秋花火
Twitterの企画でTS百合を書くことになりました。
書いてみましたが、これを百合と呼んでいいのか……分かりません。
「……もと男の秋には、負けないから」
「────ああ。けど、男同士だから知ってることもある。冬美には負けないよ」
その言葉には、侮辱的な色がなかった。いっそ清々しいまでの信頼が伺える。
オレと目の前の少女、冬美は、所詮幼馴染みという関係だ。
しかしだからこそ、恋愛的な感情を覚えたことは1度もない。
そしてさっきの冬美の発言。
オレが性同一性障害で、性転換手術をした──という訳ではない。
今年の3月、オレは女になった。見た目どうこうじゃなく、生物学上で女になったのだ。
ある朝、目が覚めたオレは違和感を覚えた。
なんとなく、視界が低い。
なんとなく、手が小さい。
肌が白くて、ゴワゴワとしたムダ毛が全然ない。
首周りが、長い黒髪で覆われている。
パジャマがぶかぶかで、脱げかけて見える四肢はほっそりとしている。
──声を、出してみる。
ハスキーボイス、とでも言うのか。男が無理して出せるくらいの高さだった。
──胸に、触れてみる。
硬い突起の裏側に、UFOの様な円盤があった。
それを押してみると、痛みを覚えた。鋭いものでは無いが、経験したことのない痛みだ。
──股間に、触れてみる。
普段は、そこにある事を忘れてしまうほどに馴染んでいたそれが、今は探ってもどこにもない。
──部屋をでて、転びそうになりながら階段を降り、洗面所へ向かう。
途中、妹とすれ違い、何かを叫ばれたがそれ所じゃない。
扉を開け、大きな鏡に映ったのは、小柄な少女だった。
ふわふわとウェーブのかかった黒髪が腰まで伸びていて、眉の辺りで真っ直ぐに前髪が切りそろえられている。
そのすぐ下からこちらを覗く目は猫の様で、記憶にある自分のそれと似ていた。
しかし、異様にでかい。
そんな少女は、追いかけてきた妹とよく似ていた。身長も大して変わらない。
明らかに、血の繋がりが伺える容姿をしていた。
──俺はその日、女になったんだ。
──家族には、見せられなかった。
急いで中学時代のジャージを引っ張り出し、それでも余る裾や袖を折って、家を飛び出した。
その間、妹は俺が兄だと気付いたのか、色々と訊いてきたが、正直言ってこんな姿、知り合いには見せたくなかった。
まして家族には。
部屋に閉じこもるフリをして、運動靴を履き、窓から車庫の屋根に出る。
そして家の塀にそっと移り、地面へと移動する。
こっそり家を抜け出す時に使ってた経路だ。
最近は体が重くなったせいか、はたまた車庫が古くなったせいか、屋根が嫌な音を出すので諦めていたが、この華奢な体のおかげで問題なく抜け出すことができた。
とそこで、部屋の窓から妹顔を出して、こちらに気付いた。
妹は高い所が苦手だ。同じ経路では追ってこれないだろう。
俺は、家から、家族から離れようと、走出した。
そして数分後、近所の公園で息が上がってベンチに座り込む黒い少女がいた。
俺だ。
予想以上に体力が落ちていて、全然遠くまで走れなかった。
しかも公園について気付いたのだが、財布も何も持ってきていないのだ。
くぅっと、腹が可愛らしい音を立てるのを、恨めしそうに睨むことしかできない。
悔しかった。訳が分からなかった。なんでこんな事になったのか、どうして自分がこんな目に会わなきゃならなかったのか。
ただただ、溢れ出てくる涙が熱くて、蹲って感情を抑える事しかできなかった。
そんな時だ。あいつは現れた。
親友だった。あの男は。
「春香……ちゃん? え、髪伸びた……? いや、それよりも、なんで泣いてるんだい?」
心配そうに顔を覗き込んで来ようとする親友。
妹の春香と勘違いしてる様だったから、あえて何も言わなかった。
ただただ目をそらして、泣いていたことを誤魔化すように目元を拭った。
そしてその直後、親友の口から出た言葉に、思わず反応してしまった。
「もしかして……秋人、なのか……?」
「──な、なん、で……!?」
取り繕う余裕もなかった。
「いや、あくびとかで目元擦る時、グーにした小指で拭う癖、同じだったから……」
反応してしまった以上、もう言い逃れはできなかった。
俺は、ポツリポツリと、朝起きた事を、あいつに話すのだった。
あいつは、それを笑うでもなく、真剣に聴いてくれた。
「……おまえ、バカだろ」
「っはあ!?」
あまりにも簡単に信じるこいつがおかしくて、いつか美人局にやられるぞ、なんて。
──気付けば俺は、笑ってた。
「これからどうするつもりだ?」
「わかん、ない……だけど、学校には行けない」
「ばか、学校には俺から言っとくよ。それよりもだ、おばさんやおじさん、それに春香ちゃんにどう説明するつもりなんだ?」
「…………家には、帰らない」
正しく言えば、帰れない、だ。
目の前の親友──夏樹には、結果的にバレたにしても、自然でいられた。だから、良い。
けど、家族の前で、どんな顔をすれば良いのか……俺には全く分からなかった。
「──はあ、しょうがねえ。秋人、冬美んとこ行くぞ」
「……え?」
冬美、俺の幼馴染みで、近所に住む少女だ。
面倒見が良く、それでいて恋に悩む姿も見せる、俺にとっては親しい存在。
あまりに存在が近すぎて、恋愛感情を抱いたことは一度もなかったし、これからもないはずだ。
なにせ、冬美の想い人とは、この目の前の男、夏樹だからだ。
俺は二人の仲を取り持つため、東奔西走させられたものだった。
「──冬美、冬美か」
……確かに冬美なら、変な気を使わずに接せられる気がした。
「よし、じゃあ行くか」
「──信じられる訳ないでしょ」
「……」
「はっきり言って、貴女春香ちゃんでしょう? どうやって髪伸ばしたかは知らないけど、あまり歳上はからかわないで」
「お、おい……」
「夏樹君も、騙されないで。冷静に考えて? 男が女になるなんて、あるはずないでしょう?」
「そりゃ、そうだけど……」
「はぁ……とりあえずおじさんとおばさんの所に連絡するわ」
「……! そ、それだけは待ってくれ!」
「あのねぇ、春香ちゃん。ここは家出娘の避難場所じゃないの」
冬美は、苛立っているみたいだった。
一応話は聴いてくれたけど、信じる気は全くないみたいだった。
──冬美なら、信じてくれると思っていた。
というより、疑われるとすら思っていなかった。
しかしどうだろう、この結果は。
心配……はされている様だった。けどそれは、幼馴染みが突然の性転換に陥っているのを心配しているのではなく、幼馴染みの妹が、訳の分からない事を言っているのを心配している風に、俺は感じた。
「ちょ、ちょっと、なに泣きそうになってんのよ……」
「な、泣きそうになんか、なって、ない……」
気付けば、また目頭が熱くなっていた。
この体は、涙腺が緩いのかも知れない。
ただただ信じられないのが悲しくて、認められない胸のもやもやが溢れ出した。
「────ああもう! しょうがないわねぇ!」
「えっ……?」
「そんな、泣くほどな状態の子、放って置ける程、私冷徹じゃないわよ……」
「じゃ、じゃあっ……!」
「……勘違いしないで」
頬が笑みの形に歪んで行く俺に、冬美は鋭い視線を向けた。
「まだ、信じた訳じゃない。正直いって、秋斗が女になったって言うよりも、春香ちゃんがイメチェンして、騙して来てるって方が100倍信用性あるし」
「そ、そうだよ、な……」
「けど、とりあえず今日は家に泊まっていきなさい。あんたん家にも、連絡しないでおいてあげるわ」
「あ、ありがとう……!」
(……はあ、男って言うなら、そんな可愛らしい顔しないの)
「ん? なんか言ったか?」
「……なんでも、ない。それで──夏樹くん、これからどうする、の?」
とそこで、急に乙女の顔になる冬美。すっかりいつもの冬美に戻ったようだ。
やはり冬美も、突然の事態に驚いていたのかも知れない。
これが、3月の、ある日の話だ。
そこから時は流れた。
冬美の家で過ごしつつも、3日程で家に帰った。
目も合わせられない俺に、母さんや父さん、春香は笑顔でおかえりと、言ってくれた。
冬美から、話を聴いていたのだろう。
それでも、あっさりと今の俺を受け入れてくれたのは、不思議でしょうがなかった。
「どんな姿になっても、息子だってことくらい、分かるわよ。それに、春香にそっくりだしね」
そう、母さんは言ってくれた。
その後は、難しい手続きとかは、父さんがやってくれた。
実際何をどうしたのかは、しつこく訊いても
「お前は気にするな」
と頭を撫でて来るだけだった。
そして4月から、俺は俺として、学校に通う事となった。
一応、名前は秋奈となり、住民票の記載も女性となった俺だが、以前の繋がりを全部捨てる勇気はなかった。
もちろん今の自分を受け入れて貰える勇気もなかったけど、夏樹や冬美の説得もあって、正体を晒して学校に通うこととなったのだ。
最初は、全然ダメだった。受け入れてもらう以前に、俺が皆を信じてなかった。
下心があったのか善意だったのかは分からないけど、そうして話しかけて来る人にもふてぶてしい態度をとってしまう。
けど、夏樹が俺にふざけて、いつも通り話しかけてくれたおかげで、俺は俺だと。何も変わっていないとクラスメイト達に伝えることが出来た。
クラスの女子連中からは、更衣室はもちろん、トイレも共用したくないと言われた。
流石の夏樹も、女子のデリケートな問題には口出しできなかった様だ。
しかし今度は、冬美が動いてくれた。
正直言って、やり方はサイテーだ。着替え最中の女子更衣室に俺を引っ張って行って、女子達の目の前で俺を剥いたのだ。
次の日は学校を休んだ。
……けどその次の日、ビクビク怯えながら登校した俺を待ってたのは、妙に生暖かい、小動物を見るかの様な女子からの視線だった。
結局、それからはトイレも女子更衣室も普通に使わせてもらえた。
そうして今オレは、男の頃とはちょっと……いや、だいぶ違った日常を楽しんでいる。
2人のおかげで、オレはこの何気ない、当たり前を手にする事が出来た。
感謝してもしきれない程だ。
2人には同じだけ感謝しているのだが、どうも最近、何かがおかしい。
何がおかしいかは、自分でも良くわからない。ただ、最近、妙に気になるのだ。
夏樹の言動が。
何度も助けて貰ったし、何度も迷惑をかけた。かっこ悪い姿を何度も見せた。
クラスの連中との関係は変わっても、夏樹や、冬美との関係は変わらない。
そう、思っていた。
……なら、どうしてだろう。以前と同じ様に、街を一緒に歩くだけで、なんとも言えない、暖かい感じがするのだろう。
夏樹に、アクセサリーなんかが似合ってると言われて、妙に心が弾むのは。
夏樹から、変に見られてないか、視線が気になるのはどうしてだろう。
……どうしてだろう、以前と同じ様に、夏樹との進展を冬美の口から聞く度に、胸が針で刺された様な痛みを覚えるのは。
こんな物を夏樹から貰ったという冬美に、心からの笑顔を送れなくなったのは、なぜだろう。
「──オレ、夏樹のこと、好きだわ」
「…………」
「親友として、と言うより、異性と、して……」
「…………」
「……変、か」
「変」
「……」
「変に決まってるでしょ? あんた男なのよ?」
「だけど、今は女だし」
「それに、背の低い妹系が好きなんでしょう? なんでよりによって、背の高くて兄系の夏樹くんを好きになるのよ」
「……わかん、ない」
「本当に変だわ。変すぎ」
「……」
「こっちが悔しくなるくらい、夏樹くんとあんなに楽しそうに会話して、どうして今まで自分の気持ちに気付かないのよ……!」
「え……?」
「──あぁ、もう。真面目に相手してるこっちがバカみたい。
……良い? 別に秋奈、あなたが誰を好きになろうが私には関係ない。
だけど、…………絶対に負けないから」
「お、おう。オレだって、負ける気はないぞ!」
「よく言うわ。この前夏樹くんから映画誘われて、あたふたと相談してきた小娘が」
「なっ……!?」
「もう1回言うけど──」
冬美は不敵な笑みを浮かべて、宣言した。
「……もと男の秋には、負けないから」
「────ああ。けど、男同士だから知ってることもある。冬美には負けないよ」
オレもそれに不敵な笑みを返すのだった。
「お、おい冬美!」
「追いかけて、来ないで──!」
悲痛な叫びが、人気のない神社の境内に響き渡る。
残念ながら冬美よりも背の小さくなったオレじゃ、追いかけても差は開くばかりだ。
季節は秋。オレが女になってから、既に半年以上が経過している。
今日は、秋祭りが近くの神社で行われている。
1人の男、オレの親友であり、冬美の想い人である夏樹を巡って、約3ヶ月間、オレたちはしのぎを削って闘ってきた。
基本的には、家事や女子力では冬美に負けるものも、元男同士というアドバンテージで勝つ事あった。
気付けば、オレの貧弱な女子力がものすごい早さで成長する程に、激しい闘いだった。
そして2週間前、オレと冬美は放課後、教室に2人残った。
「……で、今日はどうしたんだ?」
「ねえ、秋、あなた再来週、何あるか知ってる?」
「え? ……フルーツバイキングとか?」
「はぁ……そんな所だろうとは思ったわよ」
「な、なんだよう、教えてくれよう……」
情けなく降参ポーズを取るオレに、冬美は高圧的な目を向ける。
「秋祭り! 毎年この季節、あそこの神社で行なわれるちぃちゃいお祭りよ!」
「お祭り? それがどうかしたのか?」
「あのねぇ、あんたバカァ? 告白する絶好のチャンスじゃない!」
「こくはく……ふぇっ!? えっ!? なつきに──ふぐっ」
「ばっ、あんた声大きいわよ!」
冬美はオレの口抑えながら、周囲を注意深く観察する。
鬼気迫る視線に、思わず固まってしまう。
「──そう、秋祭り。天気は悪くならないみたいだし、夏樹くんも予定ないって」
「ふむふむ……それで──」
確認する様に訊くと、冬美は力強く頷いた。
「──告白、するわ」
喉が、鳴った。
それは期待だったのかも知れないし、不安と緊張だったのかも知れない。
「……秋、あなたはどうするの?」
「お、オレは……」
正直に言うと、心の準備なんて出来ていなかった。
心のどこかで、この3人でいつまでも楽しくやっていくんだろうな、なんて。
そんなあまっちょろい事を信じていた。
いや、信じてたんじゃなくて、信じたかったんだ。
「オレ、は……」
「──はぁ、良いわ。別に。秋がどうしようが、私には関係ないんだから」
そうのたまう彼女が、少なくとも平常心でそういって言っていないことは、すぐに分かった。
俺よりは大きい、けど確かに小さな掌を、爪が食い込むくらいに握り締めていたんだ。
そんな冬美の様子を見て、オレも、覚悟が出来た。
「……ごめん、オレ、まだまだお子様だったわ」
「あ、秋……」
「オレも、決めた」
あぁ、冬美もオレも、同じなんだなぁ。
気付けば無意識の内に、痛いくらいに拳を握り締めてる。
「秋祭りで、オレも告白する」
まず、秋祭りを3人で回る。
7時からはぐれた体を装って、オレは別れる。
8時頃、神社の社の前で待つと、夏樹に送り、夏樹が1人で来たら、オレが告白する。
もし冬美と2人で現れたら、スッパリと諦める。
そう、話し合って決めた。
それからオレ達2人は、大型ショッピングモールに浴衣を買いに行った。
フルセットで2万円もしない。と言っても、バイトもしてないオレ達には結構な出費となる。
──はずだったのだが、何故か張り切ったのは双方の母親だった。
快く諭吉さんを3枚、手渡してくれた。
残りで、美容室に行けという。
オレと冬美は顔を見合わせて、おかしくて笑ってしまった。
やってきた大型ショッピングモールは混雑していて、浴衣コーナーにも人が割といた。
そんな中やって来たオレ達は、互いに似合う柄を選びあった。
結果は、冬美は黄色地に紅い金魚が泳ぐ浴衣。
オレは薄水色地に、白い菊の花が咲く浴衣を買うこととなった。
美容室で買った浴衣を見せつつ、これにあった髪型を──オレが適当に注文する隣で、冬美は細かに注文する。
流石に、そこまで女子としての経験の差は埋まってないんだ……。
秋祭り当日。オレと冬美、そして夏樹は学校の前で落ち合った。
それから夏樹を真ん中に、神社への道のりを歩いた。
まだまだ日没までには時間があるのに、緊張で無言になってしまったオレに変わり、冬美のやつは楽しそうに夏樹と話していた。
お祭り自体は、あまり楽しめなかった。
よくよく考えてみれば、夏樹に自分をアピールする時間は、あと数時間しかないんだ。
誰だ、まだ時間があるとか言ったやつ!
なんとなく冬美に置いていかれた気がして、どこか焦っていた。
慣れないことにぶりっ子してみたりと、正直空回りしかしていない気がする。
いつもはそっとフォローしてくれる冬美も、今日ばかりは無言で見守るだけだ。
しかし無情にも、時間は過ぎて行く。
気付けば、辺りは暗くなり始めていた。
「っと、ごめん。ちょっとわたあめ買ってくる!」
ちょっと「わたぁめ」と可愛らしく言ったのは、最後の悪あがきだったのかも知れない。
「え、おい秋奈──」
オレを追うその声から逃げる様に、オレは人混みに体を滑り込ませた。
──さて、あとは待つだけだ。
人混みを離れ、上へ上へと。それと同時に、この小さな胸の高鳴りも、大きくなって行くようだった。
お祭りは、神を祀るための行事だったはずだ。
なのにお祭りに訪れた人々は、社まで来ようとはしない。
なんだか現実、日常的と切り離された様な、妙な静けさが境内を包み込んでいた。
「っふう……もう秋だってのに、暑いなぁ」
果たして暑いのは気温なのか、自分自身なのか。
賽銭箱の横に座り、頭を預ける。
「告白……夏樹に……」
なぜか、あれだけうるさかった鼓動が、静かになっていた。
ポカポカと、暖かい何かが胸の内にある様で、とてもふわふわとした感覚を覚えていた。
空を、見上げる。
「ほし、きれいだ……」
とても穏やかな心に、その光景は眩しく射し込んだ。
こんなにもたくさんの星がある中で、この小さな小さな地球の、この小さな場所で。
こんなにも大きな事件が起こらんとしているんだ。
(少なくても、オレにとっては──あっ)
最後のは、声に出ていたかも知れない。
星々が瞬く夜空の中、一際大きな星──いや、火の玉が昇って行く。
そして刹那、太鼓を叩く様な音を立てて花開く、鮮やかな花火。
8時告げる、鐘の音でもある。
「ごめん、疲れて神社の上まで来ちゃった。迎えに来て…………っと」
送信を押す。
すぐに既読が付き、待ってろと返信があった。
冬美とはどうなった?
そう何度送りたくなったことか。
石階段からアイツの姿が現れた時、一瞬呼吸が止まったんじゃないかと思った。
隣に冬美の姿がない事とは、関係ない。
むしろそれよりも、花火によって顔を照らされる夏樹表情が、いつもより大人びて見えたからだ。
「よ、よぉ……ごめんな、呼び出して」
「気にすんな。まさかあんなに混んでるとはな……大丈夫だったか? 変なオッサンに声掛けられたりしなかったか?」
「お、おうよ! バッチリよ!」
何がバッチリなんだろう。自分が訊きたい。泣きたい。
「ほ、ほんとに大丈夫か? なんか顔赤いぞ?」
「ほへっ!?」
たしかに、顔……というより全身が、火で炙られたように熱い。
心臓も、思い出したかの様に激しく暴れ回っている。
「だ、だいじょうぶーだいじょうぶー……」
「お、おい秋奈?」
「だいじょうーぶ、だいじょーぶ…………
…………な、訳、ないじゃん」
涙で、視界が歪む。
もう、訳が分からなくなった。
ただ、胸から溢れ出る言葉を、この口から出し切るしか、楽になる方法はなかった。
「なつき」
「ど、どうしたっていうん────」
「すき」
夏樹の顔が、驚愕に染まって行く。
ああ、言ったんだ。
そう思うと、心が少し、軽くなった。
もう、何も怖くない。そう心から思うと同時に、今まで1番笑顔が零れる。
そして──
「ご、ごめん。俺、実は男が好きで……」
「──は?」
オレは、一気に地獄の底まで突き落とされた。
茫然自失としていたオレは、気付けば階段を降りていた。
数分間の、記憶が無い。
あまりのショックに、脳が働きを辞めてしまったみたいだ。
おいおい、オレの脳みそよ、ストライキはやめてくれ…………。
なぜだか笑えて来た。
あは、あは、あは……と、壊れた玩具みたいな声が、自分の口から繰り返し出てくるのがおかしくて、なんとなく続けてしまう。
あー、オレ、失恋したんだなぁ……
なんとなく自分の声を聞きながら、そう実感し始めていた。
そんな時だ。
長い石畳の途中、とぼとぼと歩く冬美の姿を見つけたのは。
「ふゆ──」
声をかけようとした。しかしその途端、冬美は突然走り始めた。
「ちょ、冬美!?」
オレはそれを、追いかけていた。
「お、おい冬美!」
「追いかけて、来ないで──!」
悲痛な叫びが、人気のない神社の境内に響き渡る。
残念ながら冬美よりも背の小さくなったオレじゃ、追いかけても差は開くばかりだ。
「待てって、ふゆみあっ────!?」
急に冬美の姿が、視界から消え去った。
違う、オレが転んだんだ。
初めて切る浴衣に、初めて履く下駄。
そんな慣れない格好で走った、当然の結果だった。
「っつう…………!」
「………………なにやってんのよ、ばか」
膝を擦りむき、うずくまるオレを、いつの間にか冬美が呆れ顔で見ていた。
「まったく、そんなだから、秋は秋なのよ……ほら、乗りなさい」
「え、でも……」
「気にしてんじゃないわよ。あなたにかけられた迷惑からしたら、全然大した事じゃないわよ……」
「……ごめん……重くないか?」
「重いに決まってんでしょ。いくらあなたがチビっていっても、同年代よ? けっこう無理してるわよ」
怒った声で、そういう冬美。
オレは、それが昂った気持ちを落ち着けるための、彼女なりのやり方であることを知っていた。
「──ふられ、ちゃったね」
それは、どちらが最初に言い出したのか、帰り道。
ポツリポツリと、オレ達は夏樹との思い出を話し合っていた。
「あいつ、あんまり甘い物好きじゃないんだよな」
「ええ。せっかく2人で頑張って作ったチョコクッキーも、3人で食べたしね」
「夏の体育祭、借り物競走のこと覚えてるか?」
「忘れる訳ないじゃない。私とあなた、2人そろって夏樹のこと借りようとして……」
「そう、結局三人四脚みたいな状態で1位ゴールしたよなぁ」
街灯が、帰る道を暗く照らしている。まるでオレ達を迷わせようとしているかの様に。
「なあ、冬美」
「なによ」
「オレ、今日は帰りたくない」
「……奇遇ね。流石に笑顔で送り届けてくれたママに、こんな顔見せられないわ」
なんとなく、おかしくなった。
今の会話は、まるで恋人同士のものの様で。ついさっきまで恋敵だったオレ達には、もっとも似合わないセリフだった。
「……じゃあ、どうする?」
「この時間なら、ホテルあいてるかも……」
特に案もないので、そう尋ねてみると、冬美はそんな事を言い出した。
「ホテル? そんなのこの辺にあったっけ?」
「……ねえ秋、あなた今どれ位持ってる?」
「金か? ……3千円くらいだけど」
「……しょうがないわね、ちょっとコンビニよるわ」
「え、おう」
冬美はATMを使ってる様だった。
その間、オレは消毒液や絆創膏を買って、傷口に貼っていた。
「はぁ、せっかくの浴衣が……まあ、もう着ることないだろうし、いっか……」
「お待たせ」
「あ、おかえり」
「じゃあ行きましょうか」
どこにホテルがあるか、オレは知らないので、冬美と手を繋いで、夜の道を歩く。
今度は無音ではあったが、互いの手の平の温度を感じながら歩いてる時間は、不思議とあっという間に過ぎて行った。
「……って、まさか、ここって」
「なによ。なにか問題ある?」
おいおいまじかよぉ……。
オレが冬美に連れて来られたのは、噂に聞く「ラブホテル」という所だった。
「気にしなくて大丈夫よ。別に、ただの宿屋だと思えば問題ないわ。それに、同性でしょ?」
「え、あ、そう、だけど……」
「まあ、オーダーは私がするから、秋は黙ってなさい」
「お、おう」
そう最後にやり取りし、オレと冬美は扉をくぐった。
そこからは、怒涛のやりとりが始まった。
未成年は止められないという店員に、こう見えて2人とも大学2年生だ。と吐かす冬美。
確かに冬美はそう見えなくもないが、完全にアウトだったのはオレの方だった。
どう上に見ても高校1年くらいにしか見えない。らしい。
店員の方としては、個人としてはどうでも良いが、監視カメラがある以上、不正は出来ないらしい。
それに対し、冬美は自分の学生証を店員に手渡した。
おいおい、それ完全にアウトじゃ──しかし、オレは見た。学生証の下、カメラに映らないところに、諭吉先生が数枚隠れている事を。
思わず声をあげそうになるが、冬美と店員、双方から鋭い視線が飛んでくる。
学生証を返された冬美は、それをポーチにしまうふりをして、それを袖に隠し、オレのポーチを漁る振りをした。
オレは学生証を持ってきていなかったのだ。
そしてその同じ学生証を店員に渡し、なんと鍵を手に入れてしまった。
「な、なあ冬美……あれって、法律──」
「黙りなさい」
「ひう!?」
部屋に着いたオレは、恐る恐る冬美に先の件を尋ねようとするが、低く押し殺された声にビビってしまう。
「わかる? 秋。今のあなたは私のおかげでここにいるの」
「お、おう……」
「言ってしまえば、あなたはここにいる間、私の所有物なの」
「お、おう……?」
「だから、私の言う事を聞きなさい」
冬美はそう言うと、おもむろにオレの頬に手を伸ばして来た。
──そっと触れる手は熱くて、火傷しそうだった。
声一つださないオレに、冬美はその手や足を絡めて行く。
────ああ、そうだよな。辛くない訳、ないよな。
オレだって、辛い。痛い。
もう、何もかもがどうでもいい程に、心が叫んでいる。
それでいて、そのポッカリあいた穴を、暖かい感情で──それが例え、代替品のものだとしても──埋めたかった。
満たされたかった。
それが、俺だけな訳、ないじゃないか。
オレは、そっと冬美の頭に、手を乗せた。
「あき……」
「冬美……がんばった。えらい、えらい……」
「ばか……」
冬美は、オレの胸で嗚咽を漏らし始めた。
そのまま横になり、頭を撫で続ける。そうしている内に、オレより大きな、小さな少女は、すっかり寝入ってしまった。
オレはただ、抱きしめて、温もりを伝え合う事しかできない。
たぶん、いや、絶対。オレ達の心が満たされることは無い。
穴が空いてるみたいに、それは虚しく消えていくだけだ。
だけど、それも続けていれば、いつかは埋まるかも知れない。
それまで、オレは冬美と、寄り添い続ける。
最後にもう1度頭をなで、そっと頬に唇を落とす。
瞳を閉じて真っ暗になった世界に、一瞬だけ夏樹の姿が現れ、夜空の花火の様に消えていった。