第109話 神の子
のたうち回っていたキメラが何とか起き上がる。
警戒しているのか、キメラはミカを睨みながらも、距離を詰めようとはしなかった。
そして、先程威嚇してきた時のように、口を大きく開けて吠えようとしている。
(学習能力がないのか?)
”石弾”を口の中に撃ち込まれたことをもう忘れたようだ。
ミカは呆れながら左手を前に突き出し、手のひらを上に向ける。
五百ミリリットルのペットボトル程の”石弾”を作り、高速回転させる。
ミカが”石弾”を発射しようとしたところで、キメラの口内が赤くなる。
「ん?」
何だ?と思った瞬間、キメラの大きな口から炎が吐き出された。
ブゴォォォォォオオオオオオオオオオオッ!!!
その炎は凄まじい勢いでミカに襲い掛かる。
「ちょっ、まっ!?」
ミカは咄嗟に”石弾”を放り出し、右手を突き出す。
「”氷結息”!!!」
ミカは全力で”氷結息”を繰り出すが、キメラの火炎息の勢いは凄まじい。
”氷結息”ごと飲み込まれるように、ミカは火炎息に包まれた。
「あっち!? あっち! あっっちーーーーっ!?」
ミカは両手を突き出し、全力で”氷結息”を噴射するがキメラの火炎息を防ぎきることはできなかった。
時間にすれば、ほんの数十秒。
だが、たったそれだけの時間の何と長いことか。
ミカは”氷結息”で相殺しきれなかった熱風を全身に浴び、じりじりと焼かれる痛みに集中力が途切れそうになる。
火炎息が止むと、ミカはその場でがくりと膝から崩れ落ちる。
「ハァッ! ハァッ! ハァッ! ハァッ……!」
荒い呼吸を繰り返し、ぎりぎりで繋ぎ止めた自らの生を噛みしめる。
ローブの所どころが焦げ、ミカ自身も全身火傷の状態。
真っ赤になった全身の皮膚に、ズキズキと激痛が走る。
キメラは勝利を確信したのか、緩慢な動きでゆっくりとミカに向かって歩き出した。
その時、騎士たちがミカの前に立ち塞がる。
「嬢ちゃん! 大丈夫か!?」
騎士の隊長がミカに駆け寄り、身体を支える。
「お前らっ! 時間を稼げっ!」
立ち塞がる騎士たちに隊長が怒号のように命じる。
「今回復薬を使ってやるからな! もう少しだけ頑張れよ!」
うわ言のように何かをぶつぶつ言うミカに、励ますように力強く伝える。
だが、隊長が回復薬を取り出し、今まさに使おうとした時、ミカの身体を黄色い淡い光の粒が包み込んだ。
「なっ!?」
みるみるうちにミカの真っ赤になっていた皮膚は癒え、全身の痛みも消える。
隊長の驚愕する声に、前に立っていた騎士たちも振り返る。
そして、光の粒を纏いながらゆっくりと立ち上がるミカの姿に、目を見開き言葉も出ない。
「ふぅー……っ。 あの、危ないので。 逃げた方がいいですよ。」
そう言って、キメラに向かって歩き出そうとしたミカの肩を隊長が掴んだ。
「ば、馬鹿言うな! 何言ってるんだ! 逃げるのは嬢――――っ!」
パシッ!
ミカは肩を掴んでいた手を払いのける。
「邪魔すんな。 ……ようやく、ノってきたところなんだからよ。」
ミカはキメラを睨みつけたまま静かに答える。
その異様な雰囲気に、騎士たちが絶句した。
「悪いけど、あんたらを守って戦うような器用な真似はできない。 巻き込まれても構わないなら好きにすればいいさ。」
それだけを伝え、ミカは騎士たちの前に出る。
これにより、ミカは頭の中から騎士たちのことを放り捨てた。
伝えることは伝えたので、これでもう思い煩わされることはなくなる。
そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。
キメラは歩みを止め、ミカのことをじっと見ている。
火炎息を浴びて、ぴんぴんしているミカを警戒しているようだ。
「さあ、仕切り直しだ。 続きと行こうか。」
ミカの顔には、狂暴な笑みが浮かんでいた。
その目は爛々と輝き、口の端が上がる。
これ以上ないほどに血が湧き立つのを感じる。
高揚感?
いや、むしろこれは恍惚や陶酔に近い。
一週間お預けをくらった魔獣との戦闘に、ミカは酔い痴れていた。
ミカはまだ後ろに騎士たちがいるのを知りながら、キメラとの戦闘を再開する。
「”石弾”!」
高速回転を加えた”石弾”をキメラに撃ち込む。
回転を加えることにも少しずつ慣れ、連発する間隔を縮めていく。
速度の上がった”石弾”はキメラの反応速度を完全に超えているようで、躱されることもなくすべてが命中する。
威力も申し分ない。
どんどん撃ち込まれる”石弾”に、あっという間にキメラは全身を真っ赤に染める。
「このままじゃじり貧だぞ? どうすんだ? まさか、このままじゃないよなぁ?」
ミカは笑いながらキメラに話しかける。
話しかけながらも、勿論攻撃の手は緩めない。
先程の火炎息を喰らったのは、完全にミカの油断だった。
危うく死にかけたが、そこで止めをさせなかったのは、キメラの油断だ。
お互いに油断をしてしまった。
だから、仕切り直し。
ここからは気合を入れ直そうじゃないか。
お互いに。
キメラは離れていては一方的にやられるだけだと考えたのか、突進してきた。
図体がでかいので中々厄介だが、不意を突かれなければ躱すことは難しくない。
キメラの突進をミカが躱すと、後ろにいた騎士たちも散り散りになりながら何とか躱した。
(折角忠告してやったのに、まだうろちょろしてんのか? ……おっと、集中、集中。)
その後もキメラはミカに追いすがり、体当たり、前脚の爪、獅子の噛みつき、蛇の噛みつきと連続で攻撃を繰り出してくる。
こうなると、回転を加える手間がかかる分、ミカもあまり攻撃をするチャンスがない。
一進一退の攻防。
膠着状態になった。
キメラの攻撃をミカが躱し、ミカは手間のかからない”火球”や”氷槍”、”風刃”も試してみるが、やはり大したダメージを与えられない。
お互いに決定打が出ない。
その時、キメラの方が先に焦れた。
素早く距離を取ると、口を大きく開いた。
「馬鹿が! 喰らうかよっ!」
ミカは両手を突き出す。
「”突風”!」
ミカは右手から”突風”を発生させる。
そして、キメラが火炎息を吐き出すと同時に叫ぶ。
「”氷結息”!」
左手から噴き出す”氷結息”は、右手の”突風”の勢いも乗り、先程の”氷結息”単体で使った時よりも勢いが強くなる。
火炎息を防ぐのに、有効な手段は何か。
冷気を強める?
そんなことに大した意味はない。
なぜなら、どれだけ温度を下げようとマイナス二七三度、絶対零度以下にはならないからだ。
千度の炎を何百度か下げたところで、喰らえば死ぬことに変わりはない。
さっき生き延びたのは”氷結息”の噴射で火炎息の直撃を避けたことが大きい。
ミカが浴びた熱風は火炎息ではない。
火炎息によって温度が上昇した、自分の”氷結息”を浴びたのだ。
ならば、喰らわないようにすればいい。
”氷結息”の勢いを強くし、押し負けないようにすればいいのだ。
最初に火炎息を喰らった時は完全に勢いで負けていたが、今は拮抗している。
「うおおおおおおーーーーーーーーーーっ!」
ミカは唸り声を上げ、”氷結息”と”突風”に魔力を集中して、キメラの火炎息を押し返す。
”氷結息”と”突風”の勢いに、ミカの身体も反動で押されるが何とか堪える。
「おおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーっ!!!」
どんどん魔力を注ぎ込み、勢いは完全にミカが上回った。
火炎息を押し退け、”氷結息”がキメラに迫る。
その時、キメラの尻尾の蛇が仰け反り、膨らんだ。
そうして勢いよく頭を振り下ろすと、大きく口を開き氷結息を吐き出した。
獅子の口から吐き出される火炎息よりも高い位置、別角度からの氷結息。
「おっほおおおっ!? ”火炎息”!」
ミカは左手の”氷結息”はそのままに、慌てて右手だけ向きを変えて”火炎息”を噴射する。
ミカの”氷結息”対、獅子の火炎息。
ミカの”火炎息”対、蛇の氷結息。
だが、”突風”の補助を失った”氷結息”は勢いを失い、再びミカに火炎息が迫ってきた。
蛇の吐き出す氷結息の勢いにも負け、二方向からキメラの火炎息と氷結息がミカに迫る。
「”突風”ォォォォオオオオオオッ!!!」
ミカの叫びとともに、それまで押し込まれていた”氷結息”と”火炎息”が勢いを取り戻す。
”突風”はミカの身体から離れた場所からも噴射させることができる。
これにより安定した飛行を実現させることができた。
ミカは”突風”を自分の手からではなく、手の周りから噴射させた。
左手からは”氷結息”を出し、左手の手の周りから”突風”を。
右手からは”火炎息”を出し、右手の手の周りから”突風”を。
「いっっっけえええええええええーーーーーーーーーっ!!!」
ミカは自分の身体が吹き飛ばされないように、必死になって足を踏ん張る。
”氷結息”と”火炎息”が、キメラの二つ息を押し返していく。
だが、ここで初めてミカは自分の魔力の限界を知る。
消費する魔力が、”吸収”で吸収する魔力量を超えてしまった。
全身から魔力がどんどん沁み込んでくるのを感じる。
それでも、ミカの中の魔力量が減っていくのだ。
(サボってんじゃねえーーっ! もっと仕事しろ”吸収”ッ!)
一度に吸収できる魔力量に限界があるのも、当然といえば当然の話。
これまでも同時に様々な魔法を使うことはあったが、ここまで全開でぶん回すようなことはなかった。
どんどん減っていく自分の中の魔力に、気持ちが焦る。
だが、先に限界を迎えたのはキメラの方だった。
獅子の火炎息と蛇の氷結息が同時に止まる。
その瞬間、ミカの”氷結息”と”火炎息”がキメラに襲い掛かった。
グギャァァァァアアアオオオオオォォッ!!!
キメラが叫び、すぐにその叫び声も止んだ。
魔力枯渇になりかけて魔法を止めると、獅子の顔は大きく口を開けて凍りつき、尻尾の蛇は消し炭になっていた。
ミカは空を仰ぎ、肩の力を抜く。
「はぁーーーーーーー……。」
大きく息を吐き出す。
かなりやばかった。
まさか、”吸収”の限界を見ることになるとは思わなかった。
「このクラスを相手にするのが限界ってことか。 ……今のところは。」
使用できる魔力の限界イコール、ミカの戦える限界だろう。
アグ・ベアを相手にしても感じることのなかった自分の限界を知ることができた。
そういう意味でも、今回のキメラとの戦闘は大きな意味があったと言える。
「楽しかったよ。 ありがとな。」
そう呟き、ミカは左手をキメラに向ける。
すでに”吸収”で魔力の大半が回復している。
”石弾”を作り、高速で回転させて撃ち出す。
ゴシャッ! ガラガラガラガラ……。
”石弾”は凍りついたキメラの頭部に命中し、その身体の半分以上が粉々に砕けて崩れ落ちた。
ミカがもう一度大きく息を吐き出すと、騎士たちがやって来た。
「だ、大丈夫だったのか?」
騎士の隊長が何やら憔悴しきったような表情で声をかけてきた。
「怪我はしてないか? 回復薬もあるぞ。」
「……いえ、大丈夫です。」
こいつらまだ居たのか、とちょっとげんなりする。
(さーて、どうやってとんずらすっかな。)
溜息をつきながらそんなことを考えていると、隊長は構わず話しかけてくる。
「嬢ちゃん、一体何者なんだ? 合成魔獣……それもあんなデカブツをたった一人で倒しちまうなんて。」
「………………。」
さすがにこの様子では、「じゃ、お疲れ。」で帰してはくれないだろう。
どうやって逃げようかなあ、と考えていると何十人といそうな騎士の集団がやって来た。
「隊長ぉおっ!」
「シェスバーノ隊長っ!」
おそらく、森の外に行っていた騎士たちだろう。
(ぞろぞろ来ちゃったよ。 どうすんだ、これ?)
どんどん面倒くさい状況になる。
もう、いっそここで飛んで逃げてやろうかな、と投げやりな気分になってきた。
「隊長! 合成魔獣はどちらに!?」
「皆、無事なんですか!?」
駆けつけて来た騎士が、シェスバーノとかいう隊長に声をかける。
「あ、ああ、それなん――――。」
「あれー? ダメだよー。 勝手にいじったりしちゃー。 ここのはまだ入れ替えたばっかりなんだからさー。」
シェスバーノが騎士に答えようとした時、のほほんとした声が聞こえてきた。
騎士たちがやって来た方向とは反対の方向から、一人の青年が歩いてくる。
赤茶けた髪。恰好は普通に街で見かけるような、一般的な服装。
だが、それが少し違和感を感じさせた。
森のこんな深い所まで来るには軽装すぎる。
青年は軽い足取りで遺跡の石の敷かれた辺りまで歩いてくると、そこでしゃがみ込んだ。
「ああーっ! ほら、やっぱりーっ! まだ大して溜まってないじゃないかー。」
何やら、一人で文句を言っている。
「この前も、なーんかもぞもぞいじったりしてさー。 ダメだよー、悪戯しちゃー。」
青年はそう言って立ち上がると、転がっている二体のキメラを見る。
「あーあ、こないだウーちゃんに貰ったばっかりなのになー。」
青年は頭をぽりぽり掻く。
「まあ、時間稼ぎの役目は果たしてくれたから、いっかー。」
そう呟き、腕を組み、首を傾げて何やら考え込み始める。
ミカはその呟きを聞き、ひどく胸が騒めく。
(……時間稼ぎ? 貰ったばっかり? …………キメラを?)
ぞわぞわぞわ……と全身が総毛立つ。
何なんだ、こいつは!?
ミカは腰を落とし、身構えた。
目の前の青年は得体が知れな過ぎる。
いつでもこの場から離脱できるように、心の準備をしておく。
だが、周りにいる騎士たちは、青年の言葉を気にしていないのか、顔を見合わせているだけだった。
「これっぽっちじゃ、ルーちゃんに怒られちゃうかなー? でも、俺悪くないよねー?」
青年は落ち着きなく身体を揺らしている。
「君もそう思うだろー?」
そうして、ミカに話しかけてきた。
青年はミカが身構えていることなど気にしていない様子で、じーー……と眺める。
そして、ポンと手を打つ。
「あれー? もしかしてお仲間ー?」
青年がにこにこと笑顔になる。
「君、もしかして新しいフィリウス・デイ?」
…………何を言っている?
フィリウス・デイ?
ミカは怪訝な顔をするが、青年はまったく気にしていないようだった。
「テーちゃんがまだだったもんねー。 そっかー、君がそうなんだー?」
まったく話が噛み合わない。
というか、ミカは一言も発していないのに、勝手に話が進んでいる。
何なんだ、こいつは。
「えーと……、嬢ちゃんの知り合いか?」
シェスバーノとかいう隊長がそんなことを聞いてくる。
そんな訳ないだろ!
見て分かれよ!
「んー? もしかして違うのー?」
ミカが警戒を解かないからか、青年が首を傾げる。
「フィリウス・デイだよー、フィリウス・デイ。 ルーちゃんに聞いてなーい? 神の子ってさー。」
”神の子”?
何だそれは?
増々訳が分からず、やばい感じがどんどん強くなる。
「あれー? やっぱり違うのー?」
ミカの警戒がマックスにまで上がったのが分かったのか、青年は首を反対に傾げる。
「じゃあさー。 ”神の子”じゃないんじゃさー。」
スッと青年の纏う空気が冷える。
「殺してもいいよねー?」
そう唇を尖らせ、怒ったように言うと、青年はミカに向かって歩いて来るのだった。




