エヴォル
立ち並ぶ高層ビルにはどれも個性がある。整備された道路は車で混雑していて、なかなか前に進まない。そんな車の一台であるセダンに乗っている少年は都市の風景をぼんやりと見やっていた。
「君はこれから魔法使いになる。それも優れた魔法使いに。根拠もなく言っているわけじゃない。君のお父さんとお母さんは世界を飛び回って素晴らしい魔法でこの国を豊かにしている。この小さな国日本では、君のお父さんとお母さんの力は欠かせない。そして君もそういう人になるために学校に通う」
座席正面のモニターで、ドラマがつけられている。これは何のシーンだろう?
「あかん、あかんわ。まずいことになってしもうた」
「どした、どした。法に触れるよなことしたわけやないやろな旭」
「んなわけあるかい、どあほう。おれかて、社会人としての規律は守っとるさかい、そこはそこ、ここはここ。堪忍や。ひーはー。やーほー」
「テンション高ない? なんかいいことあったん? カラオケでも行ってきたんかいの?
いや、そればりのテンションやで。大丈夫か、お前。死なへんやろな」
「いや、ひとまずは生きとくわ」
「そか。そんなら、よかったわ。ほなら、ほなな」「ちょまてい!」「なんやねん、喰い気味に来られても、わしには何もできへんで」
「なんかしろとは言わんけんども、適当に相手してやってくれへん?」「それがいちばん嫌やわ」「直球来るなあ、いたいわ、腎臓が」「それは内科やないか」「親父ギャグがここで効いてくるとはなあ。わし、死ぬんやろか」「死ねええええ、もう死ねええええ」「ま、確かに疲れたな、ちょ、座ってみよか」「せやな、まずはそっからやな、家着て開口一番、あかん言われても堪忍としか言いようがないわ」
気が付くと、少年は泣いていた。
うたってよ。
ああ、彼女は泣いている。きっとぼくのせいだ。このおぼつかない足取りが、このしようもない表情が、きっと彼女の意にそぐわないのだろう。ぼくはいつだって、思っていることをしっかり伝えようと努力する。あたかも愚直なくらいに。彼女は、困ったように笑う。笑顔が、上手な仮面になることを願うみたいに。
声が聴きたいよ。彼女の声。がさつで、いとけない声。ぼくは口の中で、そんなことできないのに、だなんて思う。でもね、ぼくは声を出すことをしないだけだった。今ではこうも思う。彼女の目を見て、真摯に自分の声で、自分の思いで、彼女のために生きる誓いを立てることができたら、と。でも、もう彼女はいないのさ。時間は、あぶくのように、けむりのように、流れて溶けていくもので、ぜんぶ全て、願いのひとひらでしかない。これはきっとぼくの気持ちでもある。きっとゆずれない。きっと変わらない。不変ってやつだ。
笑えよ。その口の端が、その目つきが、笑いのインセンティブを狙っているのが、まるわかりだ。これは、ぼくの研究だ。ぼくが生涯をかけて費やした、こころの在り処を探求する戦争でもある。世界は終わっていた。これがぼくの結論。なんにもやるべきことなんて、ない。誰かが淡々と、歯車となり、誰もがその歯車として、どうあるべきかに苦悩する。ねえ。どう思う? どうして人は悩むのだろう? ねえ。どう思う? どうして人は苦しむのだろう? こんなくだらないことだらけの世の中で、映画なんか見て泣いちゃう幸せってやつを想像するだけで、ぼくは缶ビールを五本は飲めるね。
誰かが誰かの餞になれるような、そんな素敵な人生を送れることを願って。