第101話 ブアットレ・ヒードの名手
風の2の月、1の週の月の日。
今年も残り二カ月、夜間の冷え込みが少し気になってきた今日この頃。
「ばあやが来るのです。」
食事中、肩を落としたクレイリアがそんなことを言った。
ここは貴族用の食堂。
朝から元気のなかったクレイリアにどうしたのか聞いたら、昼食を付き合ってほしいと言われたのだ。
「ばあや?」
「はい。 とってもいい人なのですけど、ちょっと口煩いところがあって……。」
先日、王都に来ていたレーヴタイン侯爵が領地に帰った。
父のことは大好きだし、尊敬しているが、いろいろと厳しいところがある。
これでまた自由に暮らせると思っていたところに、件のばあやからの手紙が届いたとのことだった。
「小さい頃、母と一緒に私を育ててくださった方なのですけど、父以上に躾には厳しい方で……。」
そう、意気消沈している。
(ムスタージフあたりが侯爵に泣きついたか……?)
今、レーヴタイン家の別邸で、クレイリアを止められる人はいない。
それでミカにお鉢が回ってきたが、ミカも「レーヴタイン家」のために特別何かをするつもりはなかった。
ミカから見て「やりすぎ」とか「周りに迷惑がかかりすぎる」と思うことは止めるが、「貴族としての振る舞い」という基準ではない。
ミカなら酒場で食事くらいするし、それをクレイリアが真似したって何とも思わない。
そこで騎士隊長のムスタージフが、侯爵に相談したのではないだろうか。
「ばあやは『もう高齢だから……』と隠居された方なのです。 それなのに、急にお父様が別邸に住んでもらう、と言い出したそうです。 お父様も、何を考えていらっしゃるのか……。」
そりゃ、自分の娘が無茶しないか監視してもらうつもりだろう。
ばあやは、クレイリアにとっては母親同然の人らしい。
普通、貴族の夫人は自分の手で子供を育てない。
そうした役目は、乳母などに任せることになる。
だが、クレイリアの三人の兄弟はすべて兄で、初めての女の子を自分で育てたいと強く希望したのだとか。
その母親のサポートについたのが、このばあやだ。
初めての娘で甘やかしがちな母親を諫め、厳しく躾けたのがばあやだった。
クレイリアもばあやのことは好きだが、気楽な別邸暮らしが少々息苦しくなることを想像し、気落ちしているようだ。
(うん、素晴らしい人選なんじゃない?)
クレイリアの愚痴を聞きながら、ミカは侯爵の采配に賞賛を送る。
そうして、サイコロステーキのような料理をスプーンに乗せ、口に運ぶ。
(これ、美味いな。 貴族って、いつもこんないい物食ってんのか。)
貴族用の食堂ではいくつかの料理を大皿に盛り、カートに乗せた給仕の人がテーブルに来てくれる。
手で合図して来てもらい、食べたい物を選んで好きなだけ皿に盛ってもらう。
座ったままのバイキング形式といった感じか。
ただ、バイキングのように一つの皿に複数の料理を盛ることはない。
家ではコース料理のように一品ずつ出てくるが、こういう形式もよくあるのだとか。
ミカはいつもよりも少しだけ抑えめに盛ってもらい、行儀よく食べる。
さすがにここで、いつものようにがっつく勇気はない。
ただ、カトラリーのメインがスプーンで、補助として箸のような棒が一本。
ナイフとフォークがないので、ちょっと食べづらい。
一応、食事用のナイフも用意されているが、押さえるのが棒では切りにくい。
フォークが開発されるまで、ナイフが食卓で活躍することはなさそうだ。
そうして昼食を食べ終わり、教室に戻る。
クレイリアはまだ愚痴を言いたいようだったが、ミカの方がギブアップだった。
貴族用の食堂の雰囲気は、ちょっとミカの性に合わない。
いつもよりだいぶ早く教室に戻ったら、教室の一画に何やら人だかりができていた。
「あれは何でしょう?」
「さあ?」
クレイリアが来たことで、自然と人だかりが左右に別れ、何をやっているのかが見えてきた。
「……まったく、君たちはいつまで経っても上達してくれないね。 やれやれ……、折角この僕が指南してあげているというのに。」
そこには、貴族の三男坊だか四男坊だかと言われている男の子と、もう一人の男の子。
「やはり、平民にはこの高尚な遊戯を理解することは無理だったかな。」
そう溜息をつく貴族の令息の前には、ブアットレ・ヒードが置かれていた。
「なんだ、ブアットレ・ヒードか……。」
よくキフロドに付き合わされたな。
キフロド以外の愛好家など見たことがなかったが、どうやら本当に貴族はこれで遊んでいるようだ。
「おや、君はブアットレ・ヒードを知っているのか。」
ミカの呟きを耳にし、ボンボンがミカの方を見る。
(しまった。)
つい口に出てしまった。
ミカが「やべ」と思った時にはもう遅い。
その場にいた全員の視線がミカに集まり、ちょっとざわついていた。
「ミカはブアットレ・ヒードができるのですか?」
「あ、いや、できると言うか……。」
「丁度いい。 一手お手合わせといこう。 君の腕前を見せてもらおうかな。」
「いや、その……。 もう時間もないし……。」
ミカは何とか誤魔化してこの場を逃げようとするが、これだけ注目を集めての逃亡はそれなりに勇気がいる。
何かいい言い訳はないかと考えるが、ちっとも思い浮かばない。
「ブアットレ・ヒードは途中で終わることも多い。 気にすることはない。 さあ掛けたまえ。」
元々時間のかかる遊戯なので、はっきりとした勝敗を決しないことも多い。
本当の戦場でも、王や大将が討たれるなんてことは、そうはない。
勝勢、敗勢、優勢、劣勢などで終了させるということも、この遊戯ではごく普通のこととして受け入れられている。
クレイリアがファイティングポーズのように、ぐっと力を入れ、
「ミカ、ファイトです!」
などと声援を送る。
(つーか、それ応援じゃなくて、外堀埋めてるだけだからな!?)
あとで頬っぺた引っ張ってやる、と思いながらミカは席に着く。
まあ、護衛騎士が怖くて、本当はそんなことできないんだけど。
「では、駒組みを始めよう。」
ボンボンの宣言で駒組みを始める。
(……仕方ない。 さっさと終わらせるか。)
ミカはキフロドにやっていたように、速攻型の攻撃重視の配置。
自軍をばんばん敵陣にぶつけ、損害を拡大させる。
キフロド相手には大駒を温存したり、罠を張ったりいろいろやっていたが、今回はさっさと終わらせることが目的だ。
無謀な攻めで駒を失っていくミカを見れば、ボンボンもミカに興味を失うだろう。
「おやおや、随分と攻めに偏重した駒組みじゃないか。 大丈夫なのかい、それで?」
「あー……、まあ……。」
こうして、早々に駒組みが終了する。
ボンボンの駒の配置はバランス型といったところか。
ミカがどう動いても対処できるようにしている。
(どうせ使うこともないか……。)
そう思い、伏兵のカードは自陣に一番近いものを無難に選ぶ。
「さあ、それでは始めようか。 先手は譲るよ。」
ボンボンは余裕を見せ、ミカに先手を譲ってくれると言う。
ミカは「よろしくお願いします。」と一礼し、駒を動かす。
淀みなく、ミカとボンボンは駒を交互に動かしていく。
「えーと、これとこれを同時行動で。」
「ふむ。 君はよくルールを把握しているようだね。」
ブアットレ・ヒードの厄介なところは、この同時行動だ。
駒の組み合わせと並び方によって、二つの駒を同時に動かすことができる。
これをしっかりと憶えているかどうかで、強さが劇的に変わる。
極端な話、本来四十手かけて動かす駒の動きを、二つ同時に動かすことで二十手で済ませることもできる。
こちらが二十手しか動いていないのに、相手は四十手分動いている、ということも起こり得るのだ。
そりゃ、知る者と知らない者で、強さが段違いになるのも当然。
また、条件を満たしてもあえて一つの駒しか動かさないこともありえる。
なので、相手が条件を満たしていると気づいても、それをわざわざ教える必要はない。
動かすことができるというルールであって、動かさなくてならないルールではないのだ。
ミカは自陣の守りの駒も削り、先行する攻撃部隊を追わせる。
ボンボンはそんなミカの動きを見て、攻撃に向かう駒の動きを停滞させた。
おそらく、ミカの守りの駒が出払った後に、一気に襲い掛かる算段なのだろう。
自分の守りの駒には手を加えず、ミカを待ち構える。
ミカの自陣の守りは紙なので、少々持ち堪えさえすれば、急襲してあっという間に詰みにできる。
そう読んだようだ。
「今、どちらが優勢なのですか?」
「いや、まだ戦い始まってないし。」
ミカの後ろで見ていたクレイリアが聞いてくる。
「お父様も、よくマグヌスと対戦しているようなのですが、私には見てもよく分からないです。」
「まあ、ルールを憶えるのも大変だからね。」
ミカはクレイリアと話しながら、攻撃の駒を進める。
当然、同時行動を駆使しながらだ。
ミカも、この同時行動や連携攻撃といった特殊なルールを憶えるのには苦労した。
だが、ミカは必死になって憶えたのだ。このややこしいルールを。
なぜか?
それは勿論、さっさと終わらせるためである。
四十手かかる行動が、二十手で済むということは、それだけ時間の短縮になる。
キフロドに半ば無理矢理付き合わされていたミカは、さっさと決着をつけたいがために、この面倒なルールを憶えたのだ。
「え? 何やってるの、ミカ君?」
「あら、リムリーシェ。 皆も戻ってきたのですね。」
そこに、レーヴタイン組の皆も食堂から帰ってきた。
クレイリアに経緯を簡単に聞き、レーヴタイン組の皆が少々複雑な顔になる。
『何であんな面倒なゲームのルールなんか知ってんだ?』
『また、面倒な奴に絡まれて。』
そんなところだろう。
リムリーシェだけが、ミカを心配そうに見ていた。
「ま、ただの遊びだから。」
そうリムリーシェに笑いかける。
「……さて、皆が戻ってきたってことは、もう時間になるのかな。 じゃあ、そろそろ行かせてもらうよ。」
「ああ、来たまえ。」
ミカは攻撃の布陣も粗方終わり、自陣から大きく動かしてきた守りの駒も、ほぼ攻撃の駒に追いついた。
ミカは同時行動を使い、ボンボンの陣地に攻めかかる。
その際、連携攻撃というこれまた特殊なルールを使い、隣接する別の駒も攻撃に参加させる。
これにより同時行動で二駒、連携で更に二駒、合計四駒を同時に動かし、ボンボンの守備を削る。
「ふ、ふん……、中々やるじゃないか。 まさか、そこまでルールを熟知しているとはね。」
「……どうも。」
ボンボンは、自分の攻撃の駒の移動を急ぐ。
だが、ミカの守備の駒が居なくなるのを待ってしまったため、まだ攻撃の準備には少しかかりそうだった。
その間に、ミカはばんばん攻撃を続ける。
常に四駒が攻撃できるように、緻密な計算の下で駒を動かしていく。
そして――――。
「ば、ばかな……。」
瞬く間に、ボンボンの陣地が壊滅した。
ボンボンの攻撃部隊は、ミカの陣地にほとんど辿り着けなかった。
このままでは自陣がもたないと気づいて、足の速い部隊を先行させたりはした。
だが、焦って直行しようとした部隊は、適当に選んだ伏兵カードで足止めされた。
そして、数少ないミカの守り駒が、近づく敵に万歳アタックで突撃し潰していく。
最後は、ミカの王の周りには守備駒が一つもない裸単騎状態。正に裸の王様。
そして、そうやって時間を稼いでいる間にミカの鬼のような攻撃が、ボンボンの陣地に襲い掛かった。
怒涛の同時行動、連携攻撃でボンボンの防御をズタズタにした。
「えーと……。」
最後の連携を残し、ミカの手が止まる。
この駒で、ボンボンの守備駒を攻撃したら詰み。
次のミカのターンで終了となる。
(……守備が紙すぎなんだが?)
キフロドの、ガチガチに固めた守りをいつも相手にしていたミカからすると、トウフとしか言いようがない。
ミカは同時行動、連携攻撃を駆使して攻撃したが、それは何も攻撃側だけの話ではない。
防御側だって、配置を上手く工夫すれば同時行動、連携攻撃で反撃してくることができるのだ。
ミカはいつも通りに攻撃をしていただけ。
しかも、これだけやってもキフロドの守りは突破できないのだ。
何とも気まずい空気が流れる。
周りのギャラリーすら、一言もしゃべらない。
まあ、同じ丸裸の王様だが、ミカの周りには敵の駒はいない。
逆にボンボンはミカの駒に完全に包囲されているのだ。
素人目にもどっちが勝っているか明らかだろう。
(どうすんだ、これ……。)
さっさと負けようと思っていたら、一方的に蹂躙することになってしまった。
その時、廊下に出ていたクラスの子供たちが、ばたばたと中に入ってきた。
おそらく、教師が来たのだろう。
「つ、次の授業が始まるみたいだし、ここまでかなぁ。 あ、あはは……。」
ミカの乾いた笑いが空しく響く。
このまま、勝負自体を有耶無耶にしてしまおう。
そう思っていると。
「……いや、これは僕の完敗だ。」
盤面を見ながら、ボンボンがそんなことを言ってくる。
「潔く、僕の負けを認めよう。 素晴らしい一局だった。」
そう、真っ直ぐにミカを見る。
「まさか、これほどの名手が同じクラスにいるとは思いもしなかった。」
「……はい?」
名手?
「さぞ、名のある名人に師事したのだろう。 素晴らしい戦いぶりだった。」
名人?
キフロドが?
「君は確か、ミカ・ノイスハイム君だったな。 僕はステッラン・セーゲルバーム。 セーゲルバーム子爵家の者だ。」
そう言って、右手を差し出してくる。
「良き好敵手に巡り合えた、この運命的な出会いを与えたもうた神々に感謝を。 次こそは、きっと君に勝ってみせよう。 君も僕に負けないよう、精進したまえ。」
ステッランはミカと握手を交わすと、手早くブアットレ・ヒードを片付ける。
ミカは、やや呆けた顔でその様子を見ていた。
なぜか好敵手にされてしまった。
…………でも、好敵手とか言われなかっただけ、まだマシか?
「ミカって、ブアットレ・ヒードが強いのね。」
「すごーい、ミカ君。」
クレイリアとリムリーシェが素直に感心している。
そこに教師がやって来た。
ミカたちは慌てて自分の席に着く。
(しかし、そうか……。 キフロドはブアットレ・ヒードの名人だったのか。)
そんなことを思う。
劣勢になると「待った。」とか言ってきたけどな。
それで8歳の子供に勝って、うざいくらいに喜んでたけどね。
まだまだじゃのぉ、とか言って勝ち誇ってましたよ。
なんとも釈然としない気分で、午後の授業を聞くミカなのだった。
■■■■■■
【?????????】
そこは、薄暗い部屋だった。
豪奢な調度品に溢れた、見慣れた部屋。
見下ろすと、床には中年の男が倒れていた。
その男には見覚えがある。
(……………………?)
状況がよく分からなかった。
なぜ、この男が倒れている?
(……………………。)
おかしい。
なぜだ?
いくら考えても分からなかった。
「……ん……んん……。」
しばらく考えていると、男の意識が戻ったようだ。
男はゆっくりと目を開けると、視線を僅かに巡らせる。
「……倒れ……? どうしたのだ、私は……?」
男はゆっくり起き上がると、ふらつく身体を机で支えながら立ち上がる。
そうして怪訝そうな表情で部屋を見回す。
「……執務、室……? しかし、これは……?」
男は混乱したような様子で、忙しなく周囲を見回した。
その時、机の上に置かれた真新しい木箱に気づく。
「この印は……?」
木箱の蓋に焼き付けられた印を見て、男は訝し気な顔をする。
木箱の蓋をそっと開けた。
「ヒッ!?」
ガタン!
男は木箱の蓋を落とした。
「なっ……なん……なんで、なぜこれがここに!?」
木箱に収められていたのは、古い古い羊皮紙片の数々。
ひどく変色し、書かれている文字も今は使われなくなった古いもの。
所謂、古文書と云われる物だった。
だが、ただの古文書ならば、この男の怯え方はあまりに異常。
男は腰を抜かし、尻もちをついている。
そんな男の様子を、じっと見ていた。
(………………。)
そして、見ているだけ無駄だということに気づく。
そうだ、またやり直せばいい。
何度でも、何度でも。
これまでも、そうしてきたのだから…………。
男は立ち上がると、落ちている木箱の蓋を手に取り、丁寧に閉める。
そうして、木箱に焼き付けられた印をそっとなぞる。
「そうだ……何度でも……。」
男はそう呟き椅子に座ると、背もたれに大きく寄りかかる。
ゆっくりと大きく息を吸い込み、大きく息を吐き出し、目を閉じた。
静寂の支配する薄暗い部屋で、男もまた、その闇に沈んでいくのだった。




