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エピローグ-2 おかえり



『朱里サマ♡♡ おかえり♡♡』



 黒板に書かれたその文字を見て、「あー……」と朱里は気の抜けた声を出した。

 女子校のきっついノリだな、とげんなりするような気持ちを抱えながら。


「あ、」「お、」「来た。警察から表彰される女が」


 口々にクラスメイトたちが席を立つ。

 いらない、座っとけ、と朱里が言うのにもまるで聞く耳を持たない。わらわらと押し寄せてきて、事情を訊こうとする者、心配する者、この貴重な機会を絶対に逃さないとばかりに「今のお気持ちは!?」なんて妙なテンションで盛り上がっている者、それに朱里は四方八方、囲まれる。騒ぎを聞きつけた他クラスの寮生――朱里が避難誘導をした生徒たち――が駆けつけて感謝の言葉を述べ始めれば、もうほとんど動物園のふれあいコーナーにパンダが投入されたような有様だった。


 事件の詳細は未だに明かされていない。

 当然、カガミワタリがどうだとか、燃え盛る学生寮の脱出経路を朱里が開いただとか、そんなことは報道されているわけがない。


 が、中高一貫校……それも高等部にもなると情報の伝達速度は著しいことこの上ない。尾ひれがついたり角が生えたりしながら噂は流れに流れ、この分だとすでに学校中に知れ渡り始めていると見えた。


 もうすぐ冬休みでよかった、と朱里は思う。

 しばらく間が空けば、多少は沈静化するだろう……そんな、あまりにもこの学校の生徒たちの好奇心を甘く見た想像とともに、安堵していた。


 これから終業式だというのに、盛大に制服に皺を寄せられた。予鈴が鳴ったのを合図にその群衆をようやく振り払って、朱里は席に着く。


「大変だね」

「他人事?」

 その後ろの席には、英梨花が座っている。


「朱里が来るまでは私があの係だったから。……って言っても、私が知ってるのって、朱里ママから教えてもらった基本的なことだけだけど」

「言ったの?」

「……いや、正直あんまり、言えなくない?」

「頭おかしいと思われるからね」


 一応寮生には話したけど、と英梨花は言う。

「それでも、半々だったかなあ……。信じるか信じないか」

「責められた?」

「うっ。訊きづらいことをズバッと……」

「別にいいでしょ。責められたっていうなら慰めてあげるつもりなんだから」


 ふへ、と英梨花は奇妙な笑い声を上げた。


「……何その声」

「いやあ……。……責められる、ってことはなかったかな。みんな優しいね。心配ばっかりだった」

「日頃の行いでしょ」

「……私、今、褒められた?」


 さあね、とはぐらかして応えた。


 そして内心では、朱里は深く息を吐いている。

 よかった、と。ここに来る途中……というか、終業式だけでも出席することを決めた昨日の夜から、それだけが心配だったから。


 おかげで、肩の力も抜けた。


「……帰ろうかな」

「え!?」

「いやなんか、疲れが今になってドッと出てきた。どうせ終業式とかなんか長々した話聞かされて終わりでしょ。あの冷凍庫みたいな体育館で」


 そんなことないよ、と英梨花は言う。

「ほら、初代学園長の秘蔵のエピソードとか聞かせてくれるかもよ? カガミワタリの関係で」

「いや、いいわ……。私はあれからもう、できなくなったし。関係ない、関係ない」

「あ、そうなんだ?」

「そうそう。……まあ、そんなもんでしょ。やることやったし。後は東京から来る人たちに任せるって感じ」


 漫画だって、最後に力を失って終わるヒーローは多い。

 そんなものだろう、と朱里は思う。


 これからいちいち、鏡を見るたびに指を埋めたくなっても仕方がないし。

 あの湖とこの湯船に一体何の違いがあるのか、なんて考えながら入浴したくもないし。


 超能力は、目的を達したらそれで終わりで、構わない。

 当面のところ――その目的は、いつものように能天気な顔に、戻れているみたいだし。


「ていうか、生徒会でしょ。さすがに出ないとまずいんじゃないの」

「あー……」

「自分が生徒会役員だってことを忘れてたときの声だ」

「よくわかったじゃん」


 ぞろぞろと、生徒たちが立ち上がって移動を始めている。

 それじゃあ仕方ないから私たちも行くか、と朱里は立ち上がって、そしてもう一度『朱里サマ♡♡』と書かれた黒板を目にして……それからそこに明らかにハートマークが増えていることを認めて、さらにげんなりして、


 ふと、気が付いた。


「あのさ、」

「ん?」

「私、別に今日学校に来ること誰にも言ってなかったんだけど」

「あ、ごめん。それ私が言っちゃった」


 え、と驚いて朱里は英梨花を見る。

「いや、英梨花にも……」

「朱里ママから聞いた」


 ん、と英梨花が携帯を見せる。


 メッセージ画面。

 相手の名前が表示されている。


『弥生さん』


「うわ、どしたの急に」

「いや……」

 それを見て、思わず膝から崩れ落ちた。


 どうにか机を掴んで、朱里はよろよろと立ち上がって、


「……何。連絡先交換してんの? 友達の母親と」

「うん」

「うわー……。嫌だー……」


 なんで、と不服そうに英梨花は朱里の背中を叩いた。


「いいじゃん。弥生さん、かっこいいし、優しいし、面白いし」

「友達の母親のこと名前で呼んでんの?」

「うん」

「保健室行こうかな……」


 なんで、と英梨花はもう一度言うが、なんでも何もないだろ、と朱里は思った。


 でも、そうなるか、とも自分に言い聞かせている。そうなる、そうなるよ、と。

 十年前、それからついこの間。このふたりは二回も命を救う救わないの話をしている相手なんだから、と。


 だから、連絡先の交換くらいするよ、と。

 割りきろうと、心の整理をつけようと頑張ってみて、


「……まあ、いいけど」

 ようやく絞り出せたのは、その一言。


「間違っても学校での私がどんなだとか、訊かれても答えないでよ」

「え゛」

「……何、その『え゛』は」

「……さあて、そろそろ終業式、行こっかなー」

「おい」


 英梨花が早足で教室を出て行こうとする。

 それを朱里が、同じく早足で追いかける。


 廊下に姿を見せれば、またわらわらと寄ってくる生徒たちに囲まれて、移動する先では今度は同級生だけではなく、上級生や下級生にまで囲まれて、ごっそり気力体力を削られて。


 学園長の長々しい話も、かえって癒しになるような有様で。


 はあ、と朱里は、溜息を吐いた。


 もうすぐ冬休みでよかった、と思って。


 それから。

 こんな風に、とりあえずみんながはしゃげるような――そんな風に、この事件を終えられてよかった、と思って。


「……なに」

 その途中でのこと。


 隣に座っているクラスメイトが、肘の先でやたらに脇腹を突いてきた。

 古河朱里。その隣に座るのは佐倉英梨花。クラスが被っている限りは、おそらくこのふたりは大体、この並びになると決まっている。


 顔を左に、少しだけ傾けた。

 一方で、英梨花は覗き込むように、朱里の方をじっと見ていて。


 はにかむような……けれど心から、という表情で、こう言った。



「ありがとう。友達に、なってくれて」



 何か憎まれ口でも返してやろうかと、いつもの朱里だったら思うはずだったけれど。

 まさか学園長のありがたいお話の途中で、そんなに会話を盛り上げるわけにもいかなかったから。



 珍しく素直に、彼女は短く、「うん」とだけ答えた。




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