第132話 新たな生活の準備
キスティルの手を引いて、ミカは裏路地をめちゃくちゃに走った。
どこを走っているのかも分からない。
どこに向かっているのかも分からない。
ただ、あの場所から少しでも離れたい。
その思いだけでミカは走り続けた。
「待って……! ミカくん、待ってっ!」
キスティルの声に気がつき、ミカは立ち止まる。
キスティルは荒い息をつき、よろよろと壁に寄りかかった。
「ごめん……、キスティルさん。 僕……。」
「ううん、いいの……。」
ハア……ハア……と肩で息をしながら、キスティルが苦し気に、それでも微笑もうとする。
ミカはその場にしゃがみ込み、膝を抱える。
(俺は……何てことをっ……!)
キスティルを、買ってしまった。
たった金貨四十枚で、キスティルの人生を買ってしまったのだ。
ミカは膝に顔を埋め、自分への怒り、自分の恐ろしさと悍ましさに、身体の震えが止められなかった。
あの時。
キスティルを高く売れると喜ぶ父親を見て、ミカは本気で殺してやろうと思った。
だが、キスティルの諦めの涙を見て、その気持ちが一瞬で霧散した。
すべてを諦め、受け入れてしまったキスティルには、もはや父親の存在は関係ない。
例え父親の呪縛から逃れても、今までのようには暮らせない。
そのことを理解してしまった。
例えあの場で父親を殺し、家に帰したところで、キスティルは今までのようには立っていられないだろう。
母親を支え、弟の面倒を見て、家事をし、ヤロイバロフの宿屋で働き、それでも前を見続けた。
心が折れてしまったキスティルでは、もうそんな生活は耐えられない。
このままではキスティルが潰れてしまう。
そう、思ってしまったのだ。
「ごめ……ごめんなさい……。 キスティルさん……。 僕は……。」
それでも。
例えどんな理由があろうと、人が人を買うなど、許されていい訳がない。
ミカは自分の行動の恐ろしさに震えた。
そして、そんな方法しか思いつかなかった自分の情けなさに、涙が止まらなかった。
「ミカくん……。」
キスティルは、そんなミカの姿を悲し気に見つめると、横に並んでしゃがみ込む。
「いいのよ、ミカくん。」
そう言って、そっとミカの頭を撫でる。
だが、ミカの震えも涙も止まらなかった。
そんなミカを、キスティルがぎゅっと抱きしめた。
「……ありがとう、ミカくん。 ミカくんは私がつらい時、いつも助けてくれるのね。」
そう、しがみつくようにミカを抱きしめたキスティルも、身体が震えていた。
そして、しばらくそのまま、二人で涙を流し合うのだった。
一頻り泣き、少しだけ冷静になれた。
(…………証文も何も取らなかったのは失敗だったな。)
冷静に考えれば、あんな風にあの場限りのやり取りで済ませるべきことではない。
だが、頭に血が上り、まともに考えることができなくなってしまった。
冷静に考えられる時には、冷静に考えられる。
しかし、何かあるとすぐに感情が前面に出た行動をしてしまうのは、「油断癖」に並ぶミカの悪い癖だろう。
魔獣との戦闘でお遊びが出てしまうのも然り、今回の行動も然り、だ。
(……とにかく、これ以上時間を無駄にできない。 急いで生活基盤を整えないと。)
キスティルにはもう、帰る家はないのだ。
それは、ミカが用意しなければならない。
今日中にキスティルが生活に困らない、最低限を整える必要がある。
(ヤロイバロフさんの所にも報告に行きたいけど……。 申し訳ないけど、優先度は下げさせてもらおう。)
本当なら、ヤロイバロフに相談するべきだと自分でも分かってはいる。
だが、「買う」という手段を取ってしまったことに、気まずさがあった。
心配しているヤロイバロフに結果を伝えない訳にはいかないが、今すぐは顔を合わせづらい。
せめて、ミカ自身がもう少し落ち着いてからにしたかった。
(まずは、キスティルさんが安心して暮らせる家を探さないと。)
キスティルには、休息が必要だろう。
身体の疲れを取るため以上に、心を休ませるための家。
しっかりと心を休ませ、また自分で立てるようになるためのリハビリが必要だ。
ミカは立ち上がると、キスティルの手を取る。
「ミカくん……?」
「行こう、キスティルさん。」
ミカはキスティルに笑いかける。
(不安にさせちゃいけない。 俺が揺らげば、キスティルも揺らいでしまうのだから。)
ミカはキスティルと一緒に裏路地を出た。
(適当に走って来たから現在地が分からないな。 どこだここは?)
ミカは周囲を見回し、一軒の店を見つけてぎょっとした。
ぎょっとはするが、それはミカの内心だけである。
表面上は、一応取り繕えたと思う。
(あそこ、ガエラスさんに絶対近づくなって言われた酒場じゃないか。)
暫定、暗殺者ギルド。
ミカの中で「そうなんじゃないかな?」と予想しているだけだが、多分大きくハズレてはいないと思う。
(ま、まあ、現在地は分かった……。 とりあえず南東の大通りに行こう。)
家を探すなら不動産屋に行かねばならない。
南東の大通りに数軒の不動産屋があるのは、何度も行き来をして把握している。
ミカはキスティルと手を繋ぎ、少し急ぎながら不動産屋に向かった。
「こちらなどいかがでしょうか。 大変お勧めになっております。」
にこにこしながら、不動産屋のおじさんが資料を見せてくれる。
ミカは、とりあえず一番大きい所にしておくか、と不動産屋を選んだ。
いろいろ見て回るような時間はない。
それならば、多少高かろうが、物件を豊富に揃えている不動産屋に行くべきだ。
不満があれば、あとで引っ越せばいい。
今優先すべきは、安心できる家の確保である。
そうして入った不動産屋だが、態度が悪かった。
言うほどではないかもしれないが、「ガキが何しに来た?」という雰囲気を醸している。
なので、金の力とネームバリューで平伏させることにした。
ミカは黙ってギルドカードを見せる。
不動産屋のおじさんは訝しみながらミカのカードを手に取り、目を丸くした。
「な!? 二つ名持ち!? そ、それも”解呪師”って!?」
おじさんはミカとカードを何度も見返す。
「不動産扱ってるんですから、解呪された屋敷の噂くらい耳にしてますよね?」
「そ、それは勿論でございます! うちにもいくつか、そうした物件が入ってきまして。 せ、先生には大変お世話に……。」
おじさんの手のひらがくるんくるん回転を始めた。
ていうか、先生って何だ?
「治安のいいエリアで家を探してます。 賃貸でありますか?」
「勿論ございます。 差し支えなければ、凡そのご予算なども伺えると……。」
予算か。
当然ながら相場が分からん。
「相場はどのくらいなんですか? できれば3区内でお願いします。」
「そうですね。 3区ですと……。」
と、そんな感じでさくさく話が進むようになった。
そんなミカとおじさんのやり取りを、キスティルはぽかんとした顔で眺める。
「ただいま資料をご用意します。 少々お待ちください。」
そうして営業スマイルを張り付けたおじさんが席を外すと、キスティルがミカの腕をつんつんと突く。
「……どういうこと?」
「あははは……。 えーと。」
どうしよう。
キスティルは、俺が【癒し】を使えることで、学院生だということは分かってるはず。
言ったことがあるかどうか忘れたが、まあ【神の奇跡】を使ってるんだから、そこは理解しているだろう。
あと説明が必要なのは……?
「僕が冒険者をやってることは知ってる?」
「んー……、なんとなく?」
キスティルが自信なさげに、首を傾げながら小さく頷く。
ヤロイバロフとの会話や、先日の二つ名などで、冒険者をやっているようだ、というのは分かっている。
だが、どのくらいすごいのか、どのくらい稼ぐのか、というのは考えたこともないのだろう。
(森で会った時も、単に遊んでるだけだと思ってたみたいだしね。)
子供が森に遊びに来てる、と思っていたのだ。
まさか、十万~数十万ラーツの仕事の帰りだとは予想もしないだろう。
「僕は最近、ちょっと有名になってきまして。 指名で依頼が入ってきます。 今も十件以上溜まってますよ。」
「そうなの? それなら、急いでお仕事を片付けないと。」
「あはは、そんなに急ぐ必要はないんだ。 僕は学院に通ってるから、依頼を片付けるための時間が限られているのは、皆も知ってるからね。」
「そうなのね。」
キスティルが、まだまだ子供だと思っていたら、意外にしっかり者だった弟を見るような目で微笑む。
まあ、とりあえずは、それなりに収入があることを理解してもらえればいいだろう。
そんな感じで話をしていると、おじさんがいくつかの物件をピックアップして、資料を持って来てくれた。
王都では、基本的に第一街壁に近いほど上品で治安が良く、第二街壁に近いほど俗っぽく治安が悪くなっていく。
また、大通りに挟まれた区内も、大通りに近いほど明るく、離れれば離れるほど暗くなっていく。
つまり、王都の中央に近いほど治安が良く、遠くなるほど治安が悪くなり、明るい雰囲気が良ければ大通りに近い場所、静かな環境が良ければ大通りから離れる、と考えればいい。
ただし、これはあくまで第二街壁の内側の話。
厳密な王都の定義から外れる第三街区はこの限りではない。
ミカは家を探す時、第三街区は初めから候補から外していた。
治安があまり良くないというのはヤロイバロフも言っていた。
何より、冒険者ギルドを第三街区には置くつもりがない、というのをチレンスタから聞いたことがある。
理由までは教えてくれなかったが、「言えないが、それなりの理由はある」と感じた。
なので、借りるなら第二街区。
それも、ギルドに近い3区で探すことにした。
ミカ一人ならば第二街壁沿いでも良かったが、キスティルのことを考えればなるべく治安の良いエリアにしたい。
そういった場所は当然競争が激しく、月の家賃も結構かかるがそれは仕方ない。
「いい所だね。 住宅街の中だから静かだし。 ちゃんと柵で敷地が囲まれてるんだ。」
ミカは案内された家を見上げながら呟く。
庭付きの戸建て。平屋造り。3DKである。
庭の中に井戸もあり、この辺りは下水道も整備されているらしい。
ぎりぎり、高級住宅街の範囲にかかるような位置だ。
「この辺りですと、どうしても大きい邸宅が多くなりますが、こちらはこぢんまりとしたお家になっております。 案外このくらいの規模のお家も人気がありまして。 数が少ないのでいつも取り合いになるんです。」
「へえー……。」
ミカは不動産屋のおじさんの営業トークを聞き流し、庭や柵をチェックする。
(柵の内側に木の植え込みがあるな。 剪定や管理が面倒だけど、外から見えにくいのは助かるかな?)
セキュリティ的には、外から見えないというのはNGだ。
不審者が身を隠し易いというデメリットがある。
プライバシーとの兼ね合いにはなるが、ある程度外からも見えるようになっていた方が、泥棒などは侵入しにくい。
ただしミカは――――。
(これなら、夜間だったら飛んで帰って来てもバレないか?)
などと考えていた。
キスティルは驚いたような、呆けたような顔をして、あちこちを見ている。
「どうぞ、中もご覧ください。」
おじさんに案内され、家の中に入る。
玄関を入るとすぐにダイニングキッチン。
これは、この国の一般家庭では普通の造りだ。
リッシュ村にあるノイスハイム家でも、玄関のドアを開けたらすぐがダイニングキッチンになっている。
ダイニングから左に伸びる廊下があった。
廊下にはドアが三つあり、右側に一つ、左側に二つ並んでいる。
右側のドアの向こう、廊下の中ほどで右に入って行くようになっており、廊下がT字になっている。
右側のドアを開けて見る。
ダイニングほどではないが、かなり広い部屋だ。
ただし、北向きの部屋なので日当たりは悪い。
部屋を出て、今度は右に入って行く通路を覗く。
ドアが三つ並び、それぞれ倉庫、トイレ、湯場となっていた。
左側に二つ並ぶドアを開ける。
こちらも普通の部屋になっていて、最初の部屋ほどではないが結構広い部屋だった。
この二つの部屋は南向きで、日当たりは良い。
「いかがでしょう?」
ミカの顔色を窺うように、おじさんが聞いてくる。
「いいね。 気に入ったよ。」
「いやあ、お気に召したようで、ようございました。」
揉み手でおじさんがぺこぺこする。
言葉遣いが大仰過ぎだ。
「キスティルさんもどう? 何か不満はある?」
「あ、え? ふ、不満なんて、そんな。」
いきなり振られたキスティルが、両手を振ってあわあわする。
「じゃあ、決まりだ。 すぐ住めるんでしょ?」
「ええ、ええ。 勿論でございます。」
おじさんが急いで契約書を荷物から取り出し、前の住人が置いていったというテーブルにセットしていく。
部屋の中にもベッドが置いてあったりするが、使えるならそのまま使ってしまおう。
買い替えるにしても、急ぐ必要はない。
さすがに寝具は買ってこないと無いけど。
その場で契約書にサインし、ギルドカードで支払い。
お家賃、一カ月で金貨四枚。四十万ラーツ。
騎士のお給料の二か月分である。
高過ぎだろ、おい。
(まあ、あちこち見て回るよりは、必要な物の買い出しが先だな。)
家だけあっても暮らしてはいけない。
寝具もそうだが、食器、調理器具、日用品、足りない家具の手配など、やることは沢山ある。
お金で解決できることはなるべく解決してしまい、効率良く行動しなくてはならない。
夏でも薪が無ければ料理すらできない。
食料も多少は買って置かなくては、ミカがいない時にキスティルが困ることになるのだ。
不動産屋を帰らせると、戸惑うキスティルに笑いかける。
「ここが今日からキスティルさんのお家だよ。 当然、僕も住むけど。」
「う、うん……。」
家だけ用意して、いきなり一人でここで暮らせと言われても困るだろう。
まあ、他人のミカが一緒に住むのと、どっちが困るかはこの際考えないことにする。
「さて、とりあえずこんなもんかな?」
午後いっぱいかけて買い出しに行き、とりあえず最低限の物は揃った。
さすがに歩き疲れたのか、キスティルは椅子に座って休んでいる。
「魔法具の袋、まじで買っておいて良かったな……。」
買った物を片っ端から袋に放り込み、買い出しが一回で済んだ。
この家は大通りから二百メートルくらいなので、行き来するのもそれほど苦労はないが、さすがに何度も往復するのでは大変だ。
ただし、寝具は大き過ぎて入らなかったので、最後に買ってミカが担いで来た。
ノイスハイム家や寮のような草を敷くタイプではない。
綿が入った、ちゃんとした寝具だ。
ミカはちらりとキスティルを見る。
キスティルは、少し沈んだ表情をしていた。
何やら思い悩んでいる様子。
買い出しの時も、少し上の空な感じだった。
まあ、いきなりこんなことになって、心が追いつかないのだ。
今は静かに見守るだけに留め、心の整理をする時間が必要だろう。
(そろそろ、一旦戻らないとまずいな。)
寮に外泊の届けを出していない。
着替えなども持って来ないといけないので、寮に戻る必要がある。
キスティルの着替えは、最低限は買い出しで一緒に買ってきた。
さすがにミカの分は時間がなくて買わなかったが。
「「あの……。」」
ミカがキスティルに声をかけようとした時、丁度キスティルも声をかけてきた。
「何? どうしたの?」
「ううん。 私の方は、その……。」
キスティルは、あわあわして言いにくそうなので、先にミカの用件を言う。
「僕は一旦寮に戻って、着替えとか持って来ないとなんだ。 外泊の届けも必要だし すぐ戻ってくるけど。」
「あ、そうだよね。 ごめんなさい。 気づかなくて。」
なぜかキスティルが謝った。
「キスティルさんが謝るようなことじゃないよ。 それで、キスティルさんの方は?」
ミカが話を振るが、キスティルは何やらもじもじし始める。
「あのね、こういうのは先にしっかり決めておいた方がいいのかなって思って……。」
と前置きをするが、何やら言いにくそうだ。
「うん? まあ、そうだね。 話し合って決められることは、何でも先に決めておくのはいいと思うよ。 やってみて、不都合があればまた話し合えばいいんだから。」
キスティルの意見を後押しする。
ミカの話を聞き、キスティルが俯いていた顔をゆっくりと上げる。
「その……呼び方は『ご主人様』とかの方がいいのかな……って。」
「……は?」
ナニイッテルノ?
「私は、その……、もうミカく…………ご主人様のものになった訳だし……。 だけど、私が勝手に決めても悪いのかなって、ずっと考えてて……。」
そう、真剣な顔して言うキスティル。
ミカは眩暈がした。
(ずっと何か考えてると思ったら、そんなことかぁ!?)
確かにミカは、キスティルを助けるためと思い、『買う』という手段を選択してしまった。
だが、それはあくまで他にいい方法が思いつかなっただけであって――――。
(あー、もー! こんなの説明してる時間ねーんだけど!?)
なので、強権発動。
「ご主人様禁止! そういうのは、また帰ってきてから話をしよう! 僕、もう行かないとだから!」
「じゃあ、じゃあ!」
だが、キスティルがミカに追いすがる。
「キスティルさん!? 他に何!?」
「その! それなら、せめて……!」
キスティルが何やら切羽詰まったような表情をしている。
「私のことは、キスティル、って……。」
「へ?」
いつも呼んでるでしょ?
一瞬、何のことか分からなかった。
だが、キスティルはそんなミカを、泣くのを我慢するような顔でじっと見続ける。
まるで、子供がいじけているような表情だった。
「キス、ティル?」
ミカが疑問形で呼びかけると、キスティルがぱっと笑顔になる。
「うん。」
キスティルは嬉しそうに頷くと、玄関まで行ってドアを開けてくれる。
「気をつけて行って来てね。 ご飯作って待ってるから。」
「え、あ、うん。」
何だかよく分からないが、とりあえずミカはキスティルに見送られ、【身体強化】を使って急いで寮まで走るのだった。




