シャイン
帆側公世はセダンを初めて見た。渋滞に惑うセダンは何だか、居心地の悪そうな表情をしているのではないかと思った。一瞥しただけだが、なんとなく印象に残った。帆側公世は無職だった。たまにかつての部活の先輩や兄弟、親戚のところでご飯をごちそうになったり、借金をしたりする。借金とは名ばかりで、お互いにほぼほぼ返されることはないことを了承している。公世が了承するという部分についてはいささか意味不明だが。
公世の友達は大概エリートだった。自分も何かしなければ、と普通だったら焦るくらいに。しかし公世は違った。人にはそれぞれ定められた役割があるものなのよ、と彼のひいおばあちゃんが言っていた。ひいおばあちゃんは公世のことを、唯一人のひ孫としてかわいがった。公世は男にもてた。そして女にはあんまりもてなかった。理由はいろいろだが、たいてい「無理だわ」とある一定のところで言われた。何が無理なのかを、公世は深く考えなかった。考えるつもりもなかった。これが強がりではないところが公世らしさだ
公世は焦る必要はないと思っていたが、二〇代後半に差し掛かって無職である自分が、さすがに恥ずかしくなってきてはいた。公世は空想が好きだった。変なことを考えて一人でにやにやした。変なことについて具体的に書いていくと、例えば、タイムトラベラー思想というものがある。自分がタイムトラベラーだったら、あるいはタイムトラベラーになったら、という過程でいくつかの悩みや疑問、在り方のようなものを考えた。そして、それをタイムトラベラー思想と呼ぶことにしたのだ。現在が過去になりうる危険性や、現在そのものの存在意義、歴史を改変することの責任、エトセトラ。
まあ、くだらないけど。
「こんにちは」
「おはようございます」
公世はいつも「こんにちは」と言う。どんな時間帯でも。「おはようございます」と言ったお姉さんは、公世の担当看護師だった。公世には脳に持病があった。脳外科医が「病気です」と言ったら、両親が深刻にうなずいて「そうですか」と言ってから、公世は脳に持病を持っている。ナルコレプシーのようなものだ。眠っちゃうわけじゃないけど。
そういうわけで、公世は朝の散歩を終えて、帰宅すると、担当看護師さんの訪問看護が待ち構えていた。公世はそれが嫌いだった。自分には何ともないと思っていたし、それなのに脳に作用する薬を飲まされて、情緒不安定になったり頭がぼんやりしたりする。最悪だ。そのうえ、訪問看護だ。
話すこともないのに、高い金を払っているからと一時間程度、雑談をして、帰ってもらう。全く、何をしているのやら。
「元気ですか」「元気です」「最近は何をしているの?」
こんな感じで僕の日常は過ぎていくのだ。やれやれ。