第143話 守るべきもの
風の2の月、1の週の火の日。
残暑が厳しいザンショ、などと下らないことを言っていた風の1の月も終わり、すっかり秋の陽気になった頃。
「始めっ!」
コリーナの掛け声とともに、ミカたち数人の子供が一斉に駆け出した。
学院の敷地内にある草叢と森林地帯で、中等部に入ってから行われるサバゲー…………ではなく、演習に必要な訓練が行われるようになった。
ミカたちは姿勢をやや低くしながらも、全力で草叢を走る。
そして、草叢の端の方に掘られた塹壕に飛び込む。
「ハァ……ハァ……ハァ……。」
すでに順繰りで何度も行われているので、中々きつい。
塹壕の中で息を整えながら、後に続く子たちのために位置を移動。
飛び込んできた時にぶつからないようにする。
塹壕の傍で見ていた教師が、全員が飛び込んだのを確認し合図を送る。
今度は掛け声ではなく、手だけの合図だ。
ハンドサインというと大袈裟だが、一人ずつ行け、二人ずつ行け、全員で行け、みたいな指示をする。
全員で行けとの指示を受け、ミカたちは一斉に塹壕から飛び出して森林に向かう。
そして、森林に張り巡らされたロープを潜りながら進む。
このロープが、中腰や屈んでじゃないと当たってしまう高さや、匍匐でないと進めない高さに張られている。
ただしミカの場合は匍匐エリア以外はちょっと頭を下げたり、少し前屈みになれば進めてしまう。
なので、正確にタイムを計っているわけではないが、ミカの早さは身体能力の高さも加わり飛び抜けていた。
前の班にすぐ追いついてしまうほどに。
「おりゃ、早よ行け、ポルナード。」
「ちょ、ちょっと、止めてよ、ミカ君。」
いくつかの中腰エリアや匍匐エリアを越え、追いついたポルナードにちょっかいを出す。
「先に行ってよ、ミカ君。」
「え、やだ。」
「何で!?」
「またお前か、ミカッ! 大人しく訓練せんかっ!」
ポルナードにちょっかいを出すミカに気づいた体育会系から怒声が飛んできた。
「そんなに元気があり余ってるなら、お前は最初からやり直して来い!」
そう言って、ケフコフが森林地帯の入り口を指さす。
「ええー……、またですかぁー……。」
実は、やり直しはこれが初めてではない。
分かってるならやるな、という話だが、こんなくそ詰まらん訓練を真面目になんかやってられるか。
はやくサバゲーやらせろ。
ミカは仕方なく、最初の屈んで進むエリアに戻る。
「馬鹿でしょ、あんた。」
「うるせー。」
丁度、塹壕から森林地帯にやって来たツェシーリアに突っ込まれた。
そして、少し遅れてチャールが到着。
この二人は、今日は同じ班だったようだ。
「大分息上がってんね。 大丈夫か?」
「……もう、だめ……。」
何度も繰り返しやらされ、かなりきつそうだ。
当然ながらこの訓練では【身体強化】禁止。
【癒し】で体力を回復することも禁止だ。
終わった後なら、学院も黙認しているけど。
「まあ、もう少しで終わりだろ。 あとちょっと頑張れ。」
「……うん……。」
肩で息をしているチャールに声をかけ、ミカはロープの張り巡らされた森林地帯をどんどん進んで行くのだった。
■■■■■■
学院が終わり、ミカは第三街区に来ていた。
すでに何度も通ったキスティルの実家。
時々ミカは、キスティルの母親に【癒し】をかけに来ている。
キスティルを保護してから少しの間、父親を警戒して近づかないようにしていたのだが、病弱な母親のこともあってまた足を運ぶようになった。
「はい、これでもう大丈夫ですよ。」
「いつもごめんなさいね。 ミカ君。」
「いえ。」
キスティルの母親は、父親にキスティルが売られてから相当に気落ちしていた。
娘を守れなかったことを、心から後悔しているようだった。
そのあまりの落胆ぶりに、ミカの方が苦しくなるほどだ。
なので、キスティルが無事であることだけは母親に伝えることにした。
今はミカの所にいること。
ただし、場所は言えない、と。
父親にお金を渡して「買った」とはいえ、証文も何もないのだ。
父親に居場所がバレたら、どんな行動に出るか分からない。
そのため、母親にも居場所は伝えなかった。
(……まさか、村長の気持ちを理解する時が来るとはね。)
五百万ラーツもの大金を、借用書もなしに貸した村長。
話を聞いた時は「正気か?」と思ったが、いざ当事者になったらミカも同じような行動をとっている。
これには、我ながら苦笑しかない。
(いざその場になると、そんなのがどうでも良くなっちゃうんだな。)
感情任せの行動ということだろう。
決して、いいことではない。
だけど、後悔はしていなかった。
もしも父親が証拠がないことを突いて何かしてくれば、今度は…………。
「……カ君。 ミカ君。」
ミカは少し考え事をして、上の空になっていた。
何度か呼ばれていたようだ。
「あ、はい。 何でしょうか。」
キスティルの母親は、苦しそうな表情をしていた。
【癒し】をかけたばかりだというのに。
「いつも、本当にありがとうね。」
「いえ、気にしないでください。」
そんなやり取りの後、母親が目をぎゅっと瞑り、俯く。
「……でも、もうここには来ないでいいわ。」
「え?」
何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
「おばさんのことは、気にしないでいいから。」
「でも……。」
【癒し】を使えばそれなりに元気になるとはいえ、治している訳ではない。
あくまで体力を回復させているだけなのだ。
「おばさんも、あの子のことは忘れることにするから……。」
「そんなっ!?」
突然の話に、ミカは思わず大きな声を出してしまう。
だが、母親のつらそうな表情で気づいてしまった。
(キスティルのために、断ち切るつもりなんだ……。)
本当は、また一緒に暮らしたい。
家族なんだから当たり前だ。
だけど、母親ではキスティルを守れない。
あの父親から、キスティルを守ることができないから……。
「あの子のこと……、よろしくお願いします。」
母親は、ミカに深々と頭を下げた。
ミカと母親という接点を断ち、キスティルの居場所が父親にバレる可能性を少しでも無くそうとしているのだ。
ミカはすぐには返事ができなかった。
こんなの、何と答えればいいのか。
「………………、分かりました。」
どうすればいいのか分からない。
分からないまま、ミカは頷いてしまう。
(俺が守るべきはキスティルやネリスフィーネだ。 その家族まで、丸ごと引き受けることはできない……。)
今はまだ良くても、そのうちどこかで線引きは必要になる。
キスティルの母親から見ても、ミカを危うく感じたのかもしれない。
キスティルのことだけではなく、その家族まで見捨てようとしないミカを。
それ以上何も言えず、ミカはぺこりと頭を下げると、家を出た。
そうして来た道を、重い足取りで引き返す。
少し歩いた所で、向かいから男の子が走ってくるのが見えた。
その男の子はミカと同じ年齢くらいだった。
ミカの横を勢いよく通り過ぎると、キスティルの実家の中に入って行く。
(……キスティルの弟さん?)
話には聞いていたが、見るのは初めてだった。
(………………。)
キスティルの家族は、これからもいろいろ苦労をするだろう。
父親が父親だ。
それでも、本来なら自分たちで解決すべきことなのだ。
他人のミカが首を突っ込んでいい話じゃない。
「…………今週は、魔獣討伐に行こうかな。」
ミカは、ぼそっと呟く。
誰かに八つ当たりする訳にはいかないので、魔獣に当たらせてもらおう。
そんなことを考えながら、ミカは家路を歩くのだった。
■■■■■■
風の2の月、3の週の月の日。
秋らしいちょっと冷たい風に向かって、高級住宅街の端を歩く。
自宅まであと少しという所で、巡回途中の警備の兵士を見かけた。
この辺りは本当に頻繁に街の警備の兵士が巡回する。
交番でも建てれば楽だろうに、と思うがまだ交番という発想がないのだろう。
(…………ん? 職務質問?)
単なる警邏かと思ったら、怪しい人に声をかけていたようだ。
声をかけられた人はすぐに解放された。
そのままミカとは別の方向に歩いていった。
ちなみに職務質問とは、最初に「こんばんは」と声をかけることから付いたらしい。
新〇を泳ぐ鮫の小説が読みたくなった。
ハードボイルドの似合う、格好いい男になりたい。
そんなどうでもいいことを考えながら、ミカはそのまま素通りしようとした。
「あれ? ミカ君?」
警備の兵士に指示を出していた強面の騎士が、声をかけてくる。
警邏中の兵士や騎士が、ミカに声をかけてくるのはちょっと珍しい。
年齢が年齢だし、何より王国軍魔法士のローブを身につけている。
ローブを脱いでいる夏場ならともかく、一目で魔法学院の学院生であると分かるミカに声をかける兵士はいなかった。
しかし、この騎士はミカの名前を知っていた。
見てみると、騎士の顔には見覚えがある。
「あ、えーと……。」
あるのはあるのだが……。
(第五騎士団の人だよな。詰所で見かけたような? 名前は、聞いたことあったっけ……?)
そんな、名前を思い出せずに戸惑った感じのミカに、その騎士は笑いかける。
「ニールマイヤーだ。 こうして話をするのは初めてだな。 時々ミカ君のことは詰所で見かけるが、訓練の邪魔をするのも悪いんで声をかけたことはない。」
「あ、そうだったんですね。 いつもお世話になってます。」
そう言ってミカがぺこりと頭を下げる。
「おいおい、止してくれ。 礼を言うのはこっちなんだ。」
ミカが頭を下げると、ニールマイヤーと名乗る騎士が少し慌てた。
そうして、周りの兵士に聞こえないように少し声を落とす。
「俺の所属は、シェスバーノ隊長のとこだ。 あの日、モデッセの森にいた、と言えば伝わるかな?」
ニールマイヤーはそう言うと、ミカに軽く頭を下げた。
「中隊を救ってくれただろう? すげえ闘いだったって、隊長から聞いてるよ。」
どうやら、この人はミカと合成魔獣の戦いは見ていないようだ。
森を出ていた騎士の中にいたのだろうか。
「何より、あの魔法士嫌いの隊長がミカ君のことは気に入ってるみたいだしな。 詰所に乗り込んで来たって話を聞いた時は、俺も笑っちまったよ。」
そんなことを、おかしそうに笑って話す。
が、すぐに表情が曇った。
「あー……、その後の団長のしごきさえなければ、本当に笑い話だったんだが。」
「その節は、すいません……。」
それを聞き、ミカも恐縮する。
オズエンドルワは、本当に第五騎士団を鍛え直したらしい。
まあ、出稽古の時に他の騎士たちから聞いてはいるんだけど。
「はは、まあ腑抜けてたのは事実だ。 気合いを入れ直すってのは大事さ。」
ニールマイヤーが笑う。
「それで、この辺で何かあったんですか?」
「いや、ごく普通の警邏さ。 時々こうして嫌がらせみたいに声をかけてやることで、悪いこと考えてる奴はビクビクすんだよ。」
「ああ、なるほど。」
声かけは非常に大事だ。
ただ騎士や兵士が巡回するよりも、高い犯罪抑止効果があるだろう。
「ミカ君の家はこの辺りなのかい?」
「ええ、もうすぐそこですよ。」
ミカがそう言うと、ニールマイヤーが感心したように腕を組む。
「はぁー、いい所に住んでるんだなあ。 親御さんは随分と裕福な――――。」
と言ったところ、ニールマイヤーが固まる。
「…………まさか、自分で稼いでじゃないよな?」
恐るおそるといった感じで聞いてくる。
ミカが冒険者をしていることを、シェスバーノ辺りから聞いたのだろう。
「あ、あはは……どうですかねえ。」
「おいおいおい、まじかよ!?」
ニールマイヤーが額に手をあてて、空を仰ぐ。
「冒険者ってのはそんなに儲かるのか!? 俺も冒険者やろうかな!?」
「僕の家はごくごく小さい家ですよ。 この辺にいっぱいある、豪邸みたいな所じゃないです。」
それでも、たぶんニールマイヤーの月収以上の家賃だろうけど。
ニールマイヤーは肩を落とし、溜息をつく。
「まあ、それも君くらいの強さがあってこそか……。 俺には、とてもあんな魔獣は倒せないしな。」
「あー……、まああんな狂暴なのは僕も初めてでしたけどね。」
そんな話をしていると、兵士の一人がニールマイヤーを呼びに来た。
「それじゃあ、気をつけて帰るんだよ。」
「はい、ありがとうございます。」
「何かあれば、言ってくれれば兵士の十人くらいは家の警備に貸すから。」
「セ〇ムかっ!?」
思わず、声を出して突っ込んでしまう。
ニールマイヤーが、せ〇む?と不思議そうな顔をした。
「こほん……何でもありません。 何かあれば、ご相談させてください。」
「あ、ああ……、じゃあ、また。」
警邏に戻るニールマイヤーたちを、見送る。
まあ、何かあれば頼らせてもらおう。
ミカは真っ直ぐ家に帰ると、鍵を開けドアを開く。
その瞬間、ミカの顔面に真っ直ぐ飛んできたフィーをしゃがんで躱す。
そうして、フィーを置き去りにしてドアを閉めた。
「ただいまー。」
「おかえりなさい、ミカくん」
「おかえりなさいませ、ミカ様。」
キスティルとネリスフィーネが、キッチンで料理をしていた。
ネリスフィーネの身体は、ほぼほぼ捩じれや変に曲がった所はなくなり、今ではほとんど普通に動けるようになった。
まだ少し動かしにくい時もあるようだが、日常生活に支障がないくらいには回復している。
「あら? フィーちゃんは?」
「フィー様?」
先程までダイニングにいたであろうフィーの姿が見えなくなり、二人がきょろきょろと周囲を見回す。
その時、玄関ドアの隙間からフィーが家の中に入ってきた。
「フィー様、お外に行かれていたのですか?」
気がついたネリスフィーネがフィーに声をかける。
「勝手に外に出るんじゃないよ。 誰かに見られたらどうすんだ。」
ミカはすっとぼけてフィーを叱責する。
すると、フィーがミカの周囲を忙しなく動き周り、何度も体当たりをかます。
ただ、光なので物理的な効果は何もない。
「邪魔。」
軽く手を払うと、ミカは自分の部屋に向かった。
フィーは、ミカからのあまりにぞんざいな扱いに、キスティルに泣きついていた。
ミカは部屋に入ってドアを閉めると、
「”吸収翼”。」
と呟く。
ミカの背中に光の翼が現れ、薄暗かった部屋が明るくなる。
ミカは”吸収翼”を魔力の吸収のためではなく、光源として使っていた。
「照明用の魔法をなんか考えるかなあ。」
そんなことを呟きながら、魔法具の袋を外し、机の上に置く。
光の翼が作れたのだから、単なる光源を作り出すこともできるだろう。
「”フィー”って”魔法名”にしてやろうかな。」
一人で吹き出しそうになりながら、魔法具の袋に手を突っ込む。
そうして、冒険者ギルドからの手紙を取り出す。
これは先週届いた手紙だ。
いつもの、溜まっている指名依頼の数を記した手紙。
そこには、”三十一”と”二”の文字。
王都内の”呪いの排除”が三十一件。
”呪物”が二件届いていることを表している。
「かなり溜まってきたなあ。」
呪物の方はもう少し集まってから片付ければいいだろう。
だが、呪いの排除の三十一件は……。
「……贅沢な悩みではあるけど、受け付けの停止を頼むかな。」
ミカとしては折角指名依頼を出してくれたのだから、依頼を受けてあげたい。
だが、とにかく数が多すぎる。
やってもやっても、ミカが依頼を達成するペース以上に依頼が入るのだ。
以前の仕事で、バグの報告が数百件積み上がった時の、急かされているような感覚に近い。
もっとも、デバッグに関しては簡単な一カ所の修正で、数十件がゴリッと無くなることも普通ではある。
あれはあれで、中々爽快感を味わえると言えなくもないが……。
しかし呪いの排除は、どうしても一件一件の呪いを特定するのに時間がかかってしまう。
学院に通いながらでは、これ以上のペースアップには限界があった。
「人を雇って、特定の作業までをやらせるか。」
【鑑定】の【技能】を持つ人と、”不浄なる者”に対抗できる能力のある人を雇い、特定の作業だけしておいてもらう。
一件につき一人金貨一枚も出せば、やる人はいるだろう。
ミカの実入りが若干減るが、その分数をこなせるので、稼ぎは増える。
そして、指名依頼もどんどんこなしていける。
「でもなあ……。」
人の管理が面倒すぎる。
できれば、自分以外の管理をやりたくない。
少なくとも、今は、まだ。
「……新規受付の停止かな。 今溜まってる分が減ったら、次を募集するとかにしようか。」
その方向で、今度ユンレッサに相談してみよう。
コンコン。
そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。
「なーにー。」
「ミカくん。 ご飯の先に湯場に行く? 先に食べる?」
ドア越しにキスティルが聞いてくる。
「先に汗流したい。 ごめん、すぐに済ませるから。」
ミカは慌てて魔法具の袋にギルドの手紙を仕舞うと、タンスから着替えを取り出す。
これは学院指定のジャージではなく、自分で買ってきた部屋着だ。
寮を出たことで、こうした部分も少しずつ変わっていた。
「そんなに急がなくてもいいわよ。 しっかり温まってね。」
どたばたと音がするのを聞き、キスティルがくすくす……と笑いながら言う。
そうして、キッチンに戻って行った。
(……今度、しっかり考えるか。 この生活を守るためにも。 指名依頼を出してくれた人のためにも。)
”吸収翼”を切り、暗くなった部屋でそんなことを思うのだった。




