6-2 大広間
当たりだ、と階が言うのに、立葵も頷いた。
ほんの十分ほど前、車を降りる直前のカーラジオは小さな声で現在の状況を伝えてきていた――市街地、野生動物が大量に現れ、警察が対応中。近隣住民は速やかに避難するように。
そしてその車を近くの路肩に停めて歩き出したいまの二人の耳には、市内のスピーカーから流れだす緊急アナウンスが、うるさいくらいに響いている。
ガードレールの向こう……曲がりくねったそこから見下ろす町は、二十二時を回るこの時間帯に、珍しいほどの明かりが灯っていた。人の気配も騒がしい。実際に、どこかへと避難している最中らしい。
そして、ふたりが向かっている先にも明かりは。
「立葵、どうする?」
階が身を屈めて、立葵の耳元で問いかけた。
「俺がバッと入って、中、見てこようか」
「……ううん、俺も行く」
六花真代は行方不明になった、と言っていた。
だとしたら……彼女は今どこにいるのか、と考えて。
ふたりが次に向かったのは、彼女の家だった。
六花家――市街地から少し離れた森の奥、高台に位置するその場所には、入り口から溢れ出して異様な数の車が停められている。しかもそのナンバーは地元のものではない。北にしても南にしても、どう考えてもこんな寂れた町まで来る理由はないだろう遠くの名前が刻まれていた。
教団の人間たちが、集まっている。
「じゃあ、離れるなよ」
「うん」
母の言葉があった。
依り代の予備……真代をそんな風に使うには、何らかの儀式をする必要がある、と。
そして階には、記憶もあった。
真代の家。やたらに仕切りの開け放たれたあの家の造りは、ひょっとするとその教団関係者を多く入れられるように……。
つまり、ここが儀式会場になるのではないかと、当たりをつけることができた。
「お引き取りください!!」
「隠れろっ」
慎重に進んでいると、急にそんな大声が聞こえてきた。
家の前の車の陰――そこに隠れながら、階は向こうの様子を窺う。
そして、考えることは皆同じらしい、とわかった。
「そうは言ってもですねえ。こんな状況なわけですから。いくらそちらさんの宗教上の都合があるっていっても、親御さんがひとつも顔を見せてくれないんじゃこっちとしても……」
「令状はあるんですか、令状は!」
「いや、何もこっちだって、おたくを疑ってるわけじゃなくてですね……。参ったなあ」
「警察だ」
立葵が、そう呟いた。
家の前には、確かに制服を着た警官ふたり組が立っていた。青年と中年。玄関の前には教団信者と思しき男が立っていて、中年と口論をしている。
まあそうか、と階は呟く。
自分たちくらいが考えられること、警察だって思いつかないわけがないよな、と。
「あのまま中に入ってくれたらありがたいんだけど……」
「無理だと思う」
「だよなあ」
どちらかと言えば、警官の方が押され気味に見えた。
あのふたりが中に入っていくのを待っていたら手遅れになってしまうかもしれない……そう思ったから、階は。
「こっちだ」
立葵に合図して、玄関前に立つ信者に見られないよう、家の裏へと回りこんでいった。
「どうするの?」
「前に、墓参りに来たときに聞いたんだ。玄関とは別の出口があるって……」
そのときは使わなかったけれど、確かに真代は言っていた。
彼女の保護者らしき人物――今にして思えば、あれすらただの信者だったのかもしれないが――と鉢合わせしそうになったとき、別の出口を案内しようとしてくれていた。
そのことを覚えていたから、階は真正面にはこだわらず、迂回するようにして。
「……あった」
予想通り、その扉を見つけた。
金属扉。おそらく、台所かどこかに繋がっているのだろう場所。
が、
「ここにもいるのか……」
当然、そこにも見張りが立っていた。
階は、少しだけ悩む。
強行突破しかないか、と。
できるできないで言えば、たぶんできる。昼に蜘蛛を相手にしたときよりもよっぽどマシだ。体格だってそうは変わらないから、なりふりさえ構わなければ――向こうが見かけによらず格闘技のチャンピオンというわけでもない限り――まず家の中に押し入ることはできる。
ただ、間違いなく体力を消耗する。
それだけが気にかかって。
「あのさ、」
そこで、立葵が言った。
「携帯、ちょっと貸してくれない?」
「え?」
「あ、いや。ごめん。最悪なくすかも……」
その言葉を疑問に思いながらも、階は携帯を立葵に差し出した。
「どうするんだ?」
「タイマー使って、あの見張りどかす」
「……ああ」
それで、階も察した。
立葵の考えていることはこうだ。
家の周り……森の方に携帯を置く。それで、タイマーを使って大音量でそれを鳴らす。
それを不思議に思った見張りがそっちへと向かった隙に、入れ替わりで自分たちは中へと入っていく、という魂胆だ。
「でも、そんなに上手くいくか?」
「……そのときは、別のを考える」
けれど幸い、立葵がもうひとつ案を出す必要はなかった。
「よし、行ったっ!」
狙い通りだった。
最大音量で鳴りだした携帯は、見事に裏口の見張りを釣り出した。
向こうが十分に離れた隙をついて、ふたりは裏口から中へと侵入していく。
「うわっ……暑……」
思わず、階はそう零した。
部屋の中は暖房をどれだけ入れているのか、夏のように暑かった。
ついさっきまであの冷たい夜の中にいたというのに、それでもうんざりしてしまうほどの温度。そして乾き。
それから異様な、獣臭い空気。
「急いでっ」
立葵が階を先導した。
道案内は要らない。キッチンからの出口はひとつしかなく、そして廊下を少し歩いて覗き込めば、すぐに部屋――ほとんどすべての仕切りがなくなっている、大広間を臨むことができた。
「――っ」
「う……」
そこにあったのは、ふたりが言葉を失うような異様な光景だった。
部屋の周りを、数十人の教団信者たちがぐるりと取り囲んでいる。
全員が全員、ゆったりとした宗教衣のようなものを着込み、手を繋いで、そして何かぶつぶつと、低い声で言葉を唱えている。
階は耳を傾けたが、それが一体何なのかはわからなかった。日本語でも英語でもなければ、またメジャーな他言語のようにも思われない。
部屋の電灯は消されている。
その代わり、畳の上に敷かれた白い布――そこに書き込まれた奇妙な紋様の上に、無数の蝋燭が立っていた。さらに、部屋の外れ、土間のような場所には焚き木が組まれていて、ぱちぱちと音を立てている。
熱気が内に籠もり、信者たちも額に汗をかいている。
部屋の真ん中には、意識を失った六花真代が横たわっていた。
同じように、真っ白な宗教衣を着せられて。
一方で、熱に浮かされたようにその頬を真っ赤に染めながら。
そしてその周囲には蜘蛛が四匹、座っている。
「あれ……」
階が見たのは、その蜘蛛たちの口。
手だった。
明らかに、人の。
蜘蛛たちは、人の手を、貪っていた。
赤い血が滴って、白い骨が床に散らばって――百本近く。凄惨な光景が、真代の周りに広がっていた。
ぺちゃ、ぺちゃ、と水音が響いている。
異様な空気が、部屋の中を満たしていた。
「兄ちゃん」
こそり、と物陰で、立葵が問いかける。
「無理やり行ける?」
「……流石に、ちょっときついぞ」
階の顔が歪む。
できない、というのはあまり使いたくない言葉だけれど、しかし今は、そう伝えるしかなかった。
小学校でのあの遭遇だって、無我夢中の綱渡りだったのだ。自分でもそれはよくわかっている。
それが、単純に四倍。
周囲の信者たちもこちらに向かってくることを考えたら、さらにそれだけでは済まない。
走って連れ出すだけなら、できなくもない……かもしれないけれど。
「全員が全員追ってこられたら、そのまま逃げ切れる自信はないな……」
そこまで言ったところで、もしかして、と階は訊いた。
「何か、また考えがあるのか?」
「上手くいかないかもしれないけど、」
控えめに、そう立葵が言ったところで。
ふたりの耳が、水音と、呪文以外の音を拾った。
「まず――」
裏口の開く音だった。
見張りの男が戻ってきたのだ。携帯の罠に気が付いて、そしてひょっとすると、自分たちが中に入り込んだことに気付いた可能性がある。
だから、もう考える時間はなくて。
階は、立葵の肩を叩いた。
やっちゃえ、の合図。
「助けて!! 殺される!!」
そう、聞いたこともないような大声で、立葵は叫んだ。




