第147話 金の暴力
土の3の月、1の週の火の日。
ミカは初等部の二年間を無事に修了し、長期休暇に入った。
そして、帰省の当日の夜。モデッセの森。
「こことこっちを繋げて…………。 ミカくん、もうちょっとこっち向いてくれる?」
「ミカ様、ちょっと腕を上げてください。」
すでに暗くなった森の中で、ミカにキスティルとネリスフィーネが密着し、手元の輪のような金属をカチャカチャと鳴らす。
ミカは二人に言われた通りにするが、何とも微妙な表情で黙っている。
光源はミカの作った”火球”のみ。
何とも薄気味悪い雰囲気の森だが、二人にくっつかれたミカはそれどころではない。
「こちらはできました。 確認をお願いします、ミカ様。」
ネリスフィーネに言われ、ミカは左前に立つネリスフィーネとの連結を確認する。
「こっちも、もう少しなんだけど……。」
「雑嚢を貸してください。 私が持ちますよ、キスティル。」
「ありがと。 あ、できた。」
キスティルの抱えた雑嚢をネリスフィーネが受け取ろうとするが、キスティルの準備もできたようだ。
ミカは右前に立つキスティルとの連結を確認する。
「雑嚢、邪魔だろ。 魔法具の袋に入れるよ。」
「だ、大丈夫だから! ありがとうね、ミカくん。」
「ええ、大丈夫です。 ミカ様。」
何気なく言っただけだが、二人の反応が妙に過剰だ。
だが、今はそんなことを気にしても仕方ない。
「じゃあ、二人とも、準備はいい?」
ミカがそう言うと、キスティルとネリスフィーネが、ミカに両側からしっかりと抱きつく。
ミカも二人に腕を回して、しっかりと抱きしめる。
「それじゃあ、行くよ。 "低重力"、”吸収翼”!」
ミカの背中に現れた光の翼に、キスティルが目を見開いて驚く。
「”突風”!!!」
そう叫ぶと同時に、ミカはキスティルとネリスフィーネを抱えて空に飛び上がった。
二週間ほど前の夕食時。
「ミカくんの実家? 私も行きたいわ。 お家の方にもご挨拶したいし。」
「何でキスティルが、僕の家族に挨拶するの……?」
土の3の月になったら、ちょっとだけ実家に顔を出してくると伝えると、キスティルが同行したいと言い出した。
「聖地巡礼……。 私も是非行きたいです、ミカ様。」
「…………聖地?」
ネリスフィーネは何を言っているの?
そして、なぜかフィーが天井付近までふよふよ~……と浮き上がり、ミラーボールをし始める。
「フィーは留守番に決まってんだろ! つーか、目がチカチカすんだから、それやめろ!」
ミカに怒られ、フィーがキスティルに泣きつく。
そんなキスティルを、ネリスフィーネがちょっと羨ましそうに見ていた。
そして、女の子に追い込みをかけられると弱いミカは、二人に押し切られることになった。
ただ、そうすると問題がいくつかある。
移動と滞在だ。
普通に乗り合い馬車で行っては十一日もかかる。
二人を抱えて飛ぶことも考えたが、両手に一人ずつ抱えて飛ぶのは危ないし、鼻を掻くこともできない。
”吸収翼”で魔力の出力に問題はなくても、実行面で細かな問題が生じた。
なので、防具屋に頼んでハーネスのような物を作ってもらうことにした。
スカイダイビングをしたことがないので実物を見たことはないが、大体の形は分かっている。
要は身体を支えられればいいだけだ。
それを防具屋に魔獣の革で作ってもらった。
「この素材ですと、柔らかさ、丈夫さは希望通りですが、補強で部分的に鉱石を使ったりもしますので……。 どうしても値段が……。」
「幾らになりますか?」
「そうですね。 一つで五十万ラーツはかかってしまうと思いますよ。それが三つですから、百五十万にもなります。 それに、作ったことがありませんので、製作にもお時間が……。 試作の出来上がりが一カ月として――――。」
「倍出します。 十日で仕上げてください。」
「は?」
防具屋の店員の目が点になった。
ですよねー。
「いやいやいや、無理言わないでくださいよ。 多少の納期の短縮はできると思いますが、さすがに十日は――――。」
「三倍出します。 職人と交渉してください。」
こうして、金に物を言わせて無理を押し通した。
こんな人間にだけはなりたくなかったのに……。
ただ、やっぱり十日は無茶だったようで、数日余計にかかった。
それでも十分無茶だけど。
値段は三倍で四百五十万ラーツということだったが、頑張ってくれたお礼と、無理を言ったお詫びに五百万ラーツ払ってきた。
そして、同時に鍛冶屋にも行っておいた。
こちらはハーネス同士を連結するためのカラビナなどの金具の注文だ。
何らかの理由で衝撃がかかる可能性があるので、二トンを超える負荷がかかっても壊れない強度で注文し、ハーネス側に取り付けるリングも一緒に注文した。
「前のフォークってのもそうだが、面白いもん考えるなあ。 しっかし、このハーネスってのは何に使うんだ?」
「あははは……。 まあ、ちょっと。」
鍛冶屋の親っさんが聞いてくるが、笑って誤魔化しておく。
こちらも特急料金で、少々多めに支払う。
ただし、物が小さいので、それでも百万ラーツで済んだ。
ほとんどが材料費なので、前のフォークまでは儲かっていないだろう。
「あ、カトラリーも追加で作って欲しいんですけど。 また十セット作るとしたら、幾らになります?」
「金型は持ってるんだろ? だったら今だと…………八十万ラーツくらいか? 材料押さえねえと確実なことは言えねえが。」
「じゃあ、それもお願いします。」
ということで、カトラリーも追加注文。
お土産なども買い込み、帰省のためだけに七百万ラーツ以上を使う。
自分の金銭感覚のぶっ壊れ具合に、もはや笑うしかない。
ちなみに、これだけ使ってもまだ四千数百万ラーツを持っている。
ほんの四年前。
サーベンジールの魔法学院に行く時は、村の人のカンパで旅をしたというのに。
「あ……、村の人にもなんかお礼しておくかな。」
個別に配るのは面倒だが、借りっぱなしは気持ちが悪い。
何かお礼の方法を考えよう。
(例えあの時銅貨一枚のカンパだったとしても、それで俺が助かったのは事実だしな。)
お金の価値は一定じゃない。
といっても、為替や物価の話ではなく、必要な時に必要な金額を持っていることが大事、ということだ。
必要ない時に百万ラーツ持っていることよりも、どうしても十万ラーツが必要な時に、その十万ラーツ持っていることの方が大事だ。
そういう意味では、生活と借金返済で精一杯だったノイスハイム家には、とてもじゃないが旅費なんて用意できなかった。
渋々であろうとカンパに協力してくれた人たちにも、そろそろ何かお返しするのもいいかもしれない。
そんなあれやこれやを考えながら、帰省の当日を迎えることとなった。
モデッセの森の上空。
三~四キロメートルくらい先の王都の灯りが、地上に広がっている。
ハーネスにも、連結しているリングやカラビナにも問題はなさそうだ。
今はミカ、キスティル、ネリスフィーネの三人は、それぞれハーネスを着け、二トンの負荷に耐えられるリングとカラビナで繋がっている。
一応、二人はミカにしがみつかなくても、これらのおかげで落ちることはない。
ただ、宙ぶらりんの状態では怖いだろうし、余計な負荷をかけないためにも、基本はしがみつくことになる。
「ほ、ほんとに、飛んでる……。」
キスティルが茫然とした感じで呟く。
「ほら、言ったでしょう? ミカ様は神々から――――。 キャッ!?」
すでに二度ほど飛ぶことを経験しているネリスフィーネは、落ち着いたものだった。
しかし、これ以上余計なことをキスティルに吹き込まないように、ミカはリッシュ村を目指して移動を開始した。
まず目指すのはサーベンジール。
さすがに慣れていない二人を抱えての飛行なので、スピードは落として。
朝までに到着すればいいかな?くらいの旅程を考えている。
「わぁあ……、きれー……。」
「言った通りでしょう?」
ミカに抱えられた二人が話をしている。
キスティルの呟きは王都の灯りのことを言っているのかと思ったら、違ったようだ。
キスティルは、ずっと後ろを見ている。
どうやら、”吸収翼”から光の粒のような物が散っているようで、きらきらとした軌跡を描いていた。
(……高所恐怖症でパニックになられるよりはいいか。)
とりあえずの懸念の一つが消え、ミカはそっと息をつく。
飛行も安定している。
三人合わせて総重量はげふんげふん……キログラムぐらいだが、まあ正確な重量は分かりません。
何たって、体重計なんてないからね。
きっとハーネスが重いんだよ、ハーネスが。
ミカはキスティルとネリスフィーネがきゃっきゃと話しているのを聞きながら、遠い街の灯を目印にサーベンジールを目指した。
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土の3の月、1の週の水の日。
数回の休憩を挟みながらも一晩中飛び続け、更には夜が明けても飛び続けて、何とか昼前にリッシュ村付近に到着。
ミカだけなら十メートルほどの高さで”突風”を切るので砂埃に悩まされることはなかったが、キスティルとネリスフィーネがいる。
カラビナで連結されている状態なので、素早く砂埃から離れることもできない。
しかも、げふんげふん……キログラムを支える風量だ。
舞い上がる砂埃もとんでもないことになる。
咳き込みながら、涙目になって連結を解くことになった。
だが、次からはそれも対策を打った。
ただの砂埃なのだから、吹き飛ばしてやればいい。
元々上空の低温から身体を守るため、推進力のための”突風”だけでなく、保温のための”突風”も使っている。
これで砂埃を押し返してやればいいだけだった。
「空から見て分かったと思うけど、あと一キロメートルくらいだから。 でも、本当に何もない村だったでしょ?」
ミカがそう言うと、二人が苦笑する。
「静かで、いい村かと……。」
「そ、そうね。 ネリスフィーネの言う通りだわ。」
一生懸命、フォローしようとしてくれているのが分かった。
いらんけどね、そんなフォロー。
「とりあえず、もうハーネスは外しちゃおう。 魔法具の袋に入れておくから。」
魔法具の袋からタグ付きの袋を取り出し、キスティルとネリスフィーネに渡す。
ミカも自分のハーネスを外すと、タグの付いた袋に入れてから魔法具の袋の袋にしまう。
「着替えたいだろうけど、ちょっと我慢してね。 いくつか考えなきゃいけないことがあるから。 このままの恰好の方が都合がいいかも。」
「ええ、わかったわ。」
二人はハーネスを装着する都合上、普段は履かないズボンを履いている。
村に向かって歩き出したミカに、キスティルが頷いた。
「家をください。」
「……は?」
村に到着したミカは、まず村長の家に向かった。
そして、挨拶もそこそこに家を要求する。
「いきなり、何を……。」
村長は困惑した。
まあ、当然だが。
ミカは事情を説明することにした。
「僕の友人たちも一緒に来たんですけど、僕の家には滞在できないので、空き家でもあれば貸してもらいたいんですけど。」
「あ、ああー……。」
ミカの後ろに立つ二人を見て、村長が納得した。
初めからそう言えよ、という話である。
二人を帰省に連れていった場合の問題、二つ目。
滞在先だ。
当然ながらノイスハイム家は無理。
狭すぎる。
元々ミカも、ちょっと今年は家に泊まるのは厳しいか?と思っていたのである。
というのも、ミカが使っているベッドは七歳の収穫祭の時に贈られたものだ。
去年の時点で、すでに足を伸ばせばはみ出してしまっていた。
丸まって寝るのは、寝られない訳じゃないがどうも苦手だ。
今年は何か手を考えないとなあ、とは思っていたのだ。
「ああ、それと。 こちらお土産です。」
そう言って、ミカはいつもの燻製肉詰め合わせと、結構上等な樹酒の瓶を村長に渡す。
借金のことを村長と話した時、途中で呷ったのが樹酒だったので、好きなのかなー?と思い買ってきた。
「あ、いや、ミカ君。 こういうのは気にしないで――――。」
「まあまあまあまあ。」
遠慮する村長に強引に押し付ける。
これまではミカのお土産リストに村長は入っていなかったが、今年から入れることにした。
やはり、多額の借金を立て替えてまで家族を救ってくれていたことは、ミカにとってはこれ以上にないほどの恩だ。
正直、完全にわだかまりが無くなったと言えば嘘になる。
ただ村長の事情も分かり、それはミカにとっても納得のできることだった。
なので、今すぐは無理でも、なるべく普通の付き合いをしていこうと思ったのだ。
その手始めが、このお土産。
こういうところから、こつこつと関係を築いていこう、という訳である。
ミカがニカッと笑って、しかし断固として押し付ける気まんまんなのが分かると、村長が苦笑する。
そうして、ふぅー……と大きく息をつく。
「ちょっと上がって待っていなさい。 すぐ確認するから。」
そう言って、リビングに通された。
「すぐ住める家と言うと、ここが割と状態がいい。 雨漏りもないし、おそらく修繕しなくても住めるはずだ。」
村長に案内された家は、ぶっちゃけノイスハイム家よりも立派な家だった。
一年ほど前まで老夫婦が住んでいたが、奥さんが亡くなると、旦那さんも後を追うように亡くなり、現在は空き家という物件だった。
ミカは建物を見上げながら、家屋の状態を確認する。
「ここのお婆ちゃん、亡くなったんだ。」
「ミカ様のお知り合いだったんですか?」
「んー……まあ、村の人は皆、知り合いっていえば知り合いだけどね。」
ここのお婆ちゃんのことは、少しだけ憶えている。
ミカ少年の記憶ではない。
ミカがこの世界に来て、すぐの頃だ。
怪我をして街道で倒れていたことを聞いた大人たちは、ミカを見かけると皆優しく声をかけてくれた。
その中に、ここのお婆ちゃんもいたのだ。
「これを食べて元気におなり。」
と果物をくれたのを憶えている。
少しばかり、感慨に耽る。
「村長。」
ミカは振り返って村長を見る。
「この家、幾らですか?」
「幾らって、買う気かね!?」
「あくまで参考としてですけど。 滞在中の扱いは賃貸になるんですか?」
村長に、リッシュ村の家屋の扱いについて教えてもらう。
まず、住宅は基本は無償貸与だという。
村民のほとんどが紡績工場、織物工場、綿花畑で従事しているリッシュ村の住宅は、言ってみれば職場の敷地内に建てられた社宅のようなものだ。
工場のために村を開拓し、そこに移り住む条件に、この住宅の無償貸与というのもあったらしい。
そのため、工場や畑に従事する人は、基本的には無料で住むことができる。
ただし空き家が出て「あっちの家の方が大きい、あっちに住みたい」というのは基本的に認められないのだとか。
家が傷んだなどの事情の場合は、申請すれば村長の判断で移ることはできるらしい。
ということで、基本的に村の土地も家屋もすべて、領主の持ち物。
管理を任された村長の采配でやりくりしなさい、というものらしい。
「じゃあ、買うことはできないんですか?」
「できない訳じゃないが、それは領主に許可を得る必要があるんだ。」
「なるほど。」
だから、ノイスハイム家はあんなぼろぼろの家にずっと住んでいるのか。
いよいよ住めなくなりました、というくらい家が傷まないと、引っ越すこともできないようだ。
そして、例外は村に一つだけの商店と教会。
商店は土地と家屋を貸しているという扱いだ。
ただし、商店がなければ村の生活が成り立たない。
なので、賃料も安いらしい。
教会は領主が土地と建物を、無償で貸しているという扱いだ。
領主によっては教会に寄進したりするそうだが、リンペール男爵はあくまで貸しているという形なのだという。
「……そうすると、この家の賃料は。」
「大銀貨七枚だ。」
こんなど田舎の平屋で七万ラーツかよ!
工場関係者以外に住ませる気ねえな、おい!
ミカは家の中を確認する。
2DKだが、一つひとつの部屋は広い。
老夫婦だけで暮らすには、かなり広い家だ。
以前は大家族だったのかもしれない。
前の住人の家具などが、ほとんどそのまま残っている。
掃除は必要だが、確かにすぐに住めそうだった。
「僕は良さそうだけど、二人はどう?」
二人には一つの部屋で過ごしてもらうことになるが、広いし、一カ月だけなので我慢してもらおう。
「私は大丈夫よ。」
「問題ありません、ミカ様。」
ミカに聞かれた二人は考えるまでもなく頷く。
「じゃあ、一カ月こちらに住みたいと思います。」
「そうか。」
村長はミカから賃料を受け取ると、ミカに鍵を渡す。
「掃除に必要な道具は――――。」
「持って来ているので大丈夫です。」
初めからどこかの家を借りるつもりだったのだ。
それがダメならコトンテッセの宿屋に一カ月滞在することも考えていたが。
「ベッドに敷く草はどうする?」
「ああー……、すいませんが、そちらはいただけますか。」
「分かった。 後で持って来よう。」
村長が快く引き受け、シーツも余りを用意してくれると言う。
村長が戻るのを見送り、ミカは二人に声をかける。
「それじゃあ、二人には悪いけど掃除を頼んでいい? 僕は先に挨拶回りに行ってくるから。」
「ええ、お任せください、ミカ様。」
「こっちは大丈夫よ、ミカくん。」
苦手な掃除を二人に押し付け、ミカはお土産の配布と、教会へ寄付に向かうのだった。




