エピローグ-1 名前
クリスマスイブが終業式で、その日も学校に行かずにそのまま冬休みに移行してしまうという手も、あるにはあった。
何しろ立葵も二十二日、二十三日はごく当然のように学校を休んでいたし、自分だけ置いていかれたと不満しきりの入院中の母のところに、他の家族たちと一緒になって張り付いていたからだ。
それが、今日になって出てきた理由は、大まかに分けるとふたつある。
ひとつは、家族から促されたこと――母は「終業式くらい行ってくれば? 午前中で終わるんだろうし」と、それから兄は「午前中は俺がいるから」と言い、そして最後には姉すら「……まあ、じゃあ行ってこようかな」と折れたから。
もうひとつは――
「おはよう」
「っ、お、おはよう……」
真代が今日だけは登校するらしいと……いまだ事情聴取中だった父が、訊き出してくれたから。
「だ、大丈夫? 古河くん、足……」
「……まだちょっと痛い」
ここで嘘を吐いてもどうせ歩き方でバレるだろうと思って、立葵が仕方なく正直なことを言えば、真代はひどく困ったような顔をした。
「じゃ、じゃあ、その、私、肩貸すから……」
「いやいいよ。そこまでじゃないし」
「あ……う、うん。ごめんなさい……」
謝られるようなことじゃないけど、と立葵も困った顔になる。
靴を脱いで、下駄箱に突っ込む。
入れ替わりに上履きを床にぱん、と置いて、足を入れて、歩き出そうとして。
「……もしかして、また上履き、ないの?」
いつまでも立ち止まっている彼女に、振り向いた。
え、と彼女は驚いた様子を見せた後、「ううん」と首を横に振る。
「先、行ってて」
「……なんで」
「だって……」
想像は、ついた。
あの事件は連日、テレビで大幅な尺を取って報道されている。多くの蜘蛛は元の世界に帰ってはいったものの、その過程で警官たちが仕留めた死骸の数々は研究機関に回収され、その調査状況が逐一世界中の注目を集めているような状態だ。
その事件の範囲が広かったために焦点がぶれ、渦中にいた立葵や真代ですら報道陣に囲まれるには至らないけれど……それでも、連日この寂れた町は外から来る人間たちで溢れ返っている。
そして、町の中の人間は、きっとほとんどが気が付いている。
報道にある、独自の教義を抱える宗教団体――この事件の首謀者が、真代の家を拠点としていた団体であることを、知っている。
「一緒に行ったら、仲、良いと思われちゃうから……」
教室に行けば、どうなるかわからない。
今まで以上に酷い扱いを受けるかもしれない――あるいは、恐怖のために、遠巻きにされるかもしれない。
それを真代が気にかけていることは、わかっているけれど。
「――仲、良くないの」
「え、」
「俺は、良くなりたいって、思ってるけど」
そう言って、手を差し出した。
真代はそれを、じっと見た。
まるでそれが何を意味しているのかわからない、というように――澄んだ瞳で、それを一から、見つめていた。
やがて、彼女の手が動く。
胸のあたりで、迷ったように。
その手を、立葵から捕まえにいった。
「あ……」
「嫌じゃなければ、」
嫌じゃなければ、なんだというのだろう。
立葵はそのことを自分でもわからないまま、強く、彼女の手を握る。
しばらくの、沈黙が流れて、
「……私、転校、するかもしれなくて」
「……うん」
「ここに居づらくなるだろうからって、どこか、遠くに行くかもしれなくて……。すぐじゃなくても、中学からは、寮のあるところとかがいいんじゃないかって、言われてて……」
真代が俯く。
前髪が、顔を隠してしまう。
「あの……」
けれど。
か弱い力が、立葵の手には、返ってきた。
「い、一緒に、いてほしい……。本当は、古河くんに……」
「……俺も」
だから、立葵は。
彼女の隣に、並び立つように動いて、手の位置を、胸の前から下ろしていって。
握るのではなく。
その手を、繋いで。
「俺も、本当はずっと、一緒にいたかったんだ」
初めからずっと。
ずっと、こうするべきだったんだと。
そのとき立葵は、ようやく……ようやく、自分の本当にしたかったことを理解して。
そして同時に少しだけ、それができる自分が、好きになった。
「あのさ、」
「う、うん」
「…………名前で、呼んでもいいかな」
手を繋いだふたりの子どもが、教室へと歩いていく。
たどたどしくふたりがささやいた響きは、「好き」という言葉に、とてもよく似ていた。




