第159話 錬金術と先史文明
水の3の月、1の週の火の日。
学院が終わった後の帰り道。
第二街壁を通ったら騎士に声をかけられた。
オズエンドルワからの伝言で、ミカに第五騎士団の詰所に来てほしいという。
「見つかった? 赤茶けた髪の青年が?」
オズエンドルワの話は、例の怪しい青年についてだった。
「南東の大通りをかなりの早さで走っていたようだ。 ただ、特徴は髪の色だけだろう? 正直、そんなのは王都だけでも山ほどいる。 目立つ動きをしてたんで、騎士が追いかけたんだが……。」
「見失いました?」
ミカがそう言うと、オズエンドルワが渋い顔になった。
「……同一人物だと断定はできない。 ただ、注意を促しておこうと思ってな。」
「そうなんですね。 ありがとうございます。」
ミカはオズエンドルワに礼を言い、難しい顔になる。
「モデッセの森の遺跡とか、そっちに何か動きは?」
「いや、森の方に動きはない。 赤茶けた髪も合成魔獣も、あれ以来現れていないな。」
オズエンドルワがギシッと椅子を軋ませ、背もたれに寄りかかる。
王都にいたという青年は、同じ人物なのだろうか。
南東の大通りということは、ミカの活動範囲ではある。
引っ越しを考えるべきか……?
(今回のが例の青年だって断定されているなら、引っ越しはするべきだ。 南東の大通りは家のすぐ近くだし。 だけど、髪の色が同じ様な奴はいくらでもいる。 仮に例の青年が王都内で活動しているとして、引っ越し先が安全だとどう判断するんだ?)
行動範囲に目星がついているなら、そこから遠ざかるようにすればいい。
だが、これまで全く手掛かりがなかった青年が、急にいつもと違う行動をした。
それは、普段の行動パターンから外れた動きをする必要があったからだ、と考えることもできる。
(本来の行動圏を外れたから、目立つ行動に至ったのか。 行動圏内だけど、イレギュラーが起きたのか。 …………そもそも、同じ人物とは限らない話だし。)
引っ越す根拠にも、引っ越さない根拠にもならない、実に中途半端な情報。
これでは、何かを決めるのは難しい。
(様子見しかないか……? 俺自身、活動範囲を移すのはデメリットが大きいし。)
近くにヤロイバロフの宿屋があるのは、かなり大きなメリットだ。
何か困った事態になれば、助力を得られるかもしれない。
考え込むミカに、オズエンドルワが声をかける。
「何か、気になることでも?」
「いえ、南東の大通りは家の近くなので。 引っ越すべきかどうか。」
この件が片付くまで、キスティルとネリスフィーネをリッシュ村に避難させておくか?
そうすれば家を引き払い、ミカも学院の寮に引き籠る生活ができる。
(警戒し過ぎか? 断定もできていないうちにこれじゃあ、自滅するだけか?)
勝手に警戒して、勝手に精神をすり減らして。
それに寮に引き籠ると言っても、指名依頼を放置するのは少々気が引ける。
生活費も稼いでいく必要がある。
まあ、月に一件でも片付ければ、贅沢な生活ができるほどだが。
「今の段階では、私の方からは何とも言えないな。 ただ……。」
「ただ?」
ミカが聞き返すと、オズエンドルワが真剣な顔になる。
「嫌な予感はする。 今回の青年が例の奴かは分からんが、赤茶けた髪の青年はきっと裏で何かやっている。 王都でな。」
その、あまりに確信に満ちた言葉に、ミカはごくりと喉を鳴らす。
「ミカ君の家の周辺を、重点警戒区域に指定して警邏の回数を増やす。 必要なら騎士を常駐させることもできるが……。」
「あまり目立っては、反って藪蛇になりかねないですね。」
ミカが苦笑すると、オズエンドルワも釣られて苦笑する。
周りに大きな屋敷が並ぶのに、あんな小さな家に騎士が立っていては目立ってしょうがない。
「すいません、気をつかっていただいて。」
「いや、これくらいは普通の対応の範囲だ。 気にしないでくれ。」
そうして、ミカは第五騎士団の詰所を出て家に帰る。
家に帰ってから、一応キスティルとネリスフィーネにリッシュ村への避難を勧めたが、即座に却下された。
「絶対いやよ、そんなの。」
「何があってもミカ様と一緒にいます。」
泣きながら説得されました。
■■■■■■
翌、水の3の月、1の週の水の日。
学院に行ったら、メサーライトに「寮母さんが、適当な時に顔出せだって。」と言われた。
「ということで、顔を出しに来ました。」
ミカは椅子に座り、パラレイラに手渡されたグラスを受け取る。
真っ黒い液体に、青々とした長い茎が突っ込んである。
…………何だこれ?
「どうやら生きてたようだな。」
そう言って、パラレイラは向かいの椅子にドカッと座る。
ボリボリと頭を掻きながら、欠伸をかみ殺す。
徹夜でもしたのか?というほど、パラレイラはボロボロだった。
「僕が死んだとか、噂でもありましたか?」
「そういう訳じゃないが、部屋は残してあっても全然寄り付かんだろう。 その後がどうなったかも気になるしな。」
「あー……。」
消えた魔法士関連か。
そういうことなら、中々いい鼻をしているということか。
「関連があるかどうか不明なんですけどね。 先週、ちょっとした動きがあったみたいですよ。」
「動き……?」
パラレイラは、ミカと同じような真っ黒い液体の入ったグラスを持ち、差してある茎をガシガシと底で圧し潰す。
(……何やってんだ?)
そうして、ミカが見ている目の前で、ごくごくと一息に謎の液体を飲む。
(あ……、一応飲み物だったんすね、これ。)
ミカは自分の手元にある、謎の液体に視線を落とす。
見た目はコーヒーに見えなくはないが、何で茎が突っ込んであるんだ?
「くぁー……っ!」
グラスの中身を飲み干すと、パラレイラが呻くように息を吐き出す。
パラレイラを見る限り、少なくともコーヒーを飲んだ後の反応ではない。
「ふぅ…………それで、その動きってのは?」
声をかけられ、謎の液体からパラレイラに視線を戻す。
「えっと……前にパラレイラとミカで、共通の人物が関わってるかも?みたいに話したのは憶えてます?」
「ああ。」
そう言いながら今度は、パラレイラはガシガシと茎を噛み始めた。
え、食うの、それ?
「同じ人物かどうかは断定できないんですが、もしかしたらって人が王都内に現れました。 これまで全然行方が掴めなかったので、一応僕にも気をつけるようにって話がきました。 昨日。」
「…………なるほどな。」
自分も話聞いたの昨日なんすよ、パラレイラのこと忘れてた訳じゃないんすよ、という思いで付け加えておく。
まあ、内容的にはほぼゼロに等しいくらいのものだが。
「前に話聞いた時から、ちょっと気になってたんですけど……。」
ミカはパラレイラの真似をして、茎の先をグラスの底にぐりぐり潰すように押し付ける。
「パラレイラさんの、その……横取りされた研究って何だったんですか?」
そのことで、随分と恨んでいるような感じだった。
ミカがそのことを尋ねると、パラレイラは渋い顔をする。
少しばかり、気まずい空気になった。
ミカは手元のグラスを鼻に近づけ、匂いを嗅いでみる。
特に変な匂いはしない。
むしろ、微かに甘い匂い……?
試しに少し口をつけてみる。
若干の刺激を感じつつも、基本は甘味だ。薬臭さが少し気になるが。
どうやら、ジュースの類だったらしい。
勇気を出して、一口ごくりと飲んでみる。
(これは……!)
スパイシーな刺激を舌や喉に感じる、甘いジュースだった。
炭酸飲料ではない。
だが、喉に感じる強い刺激に、懐かしさを感じる。
(こういう刺激系の飲料は、ハマる人はとことんハマるよな。)
ミカの好きだった炭酸飲料とはまったく違うが、こういうのは刺さる人にはとことん刺さる。
もしかしたら、パラレイラはこのジュースの中毒者なのかもしれない。
ミカがグラスをまじまじと見ていると、パラレイラがプッと吹き出す。
「こいつは初めてか?」
「初めて飲みました。 変わった飲み物ですね。」
「ああ、近くの薬屋のオリジナルらしい。 似たようなのは他でも売ってるがな。 店を教えてやろうか?」
「いえ、そこまでは。」
中々面白い飲み物だが、ミカの好みからは残念ながら外れている。
少し薬臭さが気になったが、売ってる店が薬屋だったとは。
薬の調合中にちょっと思いついたからやってみた。
意外に悪くなかったんで売ってみた。
そんな感じで始まった飲み物かもしれない。
さっきまでの気まずい空気がすっかりなくなっていた。
パラレイラが大きく溜息をつく。
「……研究自体はいろいろやってたよ。 錬金術がメインだが、関連して先史文明の研究とか。 天文学なんかもやっていたが、これは趣味みたいなもんか。」
錬金術をやっていたのは、以前この部屋で錬金術関連の本を見たので見当はついたが、先史文明?
それに、天文学までやってるのか。
「先史文明って何ですか? 初めて聞くんですけど。」
「ん? 知らないのか。 割と国中のあちこちに遺跡があるが。」
「遺跡?」
遺跡と言われて、思いつくのは一つしかない。
「もしかして、モデッセの森の?」
「ああ、あそこにもあるな。 森の奥の方に。」
消えた魔法士たちは遺跡に何かを調べに行った。
それは、先史文明と言われる遺跡の調査だったようだ。
「何ですか、その先史文明って。」
「今の文明の、前の文明。」
ミカの質問に、パラレイラは非常に簡潔に答えてくれる。
いや、それはそうなんだろうけど。
「いつ頃の文明なんです?」
「……………………八千年前から五千年前の、どこか。 …………かもしれない。」
あまり年代の測定は上手くいっていないらしい。
ミカも炭素年代測定法とかいう方法があるのを聞いたことはあるが、さすがにどうやるかまでは知らない。
「何で、錬金術と先史文明の研究が絡むんです?」
考古学と錬金術?
繋がる要素に見当がつかない。
「先史文明では錬金術が盛んで、かなり発展していたようだ。 実際、とんでもない物もこれまでに発見されている。」
「とんでもない物?」
ミカが怪訝そうな顔になると、パラレイラがにやりとする。
「純”金系希少金属”製の防具や純”銅系希少金属”製の武器なんて物が発見されている。」
「純?」
てことは、百%?
もしくは、百%にかなり近い武器や防具ってこと?
「そんなの、どうやって作るんですか?」
「それを研究してるんだろうが!」
ごもっとも。
ミカは残りのジュースを飲み干した。
やっぱり、薬臭さがちょっと気になった。
「その先史文明を作った初代の王、太陽の王と呼ばれていたようなんだが、その王が錬金術の天才だったようだ。 文明の礎を一代で築いた。」
その後も飛び飛びだが天才的な才を持つ王が四~五人くらい現れ、そのたびに錬金術が飛躍的に進歩したらしい。
大陸全域を支配しようかというほどに勢力を伸ばした。
森にある遺跡などは、そうした先史文明の名残で、重要な施設だったのではないかと考えられている。
「そんなに繁栄した文明が、何で今は滅んでるんです?」
天変地異でもあったのだろうか?
それにしたって、大陸全域に進出した文明が滅ぶ理由としては、ちょっと弱い。
「最後の王が亡ぼしたんだ。」
「最後の王? 亡ぼしたって……。」
最後の王。
暗黒の王とも呼ばれる先史文明の最後の王は、これまでのどの王よりも錬金術の才を持った王だったらしい。
だが、残念ながらその王は狂っていた。
文明を支える重要な知識、技術、施設、人物、宝を次々に葬って回ったという。
「それじゃあ、遺跡を調べてもあまり意味ないのでは?」
「そうかもしれん。 だが、そうじゃないかもしれん。」
そもそも、「錬金術」という概念自体が、その先史文明を伝える口伝が元になっているのだという。
そして、遺跡を調査することで、その片鱗をかき集めた。
現在の錬金術の基礎は、そうやって作られたらしい。
「葬って回ったのに、王の情報とかが結構残っているんですね。」
「虱潰しに人っ子一人まで殺して回った訳ではないんだろうよ。 でなければ、口伝だって残ってないさ。」
それはそうか。
優先順位をつけて、然程重要でもない一般人は放っておいたのか。
中々興味深い話だ。
しかも、純希少金属製の武器や防具なんて物が実在するらしい。
前にトリュスが「神話の中だけの代物だ」とか言っていたが。
「それで、横取りされた研究というのは……。」
「……丸ごと全部だ。」
パラレイラが、憎々し気に呟く。
ある時、少し離れた場所にある遺跡に調査に行っていたらしい。
そして、戻って来たら席がなかった。
それまでの研究の資料もすべて。
でもって、魔法学院への出向を命じられた。
「……は?」
非常に簡潔な説明に、ミカの目が点になる。
「いやいやいや、あるでしょ、もっと!? 経緯とか、きっかけとか! 何かひと悶着あったとかさ!?」
「あーっ! うるせーっ!」
パラレイラが癇癪を起した。
ミカは根気よく、パラレイラから話を聞き出す。
どうやら、元々パラレイラは周りとは上手くいっていなかったようだ。
天才肌で、自分の研究がすべて。
成果はあるが、その成果物も上から催促されてようやく提出する。
しかも、ロクに説明も報告書も出さないようなタイプだ。
好き勝手に振る舞いながら、それでも成果を上げるパラレイラは周囲から妬まれ、疎まれまくっていたようだ。
そして、特に仲の悪かった人がいたらしい。
その人は秀才タイプで、周囲を味方につけた。
その人も研究対象が錬金術や先史文明という、普通なら手を組んで共同で研究をするべき相手なのだが、相性が悪すぎたようだ。
普段から険悪だった二人だが、パラレイラが調査に行く少し前に衝突した。
衝突と言っても、相手がブチ切れただけで、パラレイラはいつものことと気にも留めなかったようだが。
「……で、追い出された?」
ミカの問いかけに、パラレイラが憮然とする。
(それだけで追い出せるもんかね?)
他にも要因がありそうだが、当のパラレイラが周囲のことをほとんど気にしていないので、これ以上の詳しい状況が分からない。
風の噂でパラレイラの研究していた内容が、その秀才の成果として評価されたというのを耳にしたという。
しかし、それまでも成果を上げていたなら、少なくとも上司や宮廷魔法院という組織は、普通ならパラレイラを残そうとするのではないだろうか。
(そういえば、コネ入社のバカ息子の教育係になった人が、左遷させられた話があったな。)
元の世界で友人と飲みに行った時、友人の会社でそんなことがあったと聞いた。
役員の息子があることないこと吹き込み、何かのきっかけを作って教育係になった人を飛ばしたらしい。
その役員だって、一度や二度息子に言われたってそれを鵜呑みにはしないだろう。
だが、一カ月、二カ月と延々と吹き込まれれば、信じてしまう人もいる。
もっとも、双方の話や周囲の話をちゃんと確認しろよ、とは思うが。
(法令遵守だ労基法だと言われる現代だって、情実人事がまかり通る。 こんな世界じゃお察しか。)
軍人になりたくないと、宮廷魔法院を選んでもミカでは中々に苦労しそうだ。
(俺も割と好き勝手やってるからなあ。)
一応、自覚はある。
キフロドにも散々お説教されたし。
人の振り見て我が振り直せ、とは良く言ったものだ。
「ちなみに、その時研究してたのって、具体的に何だったですか。」
「何と言われても、普通に錬金術の研究だ。 先史文明で行われていた技術を探ったりな。」
「……調査に行って、成果はありました?」
「まあ、それなりにな。」
パラレイラが、イライラした様子で答える。
その時の資料も取り上げられたようだが、パラレイラはすべて頭の中にインプットしていたらしい。
後から、自分でまた紙に書き出して、同じ資料を復元したとか。
記憶力半端ないな!
「……で、宮廷魔法院を追い出されて、何で寮母なんかやってるんです? しかも男子寮の。」
寮母をやっているというのは役職のことであって、仕事のことではない。
寮母の仕事なんか全然やってねーもんな、パラレイラ。
「国家の財産たる魔法士の、後進の育成のための――――。」
「そんなどうでもいい、後付けのこじつけじゃなくて、パラレイラさんが何で宮廷魔法院を辞めないのかって話なんですけど。」
ミカがそう言うと、パラレイラが諦めたように呟く。
「金がいい。」
「あ、給料いいんだ。」
勤続何年で幾ら貰っているのだろうか。
さすがに人のお給料を聞くような真似はしないが、ちょっと気になった。
「研究に没頭できる。」
「あー……。」
そりゃ、寮母の仕事をおばちゃんたちに投げっ放しだしな。
研究し放題か。
何でもパラレイラは研究の片手間で、自作の回復薬も作ってるのだとか。
それを、寮のおばちゃんたちに格安で売ってあげてるらしい。
そういや、回復薬の誕生も錬金術が最初だったね。
元は不老不死の研究だっけ?
「私のは効くぞぉ? 二十四時間でも働けるようになる。」
リ〇インかよ。
「あんまり飲むと、鼻血噴くけどな。」
やったのかよ!
つーか、その自作の回復薬も自分用にまとめて作ってるのを、おばちゃんたちに売ってるだけじゃないのか!?
おばちゃんたちがパラレイラに好意的なのは、同情だけじゃなく回復薬のこともありそうだ。
市販の回復薬よりも安くて効くとあって、薬漬けにされているのかもしれない。
ミカが呆れたような顔でパラレイラを見るが、パラレイラはまったく気にしていないようだ。
パラレイラをじっと見る。
思わぬ”在野の知”と接点ができた、と言えなくもない。
(もっと取っつきにくい人かと思ったけど、案外話せるな。)
今は研究者モードじゃなく、一応は寮母モードということだろうか。
あと、酒も入ってないしな。
(これは天の配剤か? 一線級の研究者と繋がりが持てた。 ……これを使わない手はないよな。)
ミカは姿勢を正して、パラレイラを見る。
パラレイラは、そんなミカの様子に気づき、やや警戒するような表情になる。
「一つ、ご相談…………というか、提案があるんですけど。」
ミカはにっこりと微笑み、そう切り出すのだった。




