第153話 素直さが大事らしいです
水の1の月、1の週の風の日。
「おはよう。 キスティル、ネリスフィーネ。」
「おはよう、ミカくん。」
「おはようございます、ミカ様。」
ミカがダイニングに行くと、キスティルとネリスフィーネが朝食の準備をしていた。
どうやら今日はメイドさんの日のようだ。
二人はお揃いのメイド服を着て、楽しそうに、それでもテキパキと朝食を作っていた。
ミカの家では週に一~二度、メイドさんの日がある。
やはりメイド服を作るのは結構大変らしく、二人は一着だけのメイド服を時々着ている。
買ってくることもできるが、そこまでメイドさんにこだわりがある訳ではないので、週一くらいのお楽しみで十分だろう。
嫌いじゃありませんけどね。
ええ、嫌いじゃありませんよ。
大事なことなので、二回言っておきました。
二人との婚約は、意志の確認はできたが、契約はまだだ。
結婚する時は教会で儀式をしてもらうが、婚約の契約も教会が行っているらしい。
その契約書を官所に届け出ることで、法的な効力が発生するのだという。
ただ、ネリスフィーネの件があるので、おいそれとは教会に頼めない。
そこで、クレイリアが
「信頼できる司祭を手配します。」
と請け負ってくれた。
ただし、少々時間がかかるらしい。
何でも、サーベンジールから呼び寄せるのだとか。
「わざわざサーベンジールから来てもらうなんて悪いよ。 僕たちの方から行くよ。」
と言ったのだが、即却下された。
サーベンジールとの往復は、クレイリアの馬車でも八~十日くらいかかる。
「それでは私が立ち会えないではありませんか!」
ということで、クレイリアが強硬に抵抗した。
ミカもいろいろと世話をかけた手前強いことが言えず、そのまま押し切られることになった。
なので、現在はその司祭の到着待ちである。
また、レーヴタイン組を含め、しばらくは婚約のことは黙っていることにした。
慌てて伝えなくても良いでしょう、というクレイリアのアドバイスに従うことにしたのだ。
ミカとしてもさすがに皆に伝えるのは照れくさく、少々勇気がいる。
伝えるにしても、もう少し気持ちが落ち着いてから、ということにした。
だが、ヤロイバロフなど、一部の人には伝えておかなくてはならないとも思っている。
ミカは、キスティルと婚約することを、キスティルの母親に伝えに行った。
もう来なくていいと言われてはいたが、やはり母親には伝えておきたかった。
何より、キスティルの母親には伝えておく必要があった。
ミカが婚約のことを伝えると、母親は最初ひどく驚いた。
そして、泣き崩れた。
やはり、娘の行く末を心から心配していたのだろう。
ミカを信頼し娘を託したが、それでも多少の不安は拭えなかったのだと思う。
「……あの子を……キスティルのことを……よろしくお願いします。」
そう、涙ながらに伝える母親に、ミカの方が胸の詰まる思いだった。
そして、チクリと胸が痛んだ。
さすがに、婚約者がもう一人いることは簡単には伝えられなかった。
「あの……。」
ミカはぽつりぽつりと、キスティルの母親に自分の思っていることなどを相談したのだった。
三人でテーブルに着き、朝食を食べる。
婚約はしたが、それでミカたちの生活に劇的に何か変化があったかと言えば、そんなことはない。
「そういえばさ、今朝僕の部屋に来た?」
ミカがパンを千切りながら、キスティルとネリスフィーネに尋ねる。
二人はきょとんとした感じで、顔を見合わせた。
「いえ……。」
「特に入ってないけど……どうかしたの、ミカくん。」
ミカは千切ったパンを口に放り込み、軽く首を振る。
(昨夜仕舞ったような気がしたけど、勘違いだったか。)
寝る前に机を少し整理したのだが、棚に仕舞ったと思った物が机に出ていたのだ。
なので、二人が何か触ったのかと思ったが……。
まあ、普通に考えれば、二人がミカの机や棚をいじるようなことはほとんどない。
勘違いだったのだろう。
「もう、フィーちゃん。 だめよ。」
キスティルがミカの方を見ながら、フィーに注意している。
ただ、その視線はミカよりも上に向いていた。
おそらく、ミカの頭の上にでも乗っているのだろう。
重さが無いから分からないんだよな。
「今日は学院が終わった後に鍛冶屋とか防具屋に寄ってくるから、ちょっと遅くなるよ。」
「分かりました。 今日は特に買い物もありませんでしたよね、キスティル。」
フォークでサラダを刺したまま、ネリスフィーネがキスティルに聞く。
「うん。 果実酒が少し少なくなってきたけど、急ぎじゃないし。」
「それくらいなら、帰りにどっかで買ってくるよ?」
「ふふ、大丈夫よ。 ありがとうね、ミカくん。」
ふんわり笑顔で、キスティルが言う。
鍛冶屋には、カトラリーを追加で頼むつもりだった。
帰省した時にノイスハイム家に五セット、ニネティアナとディーゴ、デュールの分で三セット、ホレイシオに二セット。
教会に二セット、村長に二セットと配ってきたのだ。
ストックがほとんど無くなってしまった。
これなら、次は二十セットくらい作っておこうかと、鍛冶屋に注文するつもりだった。
そして、ハーネスの改良も注文する。
やはりぶら下がってでは大変そうなので、背中に乗る形で連結させるように改良するのだ。
そうした他愛のない話をしながら朝食を食べ、ミカは学院に向かった。
学院に向かう途中の路地裏。
ミカは適当にぶらぶらと歩く。
(……こうして探してみると、案外いないもんだな。)
ボロ布に包まった宿無したちはちらほら見かけるが、目当ての物が見当たらない。
歩きながら、壁際に置かれた酒の空き瓶をさり気なくチェックしていく。
(……いた。)
ミカは壁際に寝っ転がった一人の男に、ゆっくりと近づいた。
■■■■■■
午前の授業。
学院の魔法演習場。
ズドドォーーーーーーーーーーーーンッッッ!!!
演習場の建物全体が震えるような、凄まじい衝撃が襲った。
「演習場を壊すつもりか! もっと加減せんか、馬鹿者が!」
「ういっす! さーせんっ!」
学院長のモーリスが怒鳴り、ミカがまったく反省の色のない返事を返す。
中等部に上がり、魔法演習場を使用しての授業が増えた。
今日はミカたち中等部の一組と、上級生のいくつかのクラスが使用している。
そして、そこになぜか学院長のモーリスがやってきて、ミカの【爆炎】にケチをつけてきたと言う訳だ。
(全賭けしかできないんだから、加減とか無理っす!)
これでは、演習場で【爆炎】を使うのは今後は控えた方が良さそうだ。
さすがに本当に壊れはしないだろうが、他のクラスからもえらい注目を浴びてしまっている。
「あんな威力の【爆炎】を使って、よく魔力枯渇を起こさないものだ。」
そそくさと逃げ戻ってきたミカに、ステッランが話しかけてくる。
まあ、ミカも本来ならぶっ倒れている魔力量なので、威力だけは馬鹿みたいにでかくなるのは当然だろう。
「君とリムリーシェさんは、本当に規格外だな。 どれだけの魔力量を持っているんだ?」
「あはは……。 まあ、僕はリムリーシェほどじゃないよ。」
呆れたように言うステッランに、ミカは乾いた笑いで答える。
ミカは問答無用で全賭けになってしまうので、見かけ上は膨大な魔力持ちに見えるが、ミカ本来の魔力量は上の中くらいである。
多い方ではあるが、そこまで飛び抜けて多い訳ではない。
きっと、”吸収”がなければ今頃はぽんこつのレッテルが張られていたことだろう。
一発【神の奇跡】を発現したら、そのたびに全賭けでぶっ倒れるのだから。
学院では何カ月かに一度魔力量の測定を行うが、きっとその測定結果とミカの【爆炎】をよくよく考えれば、「なんかおかしくね?」と気づく者もいるだろう。
担任のコリーナあたりは気づいていてもおかしくない。
だが、今のところは何も言って来ないので、ミカもそのまま放っておいている。
だって、気をつけようがないし。
「君は放課後は練習しないのかい? ……まあ、すでにそれだけ使えているなら、自主練など必要ないのかもしれないが。」
「自主練ならしてるよ。 ここでやらないだけで。」
自主練というか、冒険者としての実戦だけど。
ステッランは、中等部に上がる前から演習場の使用許可を申請して、よく放課後に練習しているらしい。
貴族で魔法士なんて、鼻持ちならない奴になりそうなのに、意外に努力家だった。
最初は、「面倒そうな奴」とか思っちゃったけど、ごめんね。
「魔法演習場以外で自主練?」
ステッランが怪訝そうな顔をする。
「あー……、僕は【神の奇跡】だけじゃなくて、短剣なんかも含めていろいろやってるんで。」
「ああ、そういえば、『特訓』とかいうのをやってるのだったか? 確か、第五騎士団の所に行って。」
どうやら、土の日の特訓のことを耳にしたことがあるらしい。
まあ、ミカやリムリーシェも普通に特訓については話をしているしね。
「こう言っては何だが、平民の君たちがよくそんなコネクションを持っていたな。 普通に頼んだって、受け入れてもらえるような話ではないだろう?」
やばい。
このまま話をしていると、どんどん突っ込まれそうだ。
「まあ、知り合いが居たんで……。 あ、ムールトー。」
そう言って、少々わざとらしいがステッランとの話を打ち切り、ムールトの所に行く。
ムールトはミカを見て、ステッランを見て、またミカを見てと黙って視線で確認する。
が、そのまま何も言わずに、他の人の演習を見学する。
あまり余計なことをしゃべらないのは、こいつの良い所だ。
「………………。」
だが、ムールトと並ぶことで、余計なことを思い出してしまった。
現在ミカの身長は137センチメートルである。
昨日、学院でわざわざ計られた。
そして、ムールトは166センチメートルだったらしい。
その差、29センチメートル。
二年前よりも差を広げられていた。
ていうか、お前絶対年齢誤魔化してるよな?
ちなみにリムリーシェは142センチメートル。
ミカは、リムリーシェとの差を縮めることに成功したのである。
1センチメートルだけど。
■■■■■■
午後の授業は、騎士学院の隣の演習場まで行くことになった。
実際に用があるのは、そのまた隣の馬場の方だが。
中等部になると、乗馬の訓練が組み込まれる。
とは言っても、騎士の様に乗りこなせという話ではないようだが。
お馬さんの背中に乗って、とことこ移動すると一日に約五十キロメートルくらいらしい。
勿論、急げばもっと早くなるし、移動距離も伸びる。
ただし、負担がかかるのでお馬さんの思わぬ怪我や、下手をすれば命を落とすこともある。
そして、魔法士に求められる乗馬の技術は、もう少し高いレベルだ。
単純な長距離の移動だけではなく、戦場でも乗らないといけないらしい。
まあ、これは状況次第という話だが、つまりは状況によっては必要になる。
中央の後方に控えていた魔法士隊を左翼の更に外へ、馬に乗って素早く展開。
そのまま一撃を加えて、離脱。
なんてことをやるらしい。
こんな話を教室でコリーナから説明された時、「とうとう具体的な話が出てきちゃったよ」と肩を落としたものだ。
戦場のど真ん中を馬で走り抜けろとか、敵に向かって突っ込めという訳ではないが、あっち行けこっち行け、急げとかに応えられる程度の練度は要求されるということだ。
まあ、馬を用意される身分と言えば、相当な厚遇ではあるんだけど。
軍の主力となる一般の兵士には、そんな物はない。
戦場から戦場へ、自分の足で歩く。
戦場でも自分の足で走り回る。
仕方なく馬に乗ってますなんて、兵士の皆さんに聞かれたら石を投げられるレベルだ。
で、実際の乗馬だが、すごく大変だった。
まったくちっとも言うことを聞いてくれない。
正直、「フィーの方がマシ」とか思ってしまった。
生まれてこの方、馬なんか乗ったことないので、ミカもおっかなびっくりになる。
そして、そういうこちらの緊張が馬にも伝わるらしく、馬も居心地が悪くなる。
そのせいで、こちらもよりビクビクするという悪循環に陥るのだ。
「ミカ、もう少しリラックスして。」
「む、むむむ、無茶言うな!? ちょ、動くな!?」
「どうどうどう。 魔法士様、もう少し落ち着いてください。」
「だ、だだ、だから、無理だって!」
ガチガチに固まったミカに、クレイリアと厩務員が落ち着くように言う。
ここでは単に、馬の世話役みたいに言うようだけど。
クレイリアは子供の頃から馬に乗っていたらしく、一人ですいすいと乗りこなす。
乗り降りに人の手は借りるけど。
ステッランも、やはり貴族らしく、難なく乗っている。
だが、そんなのはクラスの中でもごく一部だ。
他にも二人ほど、実家で馬を飼っていた子などが乗りこなすが、大半の子が初めて乗るのだ。
すでに、三人ほどの子供が、馬に振り落とされそうになったりして泣き出している。
その泣き声に、更に馬たちがピリピリしていた。
ミカは世話役の人に言って、馬から下ろしてもらう。
「……もういい、分かった。 僕は自分の足で行く。」
「ミカ! 諦めるのが早過ぎます!」
ミカの、馬との決別宣言にクレイリアが突っ込む。
実際、ミカの場合は飛んでいった方が早いのだが、勿論そんなことは言えない。
ミカは他の子の様子も見る。
ポルナードは、意外と言っては何だが、恐々としながらも何とか乗っている。
ツェシーリアはミカ以上にぐったりしていた。
チャールに至っては半泣きである。
メサーライトとムールトは悪戦苦闘しながらも、そこそこ乗っている。
そして、一番の驚きはリムリーシェだ。
世話役の人が付き添って、馬を宥めているとはいえ、楽しそうに乗っている。
ミカに向かって、笑顔で手を振る余裕すらあった。
これには、ミカも苦笑いで手を振り返さざるを得ない。
「才能の差か。」
「素直さの差ですわ。」
ミカの呟きに、クレイリアが被せ気味に言う。
クレイリアにじとっとした目を向ける。
「何だよ、素直さって。」
「あら? 馬は素直な人が好きなんですよ。 馬がそうですからね。」
「………………。」
反論する材料がなかった。
馬に対しての知識もなければ、リムリーシェが素直なことも、ミカがひねくれてることも、決して間違ってはいない。
ミカは大きく溜息をつく。
「自分だけのことなら、いくらでも努力で何とかするんだけど……。」
「乗馬だって、努力で何とかなります。 素直にアドバイスを聞けば、ですけど。」
「……生憎、ひねくれ者なんで。」
ミカがそう言うと、クレイリアが肩を竦めた。
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数日後の授業。
ついに中等部一年での【神の奇跡】が判明した。
前年と同じく、提示された【神の奇跡】は三つ。
【竜巻】と【弓射強化】と【方位】。
すべて、説明不要なくらい分かりやすい【神の奇跡】である。
【竜巻】は急激に周囲の大気を吸い込み、上昇気流を発生させる。
この【神の奇跡】は、【爆炎】や【吹雪】と違い、捧げる魔力を二つに分ける必要があるらしい。
一つ目は吸い込む力を決める魔力。
これに大きく魔力を振り分ければ、より強く吸い込み、上昇気流も強いものになる。
二つ目が持続する時間に関わる魔力。
大きく魔力を振り分ければ、当然その分竜巻が発生している時間が長くなる、という訳だ。
(俺の場合はどうなるんだ?)
説明を聞き、自分が使った場合はどうなるのだろうと、考える。
一つ目の魔力に全賭けだった場合、一瞬だけ急激な吸い込みと上昇気流が発生するという形で発現しそうな気がする。
二つ目の魔力に全賭けだった場合、おそらく何も起きない。
まったく大気が動かない状態が、長時間続く?
そもそも、【神の奇跡】がそんなので発現するのだろうか?
(もしかしたら、初の習得できない【神の奇跡】になるかも……?)
それはそれで、ごく普通のことだ。
習得できない【神の奇跡】がある方が普通なのである。
二つ目の【弓射強化】。
【戦意高揚】と同じく、周囲の者に効果のあるバフだ。
これは弓だけでなく、投擲なんかも強化されるらしい。
飛距離が伸び、威力が増す。
必中ではないが、命中率も上がるということで、やはりリーダーとして上に立つ者に習得して欲しい【神の奇跡】だ。
そして最後の【方位】。
どうやらこの世界では、まだ方位磁石がないらしい。
まあ、物自体はあるにはあるのだが、どうやら結構大きいようだ。
針を使った、軽量化された物ではないので、【神の奇跡】で確認するのだとか。
そのため、部隊に一人でも持っている人がいれば、「まあ便利かもね。」という程度である。
果たして、これを習得する人はいるのだろうか……?
「――――以上の者は【竜巻】を習得するように指示が出ています。」
そうして、例の如く謎の指令が出てきた。
今回はレーヴタイン組だけでなく、ステッランなど数名も指示が出ている。
「リムリーシェさんは、【竜巻】を優先し、その後に【弓射強化】も習得するようにとのことです。」
「はい……。」
リムリーシェが微妙な顔になる。
リムリーシェの飛び抜けて多い魔力を、余すことなく使いたい誰かさんがいるようだ。
そして……。
「ミカ君には――――。」
「了解しましたっ!」
コリーナの指示を聞く前に、返事を被せる。
どうせまた全部習得しろと言うのだろう。
要らんだろ、方位とか。
天文学を研究すれば、天体観測で分かるじゃねーか。
「やってみますけど、絶対に習得しろと言われても困るんですけど。」
「それだけ期待されているということです。 頑張ってください。」
どうやらコリーナは、ミカの愚痴に付き合う気はないらしい。
レーヴタイン組だけでなく、クラス中の子供たちが苦笑してミカを見ていた。
「中等部になると、外での演習などが授業に組み込まれます。 習得のための授業が減ることで、毎年中等部以降は習得達成者が減る傾向にあります。 これまで以上に真剣に取り組んでください。」
コリーナがツンツンな雰囲気を纏って、クラスの子供たちの気を引き締める。
ようやく、四年間も運動などをやらされてきた成果を試す時がきた。
ぴりっとした空気が流れる教室で、ミカはほくそ笑みそうになるのを、必死に堪えるのだった。
(やっとサバゲーがきたぜ!)




