まじい酸味を持つ本体が眠っている。
適当な量の水に丸ごと入れて、潰して飲むと酸味の効いた美味しいジュースになったりする。
ただし、罰ゲーム用にも大変人気の果物だった。
最近はジュースにして、皆で毎朝飲んでいる。
しかし、二人から見てミカが寝惚けていると判断した場合、丸ごとの使用を許可していた。
眠気覚ましに。
ちなみに、今回で三回目の使用である。
本人が許可したからといって、実際に実行できるあたり、意外に容赦のない二人だった。
「げっほ!? ……げほっごほっ!」
二人を振りほどき、ミカは床をのたうち回った。
いくら体格差があり二人がかりとはいえ、キスティルとネリスフィーネでは学院で鍛えているミカを押さえ続けることはできない。
すぐに解かれてしまう。
「ぐぇー…………。 え、えらい目に遭った……。」
ミカは涙目で…………、というか普通に涙が出た。
床に果実を吐き出し、ぐったりしたミカの呟きに、キスティルとネリスフィーネが抗議する。
「それはこっちの言うセリフよ、ミカくん。」
「そうです。」
二人も肩で息をしていた。
「夜更かしはだめよって、いつも言ってるのに。」
お姉さんモードのキスティルが頬を膨らませて、ミカを叱った。
叱りながらも、キスティルはてきぱきと片付け始める。
「朝早くに起きてやってはどうですか、ミカ様。」
ネリスフィーネが、着替えのローブを持ってくる。
床をのたうち回ったせいで、ローブは埃を叩くだけでは済まないという判断だった。
二人からの正論攻撃に、ミカは涙を拭いながら空しい反撃を試みる。
「僕、夜型だから……。」
強烈なおめざで目だけは覚めたが、気力が無いなった。
しかし、余計なことで時間を取られたため、急いで朝食を摂らなくてはならない。
キスティルとネリスフィーネもそれは分かっているのか、急いでシチューをよそい、パンやサラダを並べる。
ミカの家では、しっかりとお祈りをしてから食事が始まる。
キスティルと二人だった時はかなりいい加減に済ませていたのだが、ネリスフィーネが食卓に着くようになって一変した。
ネリスフィーネは、ミカがお祈りをしないで食べ始めても、何も言わない。
ただ黙って、とても悲しそうな目でミカを見るのだ。
じっ……と。
最初は気づかずに食べていたのだが、その目に気づいてからは、とても無視なんてできなかった。
それ以降、お祈りは必須になってしまったのである。
そして、ミカの食べ方も以前と比べると大人しくなってきた。
落ち着いて食べているとは言い難いが、少なくともがっついて食べる様なことはしなくなった。
女の子二人が行儀よく食べているのに、自分だけが大変汚い食べ方。
そのことに、ふと気づいたというか、我に返った。
元々ミカだってそんながっつくような食べ方だった訳ではない。
レーヴタイン寮にいる間に、何となくそんな感じにかっ込むようになったが、一応はテーブルマナーだってやれなくはない。
普段の食べ方だって、きれいに食べようと思えばできる。
学院の貴族用の食堂で食べても、眉を顰められない程度には。
まあ、家や一般用の食堂ではそこまで気を使って食べはしないが、もう少し綺麗に食べようと自分で思った訳である。
そうした慌ただしい朝の一コマがありながらも学院に行き、授業をこなす。
昼休みに、久しぶりにステッランとブアットレ・ヒードに興じた。
ミカとステッランがブアットレ・ヒードを指す時、いちいち「同時行動ね」などと確認をしなくなった。
相手に分かるように動かす駒を簡単に指さし、同時行動でも連携攻撃でもどんどん進めていく。
そのため、余程ルールを熟知した人でもなければ「何で二つの駒を動かしてるの?」「何で今は一つしか動かさないの?」と訳が分からないだろう。
「ずっと授業で設計図を描いているが、何を作っているんだい?」
ステッランが駒を動かしながら聞いてくる。
ミカは少しの間考え、自分の駒を動かす。
「そんな大した物じゃないよ。 まあ、練習ってとこかな。」
「練習? 君は魔法具作成に興味があるのかい?」
ステッランはノータイムで駒を動かす。
その駒の配置に、ステッランの狙いが分かり、ミカは顔をしかめた。
大駒の利きで、こちらを分断するつもりのようだ。
「魔法具作成に興味っていうか、こんなのはただの手段だろ?」
ミカはステッランが大駒を置きたいであろう場所を予想し、その利きを止める位置に自分の駒を置く。
大駒に自由にされるとこちらが窮屈になるため、利きを止めるだけの手だ。
それを見たステッランが少し考える。
「……ということは、魔法具で何かやりたいことがあるのか。」
「あるにはあるけど、ちょっと欲しいくらいの物なら、自分で作っちゃうのも良くない?」
「そう言えてしまうのは、実に君らしいと思うよ。」
しばし悩んで、ステッランがミカの予想した位置とは別の場所に大駒を置いた。
「普通は、回路の作成も【付与】も、そう簡単なものではないのだが?」
「……そう言うってことは、ステッランも回路作成をある程度は知ってる?」
ミカはステッランの大駒を捕獲するため、駒の位置を調整する。
「多少は本を読んで知っているってだけさ。 実際に自分で回路図を描いたことはないよ。」
そうしてステッランは、大駒をぶった切ってきた。
「あっ!?」
大駒を詰まそうと思って駒を動かすことで、反ってミカの陣営に隙ができてしまったようだ。
そこに、大駒を捨てて切り込んで来た。
ステッランは大駒を失うが、こちらはかなり苦しい状況に陥った。
まさか、ステッランが大駒をぶった切る選択をするとは。
ミカは盤面をじっと見て、穴を塞ぐ方法を考える。
ステッランは大駒を過度に大事にする傾向があり、ぶった切って来るなんて初めてのことだった。
ここを凌ぎ切れば、大駒を残しているミカの方が形勢は有利に傾いてくるはずだ。
だが、この局面で一気に攻められると、態勢を立て直す前に崩壊する。
ミカがどう凌ぐかを考えていると、廊下の方が騒がしくなって来た。
「ふむ、引き分けかな?」
そう、涼しい顔をして言うステッラン。
ミカが半目になる。
「この場面なら、僕の劣勢だね。」
「そうか? では、そういうことにしておこう。」
余裕そうな顔で、ステッランが片づけを始める。
ミカはやや悔し気だ。
この表情の差こそ、形勢を物語っていた。
「それじゃ、また。」
「ああ。」
席に戻って行くステッランの背中を見送る。
ステッランは、ミカが在位二十年記念パーティに参加していたことを、特には聞いて来なかった。
会場で目が合った時はとても驚いていたが、隣にクレイリアがいて、レーヴタイン侯爵家が勢揃いだ。
レーヴタイン侯爵家の中にミカが混ざっていることに驚くならば、まずはミカとクレイリアの関係こそ驚くべきなのだ。
侯爵の娘に敬語を使わず、呼び捨てにするなど「お前は王族か?」と思われても不思議はないくらいの暴挙である。
なので、細かい事情は分からないにせよ、まあミカなら、と思うくらいにはステッランも慣らされてしまったようだ。
ミカは微かに呻くように「ぁぁー……。」と声を漏らしながら、背もたれに寄りかかり身体を伸ばす。
「珍しく、ミカが悔しそうですね。」
「……言うな。」
クレイリアの突っ込みに、ぼそっ……と返す。
普段、昼休みでは時間が足りなくて、はっきりとした形勢はつかないことが多い。
明らかに形勢が悪くなる時も、徐々に徐々に、という感じだ。
今日のように見落としや、「まさか、これはないな」と思ったことをされるというパターンはほとんどなかった。
特に今日のは、見落としは見落としだが、「ステッランなら、まずこれはやって来ない」と早々に頭から切り離してしまった手を打たれたのだ。
正直、めっちゃ悔しかった。
「最近、私も教わっているのですよ。 ルールが多すぎて、とても大変なのですけど。」
「自分から、こんなのをやりたがるなんて……。」
「あら? ミカは違うのですか?」
クレイリアが不思議そうな顔になる。
「僕は村の司祭に…………無理矢理?」
そう言うと聞こえは悪いが、まあ間違いではないだろう。
ミカの返答に、クレイリアが苦笑する。
「今度やってみる?」
「ミカとですか? …………絶対にこてんぱんにされそうなのですけど。」
「そんなことはしないよ。」
ミカはにっこりと笑顔になる。
「百回やったら、百二十回クレイリアが勝つくらいには手を抜くよ。」
「露骨過ぎます! どうやったら百回やって百二十回も勝つのですか!」
完全な接待ブアットレ・ヒードだった。
そんな馬鹿な話をしていると、コリーナが教室に入ってくる。
ミカはちらりとリムリーシェを見た。
すでに今年の【神の奇跡】の習得はクリアしているので、普段の授業では魔力操作をリムリーシェは行っている。
初等部の二年の時は、余った時間で【豊穣】を習得していたが、今年の【方位】は取る気がないらしい。
リムリーシェは、落ち着いた表情をしている。
先日の”水球”には驚かされたが、もうあの時の動揺はない。
今も何かを練習しているのかは分からないが、思うがままに使えばいいと思う。
周りにバレない範囲で。
(俺も、自分の練習をするか。)
ミカはこれまで、細かな魔力の操作を磨いてきたが、今は扱える魔力の上限を伸ばす訓練を取り入れている。
とは言え、細かな魔力操作も訓練していかないと、【身体強化】の下限が引き上げられてしまう。
これまでの習得の時間では、ミカは結構いい加減に時間を潰していたところがある。
ある程度魔力操作の練習をやればいいや、くらいの考えだ。
やる時は真剣に取り組むが、授業時間いっぱいを使って、精一杯やっていた訳ではない。
そして、実際それで細かな操作を上達させ、【身体強化】の下限を維持してきた。
だが、最近はちょっと忙しくなってきた。
細かな魔力の操作に加え、大きな魔力の操作も行い、魔法具の回路図の作成も行ったりしている。
やることが増えて、結構大変になってきた。
とは言っても、この程度は言うほどの努力ではないだろう。
他の子供たちに比べれば。
【神の奇跡】を習得できるかどうかで、来年のクラスが分かれる。
習得できなければ、来年は二組だぞ、というプレッシャーの中で必死に習得に取り組んでいるのだ。
別に二組でも良くね?と思わなくはないが、そこはプライドがあるのだろう。
明確に「自分は脱落したんだ」と思い知らされるのだから。
ミカは、そうしたプレッシャーとは無縁でここまで来ている。
一度も必死になって、【神の奇跡】を習得しなければ、という思いにさらされたことがない。
(こんなこと思っていると知られたら、まじで刺されるね、うん。)
クラスの子に、後ろから【爆炎】を喰らわされかねない。
なので余計なことは言わず、黙って自分のやるべきことに取り組むのだった。
ミカは放課後、魔法具屋に寄ることにした。
昨夜考えていた回路で、どうしても誤差が大きくなり過ぎてしまう部分の、改善点を相談するためだ。
サーベンジールの店を馴染みにしたいところだが、残念ながら王都からは遠すぎる。
なので、普段作る魔法具の材料などは、王都の店を利用していた。
「そこは輝光石よりも、月光石の方が安定するだろうね。 闇の力とも相性がいいから、この出力なら闇の力の減衰も気にする必要がなくなる。」
ミカの持って来た回路図を見ながら、店主がアドバイスする。
だが、そのアドバイスを聞き、ミカが顔を引き攣らせた。
「月光石って、この量が十分の一になって、値段の桁が一つ増える、これですか?」
ミカが指さしながら聞くと、店主が苦笑する。
同じ量を買おうとしたら、つまりは百倍である。
「同じだけの量を買おうとすると大変だが、月光石ならそれ一瓶だけで十分だよ。 これなら三粒…………確実に安定させるなら四粒も使えば十分だろう。 そう思えば、然程値段は変わらないだろう?」
「あー……まあ、その量で済むなら……。」
若干割高程度で済む。
それで期待する効果が得られるなら、安い物といえば安い物だが。
「これは、試しで聞くんですけど。」
「ん?」
ミカがそう前置きすると、店主が片眉を上げる。
「千倍の出力だと、材料は何を使います?」
「千倍っ!?」
ミカの質問に、店主が素っ頓狂な声を出す。
「これの千倍なんて、聞いたこともないよ!」
「そうですか。」
ミカは店主に礼を言い、軽く補充の材料を選び、購入する。
「さ、三十一万、八千ラーツだが……。 こんなに買って大丈夫なのかい?」
店主が驚いたような顔で、金額を伝えてくる。
ミカはギルドカードを出して精算した。
「いつもいろいろ買ってくれて有難いけど、随分と本格的にやってるんだね。」
ミカの見た目と、買っていく材料の量や質、値段を考えての感想だろう。
「まあ、まだまだなんですけどね。」
「そ、そうなのかい……?」
うん、若干引いてるね。
ミカは今購入した材料を魔法具の袋に仕舞う。
「また、何かあったら相談に来ます。」
「あ、ああ、待ってるよ。」
そうして、今日は”呪いの排除”はお休みして家に帰る。
「………………別の店を探すか。」
ミカは帰り道を歩きながら、呟く。
家から割と近く、値段もまあ普通なので使っていたが、ちょっと求めるレベルにはほど遠いようだ。
「千倍程度で驚かれちゃね。」
多分、ミカの最終目標は千倍では利かない。
一万倍まではいかないだろうと予想しているが、これだってやってみないことには分からない。
「ま、一つひとつやって行くか。」
とりあえずは試作型四号をさっさと完成させ、次はこの十倍くらいの出力に耐えられる物を作ってみよう。
「でも、今日は早く寝ような。」
今朝の二の舞は、さすがに勘弁してほしい。
完全に自業自得なので文句も言えないが、せめて気をつけようと思う。
…………憶えている間は。




