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5-1 マイナスだって



「どうなってんすか、これ……」

 現場となった学園寮で、源隆の部下――加藤はそう呟いた。


 こっちが訊きてえよ、と言いながら、源隆はその場に屈みこむ。その廊下には、いまだに源隆の仕留めた奇妙な巨大蜘蛛が残っていた。


 まだ、びくびくと震えている。

 息があるのか、それとも死後の神経反応で痙攣しているだけなのか――源隆には、判別がつかない。いっそ残った銃弾を全てぶち込んで結果をはっきりさせてやりたいとも思うが、何せこの大きさの奇妙な生物。何か確証が取れるまでは、積極的な手出しで余計な問題が発生しないとも限らなかった。


 そもそも、咄嗟に撃ったのだってあまり上策とは源隆自身、思われない。

 拳銃を奪取されていたから――あるいは、明らかに目の前の警官に命の危険があったから。そのくらいのところで発砲の理由がつけばいいとは思うが、しかし未知の動物相手だ。記者会見で適法性を突かれることは想像に難くない。


 うへえ、と加藤はそれを見下ろしながら言う。

「よく古河さん、こんなの相手にできましたね。ベテランは違うなあ……」

「馬鹿野郎、こんな化け物相手にベテランも何もあるか。俺だってめちゃくちゃ怖えよ」

「本当すか」

「そんなことより、まだ情報回ってこないのか」

「いや、だってこいつここに置き去り……」

「そうじゃなくて、小学校の方だよ。あっちはもう、市役所で引っ張ったんだろ?」

「あ、そうっすね」


 ちょっとまた確認します、と言って加藤が電話をかけ始める。第一声が「あ、どうもすみません。加藤です」から始まったのを聞けば、もう何度もその番号とやり取りしていることが知れる。


「すごいことになってるみたいですよ」

 電話を切るとまず、加藤はそう言った。


「県の保健所とか、畜産センターの獣医さんとか、とにかく人引っ張ってきて検査してるみたいです。新種だろうって」

「外来生物の線もないか」

「まあ、これですからねえ……」

 ふたりして、それを遠巻きに見下ろして、


「で、検査するにしても今の人手と設備じゃ足りないって言うんで、大学に送るとか、国から人が来るかも……とかやってるみたいです」

「んじゃ、まだ何もわからんか」

「いや、それが何だか、ケイ素?でできてるとかなんとか騒いでるらしいです」

「ケイ素ぉ?」


 源隆は怪訝な顔になって、

「なんだそりゃ」

「いや、向こうもわかってないみたいですけどね。でも、ケイ素って言ったらあれですよ」

「なんだ」

「聞いたことないですか? ほら、SFとかで……」

「知らん」

「宇宙生物」


 源隆の表情を見て、加藤は慌てて弁解を始めた。

「いやいや! 何も本気で言ってるわけじゃないですよ! ただ、そういうレベルの変な感じみたいだってことで……!」


 はあん、と源隆は半信半疑の顔で頷いて、ばりばりと頭を掻いた。

「まあ、俺みたいな年寄りにはわからんな。若いのと大学の先生にそっちは任すよ」

「あ、若いのと言えば、」


 思い出したように、加藤は、

「小学校の方を仕留めたの、古河さんの息子さんらしいじゃないですか」

「ああ……。らしいな」

「いやそれめちゃくちゃすごいですよ。僕だったら拳銃持ってても怪しいですもん。親子そろって武闘派っすねー……。やっぱり結構、似てるんですか?」

「いや、あいつは母親似でパッと見は優……って、んなこたどうでもいい」


 そこまで話して、ようやくふたりは動き出す。

 寮の中には、警察がかなりの数詰めている。一方で生徒たちの姿はかなり減った。すでにこの騒ぎで学園は一時休校となったが、この蜘蛛がまだ引き取られていないこと、また寮生たちも現場となった場所に対してショックを受けるだろうという配慮から、寮生たちは一旦、寮ではなく学校舎の側に待機することになっている。


 階段を下って、二階から一階へ。

 大きな鏡の前で、源隆は立ち止まる。


「消えたって、本当の話なんですか」

 恐る恐る、という声で加藤が訊ねる。


 ああ、と源隆は、それに頷いた。

「野郎、追ってる途中で、この鏡の中にすっぽり消えちまった。……俺の頭がおかしくなってるってわけじゃないなら、はっきり、この目で見た」


 どうなってんだ、と源隆は苦々しく溢した。


 警官から拳銃を奪取して逃走した白い傷の男の目撃情報は、以来、未だに入ってきていない。




゜。゜。゜。゜。




 結局、病院まではふたりして付き添うことにした。

 高熱を出した六花真代。彼女を運んでいく救急車に、担任教師と、それから倒れる場面を見ていたということで立葵、その連れ添いにと兄の階が乗り込む形になった。


「原因不明、ですか」

「ええ。ただ高熱が出ているだけで。お話を聞く限りですと、何か切っ掛けがあったわけでもないので、何とも……」

 とは言っても、立葵も階も、何ができるわけではない。教師と医者がそんな話をしているのを、ただその場で聞いていただけだった。


「感染症の症状は見られませんから、点滴を入れて、意識が戻るまではうちのベッドを使ってもらいましょう。入院手続きになりますが、その、ご家族の方は……」

 ちらり、と医者は階のことを見る。

 慌てて階は首を振って、


「ああいや、俺はただ、こっちの方の付き添いで……」

「すみません。六花さんのご家庭に何度も連絡しているんですが、繋がらないみたいで……」そう言って担任が、医者に頭を下げた。


 結局、担任が残ることになり、ふたりとも病院を去ることになった。

 夜も更け始めている。十九歳と十二歳の、血縁でも何でもないふたりがここにいて役立つわけでもない。階は「すみません、後のことは……」と頭を下げて、立葵を引き連れてその場を辞した。


 入口の自動ドアをくぐると、一気に吐息が真っ白に染まった。

 冷たい冬の夜が、水気を持って頬に当たる。たったの一秒の間に、睫毛に細かな氷を吹き付けられたような心地を覚える。


 見上げると、今は少しだけ、雨が止んでいた。

 冬の澄んだ真っ黒な空に、星々が冷たいくらいに輝いている。


「さっむ……」

 肩を竦めながら、階が歩いていく。その後ろを、立葵はついていった。


 車に乗り込んで、エンジンをかける。二十二度に設定した暖房がぼうっ、と勢いよく吹き出した。


 階は運転席で、立葵は後部座席。


「うわ、外の気温マイナスだって。道理で寒いと思った……」

 階の声に、立葵が応えることはない。代わりに流れ出したラジオの音声が、ふたりの沈黙を埋めた。


『突如学校に現れた謎の生物について、現在捜査中です。


 本日午後、小学校及び中高一貫校の学生寮に現れた謎の生物について、警察は専門機関と協力し、その経緯について捜査を進めています。

 捜査対象となっている生物は体高一・四メートル、体重は百キロ超の蜘蛛に似た生物であり、人に襲い掛かるような動作が見られたことから、事件発生区域周辺では現在、危険を避けるために外出を自粛するよう市からの要請がされているとのことです。


 また、この事件に関連して、現場に居合わせた警察官が、当該生物の関係者と思しき人物によって拳銃を奪取されており、現在もその行方を追って各所で検問が敷かれています。


 さらなる続報が入り次第、速やかにお伝えします。

 当該地域周辺にお住いの方々は、十分に警戒の上、警察や地元自治体の指示に従って行動してください』


 ほとんどもう、駐車場に車はない。

 ガラガラになった、暗い場所。田舎に特有の広い駐車場は、その外縁の明かりだけでは到底全てを照らし切ることはできない。階たちの乗る車のヘッドライドが、その真っ暗闇を引き裂くようにして、横切っていった。


 道路に出る前の場所……右折のウインカーを出しながら、階は左右を確認しつつ、「さっきも言ったけど、」と話し始めた。


「今日はとりあえず、ホテルに行くから。……あ、どっかで飯、食ってくか?」

「いい」

「……食欲ないよな」

 了解、と階は言う。ホテルの近くにコンビニもあるし、とりあえず移動して、それから考えよう、と。


「母さんと朱里はもうホテルに入ってるみたいだから……まあ、行ったら俺たちの部屋の方に荷物置いて、一旦合流かな。色々訊きたいこともあるし……」

「あのさ、兄ちゃん」

「ん?」


 バックミラー越しに、階は立葵を見た。

 俯いていて、前髪に阻まれたその表情は、よく見えない。


「……助けに来てくれて、ありがとう」

 その言葉を、あえて軽い調子で、階は受け止めた。


「いつでも行くよ。たくさん頼れ」


 ラジオから明るいアイドルの声が聞こえ始める。

 階は少しだけ、そのボリュームを上げる。


 外には、車すらほとんど通っていない。

 静かな、夜の町。


 小さな箱の中では、音楽と、それからすすり泣くような声が、外に洩れ出すこともなく響いていた。




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