第1章 いつもの朝
水平線から橙色の陽がゆっくりと昇り始め、穏やかに凪いだ海がその陽光を反射して煌めき始める。フルメ王国領パノヴァ島の、静かな晩春の朝だ。
「……せんひゃくきゅうじゅうごッ、せんひゃくきゅうじゅうろくッ、せんひゃくきゅうじゅうななッ、……」
そのパノヴァ島東岸の海原を臨む岬に、キビキビとした声が響く。
「せんひゃくきゅうじゅうはちッ、せんひゃくきゅうじゅうきゅうッ……にせんッ!……ふぅ」
声の主は女性騎士キルケ・バーン。彼女は毎朝、夜明け前からの鍛練を日課としており、武器である片手斧の素振り2000回を丁度終えたところだ。
「よしっ、今朝の鍛練は終わりっと」
クセの強い赤髪を短く刈り込み、太めの眉毛でややツリ目の強い意志がみなぎる顔立ちに、175センチメートルという女性としてはかなり高めの身長と鍛え上げられたしなやかな肉体。いかにも騎士という職業にふさわしい凛とした強さを感じさせる容姿をしている。
「さあ帰ろ、ランド」
「ブォー」
野太い声でキルケに応えたのは、フサフサとしたライトグリーンの体毛に覆われたドラゴンのランドである。3メートル近い体高の巨体だが威圧感は無く、飼い主であるキルケの側で「おすわり」をし、主人の呼びかけがあるまでじっと待ち続けられる忠竜である。
「よし、今朝もお前はいい子にできてたぞ、えらいえらい」
「ブォーン…」
キルケがランドの鼻先を優しく撫でると、ランドは心地良さそうな鳴き声を出して甘え、彼女の体に頭をこすりつけてくる。
「ハハ、やめろよランド、くすぐったいぞ」
ランドの、柔らかな緑色の体毛が全身に当たり、こそばゆくなったキルケは思わず苦笑してしまう。
「よし、セーレを起こしに行かないとな」
キルケがランドの背中にひょいっと飛び乗ると、ランドはバサッバサッと羽ばたき始め、体高3メートル・頭部から尻尾までの全長6メートルの巨体が宙に舞い上がる。
「ハアッ!!」
キルケがランドの口輪に掛けられた手綱を引っ張りながら勇ましく掛け声を上げたのを合図に、ランドは飛行体勢に入り、風に身を任せる様に滑空してゆく。
ランドはその巨体に似合わぬ、なめらかな挙動でゆっくりと岬を旋回し、岬のふもとへと続くなだらかな平原へと突き進んでいく。朝露に濡れた、青々とした草原を撫でる様に低空飛行をし、草原の片隅にポツン、と建つ質素な家屋へ一直線に向かう。
「セーレのヤツ、今朝もお寝坊か・・・?」
キルケはそう呟きながらも手綱を操り、ランドを一軒家の手前で着陸させる。ぶわっ、と周囲の草花が風になびいて波打つが、ランドの巨体からは信じられないほどの穏やかな着地だ。
「よーし、ランド、良い子だ。お前も随分お行儀が良くなったな、よしよし」
「グルルゥ・・・」
キルケがランドの背中から降り、再び鼻先を撫でさすると、ランドは気持ち良さげな声を漏らす。
「さて、眠り姫様を夢から覚まさないとな」
キルケが慣れた手つきで懐から合鍵を取り出して玄関を開け、屋内へと入る。玄関のドアをバタリ、と閉めると再び合鍵で施錠をした。そのまますたすたと2階へ上がり、この小さな一軒家の家主のいる寝室へと向かう。この一軒家に独りで暮らす少女の専属護衛騎士___それが、かつてフルメ王国騎士団小隊長として勇名を馳せたキルケの、現在の役職である。
コンコン、と寝室のドアをノックするキルケだが、やはり室内からの反応は無い。こういう展開は毎朝のことであるため、躊躇なく寝室のドアも合鍵で開け、室内へ入るキルケ。
「・・・すぅ・・・すぅ・・・んんぅ・・・」
窓際に置かれたベッドで、朝の日差しを浴びながら穏やかな寝息をたてる少女。腰よりも長く伸びた金髪は朝陽を反射してキラキラと煌めき、磁器を思わせるなめらかさと汚れの無い白さの肌も、朝陽を浴びて輝いて見える。何ら苦痛や悩みと一切無縁な無垢な寝顔は、天使を思わせる愛くるしさだ。
「ほら、セーレ、朝だぞー起きろー」
微睡みの中にいる少女___セーレ・アンヘルの肩を優しく揺り動かすキルケ。
「・・・ふにゅ・・・おねぇ、ちゃん・・・」
ゆっくりと目覚めるセーレ。半分寝ぼけたまま、幼少期からの付き合いであるキルケ「お姉ちゃん」に甘えた声を漏らす。
「ほらほら、早く起きな。あと30分で支度して家出ないと定期便に間に合わなくなるぞ」
「さんじゅ・・・・・・へッ!!?」
漸く時間ギリギリである事に脳の理解が追いつき、やっと完全に覚醒したセーレ。
「たたた大変!!髪 梳いて身支度してご飯食べて・・・」
「ハイハイ、私がやるやる。大丈夫だから」
わたわたとベットから飛び起き、慌てて身支度をしようとするセーレを、優しくなだめるキルケ。慣れた手つきでセーレの美しい金髪を手早くしかし丁寧に梳いてゆく。
「いっつもごめんお姉ちゃ~ん・・・どうして私って毎朝毎朝・・・」
「ハイハイハイ!落ち込むだけ時間のムダだからすぐ着替える!」
キルケも毎朝こうなることに慣れっこのため、手際よくセーレの身だしなみを調え、未明に鍛練に出かけるより先に用意しておいた簡単な朝食を2人で慌ててかっこみ、家を飛び出してゆく。
「おはよー、ランド」
「バフッ!」
セーレに名前を呼ばれ、嬉しそうに鼻を鳴らすランド。キルケとセーレが連れだってランドの背中に乗り込み、キルケは手綱を、セーレは前に座ったキルケの背中をしっかりと掴む。
「さぁ、急ぐぞ。今月5回目の遅刻となったら、優しいムルマンスクさんだってこれ以上は堪忍してくれなくなるな」
「そ、そんなぁ・・・」
「怒られたくないんだったら朝ちゃんと起きる!!」
「はぁい・・・」
しおらく反省するセーレに構う暇無く、ランドを飛び発たせるキルケ。ランドはバサバサバサッ!!と勢いゆく地上30メートルの高さまで一気に舞い上がり、目的地___パノヴァ島の中心街・ツビナへと一直線に滑空してゆく。
「自分がファンタジーを書くとしたら、どんな作品にするだろう」とふと考えた時に思い浮かんだ物語を、これからチマチマ投稿していきます。
心優しいドラゴンのランド、良くも悪くも純粋なセーレ、セーレを守ろうといつも懸命なキルケ。この2人と1頭の冒険を、どうか見守ってください




