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0-0 そして世界ができるまで



 その日、真代はパチパチと何かが燃える音で目を覚ました。


 寝室を隔てる襖を開く――やけに広い客間がすぐに目に入って、誰の姿もなければ、家それ自体が燃えている様子も見当たらなかったから、ほっと胸を撫で下ろして、その音がする方……縁側の方へと歩いていった。


 庭に、姉の後ろ姿があった。

 長い黒髪……彼女は、冬の終わりの庭に立って、火を抱えたドラム缶の前に、佇んでいた。


「お姉ちゃん……?」

 真代が窓をからからと開いて声をかければ、ん、と短く、彼女は返事をした。


「真代も、何か燃やすものがあるなら、一緒に燃やしてあげる」

「ううん。ない、けど……」


 そう、とまた短く、真代の姉――祭世は、答えた。


 姉の唐突さには慣れていた。

 この六花の家の、実質的な主。教団の中でも最も高い権威を持つ彼女。


 彼女はたった一つの結末だけを縛られて、代わりにその過程……その結末にどうやって辿り着くかを、全ての信者たちから許されていた。


 だから、こうして早朝に庭先に立っていることも、そこまで異様なこととは、真代には思われない。


 しかし、

「それ、教科書……?」

「そ」

「燃やしちゃうの?」


 うん、と言って祭世は、傍らに置いた分厚い教科書と参考書を、さらにドラム缶の中に投げ入れた。火の勢いは弱まるが、消えはしない。めらめらとそれらは燃えて、煙を吐いている。


 彼女の傍には、他にもたくさんのものがあった。

 ノート、文房具、体操着、それから制服。


「え、」

 と真代は声を上げた。


「制服って、卒業式は……」

「行かないから、いいの」


 式なんか出なくても卒業できるんだから、と彼女は言ってから、「あ、」と思い出したように、


「どうせ卒業証書燃やすから、後からやればよかったのか」


 姉の様子は、いつもと変わらない。

 いつもの、どこか超然として、世界から切り離されたような調子。


 けれど、真代はこのとき、奇妙な不安を感じていた。


 自分たちに訪れる結末のことをこの上なくよく知りながら、今更そんなことを感じること自体がおかしなことだとわかってはいたけれど……それでも。


「お姉ちゃん、どうかしたの……?」


 この姉が、どこかに消えていってしまうような。


 そんな当たり前の、奇妙な予感が、真代の中に存在していた。


 姉は答えなかった。

 ただひたすらに――この世に自分が存在していた痕跡を、一つ残らず消そうとでもするかのように、火の中にそれを、投げ入れ続けた。


 真代もずっとそのままではいなかった。

 玄関に回る。サンダルを履いて、再び庭に出てくる。姉のすることを見つめていると、ふと彼女の視線はこちらに向いて、「靴下履かないなら、もっと近くに寄れば」と素っ気なく言う。


 うん、と真代は頷いて、寒さに赤くなりつつある爪先を、ドラム缶から発される熱に、近付けた。


 姉はそれから、一時間近くも物を燃やし続けた。

 気の早い信者が家を訪れたのにも「帰れ」とだけ言って、追い払ったりして。


 そしてほとんど全てを燃やし終えたとき……真代は、珍しく姉の手が、少しだけ宙に迷ったのを見た。


 最後に残っていたのは、一枚の絵だった。


「それ、」

 真代が言えば、祭世の動きが止まる。


「綺麗な絵、だね。雪の……。お姉ちゃんが描いたの?」

「まさか」

 口の端だけで、祭世は笑った。


「私、絵、苦手だから。こんなの描けるわけない」

 そう言って、それも手に取って。


 しかし、そのまま火にくべることは、しなかった。


「真代」

「え?」

「この絵、誰に見える?」


 お姉ちゃん、と答えようとしたときには、もう祭世は気を変えていた。やっぱいいや、と言って、真代の口を噤ませる。


「似てないから」

「え、でも」

「いい。言わなくて」


 祭世はその絵を手に持ったまま……しかしあえてそれを見ることもせず、しばらくただ、そこに立っていた。


 真代も。

 どうしてか、今この場を離れない方がいいような気がして、ずっとそこに姉と一緒に、佇んでいた。


「……知ってる?」

 やがて、祭世が言った。


「目を覚ますともう、冬が来なくなるの」


 それは、蜘蛛の話だった。

 これから彼女が、一年以内にその身を依り代として捧げることになるだろう、蜘蛛の話。


「持ってる熱量がすごいから……もう、雪も、降らなくなる」


 そうなんだ、と真代は頷いた。

 自分よりも、姉の方がずっと、あの蜘蛛のことには詳しい。だから、初めて知るそのことも、いつものように真実としてじっと聞いて。


「別に私はこんな世界、どうなろうが知ったことじゃないんだけど……」


 それは真代が、初めて見る姉の表情だった。

 いつもの冷たい表情とは違う。自分と世界の間に見えない壁を置いているのとも違う。


 諦めているのとも、少し違う。





「雪が似合うんだって。私」


 その表情の名前を、そのとき真代は、まだ知らなかった。





 けれど、きっと一生、彼女は覚えている。

 姉の見せた、泣きそうな笑顔のこと……それを、ずっと忘れないでいる。


 祭世はその絵を、燃やさなかった。

 ただ、大事そうにそれを手に持ったまま――燃え盛る火に、背を向けた。


「お腹空いてる?」

「え」

「空いてるなら、何か作ってあげる」

 そう言って彼女は、玄関の方へと向かっていく。


 慌てて真代は、その後を追いながら、

「で、できるの? お姉ちゃん……」

「……真代が私をどう思ってるのか、よくわかった」

「う、うそ! 空いてる。すごく空いてる!」


 真代が祭世の隣に並ぶ。

 そしてその顔を見上げようとするのを――ぽん、と祭世が、頭の上に手を置いた。


「真代」

「ん?」

「元気でね」


 それは冬の終わり。


 もう、二年近くも前。

 世界が救われるまでにあった、思い出の話。




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