第167話 偽”解呪師”事件2
ミカは冒険者ギルドから出ると、しばらく南東の大通りを歩き、裏路地に入っていった。
(…………ここが定位置みたいだな。)
以前、ガエラスに連絡を取ってもらった情報屋の窓口。
場所を移していたり、どこかとローテーションしているかもと思ったが、そんなこともなく普通にいた。
ただ、前に見たのとは違う男のようだ。
当番制なのだろうか。
ミカは壁際の、壁の方を向いて寝っ転がる宿無しに近づく。
ちらりと壁に並べた酒瓶の配置を確認する。
窓口で間違いなさそうだ。
ミカは魔法具の袋に手を突っ込み、金貨を一枚取り出す。
その金貨をピンと指で弾く。
金貨は放物線を描き、窓口の男の腹の前に落ちた。
キーーンという甲高い音が路地裏に響く。
そうして、何度か音を響かせながら、金貨が地面を跳ねた。
もぞもぞと窓口の男が動き、地面に落ちた金貨を摘まみ、顔の前に持ってきて確認する。
「…………”解呪師”の名を騙って荒稼ぎしてる馬鹿を探してる。 そいつらの家、よく行く酒場、賭場。 ……すぐに集めてくれ。」
ミカは男の頭に向かって、言葉を投げる。
男は溜息をつきながらゆっくりと起き上がり、ミカを見上げた。
無精髭の如何にも宿無しといった風貌だが、目だけが鋭すぎた。
その目が、上から下までミカを観察するように見る。
そうして、再び溜息をつく。
「紹介のねえ、一見の仕事は受けねえ主義なんだが…………。 そんなこと言ったら首を落とされそうだな。」
そう言って、金貨を懐に仕舞う。
「ギルドの窓口が一見を断るのか?」
「看板掲げてる訳じゃねえからな。 いろいろ変な奴もいるんでよ。」
よく分からないが、個人の裁量に任せる部分があるようだ。
男の目がじっとミカの目を見る。
そこには、裏側に生きる者特有の鈍い光が宿っていた。
「…………急ぎか?」
「ああ。」
ミカが頷くと、男は一瞬だけ何か考えるように視線を動かし、すぐにミカを見る。
「……これじゃあ足りねえな。 大銀貨で三十枚。 金貨はやめてくれ。 撒きにくい。」
「分かった。 気をつける。」
「……二時間後にここに来てくれ。」
そう言って男は懐から数枚の紙切れを取り出す。
何枚かを確認して、そのうちの一枚をミカに差し出した。
ミカは黙って受け取り、紙を見る。
そこには3区の外れ、鍛冶屋街の端の方にある酒場が書かれていた。
だが……。
「こんな所に酒場なんてあったか?」
「あるぜ。 やってねえけどな。」
潰れた店らしい。
なるほど、とミカは苦笑して、その紙を返す。
「…………そうだな。 それくらいにしてくれた方が、話しやすくっていい。」
紙を受け取りながら、男が言う。
男の言葉に、ミカは怪訝な顔になる。
「さっきまでは、本当に首が落とされそうだったぜ。 どれだけ怒ってるのか知らねえが、そいつを関係ない奴に向けるのはやめてくれ。」
そう言われ、ミカは顔をしかめる。
「すまなかった。 僕もまだまだ未熟者のようだ。」
男はそれには答えず、壁に並べていた酒瓶を数本回収して立ち上がった。
「店は裏口を開けておく。 じゃあ、また後で。」
そう言って、男は路地の奥に向かって歩き出す。
ミカは、その後ろ姿を眺めた。
(怒りを抑えてるつもりだったけど、抑えきれてなかったか。)
はぁー……、大きく息を吐き出す。
沸々と湧き上がる怒りではない。
ミカの名を騙る馬鹿どもに、腸が煮えくり返りそうなほどの怒りを、懸命に抑えているつもりだった。
ミカは男を見送ってから反対方向、大通りに向かって歩き出す。
(…………もうすぐ、つまらない真似した奴には直接思い知らせてやれる。)
だから――――。
(楽しみにしていろ。)
ミカは口の端を上げ、家路についたのだった。
ミカは一度家に戻り、キスティルとネリスフィーネに少しの間、遠方の仕事で家を空けると伝えた。
「あの、ミカくん……。」
「……ミカ様。」
抑えていても、やはり二人には伝わってしまうものがあるのだろう。
着替えや学院の制服を数日分、魔法具の袋に入れるミカを、不安そうな顔をして見ていた。
きっと、いろいろと聞きたいこともあると思う。
それでも二人は、その言葉を飲み込んで、ただ「気をつけて」と送り出してくれた。
ミカは家を出ると、次にヤロイバロフの宿屋に向かう。
夕方に差し掛かり、少し忙しくなってくる時間だ。
家を少し空けるので、ヤロイバロフにその間ミカの家のことを気にかけてもらおうと、声だけかけるつもりだった。
だが……。
「おう、ちょっと裏来い。」
ミカの顔を見たヤロイバロフに、すぐ店の裏に連れて行かれた。
シメられる!?
「何かあったのか? いつぞやほどじゃねえが、ちょっと普通じゃねえぞ?」
合成魔獣と戦い、赤茶けた髪の青年と出会った後ほどではないが、やはり”何か”が漏れてしまっているようだ。
ミカは秘密にしていてもしょうがないので、簡単に説明することにした。
……………………………………。
……………………。
「…………偽物、か。」
ミカの話を聞き、ヤロイバロフが呟く。
「どうする気だ?」
ヤロイバロフの顔は、完全に冒険者のものになっていた。
ミカは肩を落とし、少しばかり項垂れる。
「…………今回のことは、僕にも少し責任があると思うんです。」
「責任……? 何で坊主に責任があるんだ?」
ヤロイバロフが訝し気な顔になる。
「ヤロイバロフさんの名前を、勝手に騙るような馬鹿はいませんよね?」
「まあ、そうだな。 さすがにそんな命知らずはいねえだろう。」
ミカの話に、ヤロイバロフが頷く。
ヤロイバロフを怒らせればどうなるか、皆が分かっている。
だから、ヤロイバロフの名を勝手に騙る奴はいない。
宿屋でも大人しくなる。
ここを仕事場に選ぶような、そんな小悪党すら一人もいない。
まあ、ヤロイバロフ自身が客を選んでいるというのも大きいだろうが。
「あんまり悪目立ちしたくないなあって、ちょっと大人しくし過ぎだったかもしれません。」
「…………大人しく? 十分、悪目立ちしてると思うが?」
お前は何を言っているんだ、とヤロイバロフの顔が言っている。
「解呪のこととかで、ちょっと目立ってしまったみたいですが、結局はそれだけです。」
「ちょっと?」
いちいち揚げ足取るんじゃないよ。
ミカは、ふぅー……と溜息をつくと、虚空を睨んだ。
「力を隠し過ぎました。 解呪のことは皆知っていますが、どれだけの魔獣を狩ってきたかは、多分ほとんど知られていないと思うんです。」
「まあ、確かにそうかもなあ。 俺は坊主から合成魔獣のこととか聞いたが、それ以外は知らねえ。 他の奴じゃ、まったく知らないんじゃねーのか?」
昇格しているので、まったく戦っていないとは思わないだろうが、具体的なことはほとんど知られていないだろう。
普通は、凶悪な魔獣の討伐依頼などで名前が広がっていく。
だが、ミカが有名になったのは、そうしたものとは関係のない”解呪”だ。
「何が”解呪師”だ。 あんなガキ。 ちょっと変わった【技能】を持ってるだけじゃねえか。」
そう思われていても不思議はない。
また、ミカとヤロイバロフの繋がりを知る者なら、ミカにちょっかいを出そうとはしないだろう。
サーベンジールでは、ヤロイバロフの肩に乗せられてギルドに行ったことがある。
だが、王都ではヤロイバロフの宿屋に出入りしていることを見たことのある者でないと、ミカとヤロイバロフの繋がりには気づかないだろう。
ミカは裏路地を一歩、また一歩と歩き、呟く。
「まだ、どう決着つけるかは決めてないんですが……。」
そう言って、ゆっくり振り返る。
「落とし前は、ちゃんとつけさせないと。」
ミカの言葉に、ヤロイバロフが頷く。
「家の方は、また俺が顔を出すようにしておく。 二人も婚約者がいるんだ。 相手はぶっ殺しても構わねえが、坊主は怪我一つするんじゃねえぞ。」
ヤロイバロフには、婚約の契約を結ぶことを決めて、すぐに話だけは伝えていた。
驚きながらも祝ってくれたが、それ以上にムカつくほどニヤニヤされた。
相手がヤロイバロフだと分かっていながら「ぶん殴りてえ」と思ったほどだ。
ヤロイバロフの言葉に、ミカは軽く肩を竦める。
だが、すぐに頷く。
「分かりました。」
そうして、そのまま裏路地を通り、ミカは指定された酒場に向かった。
指定された酒場は窓に板を打ち付け、如何にも「閉店してます」という佇まい。
だが、見方を変えれば「中の光が漏れない」とも言える。
ランプの微かな光くらいでは、中で使ってもまず見つかることはないだろう。
ミカは店の横の細い道から裏に行く。
そうして、裏口はすぐに見つかった。
ドアノブを回すと、言われた通り開いていた。
ミカは魔力範囲をドアの僅かな隙間から送り込み、簡単にドア周辺の確認をする。
(陰に隠れて襲撃、みたいなことはなさそうか。)
そうして、中に入ると後ろ手にドアを閉める。
入ってすぐの部屋は、棚がいくつも並んだ部屋だった。
ただし、棚にはほとんど物が置かれていない。
倉庫のように使われていた部屋だろうか。
中には火の灯ったランプがいくつか置かれている。
ミカはそのランプを辿るように奥に進む。
「随分と早いじゃねえか。」
如何にも酒場という感じの場所に出た時、声をかけられる。
窓口の男が酒場のカウンターに座り、酒を飲んでいた。
「出直した方がいいか?」
「いや、もう料金分の情報はある。 座りな。」
そう言って、自分の横の席を指さす。
ミカが席に着くと、男が話し始めた。
「”解呪師”の名前を騙って、金を騙し取ってる奴らの情報だな。」
「ああ。」
「コンコーラド。 万年Dランクのケチな冒険者だ。 今頃は行きつけの賭場で金を毟られてる頃だろうよ。」
冒険者かよ。
ミカは溜息をつきたくなるのを我慢して、続きを促す。
「ちょいちょい借金しちゃ、奴隷にされる一歩手前で、何とか金を工面してる。 まあ、元々奴隷にしたところで大した値もつきそうにねえからな。 借金自体も大した額じゃない。」
この世界では、金貸しから借金をする人ってのは、実はほとんどいない。
返せなきゃ最悪奴隷にされると分かってて、そこから摘まむような馬鹿があんまりいなくても当然だろう。
それでも人が数千人、数万人暮らすような町になら、数軒は金貸しがいて、そこから借りる様な馬鹿がいる。
王都でなら、そんな馬鹿も一千人単位でいてもおかしくはない。
「ところが、ここんとこ随分羽振りがいいようだ。 以前とは比べ物にならない遊びっぷりで、『ありゃあ、何かロクでもないことに手を出してるに違いない』ってもっぱらの噂だ。 まあ、皆そんなことには構わず、奢ってもらってるようだが。」
そう言って男が忍び笑う。
適当に煽てれば、ほいほい酒を奢ってくれるとあって、皆で気持ち良く酒を飲んでいるようだ。
そこまで分かってて、誰も諫めてくれるような人はいませんか。
恐ろしいねえ。
男は他にもコンコーラドの交友関係やら、過去の話なども拾ってきたようだが、今回の件には関係ないのでパス。
使っている得物や、戦闘スタイルなどで気をつけるべきことがないかを確認していく。
そうして一通り話を聞き、
「今、人を張り付けてる。 今日いくら負けてるかも調べられるが?」
「そんなのはどうでもいいさ。 ただ、顔が分からない。 できればそのまま張り付けておいてくれ。 今日中に攫う。」
ミカがそう言うと、男は眉をぴくりと動かす。
だが、特に何も言わなかった。
そうして、グラスからちびりと酒を飲んだ。
「”解呪師”役をやってたのはコンコーラドだが、おそらく後二人くらい関わっていそうだ。」
「二人……?」
仲介役がいるのは分かっていたが、別に関わっている奴がいるのか。
「そっちに関しては、まだ話せるような情報はない。 裏の取れてねえ、憶測になっちまうんでな。 明日また、この時間に来てくれれば話せる情報もあると思うが?」
「悪いけど、学院が終わった後すぐにしてもらえるか? そこで情報交換したい。 ちょっとこの時間だと面倒なんだ。」
ミカがそう言うと、男は少し難しい顔をするが了承する。
「まあ、それでも何とかなるか。 ただ、時間が足りなくて、半端な情報になるものもあるかもしれないが……。」
「それは仕方ないな。」
そう言ってミカは魔法具の袋から大銀貨三十枚が入った袋を取り出す。
二つ。
「相場が分からないのだけど、残りの二人の情報も含めて、これで足りるか?」
合計大銀貨六十枚。
「手付けで金貨も貰ってる。 十分すぎるが、いいのか? 相場よりも随分多いぞ?」
「急ぎで頼んでいるからな。 情報も悪くないが、人を張り付けてくれるのが有難い。 気持ちだ、取っておいてくれ。」
「偉く気前がいいんだな。」
「ああ、どうせ税金だ。」
男が「税金?」と怪訝そうな顔になる。
(有名税って言っても分からないかな。)
ミカは今回、必要経費と割り切り、派手に使うことにした。
どれだけの大赤字を出そうが、ミカに手を出せばどうなるかを知らしめる。
そのための費用が百万かかろうが一千万かかろうが、構わず突っ込むつもりだ。
あまりにも高額になれば、それも情報としてばら撒いてやればいい。
どれだけの金がかかろうが、どれだけ手間がかかろうが、決して許さない。
そういう実績も抑止力の一つになるだろう。
それに、情報屋ギルドには今後もお世話になる可能性が高い。
上客とでも思ってもらった方が、得することもあるだろう。
ミカは男が大銀貨を数え終わるのを待って、話しかける。
「後でガエラスに適正料金を聞いて、後悔することにするよ。」
「はっはっはっ……!」
ミカの冗談に、男が大声を上げて笑った。
(潰れた酒場で笑い声がしちゃ、まずいんじゃないの?)
そう思って見ていると、男は慌てて口を押さえ、バツの悪そうな顔をする。
その後、コンコーラドに張り付いている人との繋ぎ方を教わる。
チップを弾むので、「繋いだ後は絶対に後をつけさせるな」という注文も入れておく。
破ればどうなるか分からないなら、試しに今日つけさせてみな、と警告してミカは酒場を出た。
そうして、次の酒場へハシゴ。
今度は4区のお店だ。
暫定、暗殺者ギルド。
如何にもな用心棒が一人、入り口の横に立っていた。
だが、おそらく入り口の用心棒は見た目重視のハッタリだろう。
ミカから見ても、隙だらけだった。
(……本命はどこだ? 入り口入ってすぐに隠れてるのか? それとも、周囲の建物の陰から監視してる?)
ミカは酒場の前まで行き、周囲をきょろきょろ見回す。
だが、怪しそうなのは見当たらない。
酒場の入り口に立つ用心棒の男が、ミカをじっと見ている。
それでも構わず、どこかに本命がいないかを探す。
だが、残念ながらミカの索敵スキルでは見つけられなかった。
こういう場合でも【気配察知】があれば見つけられるのだろうか。
ミカは本命の用心棒探しを諦めて、酒場を見上げる。
(まあ、勝手に入ったくらいじゃ殺されやしないだろ。)
一般人に入って欲しくないなら、そもそも店にする必要がない。
情報屋ギルドと同じで、本部は別にあると見ていいのではないだろうか。
なので、おそらくここは受付窓口とか、相談窓口の類では?と見当をつける。
もしここがギルド本部だったら、ごめんね、ってことで。
ミカはとことこ、と入り口に近づく。
すると、横にいた用心棒の男が通せんぼしてくる。
「ここは子供の来る所じゃない。 帰りな。」
ミカはじっと用心棒の男を見上げる。
推定、百九十センチメートルはありそうだ。
(さすがにこの人をぶっ飛ばしたら、敵対行動確定だよな。)
どうしようかとその場で顎に手をやり、考え込む。
「おい、さっさとどっか行けっ!」
そんなミカの態度にイライラしたのか、用心棒の男が声を荒らげ、ミカを押し返そうとする。
だが、大男がミカのような小柄な子供を押そうとすれば、相当に前屈みにならないといけない。
その不自然な姿勢の隙をつき、ミカは横からするりと男を躱す。
そうして、入り口を開けて素早く中に入った。
「こら、ガキッ! ふざけんなよっ!」
用心棒の声を無視し、ミカは酒場の中を素早くチェックする。
酒場の中は六人ほどが座れるカウンターがあり、テーブル席が四卓。
あまり広い店ではない。
建物の感じから、おそらくバックヤードが広いのだろう。
店の中には六人ほどの男がいた。
カウンターに一人、マスターらしき三十代くらいの冷たい感じの男。
ミカが店の中に入ってきたと同時に、入り口を見張っていたらしい男がマスターに駆け寄り、何事か耳打ちするのが見えた。
他の四人は、二人が店員、二人が客っぽい感じだ。
だが、全員がギルド関係者だとしても不思議はない。
ミカがカウンターに真っ直ぐ進むと、用心棒の男が店の中に慌てた様子で入って来た。
だが、マスターが目配せし、一つ頷くと黙って外に戻って行った。
(このマスター、如何にもって感じする!)
正しく、暗殺者って感じの男。
表向きはバーのマスター。
だが、その正体は……?って設定を地で行っていた。
やばい、ちょっと憧れる。
ミカはカウンターのスツールにぴょんと飛び乗るように座る。
冒険者ギルドのバーカウンターもそうだけど、スツールが高すぎる……。
「すいませんが、ウチは酒しか置いてなくて。」
ミカを真っ直ぐに見て、マスターが苦笑しながら、物腰も柔らかく言う。
さすが、隠れ蓑もすっかり板についてますね。
「騒いでも人の寄り付かない一軒家を借りたいんです。 ありますよね、そういうとこ。」
ミカは魔法具の袋から金貨五枚を取り出し、カウンターの上にコトンと積む。
「あの…………ここは酒場ですよ? 家を借りたいなら、不動産屋が大通りに――――。」
「そういうのはいいからさ。 …………ありますよね?」
ミカの表情がすっと冷える。
一瞬だけ、マスターの目も冷たい光を持った。
「……最近、耳にする。 あの話ですか?」
「何か聞いてます?」
「ええ、少しは……。」
マスターの表情が、プロのものになった。
商売柄、噂などもそれなりに気にかけているのだろう。
「ご相談いただければ、私なら何かお力になれるかもしれませんが?」
そう、何の感情もない声で言う。
「ご親切にありがとうございます。 ですが、これは僕がやらないとだめかなって。」
ミカの返答に、マスターは仕方なさそうに溜息をつく。
そうして、カウンターの下に手をやり、二つの鍵のついたキーホルダーを取り出した。
「これは、私が個人で所有している一軒家です。 人は来ませんが、周りに集合住宅はあります。 近所で何があろうと、気にするような人はいませんが。」
そう言ってマスターは金貨の上の三枚を取って、残りを押し返す。
「一週間貸すとして、こんなもんでしょう。 なにしろ第三街区のボロ家ですから。」
第三街区には、金貨三枚もするような借家など、まずない。
それも月ではなく、週でなんて。
つまり、それだけ訳ありに対応してると考えて良さそうだ。
ミカは逡巡し、金貨二枚を押し返す。
「……少し、汚すかもしれないので。 その後始末も頼みます。 あとは突然押しかけたことのお詫びとして。 迷惑料として収めてくれませんか。 相場が分からないんですが、足りないなら…………。」
そう言って魔法具の袋から金貨を取り出そうとするミカを、マスターが手で止める。
「分かりました。 私が個人でお貸しするんですから、相場なんてありませんよ。 有難く頂戴しておきます。」
「ありがとう。 突然すみませんでした。 もし不足があったら言ってください。」
ミカは頭を下げ、大人しく酒場を出た。
帰る時、入り口の用心棒の男がすごい形相で睨んできた。
ごめんて。
「……いいんですか? あんなガキに勝手なことやらせて。 こんなの許してたら、暗殺ギルドが舐められるんじゃないですか?」
ミカが出て行った後の酒場で、店員らしき恰好の男が、カウンターの向こうのマスターに声をかける。
「お前、あいつの目ぇ見なかったのか?」
マスターが、それまでの柔和な表情を凍てつかせ、呟く。
「目……ですか? 何かありました?」
「俺も”解呪師”なんて噂でしか知らなかったが…………。 あれは…………何人か殺ってんな。」
「……は?」
思いがけないマスターの言葉に、店員が間の抜けた声を漏らす。
マスターの目が、仕事前の暗殺者のような冷たいものになる。
「あいつ……裏側に片足突っ込んでんな。 たぶん、意識して表側を軸足にしてんだ。 できれば、こっち側には行きたくないって思ってんだろうよ。」
「……まじですか? あんなガキが……?」
店員は信じられず、ミカの出て行ったばかりのドアに視線を向ける。
「俺もこんな商売だからな。 殺っただ何だはいつものことだが……。 ”解呪師”の名前を騙った奴には、ちょっと同情しちまうぜ。」
マスターは蒸留酒をショットグラスに半分ほど注ぎ、一息に呷る。
「ふぅー……。 ただのガキだと思って小突いた奴が、あんな化け物なんてんじゃ、なあ? …………どうするつもりなのか知らねーが、相当キレてたみてぇだし。 殺るにしても、楽に逝かせてはくれねえだろうな。」
そんなマスターの冷えた呟きに、店員はぶるっと身体を震わせるのだった。




