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1-4 六十六本の手首



「よ」

「え」

 校門から出て行くと、車の傍に兄が立っていた。


「父さん仕事で帰れなくなっちゃったから、俺が代わり。……そっちは友達?」

 言って、階は立葵の隣……同じくランドセルを背負った六花真代に目をやる。


 それに、なんとも立葵は答えを返すことができなかった。是とも否とも聞こえるような微妙な調子の声だけを残す。

 立葵は、そんな自分が嫌で仕方ない。


「もう随分暗くなってきちゃったし……迎えが来てないんだったら、よければ送っていこうか?」

 だから、そんな兄の申し出はありがたいものだった。


 言い訳ができる。

 俺が言い出したんじゃないから。兄ちゃんが勝手にやったことだから……そんな風に、真代への親切を押し付けることができる。


「え、えっと……」

 真代が困ったように、立葵を見る。

 それに立葵は、かろうじて彼女にだけはわかるだろう、ごく僅かな角度で頷いた。


「それじゃあ、よろしくお願いします……」


 随分長い間、兄を待たせていたのかもしれない。車の後部座席に真代と一緒になって乗り込んでから、立葵はそう気がついた。頭がぼうっとしてくるほどの温かさ。家からここまでちょっと乗ってきたくらいでは、とてもここまで暖房は効かないだろうと思われる。


「家の場所だけ訊いていいかな?」

「あ、えっと、そっちの銀行の方です。でも、結構奥の方で……」

「そっか。んじゃ、統合前の校区の子か」

 その答えを聞けば、「近いな」と階が言って、車はゆっくりと走り出す。


 あたりはもう藍色の闇に包まれていた。十二月の日暮れは早く、少し残っていたくらいでこんなにも暗くなってしまう。少年野球もとっくに練習を終えて解散したらしく、ランドセルの影一つとして見当たらない。

 それに立葵は、心の底で安堵していた。


「同じクラス?」階が訊く。

「うん」立葵が短く答える。

「あ、六花、真代です……」そう言って、深く真代が頭を下げる。


「立葵の兄の階です」

 なんて律儀に答えながら、しかし階は一瞬顔に手を当てた。


「六花?」

「は、はい」

「もしかして、お姉ちゃんいる?」

「います」

「お、そうしたら、俺の同級生かも。もしかして、六花祭世(さいせ)?」

「あ、そ、そうです……!」


 助かった、と思いながら立葵は二人の会話を聞いていた。

 真代が乗ることになれば、てっきりもっと会話のない車内になると思っていた。けれど、兄が話し続けているおかげで、気まずさを感じない。


 別に、話をするのが苦手なわけじゃない。運動も勉強もそれ以外も……クラスでは結構、上手くやっている方だと思うし、大人びた方だとも思う。

 それでも……この兄や、あるいはここにはいない姉といると、ときどき思う。自分は冷めていて、ひねていて、そしてどうしようもない。


 もしも兄だったら、姉だったら。

 いじめが教室の中にあるとわかったら……「上手くやる」ことよりも「正しくやる」ことを選ぶんじゃないか。

 そんな風に、想像してみたりする。


 あまりにも陰気で深刻な考えごとだから、それを悟られないように、立葵は窓の外へと目を向けていた。痛んだガードレール、まばらな家々、そしてときどきは、昏すぎる森の一部分――それらがずっと同じような速度で、真っ青な夕暮れの中を通りすぎていく。


「そっか、懐かしいな。妹がいたんだ」

 と階は嬉しそうに言う。


「あいつの連絡先、誰も知らなくてさ。しかも受験シーズンになってぱったり学校来なくなったと思ったら、そのまま卒業式にも出てこないし……。どう、今。元気にしてるかな」

「……あの、ええと、」


 言いづらそうに、真代が身じろぎをした。

 思わず立葵も、視線を車内に戻す。この流れで口ごもるということは、きっと良くないことが続くとわかったから。


 案の定、真代の表情はあからさまに浮かないものだった。


「し、」

 と。


 短く、口の中から風を吐いて。

 それから、意を決したように、膝の上で拳を握って。

 彼女は、口にした。


「死んじゃいました……。今年の、春に」




゜。゜。゜。゜。




「友達、だったの」


 それは「きのことか全然食べないな」という兄の独り言に対する反応としては、あまり相応しいものとは言えなかったかもしれない。


 結局、どこにも寄らずに家まで帰ってきた。立葵自身、今日見たもののせいで食欲がなかったし、どうも兄もそうらしかったから、そのまま家に帰って、冷蔵庫の中にあるもので軽く何かを作ってしまおう、ということになった。つい先日、父と姉と立葵の三人で、自炊に相応しいだろう食材を適当に買い込んできていたために、材料はいくらでもあった。


 エリンギを手にしたまま、階が振り向く。

 踏み込み過ぎたかもしれないと立葵自身思っていた質問に、しかし腹を立てた様子もない。兄は家族の中でも特に怒る回数が少ないし、怒っても大して怖くはない。そのことを、立葵は知っていた。


「……まあ、そんなとこ」

 代わりに、悲しそうな顔で。


「……ごめん」


 なぜだか自分も傷ついたような気持ちになって、ソファの上、立葵は俯く。するとそれを思いやったのか、階は微笑みを見せた。


「いいって、気になるよな。あんな話聞いたら」

 まあでもこの話は終わり、と階は言う。

 

 そして、ところでさ、と

「立葵、ちょっと料理、手伝ってくれないか」

「え、」驚いて、「でも俺、調理実習くらいしかやったことないよ」

「包丁と火は俺がやるからさ。てか、全体的に俺がやるから。ただレシピとか料理中見づらいから、携帯で見て教えてくれ」


 それくらいなら、と立葵も腰を浮かす。

 何かをやって、気を紛らわしたかったのもあった。 


「いいよ。携帯ちょうだい」

「よし、頼んだ。……って、あれ」


 階は、ズボンのポケットを叩いて、

「コートの中に入れっぱなしか」

「部屋でしょ? 取ってくるよ」


 悪いな、という声を背に、立葵はリビングから出た。


 古河家は街から少し離れたところにある一軒家で、それなりに広い。

 だから、暖房の効いていない廊下はリビングの恩恵を受けることもできず、ただ冷たかった。そして、いつもは四人いるはずの家の中も、今日この時は静かだった。父は仕事で、姉は泊まり。そして母は……、


 ぶるり、と立葵は背を震わせた。

 それは寒さのためだけではない。ついさっきの言葉が頭の中に残っていたから。



『死んじゃいました』


 あの、真代の言葉。



 関係ないはずだ、と立葵は思う。

 母がいなくなったって、父も姉も動じなかった。母さんがそう書き置いたならすぐに戻ってくると信じていたようだった。


 そして立葵も、それを信じていた。だって、一番この家の中で活力のある、しっかりした人だと、そう思っていたから。


 でも、今。

 この家の中の寂しさを思うと、ふと。


 母に何かあった場合の未来を、想像してしまって――、


「……ばかじゃん」

 頭をゆるく振って、その考えを追い払った。


 そんなわけがない。いきなり自分たちに、そんなことが起こるわけがない。ただちょっと、今日は色々なことがあったから混乱しているだけだ――そう自分で思い終えて、階の部屋へと向かう。


 子ども部屋は全て二階。そして、二階に上がる階段は、玄関のすぐ近くにある。だから、まずはそっちに向かっていって――、


 ふと、足を止めた。

「…………?」


 この家の玄関はすりガラスになっている。だから、ぼんやりとその向こうに誰かが立っていれば、わかることもある。すでにとっぷりと日も暮れてしまったから昼間ほどのわかりやすさはないけれど……。


 玄関の前に、誰かが立っているような気がした。

 どうして、とまずは思った。


 夜といってもそれほど深い時間ではない。だから、来客の可能性もある。けれどそれなら、インターフォンを鳴らさないのは不自然だ。

 それ以外だとしたら。


 頭の中に浮かんだのは、他の家族のことだった。全員が全員家の鍵は持っているはず。でもたとえば、鞄の奥底の方に押し込めてしまってそれを見つけ出すのに手間取っているとしたら……。


 そう思ったから、立葵は近付いた。

 困っているなら、こっちから開けてやろうと、そう思ったから。


 おかげで、ずっと近い距離でそれを見ることになる。




 べたり、とその摺りガラスに、男の顔が張り付いた。




「…………!」

 声を出さずに堪えたのは、知恵が回ったからというよりも、こちらの存在に気付かれたくないという恐怖心のおかげだったように思う。


 その顔は、父のものではなかった。

 誰か知らない男が、すりガラスを覗きこむようにして、べったりと顔を玄関につけている。


 どう考えても、異常な光景だった。


 じりじりと、立葵は後退る。そして、そろりそろりと忍び足で、リビングへと戻っていった。


「兄ちゃん、」

「お、持ってきて――」

 振り向いた階は、立葵の顔色を見てすぐさま察した。


「どうした?」

「げ、玄関に、変な人が……」


 階は迷わない。手に持っていた食材を置くと、キッチンから出てきてすぐに玄関へと向かった。慌てて、立葵もそれに続く。


 しかし行き着いた先には、もう誰の影も見当たらなかった。


「……いなくなってるな」階が、低い声で呟く。

「いや、でも、」

「わかってるよ。いたんだろ?」


 上がり框から三和土へ、サンダルを履いて階が下りる。そしてがらりと戸を開けて、夜の暗がりに目をやる。立葵もその場から一緒になって覗きこんだが、家の前の街灯の仄明かりが照らす限りでは、そこに誰の姿も認めることはできなかった。


 がらり、と階は扉を閉め、鍵をかけた。そして振り向いて立葵に訊く。

「変な人って、どんな感じだった?」


 立葵は見たままを伝えた。つまり、顔を玄関戸にべったりつけていた男のことを。


「……それ、だいぶ危ないやつだな」

 階は顔を曇らせて、


「父さんに連絡しておくよ。家の周りに危ないやつがいるかも……って。あと、朱里にも。朝帰ってくるとき、鉢合わせしたりしたら危ないからな」

「家に入ってきたりしないかな」


 不安になってそう訊けば、しかし階の反応も渋い。

「……どうだろう。このへん昔、本当に不審者が出たことあるんだよな」

「え、」

「でもまあ、俺が帰ってきてるときでよかったよ。何かあったら家の中でも大声上げてくれ。すぐ走って行くから」


 うん、と立葵は頷く。

 少し前に階の部屋で本を探したとき、引き出しの中に、少林寺か何かの大会で優勝した記念楯を見つけたことがあった。自分の記憶にある限り中高と兄は運動部には入っていないはずだから、だいぶ昔のものなのだろうが……それでも、父の次に腕力で頼りになることは、おそらく間違いない。


 二人連れ立って、リビングに戻る。特に見たいものもないだろうに、賑やかしのためか、階がテレビのスイッチを入れる。


 知らない芸能人が、知らない街を訪れるバラエティ番組。

 その明るい声が響く中で、ふと、兄が言った。


「母さん、何もないといいけど……」


 その言葉が妙に頭の中に残って、その晩、立葵はよく眠ることができなかった。




゜。゜。゜。゜。



 それから少し時間は過ぎて、学園の寮内。

 消灯時間を過ぎて暗くなった廊下を、そろりそろりと忍び足で朱里は歩いていた。


 英梨花が住んでいる学生寮は、無闇に広い。おそらく寮費も高いものだと思われるが、しかしそれだけに機能も充実していて、一階には自動販売機が置いてある。


 もともと早寝の性質の英梨花がうつらうつらし始めて、時間の過ごし方も見失ってしまったから……買ってきた紙パックジュースも飲み干して、朱里は新たな水分を求めて廊下を歩いていた。

 寮に友人を泊めるくらいのことは寮生の誰でもやっていることではあるが、もちろん黙認されているだけで、褒められたことではない。だから自然、人目を避けるような動きになった。


 共用部分の空調はすでに切られており、廊下の床は驚くほど冷たい。靴下越しにも冷気が這い上がってきて、額まで涼しくさせる。だから、朱里が自販機に求めたのは温かいココアだった。


 ごとん、と響いた音に一瞬周りを気にしながら取り出して……そのとき、気が付いた。


 廊下の真ん中に、大きな鏡がかかっている。

 人ひとり、すっぽり飲み込むような大きさのそれが。


 興味が湧いて、朱里はそれに近付いた。いかにもだ、と思いながら。


 中高一貫の女子校。その夜、女子寮にかけられた大きな鏡。

 弟の立葵と読む本をよく共有するから、こういうミステリ的というか、ホラー的というか、そういうものに心を惹かれる部分が多少ある。


 定番だったら、たとえばこの鏡に映った自分の後ろに、グロテスクな幽霊が立っていたり、とか――――



「え…………?」


 映って、いなかった。



 幽霊が、ではない。

 自分自身が、鏡の中に。


 後ろを振り向いた。そして認める。確かに、この鏡は鏡として機能している。見せかけのガラスなんかではない。


 しかし、そうであるとわかりながらも、明確に。




 明確に、朱里の姿だけが、鏡の中の世界から取り去られていた。






゜。゜。゜。゜。




「古河さん。鑑識から結果、回ってきました」


 同時刻。

 警察署内。


 眠気を堪えるように缶コーヒーを煽っていた古河源隆のところに、その部下の加藤が報告に来た。


「おう、どうだった」

 一気にそれを飲み干す源隆の顔も、当直明けからまた深夜まで詰めるというハードスケジュールのために幾分かくたびれていたが……しかし、目の前の加藤ほどではない。


 加藤の顔色は、蒼白だった。

 血の気が失せて――ほとんど倒れかけにすら見える。


 無理もない、と源隆すらも思う。それなりに刑事をやってきたつもりだったが、今回の事件は格別だ。一生やってもおそらく出会わない人間の方が多い。それをこの三十手前の部下が受け止め切れるかといえば――――。


「しゃんとしろ」


 しかし、仕事は仕事だ。

 誰かがやらねばならない。そう思って、源隆は加藤の肩を叩く。すると彼も、それでようやくハッと意識を取り戻したようにして、背筋を伸ばした。


 意を決して、彼は言う。



「鞄の中から見つかった手首六十六本――――すべて同一人物のものだそうです。指紋が、すべて一致したと」



 思わず、源隆も声を失った。


 今日の昼、地元住民からの通報によって回収された、森の外れに落ちていた鞄。その中に入っていた、切断されて血まみれの六十六本の手首――それだけですら、受け止めるのに随分な体力が必要だというのに。


 それが、すべて同一人物?


 ありえない。


「それで、その、鑑識の方で安木さんがこの指紋に見覚えがあるって話で」

「何?」

「といっても、犯罪者のそれじゃないらしいんです。データベースになくて、記憶だけらしいんですが、」


 言いにくそうにする加藤に、さらに源隆は促す。自分の混乱は、一旦後回しにして。


「誰の指紋だ」

「事件被害者の――、佐倉英梨花、だそうです」


 あの、僕はよく知らないんですけど、と加藤は前置きして、




「その子の関わった事件――十年前に、古河さんの家族が巻き込まれたやつ、なんですよね?」






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