第174話 希少金属の手掛かり
風の2の月、2の週の風の日。
すでにキスティルもネリスフィーネも、部屋で寝ているような夜遅く。
ミカは自室で、黙々と魔法具の回路図を描いてた。
部屋の灯りは二つ。
天井の部屋全体を照らす”照明球”と、スタンドライトとして手元を照らす”照明球”。
いや、厳密には三つだ。
天井付近の”照明球”に体当たりをかまし、荒ぶっているフィーも一応は光源と言える。
圧倒的に光量は足りないけど。
まあ、フィーも本気になれば、目も開けられないような光量を作り出せる。
ミカに怒られるからやらないだけで。
「ふぅーー……。」
ペンを置き、軽く手を振って解す。
ぎしっと椅子を軋ませ、ミカは椅子の背もたれに寄りかかった。
軽く肩を回し、ぽりぽりと頭を掻きながら、自室を出てダイニングへ。
二人を起こさないよう、そっと、静かに。
”照明球”を一つ持って行こうと思ったが、ミカが動き出したことに気づいたフィーがふよふよ~……と肩に乗ってきた。
少々薄暗いが、大体の物の配置が見えれば十分なので、照明代わりにフィーを連れて行くことにする。
ダイニングには、異彩を放つ、真っ黒い物体が置かれている。
床下の補強が完成し、納品された冷蔵庫である。
すでに数週間使っているが、問題なく稼働していた。
懸念だった庫内の水も、ほとんど出ない。
やたらと湿気の高い日本での経験を基準に考えていたが、この国はあまり湿度が高くない。
ほとんど水なんか溜まらなかった。
「何日かに一回、軽く拭けばいいのよね? それくらい普通にやるわよ?」
というキスティルの意見を採用し、庫内の水を処理する魔法具は必要なくなった。
最初はキスティルとネリスフィーネも、あまりにも武骨なこの『冷蔵庫』という、巨大な金属の塊に正直引いていた。
だが、ミカが作った自作の冷風装置を中に入れて一晩置いておくと、作った意味を理解したようだ。
「……つまり、この中に入れると食材が傷みにくくなるのですか、ミカ様?」
「夏よりも冬の方が傷みにくいだろ? それと同じ。 冷蔵庫の中だけ、冬みたいなものだと思えばいいよ。」
と簡単に説明すると、二人とも納得してくれた。
ただ使うだけなら、細菌の繁殖だの、細胞が壊れるだのといった小難しいことは抜きに、「夏より冬の方が長持ちする。 以上。」で十分だ。
ミカは冷蔵庫を開けると、牛乳もどきを取り出し、グラスに注ぐ。
なぜもどきかと言うと、勿論牛さんの乳ではないからだ。
何の乳かは知らない。
店の人の説明を聞く限り、山羊などの乳に近い気はするが、結局はよく分からなかった。
まあ、美味けりゃいいんだよ、美味けりゃ。
ミカがごくごくと謎の乳飲料を飲んでいると、フィーもミカの魔力を吸い始める。
(こいつは……。)
ミカが本を読んだり、回路図を描いている時に魔力を吸われると、魔力の動きで気が散る。
なので止めるように言ったら、それ以外ならいいんでしょ?と言わんばかりにちょくちょく吸いやがる。
ミカは軽く肩を竦めると、洗い物を入れる桶にグラスを入れる。
「”水飛沫”。」
グラスを軽く濯ぎ、部屋に戻る。
そして、机の上に広げた回路図を眺め、軽く溜息をついた。
■■■■■■
一カ月ほど前。
パラレイラから追加で資料を渡された。
どこかの遺跡を調べてきた物だが、そこに書かれていた内容は、当然ながらさっぱり分からない。
そもそも古代の文字など分かる訳ないのだから、あくまでパラレイラの考察を読むだけだ。
だが、その資料の中にあった、パラレイラが描きとってきた絵に、とんでもない物があった。
絵というか、図という方が正確だろう。
遺跡の壁などに描かれている図などは、単純な物が多い。
四つの円。
三つの小さな円が、それぞれ外接し、その三つの円を大きな一つ円が内包している。
それだけ。
三つの円には、中に同じ記号が書かれているので、何か同じ物を表していると思われる。
大きな円にも記号が書かれているが、それは三つの円に書かれた記号とは違う物だった。
そして、資料をめくっていくと、今度は別の図が描かれていた。
今度は沢山の小さな円が描かれていて、その沢山の円を、やはり大きな円が内包する形だ。
小さな円には、先程の三つの円を内包した大きな円に書かれていた記号がいくつか書かれていた。
そして、他の小さな円には、別の二種類の記号が書かれている。
つまり、最初の小さな円をAとすると、Aを三つ含んだものがBとなる。
そして、沢山のCとDという円が集まった中に、Bが所どころ混じっている。
そんな感じの図だ。
BとCとDを内包する大きな円にも記号が書かれており、それはEとでもしておこう。
そしてミカは、何気なく次のページに進む。
「はぁぁああああ!?」
描かれた図を見て、大声を上げてしまう。
「嘘だろ!? ラザフォード・モデルかよっ!?」
そこに描かれていたのは、原子核の周囲を電子が飛ぶ、原子の内部構造そのものだった。
いや、正確には「そう見える」というだけなのだが。
ミカはその描かれた絵を食い入るように見つめたまま、固まってしまう。
なぜ、こんな物が存在する?
この世界では、まだ原子という概念さえなさそうだった。
もしかしたら誰かが思いついているかもしれないが、誰もその存在を証明していないし、広く認知されていない。
それなのに――――。
「……ていうかこれ、先史文明の遺跡に描かれていたんだろ?」
ということは、…………八千年前?
もっとも近くても五千年前。
そんな馬鹿な。
ありえない。
「いくら錬金術が進んでいたからって…………。 いや、これは錬金術なんかじゃない。 科学だぞ。」
それも二十世紀の科学だ。
訳が分からない。
ミカは次のページをめくる。
そこには、半分以上欠けているが、もう少し象徴的な原子モデルの図も描かれていた。
まるで、教科書の表紙にでも描かれていそうな。
ミカは、あちゃー……とでもいうように、額に手をあて首を振る。
「あー……、待て待て。 待てって。 どうかしてるぞ。 これが原子モデルの訳ないじゃないか。」
ミカは資料を机にバサッと置くと、上を向いて両手で顔を覆う。
いよいよ俺の頭はおかしくなったらしい。
「八千年前だぞ? アフォか僕は?」
オカルト系雑誌のネタを本気で信じようとしている。
冷静になれ。
正気に戻れ、俺。
〇ー大陸なんて無いんだ。
確かに”場違いな存在”なんて呼ばれる物が発見されることはある。
だが、これらも結局は「当時の技術では無理だろ」と思い込んでいるだけで、様々な方法で可能にしているだけだ。
今も解明できない物もあるが、それはその様々な方法を、現代人が思いつかないだけ。
(……………………。)
そこまで考えて、資料に視線を移す。
ということは、これも当時の人の考えた、様々な方法で知り得た情報なのだろうか?
「それにしたって、原子の構造だぞ? 飛躍し過ぎだろ。」
アホらしい。
ミカは馬鹿馬鹿しくなって、資料を魔法具の袋に仕舞った。
「はぁー……、もう寝よ。」
妄想が頭を支配し、とてもまともな考えが浮かばない。
また明日、改めて読み直そう。
そう考え、さっさとベッドに入る。
”照明球”を消し、その日は寝ることにした。
だが、翌日になっても馬鹿な考えに行き着く。
どう見ても、ラザフォードの提唱した原子の内部構造の図にしか見えない。
そして、仮にこれが原子モデルとして。
その前にあった図を、改めて見てみる。
最初の図に描かれているのは、Aと仮定した三つの円が素粒子で、Bという核子を形作るということ。
次の図に描かれているのは、このBという核子と、陽子と中性子で原子核を構成するということ。
そんな風に描かれているように見える。
「ていうか、核子って陽子と中性子だけだよな? 何だよBって。」
第三の核子?
そんな物があるのか?
「それに、同一の素粒子で一つの核子を構成? 色荷はどうした、色荷は。」
ミカは頭を抱えて悶える。
助けてください、グー〇ル先生!
さすがにこんなのは、俺のうろ覚えの知識じゃどうにもなりません!
何だか、とんでもない話になってきた。
なってきたが…………。
「…………この世界における、物質の構成がすべてこうなっているのか? それとも、こういう特殊な構成の物質があることを示唆しているのか。」
どっちだ?
そもそもが仮定に仮定を重ねたような話だ。
単なるミカの妄想にすぎない。
(…………それでも、あんなのよりは、まだマシか。)
魔力を隠蔽する方法を考えたところで、それは希少金属の状態を、予想する手掛かりにするだけだ。
できたからと言って、それで何かが進む訳ではない。
「それはこっちも同じではあるけど……。」
そう呟いて、ミカは資料に視線を向ける。
Aという素粒子が何かも分かっていない。
そもそも、本当にこれが物質の構成を示唆しているとも限らない。
そうしてできる物が、何かも分かっていないのだ。
でも…………。
「誰もやっていないことをやるべきじゃないのか?」
魔力を隠蔽する方法なんて、他にも誰かがやっている。
パラレイラが成分分析機を作る前から、そうだろうという仮説自体はあり、いろいろな人がいろいろな方法で挑戦しているのだ。
ミカは足を組み、顎に手を添える。
「もし仮に、この三つの素粒子が魔力だったら?」
Aが魔力として、魔力=素粒子なのだろうか。
それとも、エネルギーである魔力を素粒子に変える部分の図が失われているだけ?
どうやって結びついているのかは分からないが、魔力の塊のような核子を作り出し、それが陽子や中性子と核力で結びついている。
莫大な魔力を抱え込んだ物質。
ただし、強い力で結びついているため、吸い出せないし、検出もできない。
宿っているのではなく、物質そのものを構成している物だからだ。
そんな風に結びついた魔力を、果たして利用することができるのだろうか?
【祝福】や呪いのように、効果を発揮したからといって魔力が消費されない?
魔力が宿らないのは、すでに”何か”が飽和しているからか?
それとも斥力のような、何か反発する力が働いている?
「本当にただの妄想だけど、屁理屈をこねようと思えば、こねられる程度には筋が通る…………か?」
自信などある訳がない。
だが、この資料にある図は、希少金属の構成を表してる図、と考えることができる。…………かもしれない。
そして、そう考えると希少金属の正体は――――。
「金、銀、銅の、魔力という核子を持った同位体。」
という仮説が思いつく。
うーん、ファンタジー。
ミカは思わず、あははは……と乾いた笑いを漏らす。
「って、ファンタジーの世界を生きてんだっつーの。」
魔法が存在する時点で、何でもありやないか。
「全部魔力が悪い。 そうだ、全部魔力のせいだ。」
ミカの中では「よく分からないものは、とりあえず魔力のせい」という理論が確立されている。
「結局、誰も正解なんか知らないんだから、言われたことをやったって、それが正しいとは限らないだろ。」
なら、妄想でも何でも、自分が「ありえそう」と思うことに注力するべきではないだろうか。
ミカは真剣な顔で考え込み、指先でトントンと机を叩く。
「パラレイラに協力して、パラレイラの研究を加速させるか。」
話を聞く限り、パラレイラは天才と言っていいくらいには優れていると思う。
パラレイラに希少金属を解明してもらうのも、方法としては悪くない。
だけど……。
「パラレイラのまったく持っていない知識の上に、別の可能性がある。」
どっちが正しい道かは分からない。
というか、どっちも間違ってる可能性の方が高い。
それでも――――。
「賭けてもいいくらいには、悪い目じゃなさそうだ。」
パラレイラ一本に絞るよりは、まったく違うアプローチを試すのも悪くない。
「資金援助は継続するとしても、研究は別々でもいいかもな。」
いろいろ教えてくれたお礼として、資金援助は続けよう。
とりあえずの方針を定め、ミカは自らの興奮を感じるのだった。
■■■■■■
机の上の回路図を手に取る。
大分複雑になってきて、もはや確認するだけでも一苦労だ。
ミカは希少金属を「魔力を含んだ同位体」と仮定した時、試しに魔力で作ってみようとした。
金、銀、銅は魔力から作れるようになった。
ならば、それに魔力が加わっただけの物ならば、希少金属も魔力で直接作れるのではないかと考えたからだ。
だが、結果は空振り。
何も作ることができなかった。
ちなみに、金を作る場合と比べて、同じくらいの魔力量で銀なら二倍近く、銅なら三倍くらいの量が作れる。
今現在、一度に扱える魔力量を費やしても、十数グラム程度の金しか作れない。
もしかしたら、単純な魔力不足の可能性もある。
魔力不足ならバンバン魔力を注ぎ込んでやればいい。
”吸収翼”で集める魔力には、まだ余裕がある。
だが、ここで大変残念なお知らせです。
ミカがそこまで大量の魔力を扱い切れなかった。
金を作り出すのが、今のところもっとも魔力を消費する。
その次が”爆縮”で、その次が銀の作成といったところか。
そして、この辺までがミカが今扱えるギリギリのラインなのだ。
これ以上の魔力となると暴発しかねない。
おそらくだが、これだけの魔力が暴発したら、ミカが爆死するだけでは済まないだろう。
この家も吹き飛び、お隣さんに大変なご迷惑をおかけするレベルで爆発を起こすと思われる。
ミカは細かい魔力の操作は得意だが、これに関しては上限を限界突破させねばならない。
そうなると、すぐにできることではない。
なので、扱える上限を伸ばす訓練もここ一カ月ほど行っているが、ちょっと違うアプローチも試している。
それが、今描いている途中の回路図だ。
ミカが大量の魔力を扱うための補助具とでも言えばいいだろうか。
暴発を防ぐための装飾品だ。
空間を司る闇の神の力を宿す素材と、秩序や安定を司る光の神の力を宿す素材をメインに使用する。
これにより、”ミカの魔力”という空間を、安定させる、というようなイメージだ。
ただ、この二つの力は扱いが難しい。
光の神の素材は、他の五つの神の力が揃わないと、安定化させにくい。
そして闇の神の素材は、光の神の素材で効果が弱まる性質を持つ。
そのため、メインの効果は闇と光の素材で得られるのだが、その効果を安定させるためにはすべての神の素材を組み込む必要がある。
まあ、いきなり求めるレベルの物は作れないので、少しずつ段階を踏んで作っている。
ちなみに今作ってるのは三個目。
試作型一号と二号は実際に実物も作り、魔法具の袋に放り込んである。
期待している効果は得られたが、まだまだ実用レベルにはほど遠い。
こうした魔法具を注文して作ってもらうこともできるが、バカ高い。
それでもお金に物を言わせて作ることも可能だが、ミカ自身がまだまだ勉強中ということで、自分で作ることにした。
自分で作れる自信があるなら、お金で時間を節約するのも手だが、経験を積むには時間がかかるものだ。
貴重な経験だと思って、自分で作成している。…………今のところは。
面倒になったら、お金で解決します、はい。
ただ、今はこの回路図をあれこれ考えながら描いていくのも、結構楽しんでやっている。
朝の早いキスティルやネリスフィーネが休んだ後、一人で黙々と作業するのが最近の日課だ。
趣味、というほどではないが、前に”呪物”を放課後にやっていたのと似たような感じになっている。
普段のミカは、放課後に指名依頼の呪いの特定に行き、夕方から夜になるくらいに家に帰る。
湯場に行き、夕食を食べて、キスティルやネリスフィーネと団欒の時間を過ごす。
そして、二人が寝る時間から、この回路図作成というのが最近のパターンだ。
もっとも、こんな魔法具を作ってまで大量の魔力を扱えることを目指しているが、そもそも希少金属を魔力で作れない原因は別にあるかもしれない。
資料にあった図が、まったく別の物を描いていたという可能性だってある。
それならそれで仕方ない。
そうした失敗を繰り返し、そのうち希少金属を自分の手で作れればいいなと思っている。
そんなことを考えているとフィーが明滅しながら、ミカの前にゆっくりとした動きでやって来た。
「ん? もうそんな時間?」
ミカがそう聞くと、一瞬だけ少し光を強める。
肩に乗っていると思ったが、いつの間にかダイニングに行って時間を確認してきたらしい。
最近は、回路図作成に集中してしまうと時間に気づかないことがあるので、こうしてフィーに寝る時間になったら知らせるようにさせている。
「それじゃあ、今日はもう寝るかな。」
ミカがそう言うと、再びフィーが光を強めた。
それを見て、ミカがじとっとした目をフィーに向ける。
「…………早く寝ろってか。」
それには答えず、フィーはふよふよ~……と部屋の中を漂う。
きっと、ミカが寝たら魔力がいっぱい吸えると思っているのだろう。
「さっきも吸っただろうが、たく……。 明るいと眠りにくいから、ダイニングに行ってな。」
ミカがそう言うと、フィーは一瞬だけ光を強め部屋を出て行く。
「素直って言えば素直なんだろうけど、ほんとに遠慮が無くなってきたな。」
前は寝ている間にこっそり吸っていたのだと思う。
それが、今では一日に何度も吸うのだ。
ミカが学院に行っていようが、仕事に行っていようがお構いなしに。
今度、キスティルやネリスフィーネに言って、もう少しルールを厳しくしてもらおう。
そんなことを考えながら、ミカはベッドに潜り込む。
そうして、”照明球”を消した。




