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3-3 誤魔化し



 少し迷ってから、がらり、と窓を開いて、階は声をかけた。


「あの、何かうちに用ですか」


 男の傘が揺れる。

 その傘の上に溜まっていた水が、どぽどぽと地面に零れていく。


 鼻から上は見えない。

 かろうじて、白い傷跡らしきもののついた、口元だけが見えている。


 三日月に弧を描いて笑っているように、階には見えた。


「女はどこだ?」

 奇妙な――割れたような声で、男はそう告げる。


「女、って……」

 誰のことだ、と階は考える。この家で該当するのは、母か妹かの二人。口元を見る限り、まさか自分と同年代やそれ以下とも思えなかったから、おそらくは母のことを指しているのではないか――そう思う。


「そもそも、あなたは誰なんですか」

 質問には答えず、反対に階はそう訊ねる。


 おそらく、という見込みはあった。この男が、立葵がひとりでいるときに見たという不審者の男なのだろう、と。実際、口元とその服装は、明らかに立葵から聞いていたのと一致している。


 いきなり声をかけたのも、それが理由だった。

 不審者だとして……何度も来るような執拗な相手なら、どこかできっちりけりをつけなければならない。平和的であれ、そうでなかれ。


 ちょうど今日、この時間帯には自分の他に巻き込まれる家族もいない。

 自分が蹴りをつけてやろうと、そう思ったのだ。


「女はどこだ?」

 男は階の質問に答えず、もう一度そう言った。


「何しに来たんですか」

 階ももちろん、それに答えない。


 しばらくの沈黙。ふたりの間には、雨だけが降り注いでいた。


 やがて、男の方から先に、視線を切った。

 そして階の立ち位置からは死角になる場所――家のより近くの方へと歩みを進めていく。


「何を、」

 階が声量を大きくして、そう訊ねようとしたその瞬間。

 ガラスを砕く、甲高い音が響いた。


「な――!」

 階も思わず慌てた。


 想像しうる光景はひとつ。男がリビングのガラスを割って、家の中へと侵入してくる――。


 家の中を荒らされたら溜まったものではない。

 階は急いで部屋を出て、一階リビングへと駆け下りていった。


 しかし。


「――いない?」

 下りていった先では、男の姿は見当たらなかった。


 自分の想像が外れたわけではないはずだ、と階は思う。実際に、リビングの窓ガラスは叩き割られている。


 しかし、肝心のその男が見当たらない。

 冷たい風が、幾分かの雨とともに吹き込んできているだけだった。


 もしかしたら、という可能性もあったから、リビングを抜けてどこか家の別室に男が潜んでいないかも、ちゃんと確かめてみた。けれど、雨の庭から家の中に入ってきたにしては足跡が見当たらない。ガラスを割って、そしてそのままここを立ち去ったとしか思えなかった。


「……嫌がらせか?」

 それ以外には、パッと他の可能性が思い浮かんでこなかった。


 しばらく自分が家を離れている間に、随分と物騒なことになっている……その様変わりに内心で動揺しながら、階はポケットから電話を取り出して、父に連絡することにした。


 おそらくついさっき連絡したばかりだから、向こうも携帯を多少気にしているだろう……そう思って、粘り強く応答を待ち続ければ、十コール目でようやく、通話が繋がった。


『どうした?』

「ガラス割られた」

『何?』


 階は短く、要点だけを伝えた。

 家の周りに不審な男がいたこと。そしてその男が、家のガラス窓を割ったらしいこと。おそらく家に侵入した形跡はないように思われること。


 同時に階は、傘を片手に玄関から外に出てもいた。

 何か痕跡がないか、探すためだ。あるいは男がまだ、庭の敷地内に隠れているという可能性もあったから、慎重に。


 男の姿は、やはりなかった。

 けれど、痕跡は見つけた。


『どうした?』

「…………」


 ひゅっ、と一瞬、息を呑んだ。


 見間違いなのではないかと思う。だから、もう少し近付いて、階はそれが本物なのかどうかを確かめる。

 手を触れると厄介なことになりそうだと思うから、ただ屈みこんで、打ち棄てられたそれを、見定めてみる。


『階? どうした?』

「…………手首」


 そしてどうやらそれが、自分の思っているとおりのものらしいと認めた。


『……おい、なんだって?』




「手首が落ちてるんだ。……どう見ても、人の」




゜。゜。゜。゜。




「お前、朝あいつと一緒に教室来てなかった?」


 その一言が好意的なものではないということは、おそらく誰が聞いても理解できた。


 給食の時間だった。

 机を並べて、配膳係が給食室から戻ってくるのを待つ、その時間。


 同じグループの男子生徒――江上から、立葵はそう問いかけられていた。


「……え、うん」

 それがどうかしたか、という調子で、立葵はそれに応える。江上の言わんとすることは明らかではあったが、知らないふりをした。


 もちろん目の前の男子が言及しようとしているのは朝のこと――貧血でふらついたらしい真代を、自分が肩を貸して連れてきたことであることだった。

 そしてその声音を聞けば、明らかにその言及が、自分を貶める意図を孕むものであるということも、立葵にはわかる。


 だから、素っ気ない態度で応じた。

 それが功を奏して、一度は江上も面食らったような顔をした。


 けれど、彼は諦めず、


「――――何お前、六花と付き合ってんの?」

「なんで?」

 この手の対話において反応速度が重要であるということを、立葵は直感的に理解している。だから、言葉のボールはできるだけこちらの手に持たないようにして、


「いやだって……古河さあ、六花と抱き合って教室入ってきたじゃん」

「目ぇ悪」

「いや、俺マジで見たから。なあ、見たよな?」

 なあ、と江上は隣の、もう少し気の弱い男子生徒に同調を求める。見たかも、と面白がるようにその男子も笑った。


「普通、ふらついてるやつがいたら肩くらい貸すだろ」

「お前あれっしょ。六花のこと好きなんじゃん」

 江上の視線が、立葵から外れる。


 その先を追うと、真代が座っていた。

 給食のグループの形にすでに机を揃え終わって……周囲ががやがやと話している中、ぽつんと一人取り残されて、肩を縮めて座っている。


「お前いっつもそんなこと考えてんの? ウケんだけど」

 こいつなんだろうな、と思いながら、江上の言葉を立葵は半笑いで、淡白に切って捨てた。


 江上はこれで、結構クラスの中心にいるタイプだった。

 少年野球に所属していて、足が速くて、声がでかい。ついでに他人を攻撃することに厭いがない。立葵は漫画を読んでいて『ガキ大将』のタイプが出てくるたびに江上のことを思い出す。そういうやつだから。


 こういう話を振ってくるということは、こいつがいじめの中心にいるんだろうな、と。

 立葵は、そう思った。


 距離を取って話すだけなら、すごく簡単なことだと立葵は思う。

 適当に、こうやってあしらってやればいい。向こうもそういう風に近付いたら危ないというのがわかるから、不用意に近寄っては来なくなる。


 けれど、手に負えないのは真っ向から対立してしまったときだ。


 もしもこの場で自分が「上履き隠したのお前だろ」「やめろよ」なんてことを口に出したら、もうこんな風に切り抜けることはできなくなる。江上は自分のプライドを守るために、たぶんあらゆる手段を使ってこちらを屈服させようとしてくる。


 ただ向かい合って一対一で勝負するだけなら、こいつには負けないだろうと立葵は自分では思っている。


 けれど、周りの人間が巻き込まれれば――江上の取り巻きまでが争いに加われば、自分ひとりではどうしようもないだろうということも、同時に思っていた。


 みんなで力を合わせた方がずっと強い――――少年漫画でも、道徳の教科書でも、何度も教え込まれる基本的な法則に逆らえるほどの力は、自分には、ない。


「本当にお前、六花のこと好きじゃないわけ?」

 探るような目つきで、江上はもう一度訊ねてくる。


「だからそう言ってんじゃん」

「んじゃお前、六花のこと殴ってこいよ」

「は?」


 耳を疑った。


「意味わかんねーんだけど」

「好きじゃないなら殴れんだろ」

「はあ? お前どういう神経してんの」

「いや、みんなやってっから。なあ?」

 江上が意地の悪い笑いを見せて、周囲の男子に目配せをする。そしてその男子たちも、同じような笑いを返した。


 見せかけの、誤魔化しの表情ではないらしいと、立葵は悟った。


「何、お前ら」

 声が震えれば、それが弱みになるとわかっていたから、どうにか懸命に抑え込んで、


「マジでそんなことしてんの?」

 吐き気がする。


「別にあいつ、先生にも親にもチクんねーから」

「いやそういう問題じゃないだろ」

「は? 古河、なにマジになってんの?」


 この場所にいたくない、と立葵は思った。

 こんなところにいたくない。こいつらは気持ちが悪い。気色が悪い。関わりたくない。話をしたくない。この学校に来たくない。そう、強く思っていた。


「怒るってことは好きなんじゃん。おい、みんなに言おーぜ」

「お前、耳ついてる?」

「言い訳すんなよ。てか、お前知らないだろ。うちの母さんが言ってたけど、あいつんちすっげえヤバイ宗教やってんだぜ。あんな気持ち悪いやつ好きになるのお前くらい――」


 話が中断されたのは、うわ、と他の生徒の悲鳴が響いたからだった。

 立葵も江上も、その悲鳴の方を見る。


 ぼたぼたと、真代が鼻血を流していた。


「何、どうしたの?」

「いやなんかあいつ急に……」

 そんな風に、周りの生徒たちがぼそぼそと遠巻きに話しているのを、


「うわ、気持ち悪!!」

 江上の大きな声が、すべて上から塗り潰した。


 指を差している。

 差された側の真代は、それにびくりと肩を震わせる。


「きったねー! 机にこぼしてんじゃん! ティッシュくらい持ってねーのかよ!」


 実際に、真代は手を皿にして鼻血を受けてはいるものの、指の隙間は完全になくなるものではなく、ぽたぽたと雫になって零れだしている。

 慌てながらもティッシュを取り出す様子がないのは、手がふさがってしまったからというより、おそらく本当にそれを持っていないからだと思われた。


 思わず、立葵は腰を浮かせそうになる。

 が、その行く先を江上が潰した。


 立葵の前に立ちふさがるようにして――彼はこんな風に言って訊ねる。

「なあ、古河。気持ち悪いよな?」


 言い方の軽さとは裏腹に、それは明らかにこっちを探っていた。

 そう思うよな? そう思わないなら、お前はこれから……そういうニュアンスを、間違いなく含んでいた。


 江上の出した大声は、かえって教室の音を消し去っていた。

 誰もがこちらを見ている――自分が多数の側に立つのかどうかを、見定めている。そんな風に、立葵は感じて、


「――そ、」


 それと同時に。

 こっちを見ていた真代とも、目が合った。


 諦めたような目をしている、彼女と。


「そんなこと言ったら、お前もこの間、サッカーで顔面食らって鼻血出してたろ」


 そんな風に誤魔化すのが、立葵には精一杯だった。

 軽い笑いが教室から聞こえてくる。出してた、出してた、なんて立葵と江上のここまでの会話を知らない少年野球の面子が囃し立て始める。


 一瞬だけ江上は立葵に厳しい目を向けて――それから「あれ佐川のせいだかんな!」とおどけた調子になって、その場を離れて歩き出した。


 どっちつかずの反応だった、と立葵は思う。

 本当にこんなことは嫌だと思うなら、自分はもっと毅然とした言葉で反発するべきだったのだ。


 それができなかった不甲斐なさ――しかしそれを周りに悟らせるわけにもいかないから、いつもの調子で、ぼんやりと立葵は近くのクラスメイトと話し出す。


 視界の端で、たったひとりで背中を丸めて教室を出ていく真代の姿が、目に入った。




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