5-2 説明してよ
『ごめん、今ちょっと話したくなくて……』
『本当にごめんね』
そんな風に表示された携帯のメッセージを横目にコンビニのドリアをもそもそと食べている途中で、とうとうインターホンが鳴った。
母が腰を浮かせようとするのを、朱里は「いいよ」と手で制する。そして、安いスリッパをぱたぱたと鳴らしてドアスコープを覗きこむ。
慣れ親しんだ顔がひとつ。
ドアを開ければ、ドアスコープには映らないような角度に、もうひとりがいた。
「ただいま……っていうのも変か」
なんてことを背の高い方が言って、
「……まあ、とりあえず、おかえり」
と朱里は返した。
時間は夜。
二十一時も近付いて、そろそろ会話のトーンも潜めていかなくてはならない、そんな時間。
駅前のビジネスホテルの一室に、いま。
源隆以外の古河家全員が、ようやく揃っていた。
「あ、なんか食ってる」
部屋の中に入ってきた階はまず、そう言って、
「食べる? おにぎりとか買ってあるけど」
母の弥生は弥生で、なんでもないようにそう応えて、すぐ傍のコンビニで買ってきたレジ袋をがさがさと漁り始める。
「……お兄ちゃんさ、もっと他に言うことないの?」
「え? ああ……、」
呆れて朱里がそう言えば、階はどこかとぼけたような調子で、
「いや、母さんとも久しぶりなんだけどさ……」
「東京行っちゃってたら、別にって感じでしょ」
「ああうん、なんかそんな感じ。元気してた?」
「もちろん。元気元気~」
そりゃよかった、なんて言って、お互いに同調して母と兄が笑い合う。
父の鋭い顔が多少遺伝している朱里や立葵と違って、このふたりの笑顔はとにかく柔らかさに満ちている。それがふたつも並んでいるところを見ると――つい数年前はしばしば見ていた光景ではあったけれど――朱里もうっかり、今までのことを忘れて気を抜いてしまいそうになった。
「どう思う? あれ……」
味方を求めて、朱里は立葵に話しかけて、
「――ちょっと、大丈夫? あんた」
「……別に、大丈夫」
あからさまに元気のない、その姿に気が付いた。
「大丈夫って顔してないじゃん」
「立葵、おにぎり何がいい?」
朱里が問いかけようとするのに、被せるように母が言った。
「……いい。腹、減ってない」
「そう? じゃあ、コーンスープだけでも飲みなよ。明日の朝、カロリー足りてなくて倒れちゃうから」
そう言って、母は袋の中から小さな缶を取り出して、じゃかじゃかじゃか、と勢いよく振ったそれを、押し付けるようにして渡す。
しばらく立葵はそれを受け取ろうとしなかったが……しかし結局、母が決してその手を引っ込めないことを理解すると、両手でそれを受け取った。
ついでに階も勝手にビニール袋の中を漁って、自分の分の食料を確保し始める。
そして全員が食べ物に手をつけたところで、「ようし、それじゃあ」と母が立ち上がり、肩甲骨のあたりまである髪をいつものようにゆるく後ろで縛って、
「階も来たし、お母さんまたちょっと外に出てくるから」
「は?」
「戸締りちゃんとして、三人とも気を付けてね」
そんな、とんでもないことを言い出した。
「ちょ、ちょっと待って!」
口の中に放り込んでいた分を無理やりごくん、と飲み込みながら、朱里も立ち上がって、
「さっきふたりが来たら説明してくれるって言ってたじゃん!」
「え? ……うん。そのうちね。お母さんの気が向いたら……」
「お兄ちゃん、そっち立って! 入り口塞いで!」
サンドウィッチを片手に、階はとても素直に朱里の指示に従った。
大して広くないホテルだから、細身とはいえ階ひとりでもこの部屋の出口を塞ぐくらいのことはできる。そして母の体格も朱里より少し小柄なくらいだから、到底力づくでそこを突破することはできない。
困った、という顔を弥生はした。
せいぜい困れ、と朱里は思った。
「ちゃんと、何があったのか説明してよ」
「母さんって、何か知ってんの?」
「お兄ちゃんはちょっと黙ってていいから」
「え、」
ついさっきまで――ふたりでいたときに、朱里は母と、話していたのだ。
いったい何が起こったのか。どうしてタイミングよくあのとき、寮に現れることができたのか。それに、なぜこんなに長い期間、家を空けていたのか。
知ってるんでしょ、と。
何か、自分たちが知らないことを。
重大なことを――自分だけが、知っているんでしょう、と。
「……話してくれるまで、外には出さないから」
「えー……」
不満げな声を、弥生は上げる。
そして試しに、と言うように階に向けて手を振った。
そこをどけ、のジェスチャー。
階は一瞬だけ、朱里を見た。首を横に振って返してやったら、今度は母に目を移して、同じように首を横に振った。
「俺も、」
不意に、立葵が声を出した。
俯いて、ベッドの端に座ったまま――ぼそり、と。秘めていた気持ちを外に出したような、重たい声で。
「何があったのか、知りたい」
「……どうしても?」
母がそう訊けば、「できれば」と立葵は答える。
「どうしても!」
だから朱里が、その背中を後ろから押すように、思い切り言った。
だって、どう考えても納得がいかない。
これがただの、自分の住んでいる町で起こった奇妙な事件だとか――そのくらいの距離のことだったら、朱里だってこんなに強硬に訊き出そうとは思わない。
自分たちは、所詮はまだ学生だから。
何か大きなことが起こっていたとしても――それに対して取れる行動も、責任も、限られている。余計な嘴を突っ込んで人に迷惑をかけることが目に見えているなら、そんなことをするつもりはない。
けれど、明らかにおかしいだろうと思うのだ。
自分は鏡の中に入るだとか、そんなわけのわからないことができて――そのうえ、弟がピンポイントでそれと共通するような怪物に襲われかかっている。挙句の果てには家に殺人犯らしき男まで来ていて――
「何かあったとき、何も知らないままで後悔したくない」
そう、きっぱり言えば。
数秒、弥生は朱里を見つめて……やがて、はあ、とひとつ溜息を吐いて肩を落とした。
「誰に似たんだろう。こういう、元気いっぱいみたいなところ……」
母さんじゃないの、と階が言ったのは無視して、彼女は観念したように椅子の上に座り直す。
「あんまり時間がないから、概要だけね」
何から話そうかなあ、と弥生はぼんやり、白い光に満ちた部屋の天井を見つめる。
そして、こう言った。
「世界が滅ぶって言われたら、ゲームみたい?」




