第139話 呪われた聖女1
「………………。」
微かに何か聞こえる。
ミカは全神経を集中し、部屋の中央に置かれた岩と、それに纏わり憑く呪いを見る。
先程は、声が聞こえた後すぐに”悪霊の群体”が呪いから飛び出してきた。
再び出てくるのか?と警戒をするが、一向に何も起きない。
「………………。」
また声が聞こえた。
ミカは声が聞こえてきた岩と呪いを、じっと凝視する。
(…………?)
よく観察してみると、何だか呪いの動きが若干おかしい気がする。
岩に黒い靄のようなものが纏わり憑いているのだが、時折その呪いが弾かれるように飛び散っている。
火花が散るように、パシッと飛び散ることがあるのだ。
「…………ロ……テ……。」
声が聞こえた。
今度は、くぐもっているがはっきりと聞こえる部分がある。
「…………コ……ロ、シテ……。」
「っ!?」
声の内容を理解し、ミカは総毛だつ。
黒い靄の向こうにある、岩のような物をじっと見る。
布の隙間から手のような物が見えた。
白い、いや銀色の長い髪のような物が見えた。
そして、…………顔のような物があった。
「うあああぁぁぁああああああーーーーーっ!?」
ミカは口元を手で押さえながら、部屋の隅に駆け出す。
「うぐっ、ぅげええぇぇぇええーーーーーっ……!」
吐いた。
何度も、何度も。
あまりの悍ましさに、何度吐いても吐き気が収まらなかった。
人だった。
呪いが纏わり憑いていた岩は人だったのだ。
いや、薄暗いため岩に見えたが、実際は岩でも何でもない。
ただ、人が丸められただけの”物”。
手足どころか、全身があらぬ方向にひしゃげ、捻じ曲がり、ただ丸められただけの”物”。
巨人の大きな手で、人をこねくり回し、丸めたような状態。
布が巻かれているように見えたが、布は巻いていたのではない。
ただ、その人が着ていた衣服だ。
「ぅげぇぇぇーーっ……。」
すでに胃の中身などない。
胃液すら出ない。
それでも、ミカの吐き気は収まらなかった。
しばらく吐き続け、少しだけ落ち着いてきた。
ミカは躊躇いながら、呪いに憑かれた”その人”に近づく。
ひどい状態だった。
手足の関節という関節があらぬ方向に向いている。
首や背中もありえないほど反り返り、また向きもおかしなことになっている。
どうすればこんなことになるのか、想像すらつかない。
何より、こんな状態でなぜ”この人”は生きているのか。
「……コロ、シテ……。」
”その人”は、何度も何度も、ミカに訴える。
殺して欲しい、と。
”その人”は顔もひしゃげ、片目だけが大きく見開かれ、じっとミカを見つめていた。
「…………オ……ネ、ガイ……。 ……コロ、シテ……。」
くぐもった声で必死に懇願する”その人”を見ていられず、ミカは思わず顔を背ける。
「…………コ……ロ、シテ……。」
しゃがみ込み、耳を塞ぐ。
どうすればいいのか分からない。
こんな状態では、確かに生きていても苦しいだけだ。
いっそ楽にしてあげる方が親切だろう。
(……でも……、それを俺がやるのか?)
ミカはこの世界に来てから、すでに何人もこの手にかけている。
だが、それはミカにとって「死んだ方が良い」と思えるような悪人ばかりだった。
活人剣、という考えがある。
人を殺傷することを目的とした剣や剣術で、人を活かすという、ある意味矛盾したような考えだ。
誰も殺さないということを突き詰めた活人剣もある。
だが、違う考えの活人剣もある。
それは、「一人の悪人が万人を苦しめるなら、一人を殺して万人を活かす」という考えだ。
ミカの考えは、後者に近い。
更生のチャンスはあっても良いと思う。
だが、更生のチャンスすら与えるべきじゃない者もいる、と思っている。
何人もの命を奪っておきながら、自らの人権を振りかざす。
そういう奴には反吐がでる。
悪人なら、何人この手にかけようとまったく心は痛まない。
もっとも、善悪など関係なく命を平等と考えるならば、ミカもその悪人も所詮は同じ穴の狢なのだろうけど。
ミカはゆっくりと顔を上げ、”その人”を見る。
「……もしかしてですけど、貴女は『ルーンサームの聖女』ですか?」
「………………………………、…………コロ……シテ……。」
”その人”は長い沈黙の後に、また同じ言葉を繰り返す。
ミカは力なく項垂れた。
(依頼は、生きているなら何としてでも救出しろ、ではあったけど……。)
この状態で救出して、果たして聖女の救済を望んだ人は受け入れるだろうか。
人間とは身勝手なものだ。
自分の望んだ”形”からかけ離れれば、簡単に切り捨てる。
勿論、しっかりと受け止め、聖女に尽くす人も多くいるとは思うが……。
(何より、この人は何で生きているんだ?)
採掘場の浄化に向かったのは三カ月も前のことだ。
それからずっとこの状態なのだとしたら、生きている方がおかしい。
不死化してるのか?
(でも、ちゃんと自我はある。 そして、死を望んでいる……。)
心まで魔物になってしまったのなら、自らの死を望んだりはしないだろう。
ミカはどうすればいいのか分からず、”その人”の前で膝を抱え、顔を埋めた。
ルーンサームの聖女はネリスフィーネと言うらしい。
膝を抱え蹲るミカを見て、「殺して欲しい」という懇願を諦め、ぽつりぽつりと話をしてくれた。
ネリスフィーネは聖女として、ルーンサームの大聖堂で神々に祈りを捧げて毎日を過ごしていた。
教会は聖女を『保護する』という名目で囲い込み、信者たちへの宣伝、寄付や寄進をさせるための道具に使っていた。
聖女と言ってもまだ子供である。
また、人の身では衣食住がなくては生きていくこともままならない。
なので、ある程度は仕方がないとネリスフィーネも思っていた。
だが……。
「破戒……?」
「……ソウ……。」
ルーンサームの大聖堂では、高位の者ほど光神教の戒律をないがしろにしていたという。
司教が信者からの寄付を着服し、贅沢をし、どうやら外に女まで囲っていたらしい。
そして、ネリスフィーネはそうした司教たちの行いに気づいてしまった。
ネリスフィーネが止めるようにと司教に言ったところで、さすがに無駄だろうと考えた。
そんなことで悔い改めるくらいなら、初めからやらないだろう、と。
そこでネリスフィーネは信頼に足る人物に、手紙で実情を伝えようとした。
ところが、その手紙を司教の手の者に見られてしまったらしい。
手紙を出した翌日に、大聖堂の地下に監禁されてしまったのだ。
ロクに食事も水も与えないような状態で何日も監禁された後、司教の息のかかった教会騎士団の騎士たちに採掘場に連れて来られた。
彼らはここでネリスフィーネを殺害するつもりだったらしい。
採掘場が”不浄なる者”で溢れていても、ネリスフィーネがいればとりあえずは問題ない。
【清め】の効果でネリスフィーネの周囲では”不浄なる者”が勝手に弱っていく。
奥まで連れて行って殺害すれば、戻ってくる分にはネリスフィーネがいなくても大丈夫だ。
行きで粗方片付ければ、帰り道は数も少ないだろうから。
そうして連れて来られた地下墓所だが、教会騎士団の騎士たちはネリスフィーネを弄ぼうとした。
ただ殺すのでは面白くない。
聖女が逃げ惑い、命乞いするところが見たい、と。
だが、このような者たちが聖職者面しているようでは、もはやこの世は終わり。
生きていても仕方ない。
さっさと神々の御許へ旅立とうと、ネリスフィーネは覚悟を決めたらしい。
殺すならさっさと殺しなさい、と言い放って見せたという。
ネリスフィーネの潔い態度に感銘を受ける様な、そんな殊勝な者は残念ながら一人もいなかった。
騎士たちは激高し、ネリスフィーネを殴り飛ばし、蹴り飛ばした。
そして、突き飛ばされたネリスフィーネが、例の銅鏡に触れたのだ。
銅鏡から呪いが噴き出したことで、騎士たちは逃げ出した。
ネリスフィーネの周囲は【清め】の効果で”不浄なる者”は近寄れない。
だが、唯一の例外スポットができた。
それが呪いだ。
あの渦巻いていた呪いの中だけはどうやら”不浄なる者”でも存在し続けることができたようだ。
そうして周囲の”幽霊”などが呪いの中に逃げ込み、巣食った。
”悪霊の群体”はそんな風にできあがったらしい。
聖女を殺し損ねた騎士たちは、後日またネリスフィーネを殺しに来たという。
だが、”悪霊の群体”によって撃退された。
どうやら採掘場に魔物が一体もいなかったのは、ネリスフィーネの【清め】によるもののようだ。
この閉鎖空間に【清め】の効果が徐々に徐々にと広がっていった。
そして、ついにはすべての”不浄なる者”がいなくなった。
呪いの中の”悪霊の群体”を除いて。
「……それで、採掘場に近づけないで見張る必要があったのか。」
人を寄せ付けないために”不浄なる者”がまだ溢れているという嘘を流した。
だが、下手に採掘場の中に入られると、”不浄なる者”が溢れているという嘘がバレる。
そのため採掘場の入り口に近づくなと、教会騎士団にも厳命したのだ。
(聖女を殺害したくても、”悪霊の群体”のせいで近づけない。 そして、司教の息がかかった騎士というのは、教会騎士団の中でも一部だけなんだろうな。)
採掘場一帯を封鎖するには人手が足りなかった。
だから、おっさん騎士みたいな人まで狩り出されることになった。
しかし、聖女が採掘場に向かった経緯の食い違いなど、ネリスフィーネからの話だけでは分からないこともある。
教会の内外に向け、それぞれに都合のいい説明を流布したのだろうか。
(普通、一貫した話を用意しないか? バレやしないと高を括っているのか、バレてもどうとでもなると舐めてるのか。)
司教を糾弾するとしたら、もっと上の立場の者だろう。
その上が司教側だから、この程度は揉み消せると踏んだか。
それと、教会騎士団はなぜ”悪霊の群体”を倒せなかったのだろう。
ミカに【祓い】を教えてくれたのは、元教会騎士団のトリュスだ。
使える人がいてもおかしくはない。
(司教派もそんな一枚岩じゃないのか? ていうか、教会騎士団は司教に言われたから渋々やってるだけ?)
外で会った威張った騎士を見る限り、積極的に司教のために何かしそうな感じはない。
如何にも嫌々従ってるだけ。
【祓い】を使える人で、司教の言うことを聞きそうなのがいなかったのかもしれない。
(……あの騎士は採掘場に同行したらしいけど、住民の嘆願があったことを信じてる感じの口ぶりだったな。 司教派の上司にそう説明されて、いいように使われてるだけ……? 何かあった時の尻尾切りか、鉄砲玉要員?)
適当に甘い汁を吸わせ、いざという時に切り捨てるために子飼いにしている感じか。
如何にも頭悪そうだったし。
何にしろ、今回のことは教会内の大きな権力に繋がる話。
ミカは大きく溜息をついた。
(……やっぱり、だめだ。)
殺せない。
この人を殺したくない。
それが本人の願いでも、とてもミカには殺すことなどできない。
例え死が、救いなのだとしても。
「……ひどいこと聞きますけど、どうして生きていられるんですか? もう、三カ月も経っているそうですよ?」
「…………ワ、カラ……ナイ……。」
くぐもった声で、ネリスフィーネが答える。
餓死でも何でも、死ねた方が遥かに楽だろうに。
「【癒し】も持っているんでしたね。」
「……エエ……。」
ネリスフィーネの【祝福】は【清め】だけでなく、【癒し】もあるらしい。
それが関係しているのだろうか?
(いくら【祝福】でも、そこまで強力なものなのか? 三カ月も飲まず食わず、それも身体がこんな状態になっても生きているなんて。)
ミカも【祝福】に関してはほとんど知識がない。
聖者や聖女に、そうした力を宿している人がいるらしいというだけだ。
「……すいません。 ちょっと触れますね。」
「…………ダ、メ……。 ……アブ、ナ……。」
ミカはネリスフィーネの制止を無視し、魔力を集めた左手で、そっとネリスフィーネの手に触れる。
「ぁがっ!?」
触れた瞬間、呪いの凄まじい波動がミカに襲い掛かった。
手だけでなく、全身に突き抜けるような、強烈な波動。
「ぐ、あ、あっ、ああ、ああああーーーーーーっ!!!」
ミカはその波動を押し返すように自分の魔力を左手に集める。
そうして全力で押し返すことで、何とか波動を抑え込んだ。
「ぷはあっ! はぁ! はぁ! はぁ!」
ミカは手を離し、肩で大きく息をする。
凄まじい呪いだった。
ほぼ全力を抑え込むために回さないと、ミカの方が波動に負けてしまう。
”吸収”で魔力を吸収しながらやっても、削られる魔力でミカの中の魔力が徐々に減っていく。
これでは、とてもではないが解呪にまで魔力が回せない。
完全に魔力不足だった。
(また吸収量不足か……。 合成魔獣の時も吸収する量が足りなくなったよな。)
”吸収”のバージョンアップが必要だろう。
だが、どうやって?
(…………”吸収”の魔力は、俺の肌から沁み込んでくる感じなんだよなぁ。)
大気中の魔力を吸収しているのは、ミカの身体?
吸収量の限界というのは、つまりは身体の表面積のせいだろうか。
(デブれば表面積が増える……?)
できれば、横に伸ばすよりは縦に伸ばしたいところだが。
(成長に期待していたら、一体どれだけの時間がかかることか。)
しかも、そんな方法では、下手したら倍も増やせない。
(もっと手っ取り早く増やせないか?)
んー……、と顎に手を添えて考える。
魔力。
吸収。
表面積。
「ん? 面積?」
単純に、面積を増やすことで吸収量が増えると仮定して。
今はミカの身体の表面積に吸収量が依存している?
なら、吸収専用の装置を作れないだろうか。
同じ面積でも、太陽光パネルのようなフラットなものではなく、もっと表面積を増やすには……?
「…………よしっ!」
ミカはすくっと立ち上がり、目を閉じる。
大事なのはイメージ。
実物は見たことがある。
そして、似たようなものはアニメでもよくあった。
ならば、イメージはしやすい。
ミカはカッと目を開き、その”魔法名”を口にする。
「”吸収翼”!」
ミカがバッと両手を広げるのと同時に、背中から一対の光の翼がファサッと広がった。
ミカの腕の三倍くらいの長さがあり、形としては鳥の翼そのもの。
一つひとつの羽根により、表面積という点でいえば、何十倍何百倍にも増えているはず。
「まあ、単純に吸収量がこれで何百倍にもなってくれたら、話が早くて助かるんだけど。」
試してみないことには、実際にこれで吸収量が増えるかも分からない。
もしも仮定が間違っていたら、この”魔法名”は封印である。
まあ、見た目格好いいから、意味もなく使うかもしれないけど。
いいよね、光の翼って。
「すいません。 もう一度触ります。」
ミカはネリスフィーネに声をかけるが、返答がなかった。
ネリスフィーネはただ、その目を見開いてミカの翼を見る。
そして、涙を流した。
「…………アポ、ス……トル……。」
■■■■■■
【ネリスフィーネ視点】
ネリスフィーネは、今自分が見ている物が信じられなかった。
光の翼を持つ存在。
これは、神々の救済だろうか。
胸が熱くなり、涙が溢れた。
「…………アポ、ス……トル……。」
思いが、呟きとなって零れる。
”神々の遣わし者”。
こんな呪いに侵された私なんかのために、神々は救済の遣いを出されたのだ。
ひどい試練だった。
なぜ、神々はこのようなつらい試練をお与えになるのかと悩んだこともあった。
一片の曇りもなく神々に祈り続けたが、きっと私は神々に見離されたのだろうと思った。
この身は呪いにより穢れてしまった。
もはや、神々の御許には導かれないと絶望していた。
それでも、神々は見捨てなかった。
こんな私にも、救済をお与えになられた。
救済の使者を遣わされたのだ。
(ああ……、神々よ。 私は、許されるのでしょうか。 救われても良いのでしょうか……。)
涙が止まらなかった。
神々の慈悲深さに、感謝を……。
神々の慈愛のあまりに広く、そしてその大きさに感謝を……。
ネリスフィーネは、目の前の光の翼を持つ者に、万感の思いを持って伝えた。
「……………………タ……ス……ケ、テ……。」




