花のある恋物語2
本当の恋を知らない君へ向日葵を
彼女を好きだと気づいた時にはもう遅かった。無意識のうちに目が追っていた彼女は、俺とは正反対の男に恋をしていた。どうして君を傷つけることしかできないような男に自ら囚われているんだ。でもそれは俺も同じなのかもしれない。今日も君に触れたいのに俺はこの手を伸ばせずにいる。
いつもは授業が始まるギリギリの時間に講堂に入り込むというのがお決まりの幸之助は、二限目が始まる十五分も前にそこへたどり着いていた。授業が始まる時間にはまだ早いけど、基本的に十五分前行動厳守の紗奈はもう座っているだろうなと思いながら彼は講堂に入った。すぐに細く頼りない背中が彼の視界を支配する。どこにいても、人混みの中でも紗奈を一番最初に自分の目に写せることができるというのが、最近では自分の特技なのではないかと思うようになっていた。
何段か階段を降りて紗奈の顔を覗き込むと、殴られでもしたのかというぐらい瞼が腫れていた。
「また泣いた?目腫れてる。ブサイク過ぎるぞ。よくそんな顔で講義受けに来れたよな。」
また思ってもないことを言ってしまう。本当は心配しているのに。
その言葉に紗奈は机に向かって突っ伏した。もう顔についてはイジってくれるな、紗奈は無言でそう訴えているのだろう。
こんなに傷ついて悲しい顔をしている紗奈を拓人は知らないのだろうと思うと、心底腹が立つ。
「どうせあいつのことだろう?」
「あいつって言うけど、こうくんの先輩でしょ?」
拓人は確かにテニスサークルの先輩だ。しかし、コートでその姿を幸之助は見たことがない。拓人がサークルに参加するのは飲み会が開かれた時だけだった。サークル一の女たらしと言われている拓人のことを、悪魔でも自分は硬派な男だと思っている幸之助はあまりよく思っていない。
「分かってはいることなんだけど…自分の切ない思いの丈をいつものように紗奈は話し始める。言葉の断片は所々幸之助の頭に入ってくるがほとんどは聞き流していた。
自分の状況を分かっているのに、まだ拓人に縋っていたいという紗奈の思いを聞くに耐えきれなくなった幸之助は、あからさまに機嫌が悪くなったという態度を示し、「目を覚ませ。」と冷たく言い放ち席を離れた。比較的前の方の席に移動した後、言い過ぎたという後悔に襲われ、紗奈の姿を確認しようと後ろを振り返るがもうどこにも彼女の姿は無かった。
「やっぱりこうちゃんのことが好き。」
幸之助より学年一つ下、幼馴染である江理奈は、ここが大学の食堂で、一応公共の場であるにも関わらずストレートに思いの丈をぶつけてくる。
しばらくぶりに会った開口一番がこれか、と幸之助は心の中で思っていた。江理奈のこの告白はこれで何度目になるだろう。
「分かったよ。でも何度も言うけど俺は江理奈とは付き合えないよ。」
「はいはい。何度も断られるけど私は諦めないからね。こうちゃんじゃなきゃ絶対嫌なの。」
「お前さ、普通にかわいいんだから俺なんかじゃなくて普通にかっこいい奴に恋しろよ。」
「何言ってんの?こうちゃんは普通以上にかっこいいよ。」
恥ずかしげもなく江理奈はそう言い、鞄の中から持参のミネラルウォーターを取り出しゴクゴクといい音を立てて何口か飲んだ。
「こんなにも断り続けられてるのによく諦めないね。」
ため息混じりに幸之助はそう言い放ったが、今の彼の精神状態では、江理奈にもう何押しかされたらそのまま彼女の腕の中に崩れ落ちていきそうなぐらいだった。
あの講堂での一件から一ヶ月。前期試験やら課題やらで慌ただしく過ごしていた幸之助は、紗奈に会えていなかった。それどころか姿さえも見ていない。食事はちゃんと摂っているのだろうか、まだあいつに縋りついているのだろうか。遠くに住む娘を心配する田舎の母親みたいな気持ちになってきた。
「諦めないよ。何もしないでこうちゃんが誰かのものになるぐらいなら、玉砕してでもちゃんと気持ち伝えてる方がマシだもん!」
「俺、好きなやついるから。」
大きく目を見開き瞬きをすることも忘れて驚いている江理奈を置き去りにし、幸之助は食堂を出た。
午後の授業は友人に代返を頼んで帰宅をすることにした幸之助は、駅への近道にと中庭を抜けようとする。そこで噴水前のベンチに腰かける拓人と知らない女が視界に入り込んできた。
「こうくん?」
タイミングが悪いとはこういう状況のことを言うのだろうか。約一ヶ月ぶりに紗奈に会えて嬉しいはずなのに、今は喜んでいる場合ではない。このままこちらに向かってこられたらベンチに座るあの二人が紗奈の視界に入ってしまう。それを隠すように紗奈の手を掴み
校内に連れ込もうとするも、幸之助の肩越しに噴水の方向を紗奈は覗く。
「あぁ…ありがと。でも、気にしないで。」
「え?」
「拓人さんとはもう関係ないから。たくさん話聞いてもらってありがとね。…それでね、こうくんに聞いてもらいたい話がたくさんあるんだけど!」
太陽に向かう向日葵みたいに紗奈は笑う。本当に拓人とのことは吹っ切れたような顔をしていた。
「今はね、三年の仁科先輩が気になってるんだ。今度飲みに行こうって誘われちゃった。」
右目を瞑り、左目は半目といった不器用なウインクをかます紗奈。
拓人から解放されて良かったと幸之助が思ったのも束の間。今度は三年の仁科先輩だと!?
「紗奈、紗奈。これ聞いても落ち込むな。その仁科先輩なんだけど、拓人さんの次ぐらいに女癖悪いって有名だから。しかもM大に彼女いるらしい。」
「勘弁してよ。」
勘弁して欲しいのは俺の方だ。と思いつつも幸之助は、恋という紗奈が仕切る土俵にすら自分は上がれていないのだということに気づく。
女たらしなだけかもしれないが、少なくとも紗奈を気にかけてる男は彼女を食事に誘ってアクションを起こしている。場は違うが江理奈だって落としても落としても土俵に這い上がって来る。一方、俺は話を聞いて、情報を流して、見守るだけ。もうそんなのは辞めよう、報われたい。
「紗奈。夏休みさ、地元帰るよな?いつ帰る?」
「お盆前には。なに?どうしたの?」
「一緒に帰らないか?付き合って欲しい所があるんだけど。」
八月上旬。幸之助と紗奈は一緒に帰省し、地元で有名な何十万と向日葵が咲く丘へとやってきていた。
「ここ有名だけど地元だからか一度も来たことなかったんだ。」
そう言って向日葵みたいに笑う紗奈の周りを向日葵が囲むから、どこにでも彼女がいる気になり、少し可笑しくて幸之助も笑う。
「こうくん!そんな風にして笑うんだね。いつもちょっと険しい顔してるからさ。うん、その方がいい。笑った方が、絶対!!」
「は?もう紗奈の前で笑わない。」
そう言いながらも、はしゃぐ紗奈を見て幸之助の口角は上がりっぱなしだ。
「ニヤけてるの、隠せてないよ。」
「黙れ。」
「それにしても、こうくんが向日葵好きだったとは意外だな。」
「向日葵にはそんなに興味はないよ。」
「え?」
「俺が好きなのは、向日葵みたいに笑う人。」
ここへ来る途中、出店で買った一輪の向日葵を幸之助は紗奈に渡す。
今はこれが俺の精一杯。
紗奈は鈍いから気づかないだろう。向日葵の花言葉に秘められた俺のこの思いは。
幸之助に向日葵を渡された紗奈は少し戸惑っていた。以前、拓人に皮肉を込めて紫陽花を送った時に色んな花の花言葉を片っ端から調べたのだった。もちろん向日葵も。
向日葵に秘められた花言葉って確か…
まさかこうくんが私を?いや、彼が向日葵の花言葉なんて知ってるわけないか。