第130話 二つ名は”解呪師”
火の1の月、2の週の土の日。
季節は一応夏となったが、いまいち気温が上がらない今日この頃。
リムリーシェ、バザルとの特訓が終わり、ミカは冒険者ギルドに向かって王都内を走っていた。
リムリーシェは今年習得を指示されている二つの【神の奇跡】をすでに習得した。
普通に習得することを早々に諦め、全賭けによる習得だ。
今後、他のレーヴタイン組の皆も同じように習得していくことになるので、時期を分散させる意味でも早めに習得することにしたようだ。
ミカは街中を走りながら、何人かの騎士を見かけた。
王都の警備のために、街角に立ったり、巡回している騎士だ。
そうして見かける騎士たちの中には、非常にお疲れの騎士が何人かいる。
たまたま見かけたシェスバーノに聞いてみたところ、そうしたお疲れの騎士はすべて第五騎士団の騎士のようだ。
「最近の団長のしごきは、本当に容赦がなくてな……。」
と、シェスバーノ自身も少々お疲れ気味だった。
ただ、こちらはしごきで疲労が抜けないのではない。
「その後、何か進展はありましたか?」
「………………。」
シェスバーノが力なく首を振る。
王都中を駆けずり回り、赤茶けた髪の青年の捜索だ。
消えた魔法士の捜索にも関わることなので、今はこれ関連をメインにシェスバーノの隊は動いているらしい。
とは言っても、王都内の警邏などをしながらの捜索とのことで、かなり大変なようだ。
森や、森の中の遺跡も監視しているが、一向に手掛かりがないという。
ギルドに着くと、新たな依頼書の張り出しが終わり、カウンターに戻るところだったロズリンデを見つけた。
「あ、ミカ君! やっほー!」
ロズリンデもミカに気づき、手をぶんぶん振ってくる。
「丁度良かった。 ちょっとギルドカード貸して?」
「はい? ギルドカード?」
ミカはギルドカードを取り出す。
ロズリンデの手が伸びてくるが、カードを掴もうとする瞬間にひょいと躱す。
「ちょっと! どうして意地悪するのよ!」
「どうしても何も、理由も聞かずに貸す訳ないでしょう。」
カードにいくらプールしてると思っているのか。
今や指名依頼を当たり前のようにこなし、ミカの財産は二千万ラーツを越えた。
大金貨四枚や金貨五十枚などを現金で魔法具の袋に入れ、残りはすべてカードにプールさせている。
ミカがごく当たり前のことを伝えるが、ロズリンデは「むぅーっ」と頬を膨らませた。
「もう、折角手続きを先にしてあげようと思ったのに! だったら並べばいいじゃない! お姉さん、知らないから!」
「手続き?」
「そうよ。 カウンターに並ぶのも可哀想かと思って、声かけてあげたのに。」
そう言われてミカは、カウンターに並ぶ冒険者の列を見る。
大分少なくなり、流れもスムーズになりはしたが、待ち時間がない訳ではない。
「何か手続きする必要があるんですか?」
「そう言ってるじゃない。 更新しなくちゃいけなくなったから、先にやってあげようと思ったのにさ。」
ロズリンデはすっかりへそを曲げてしまったようだ。
ミカは苦笑する。
(ロズリンデなりに、気をつかってくれたってことか。)
もう少し、先に説明してくれれば、ミカも変に警戒しないで済むのだが。
「すいませんでした。 お願いしてもいいですか?」
ミカがそう言ってカードを差し出すが、まだロズリンデのご機嫌は斜めのようで、ぷいっと横を向く。
「ロズリンデさん。 お願いします。」
ミカは上目遣いで、ロズリンデをじぃー……と見る。
ロズリンデはちらりとミカを見ると、少しだけ機嫌が治った。
「ミカ君にお願いされちゃったら、お姉さん断れないなあ。」
ロズリンデがカードを受け取り、すぐにカウンターの方に戻ろうとする。
「じゃあ、手続きしてきちゃうわね。 あ、チレンスタさんの手が空いてたら、多分ミカ君と話をしたがると思うわ。 一応、声をかけておいてあげるね。」
「チレンスタさん?」
そう言って、ロズリンデは行ってしまう。
何だろう。
また、効率化案の相談だろうか。
すでに第二支部は、十分スムーズに手続きが進む、ミカにとっても快適な環境だ。
これ以上の改善は、そこまで必要ではないと思う。
あくまで部外者としては、ではあるが。
そんなことを思っていると、ユンレッサがカウンターから出て来た。
「良かった。 まだ居てくれたわね。」
「え? ええ、さっき来たばっかりですし。」
何だか、慌てているというか、少し息を切らせて急いで来た感じだ。
「チレンスタさんが、ミカ君と話をしたいって。 今、時間は大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
ギルドカードもロズリンデに預けてますし。
このまま帰る訳にはいかない。
「そう、良かった。 じゃあ、案内するわ。 ついて来て。」
そう言って、ユンレッサがカウンターの中に入る。
二階に上がり、いつもの副支部長室…………かと思いきや、その手前の部屋に通された。
「え? ここって?」
「今チレンスタさんを呼んで来るから。 ちょっと待っててね。」
「あ、いや、ちょっと!?」
部屋を出て行くユンレッサを呼び止めようとしたが、行ってしまった。
「…………何事?」
ミカは茫然としながらも部屋を見回す。
豪華な調度品が揃えられ、大きな風景画、ピッカピカの神像などが飾られた部屋。
上客用の応接室だった。
つっ立っててもしょうがないのでソファに座ろうかと思うが、豪華すぎて座る気になれない。
下手したら、侯爵のとこのソファよりもランクが上ではないだろうか。
いや、もうこのレベルになるとミカにはどっちが良いとか悪いとかは分からないので、比較はできない。
単純にこっちの方がやや派手目なので、そう見えるだけかもしれない。
コンコン。
そんなことを考えていると扉がノックされ、チレンスタが入ってきた。
「やあ、ミカ君。 お待たせ。 急に済まないね。」
「あ、いえ、それは構わないんですが。」
何事ですか、この待遇は。
チレンスタに勧められソファにかけると、すぐにユンレッサが紅茶を持って来てくれた。
そうしてミカとチレンスタの前に紅茶を出すと、静かに出て行く。
どうやら、今日は話に参加しないようだ。
「まずは、おめでとう。 少々時間がかかってしまったが、ようやく認められたよ。」
「あ、そうなんですか?」
そう言えば、前にそんなことをユンレッサが話していたな。
Cランクに昇格するとか何とか、もう一カ月半くらい前か。
チレンスタが張り切ってるって。
「もっと喜びなさい。 ミカ君の年齢で認められるなんて、異例中の異例なんだよ。」
「あー……、まだちょっと、実感が湧かないと言うか……。」
ということにしておこう。
本当はCランクとかどうでもいいんだけど。
「ああ、……確かにそうかもしれないね。 上層部でも頭の固い連中が多かったよ。 実績を考えれば当然だというのに。」
などとチレンスタが愚痴のようにぶつぶつ言い出す。
しかし、Cランクになるとこうして皆、上客用の応接室で祝われるのか?
(……んな訳ねえわな。)
何かあるはずだ。
こんなご大層な応接室に通した理由が。
ミカは未だにぶつぶつ愚痴を零すチレンスタに声をかける。
「あの……、チレンスタさん。」
「すでにこれだけ広まって…………お、おお、そうだった。 まあ、それでだね、ようやく今日認めてもらえたんだよ。 ついさっき、午前中の会議で決定したばかりだ。」
チレンスタが満面の笑顔をミカに向ける。
「”解呪師”。 これがミカ君の二つ名だ。 実に素晴らしい。」
「…………は?」
二つ名?
「んん? あの、僕のCランク昇格のお話ですよね?」
「勿論それもある。 そして、同時に君の二つ名も、正式にギルドとして認めることになった。 いやあ、頭の固い連中を説得するのに苦労したよ。 すでにこれだけ名前が浸透し実績もあるというのに、まだ若すぎるだの、早すぎるだのと……。」
え、ちょっと待って!
何の話をしているの!?
「チレンスタさん! 何ですか、二つ名って!? 僕はそんなの認めた憶えないですよ!?」
「それはそうだろう。 二つ名は自分でつけるものじゃない。 周りが認め、自然とつくものだ。 ギルドはそれを追認するにすぎんよ。」
ごく当たり前のことのように、さらっとチレンスタが言う。
ミカは頭を抱えたくなった。
というか、抱えた。
「すでにミカ君の達成した『呪いの排除』の依頼は三十件を超えている。 しかも、そのうちの十件は指名依頼だ。 そして未達成なし。 今や”解呪師”の名は、呪いに悩まされる者に残された最後の希望として広く知れ渡っている。 ギルドとして認めるのは当然じゃないか。」
チレンスタの熱弁が、折れかけたミカの心に最後の追い打ちをかける。
ミカは崩れるように、ソファに横たわった。
「実際、”解呪師”宛の依頼の問い合わせが、王都の第一支部だけでも三十件くらい来ていたらしい。 これまでは二つ名が認められていなかったので第二支部にたらい回しにされ、様子見をしていたようだ。 だが、これからは全国のギルドで受け付けが可能になるので、どんどん依頼が入るぞ。」
そう、まるで自分のことのように喜ぶチレンスタ。
ミカは、ちょっとチレンスタのことが嫌いになった。
(もしかして、チレンスタさんが張り切って説得してたのって、俺のCランク昇格じゃなくて、二つ名か?)
ミカはさめざめと泣いた。
ちょっとだけ、涙でソファを濡らしてしまった。
「そういう訳で、ミカ君のギルドカードを更新させてもらいたいんだ。 なに、すぐに済む。 少し貸してもらえるかな?」
「っ!?」
チレンスタのその言葉を聞き、ミカは戦慄する。
(…………まさか!?)
ミカが嫌な予感にはね起きたと同時に、応接室の扉がバーーンッと開かれた。
「おっまたせー。 ミカ君、更新できたよー。」
そうしてやって来たのはロズリンデ。
手にはギルドカードを持っていた。
「ロズリンデ! 何だ、ノックもせずに! 今ミカ君に説明を――――!」
「だからー、先に手続きしておいたんですよー。」
チレンスタの注意に反論するロズリンデから、ミカは引っ手繰るようにカードを取り返す。
そして……。
名前 ミカ・ノイスハイム ”解呪師”
ミカの名前の後ろに、ばっちり二つ名が刻まれていた。
がっくりと崩れ落ちる。
(や、やられた……っ!)
いくらロズリンデでも変なことはすまいと、信頼してカードを渡したらこの仕打ち。
まあ、別に変な事ではなく、ごく普通の職員の業務ではあるが。
項垂れるミカを余所に、ロビーに戻る時は職員の皆さんから拍手が送られた。
そして、事情をよく分かっていない、ただ居合わせただけの冒険者の皆さんからも、拍手で送り出されました。
(ちっくしょー! この恨み忘れんぞ!)
ミカは恥ずかしさを誤魔化すように、逃げるようにしてギルドを飛び出した。
「ぶわっはっはっはっ! まじかよ、おい!? すげえじゃんか、お前!」
ミカのギルドカードを手に、ヤロイバロフは腹を抱えて笑う。
「笑いごとじゃないですよ! 勝手にこんな名前つけられて! 恥ずかしくって、もうカードで支払いもできないですよ!」
ミカは、冒険者ギルドから逃げるようにして、ヤロイバロフの宿屋に向かった。
大先輩にミカの憤りを聞いてもらおうとして、その結果がこれである。
「俺もCランクで二つ名がついたし、稀にそういう奴はいるけどよ。 さすがに昇格と同時は聞いたことねえな。 くく……。」
ヤロイバロフは涙を拭う仕草をしながら、ミカにカードを返す。
そんな、泣くほど笑わなくても……。
ミカがカードを受け取ろうと手を伸ばすが、カードはミカを素通りし、隣にやって来たキスティルに渡された。
キスティルはよく分からずにカードを受け取り、珍しそうに眺める。
「しっかし、坊主にそんな特技があったなんてなあ。」
「いや、まあ、特技っていうほどのものじゃないですけどね。」
パズルやってるだけだし。
「王国で一人だけ…………下手すりゃ世界で一人だけの特殊な【技能】だぞ? もっと偉そうにしろって。」
「【技能】?」
言われて初めて気づいた。
(そうか。 他の人にはそういう風に見えるのか。)
ミカからすると単に遊んでいるだけだが、そうしたことを知らない人からすれば、【技能】に見えるのも不思議ではない。
ゲームのようにパラメータが明示されていないので分からなかったが、もしかしたら俺のパラメータには【解呪】とか書かれているのかもしれない。
まあ、あくまでゲームだったら、ではあるが。
キスティルが「ありがとう。」とカードを返してくれた。
「そうだ、キスティル。 お祝いに何か作ってやれ。」
「いいんですか?」
「いやいやいや、いいですよ、そんな!」
ヤロイバロフの提案を慌てて固辞する。
「前から少し気になってたが坊主。 お前はちょっと遠慮しすぎだ。 こういう時は素直に受け取るもんだ。」
「そうよ、ミカくん。」
ヤロイバロフの言葉に、キスティルまで援護射撃を行う。
「キスティル、今作ってるやつがあるだろ。 あれ出してやれ。」
「はーい!」
キスティルが嬉しそうに返事をして、厨房に戻って行く。
そんなキスティルを、少し困ったような顔で見送る。
「お前は人にはあれこれしてやんのに、自分のことは嫌がるんだな。」
「え? 別に、そんなことはありませんけど……。」
返事が、何となく尻すぼみになる。
「いーや、ちょっと普通じゃないくらい、人に何かしてもらうのを嫌がってるように見える。 ……何かあんのか?」
そうだろうか?
遠慮したり、謙遜したりするのは、確かに身についた癖のようなものだとは思う。
慎ましく、というと大袈裟だが、あまり偉ぶったりするのは苦手だ。
これは育った環境、培われた道徳心がそうさせる。
それが当たり前の世界で生きてきた経験があるので、この世界の感覚とは少しズレがあるのかもしれない。
「特にこれっていうのがある訳ではないですけど、確かにヤロイバロフさんが言われるように、あんまり持ち上げられたりは苦手かもしれませんね。 居心地が悪いというか。」
「難儀な性格してんだな。 まだガキだってのに。」
「そうかもしれません。」
思わず苦笑いしてしまう。
「俺もキスティルも、お前には助けられた。 キスティルを紹介してくれたおかげで俺は本当に助かったし、キスティルもお袋さんのことや、収入が安定することで本当に助かったといつも言ってる。」
ヤロイバロフがミカの頭をがしがしと撫でる。
「借りだの貸しだの言うつもりはねえが、貰いっ放しじゃ気持ち悪りいんだよ。 それで今度はお前が気持ち悪いってんなら、また別の形で返せ。 それでいいじゃねえか。」
「……はい。」
ヤロイバロフの言葉に、ミカは素直に頷く。
(もしかしたら、チレンスタさんも同じような気持ちだったのかな。)
混雑する王都のギルドを何とかしようと頭を悩ませていた時、ミカの提案で何とか改善することができた。
あの時は確か、ユンレッサもノイローゼになりかけるような惨状だったのだ。
ミカは「自分があんまり待たされるのも嫌だし」とか、「実行するのは俺じゃないし」と思いついたことを言っただけ。
だが、それでも実際に混雑は解消され、ユンレッサは元気を取り戻した。
チレンスタも、本部からの評価が上がったと聞いた。
(悪いことしちゃったかな。)
今度、チレンスタにちゃんとお礼を言った方がいいだろうか。
(……でも、できれば違う方向で頑張ってほしかったよ、チレンスタさん。)
気持ちは嬉しいが、よりにもよって二つ名で返されるとは。
そんなことを考えていると、キスティルが戻って来た。
「お待たせ、ミカくん。 どうぞ、こちらへ。」
そう言ってキスティルがミカを案内する。
案内された席に座ると、すぐにローストビーフのような料理が出された。
「何これ!? すっごい美味そう。 ていうか、めちゃめちゃ高そうな料理なんですけど。」
分厚い肉が食べやすいようにカットされ、ソースがたっぷりかけられている。
「今度からキスティルに任せることにした料理だ。 キスティルはもうほとんどウチの料理が作れるようになってんだぜ。」
「そうなの!?」
随分と早くない!?
キスティルがヤロイバロフの宿屋で働くようになって、まだ七カ月くらいだ。
一年も経ってない。
「ミカ君のおかげよ。 でも、まだまだ私の料理はお客様に出せるような物じゃないから……。」
と、キスティルが嬉しそうな、照れくさそうな顔をしている。
「いくつかはもう任せてんだけどよ。 今度からこいつも任せようと思ってな。 ウチの人気料理の一つだぜ?」
「はぁ~~……。」
思わず溜息のような声が漏れる。
ミカはヤロイバロフとキスティルに勧められ、料理を口に運ぶ。
「美味~~~いっ! え、本当、何これ!? すっごい美味いんですけど!」
驚くミカをヤロイバロフがにやにやと眺め、キスティルが増々照れくさそうにする。
「俺が客に出してもいいって認めたんだぜ? 美味くない訳ねえだろ。」
「それはそうなのかもしれないですけど、美味し過ぎでしょ! なに、ここの宿屋の客って、こんな美味いの食ってんの!?」
許せん……。
俺もヤロイバロフの宿を借りっぱなしにすれば、毎日こんな美味しい物が食べられるの?
ミカは思わず、現在の所持金と、毎月コンスタントに稼げる報酬を頭の中で計算する。
(宿代と毎日の食事代でいくらになるのか分からないけど、百万ラーツまでなら出せるか……?)
そんな算盤を弾く。
「遠慮しないでじゃんじゃん食っていいぞ。 たっぷり作ってあるからよ。 坊主一人が食ったところで、他の客の分が無くなるようなことはねえ。」
ヤロイバロフがふんぞり返る。
「で、別の形でたっぷりとまた返してくれ。」
「もう、ヤロイバロフさん!」
ヤロイバロフが、ミカが遠慮しないようにわざとそう言っているのが分かった。
それはキスティルも同じだろう。
笑いながらヤロイバロフを窘める。
「ありがとうございます。 遠慮なくいただきます。」
ミカはそう言って頭を下げ、夕飯が食べられなくなるくらいに食べた。
ヤロイバロフが調子に乗って他の料理も出し始め、ミカは楽しみながら舌鼓を打つのだった。
■■■■■■
【ワグナーレ・シュベイスト視点】
サーベンジールの大聖堂。
礼拝堂ではミサが行われており、多くの信者が集まり、ワグナーレの説教を聞いていた。
そして、ミサが終わると信者たちが一斉に祈りの仕草を行う。
ワグナーレが説教台から下り、礼拝堂の出入り口に向かって歩くと、何人もの信者たちがワグナーレの下に集まってくる。
集まった信者たちは、圧倒的に女性が多い。
ほとんど女性だった。
ご年配の。
「今日も素晴らしいお話でした、ワグナーレ大司教。」
「聞き惚れましたわ。」
そういうことではないんだが……、と思いつつ、ワグナーレは大司教に相応しい慈しみを持った微笑みを浮かべる。
鋭すぎる目つきのワグナーレだが、その微笑みは意外に優しい。
凛とした普段の姿と、微笑んだ時の優しい雰囲気のギャップが堪らないというのは、集まった女性たちの共通の意見だ。
そんな中、少し離れた場所からワグナーレを見る男に気づいた。
「失礼。 本日は所用が立て込んでおりまして。 申し訳ありませんが。」
「いえいえ、お忙しい中、こうして毎週のミサに欠かさず来てくださる大司教など、ワグナーレ様だけですわ。」
「また、来週もよろしくお願いいたしますわ、猊下。」
女性たちは聞き分けよく、礼拝堂から出て行く。
ワグナーレが女性たちを見送ると、先程ワグナーレを見ていた男が姿を消していた。
ワグナーレは黙って告解室に入る。
告解室の中は二つ椅子が置かれているが中央を壁で遮られ、相手の姿が見えないようになっている。
ただし、無数の小さな穴が空けられ、声は普通に通る。
また、手紙などの受け渡しができる程度の穴も空いている。
ワグナーレは椅子に座ると、軽く爪の先で中央の壁を鳴らす。
コツ、コツ、コツ。
すると、コツコツ、と相手も軽く鳴らしてきた。
そうしたやり取りを数回行い、それからスッと手紙が差し出される。
ワグナーレは素早く手紙の内容に目を通し、絶句した。
(…………ルーンサームの聖女が、死んだ?)
すでに一カ月近くも前のことらしい。
どうやら、情報が隠匿されていたようだ。
ワグナーレがルーンサームの聖女に会ったのは三年ほど前。
聖女がサーベンジールの大聖堂を訪問した時に会っただけだ。
特に親しかった訳ではない。
まともに会話を交わしたのも、一度だけ。
ただ、あの聖女はまだ十三歳くらいの年齢のはず。
そんな年端のいかない聖女の、あまりにも突然すぎる死に言葉が出なかった。
手紙には簡単な経緯が書かれているが、不自然な点が見られた。
(……住民の嘆願……聖女が教会騎士団を従えて? いや、これは……。)
おそらく、謀殺。
その可能性が高い。
そして、もしこれが謀殺なら……。
「司教を徹底的に洗え。 それと、同行したという教会騎士団を率いた者もだ。」
手紙を返しながら小声で指示をする。
手紙を受け取った男はそのまま告解室を出て行った。
ワグナーレはしばらく告解室に籠り、聖女が神々の下へ迷わず導かれることを、祈らずにはいられなかった。
■■■■■■
【キスティル視点】
「ただいま。」
キスティルは、少し疲れを感じつつも、努めて明るく声を出す。
いつもキスティルのことを気にかけている母親に、余計な心配をかけないためだ。
(…………!)
家の中に入った瞬間、目に入った。
いつもはいない、いてほしくない人がいる。
こんな風に思ってしまうことに、少しの罪悪感と、胸の騒めきを感じた。
「……ただいま、お父さん。」
急に渇きを感じたようなヒリつく喉で、それでも何とか声を絞り出す。
「ようやく帰って来たか。 遅えじゃねえか。 待たせやがって。」
「…………ごめんなさい。」
キスティルは父親に謝りながらも、その父親の向こうにいる人のことが気になった。
随分と小柄で、すごく嫌なにやついた顔をしてる。
男の目が、キスティルを上から下まで舐めるように見ていた。
「まあまあ、そう怒らないで。 一日仕事に行ってたのでしょう? 大変だったねえ。 偉いねえ。」
にやついた男は、うんうんと頷きながら、それでもキスティルのことを観察していた。
まるで、値踏みでもするように。
「それじゃあ、そろそろお暇しますかねえ。 長居しちまってすいませんねえ。」
「……もういいのか?」
帰るというにやついた男に、父親が急に不安そうな顔になり、小声で何事か話しかける。
そして、本当にそそくさと家を出ると、父親も一緒に出て行く。
何だったのだろうか?
ひどく胸騒ぎがする。
「……ご飯、作らなくちゃ。」
声に出すことで、あえて自分の意識をそちらに向ける。
ご飯を作って、家の中の片づけをして、また明日のために身体を休めなくてはならない。
「よし。」
今日も、もう一踏ん張り。
気持ちを切り替えて、キスティルは夕食の支度を始めるのだった。




