プロローグ
”俺”はいつもの柔らかいベッドでは無く、三途の河で目覚めた。
「___ふぁ〜あ…え?」
何故三途の河って分かったかだって?
それは、寝転んでいる”俺”の目の前に俺の体ほどはあろうかという巨大な花が少しこちらへ首をもたげ、”俺”の寝顔を覗いていたからだ。一つでは無く、様々な色の花が幾いくつも幾いくつも幾いくつも…そのどれもが”俺”を喰おうとこちらへ向いている!本当にギョッとすると、人間って動けないもんだな…
「___……」
声も出ない。声が出れば恐怖のあまり笑ってしまいそうだ。
ここは三途の河でもう死んでいるはずなのに”俺”は二度目の死を覚悟した。
ところが、しばらく目を閉じて覚悟を決めていても、何も起こらない。風と草の響かせるサヤサヤという心地よい幻聴すら聞こえてくる。一瞬で痛みもなく喰われたのかと思い、薄目を開けて再度周囲を確認しようとすると___どぎつい原色で彩られたヒマワリやチューリップ…のような巨大花に、んしょっと声を出して登頂し終わった巨大な女と…目が合った。間違いなく合った。
…アレ、オレ、シヌ?マルカジリ?マルノミ?ヤサシクシテヨモー!イタクシナイデ!
あ、脳内大パニックだわ!やばい!
またも目を瞑り死を覚悟する。もう死を覚悟するのも手馴れたものだ。
すると、いつの間に巨大花より降りて来たのか、近くに寄ってくる気配を感じたと同時に怪我や異常は無いかと”俺”の体を確認し始めた。獲物には敬意を払うタイプのようだ。
「ねぇ…君…ねぇってば…」
どうも女に話しかけられたようだ。怪しい。怪し過ぎる。ここは何も喋らない。
どうせ意思疎通出来る振りをして僅かな希望を持たせ、がぶりと来るんだろ?
「ねぇ…聞こえてる?聞こえないの…?」
あ〜あ〜聞こえません。聞こえませんよ。
この巨人、可愛い声してるのにこんな悪魔みたいなやり口をするなよな。私をはやくおたべ。
「……聞こえてるわよね?体が震えてるのも気づいてるのよ。」
そこまで分かってるのならこの恐怖を早く終わらせておくれよ…今なら冷えてて美味しいよ!振動機能付き!
「…………こらーーーーー!」
「!!はいっ!!!?」
”俺”の絶対沈黙宣言は巨人女の叫ぶ攻撃によって敢え無く打ち砕かれた。裏返った情けない声だったろう。
そして、目も開けてしまっていた。それはもうバッチリと。
目の前には、”俺”のことを覗き込む巨人の女がいた。
パッと見12歳くらいの綺麗な子だ。だが、その姿からは途轍とてつも無い違和感を発していた。
まず、顔だ。
目はキリッとした感じで、青と緑と黒が程よく混ざり合った透明感のあるビー玉のように綺麗な瞳。薄い眉毛とのバランスが絶妙で、この歳にしては色気すら感じるのは末恐ろしい。
髪は瞳と同じ色合いで単色のエメラルドグリーン、そして輝くような艶がある。長さは肩まであるセミロングだが細い首筋にもつい目がいってしまう。”俺”の顔を覗き込んでいることにより、少し垂れた毛先が爽やかに風にそよぐのも見ていて心地よい。
その他の鼻も口も顎も頬も___すべてのパーツが、完璧過ぎるほど完璧過ぎた。絵画よりも彫刻よりも芸術芸術している。
そして、その綺麗な口が少しいたずらそうな笑みを浮かべ____「もう、やっぱり聞こえてたじゃないの。」と、口を開かずに声を発していた。
その笑みと可愛いらしい声で”俺”の警戒は解けた__というかもうそのはにかんだ姿でノックダウンだ。一目惚れ。
「え?ぇえぇぇえ?ぇうあ、いったいなに?ここどこ?きみはだれ?」
安心感からか、”俺”の口をついて出たのは声にならない声。そしてそのまま辺りを見渡すと、巨大な花はまだこちらへ首を擡げており、花弁すら見えた。そして自分の体ほどはあろうかという草や石がごろごろと転がっている。それを見てまた動揺し、目の前の美少女に疑問をぶつけてしまう。
「焦らないで、さっき目覚めたばっかりなんでしょ?ここは翡翠の森。私はフリアリーゼ。あなたは…名前とどこの子は分かる?」
やはり口を動かさずに話しかけてきている。なんというか、モスキート音に声を乗せたような…でも不快感は無く…脳みそを水面にして直接響くような叩くような感覚だ。
そして、”俺”の名前と出身…??分からない。考えようとしても全く何も浮かんでこない。記憶が無いのか?脳内の違和感が凄い。俺の記憶の一部をホワイトボードだとしたら、乱雑に油性マーカーで上書きされたり汚れた雑巾で拭き取ろうとした様な違和感だ。
うん、ホワイトボード、とかは覚えているみたいだしな。
「俺…誰だか分からない。」
「そう…それなら、お母様の元へ連れていって話しを聞きましょうか。あなた、飛べる?」
「!!そんなの、出来るわけないよ!!」
「…そう、なの…。」
ごく普通に飛べるかを聞かれた。ごはん、食べる?みたいに。俺は、うん、無理。と思った。
フリアリーゼは困惑した表情で地面を眺め始めた。困った顔ですら、まるでそこだけ時が止まったかの様に息を呑む美しさがある。そして、また口を開かずに声を響かせてくる。どうやってんの?それ。
「では、私が連れて行くわ。あなた、立ち上がれる?」
そういいながら先にフリアリーゼが立ち上がる。あ、あれ?最初に巨大な花を登りきった時は巨人と言えるほど大きく見えたのに、今では俺より少し小さいくらいか?…恐怖で目がくらむとはよく言ったものだ。こんな美少女を巨人と見間違えるなんて。
そして、こちらに向けてごく普通に手を差し出して来た。
「も、もちろん。」
美少女からのエスコートは少し気恥ずかしいが、その手を取り立ち上がる。
そして、立ち上がるときに自然と目が合いその綺麗な瞳に吸い込まれそうになった。うん、例えだよ例え。
少女に目を奪われるのも道徳的にいけないと思い、咄嗟に目を逸らし少し距離をとった。その反応を見てフリアリーゼは不思議そうな顔をするだけだった。
そこで初めて、フリアリーゼの全身に目がいった。顔は言わずもがなの美しさであったが、体は見た目通りに年相応だ。こちらもミントグリーンといっていいだろう、の色をした、素朴ではあるが爽やかなロングワンピースを着込んでいた。
しかし___その背中には見慣れないものが有った。___エメラルドグリーンに輝き、羽紋が薄く透き通る六枚の羽が見えたからだ。トンボの羽のようだ、とは女の子に失礼だが”俺”はあの羽は美しいと思っているので褒め言葉として受け取ってほしい。
そんな俺の思いを知ってか知らずか__またパニックを引き起こしそうになりキョドっていた俺の横に、彼女は蹲うずくまり、何かを地面に書いていた、いや、正確には指を軽く動かすだけで勝手に描かれていった。それを横目で眺めているとひと段落ついたらしく、その絵?文字?の中心で目を瞑って天を眺め始めた。すると、その絵の端が青白い光を発して、徐々にその光が次の絵や文字へと移っていく。文字も絵も”俺”の知識に一致するものは無いが、ヘブライ語や象形文字と言われればそう見えなくもない。
彼女は先ほどから何も説明してはくれないが、ここまで来ると”俺”にも分かって来たことがある。
ここは異世界で、あれは魔法なのだろう。
そうでなければ説明が付かないものも多すぎる。
巨大な花や石。
彼女の背中の羽。
目の前の光る魔法陣らしき絵や文字。
全て”俺”の前世の知識とは全く噛み合わない。
そういう知識はあるのに、全く自分がわからないっていうのは一体どういうことなんだろうな?”俺”は相応に前世でオタクだったってことか?前世?転生?………って言っていいのかもわからないんだけど。前世の記憶も死んだ時の記憶も無いんだから。
そうして、しばらく考えを巡らせていると何やら魔法陣の起動が終わったらしく、フリアリーゼは快活な笑顔を浮かべこちらへ向き直り話しかけてくる。もちろん口は開いてはいないが。
「さてと…これでお母様の元へ行けるわね。二人だしここは聖域でも無いからあなたも協力して貰えると嬉しいんだけど?」
「え…?それってどういう」
「…あなた、魔法も使えないのね?これは本当に初めてだし困ったわ。でも…仕方ないか。」
今から魔法で何かするのだろう。”俺”が魔法を使えるかと聞かれるとは思わなかった。
俺の手をとり、魔法陣の中心に二人が向かい合うように立ち、見つめあった。正直、美少女過ぎて照れる。
「じゃ、ちょっと乱暴だけどね!」
そういうと、彼女の背中から見えていた輝く薄い羽が、根元から羽紋に沿って羽先まで眩しく光り___
あとは急に巻き起こった豪風の嵐、音、衝撃で瞬きをした瞬間___風が収まり周囲の景色が変貌していた。
そこは、先ほどの巨大花や石に囲まれた地面では無く、穏やかな雰囲気と安らぎを与える匂いに包まれた、光が差し込む森の中であった。
そして”俺”は向かい合うフリアリーゼの真剣な顔越しに見えた一本の巨大な木に目と心を奪われていた。しかし、かろうじて木の幹の苔むした肌や木枝、うろが見えた為、そう認識出来たのだが『巨大な木』としか言いようが無い。高層ビルを見上げても、ビルであることは認識出来るがその巨大さは計り知れないように。いや、ビルなんかと比較するのは無粋だ。その木は巨大さよりも神々しさの方が勝っているからだ。
初めて見る『神木』とも言っていい存在に言葉を失っていると、正面にいたフリアリーゼは”俺”の驚いた顔を見てうんうんと納得した顔をしつつ、”俺”の肩の横を抜けて後方に無言で立ち去ろうとする。
___”俺”はフリアリーゼに聞きたいことは山程あったのに振り返ることが出来なかった。
なぜなら、フリアリーゼの頭に隠れていた巨大な人影がこちらへ向かって来たからだ。彼女は”俺”の目を見据え、スーっと滑らかにスライドするように近づいて来る。まるで幽霊のようだ。その違和感と俺の三倍程も身長差がある故に、身構えはしたが恐怖や威圧感は感じない。むしろ、暖かく包み込まれるように感じ、気付けば頭を下げ彼女に跪いていた。
『頭を上げなさい』
その声は、またフリアリーゼと同じように頭の中に響き渡る。しかし、フリアリーゼの声がモスキート音や超音波のような響き方(不快感は無い)だとすれば、目の前の彼女の声は周囲の木々や森の匂いに乗せて涼やかに鼻を通り抜けて、目の奥を震わせるような響き方。その声はフリアリーゼの物よりもはっきり聞こえてくるが、心地良い風の調べのように次の言葉が聞きたくなる程の澄んだ声だ。
俺は何か感動のような感情を覚えつつ、跪いたまま彼女の顔を見上げる。
やはり、でかい。色々とでかい。その身長は当たり前だが、自然と見上げる事になる胸もでかい。
っと、おいおい…
彼女の顔はフリアリーゼそっくりだが、それをそのまま20代まで成長させて、胸を追加したような美女で男の夢の盛り合わセットだ。成る程、”お母様”か……見た目の年齢やその存在から察するに、森の守り神という所だろうか。という事はフリアリーゼも…?
彼女をしばらく観察していたが、フリアリーゼと彼女の所作の違いは目を全く開かず、表情も変わらないこと、白を基調としたドレス風の姿でフードを身につけているくらいか。あと、胸。
胸が好きとかでなく、人間は本当に美しい物を見ると無意識に観察し真似をするそうだ。観察は大事だからな。決して邪よこしまな気持ちで見てる訳じゃない。決して。
彼女を良く良く見ていると、全身が光ったり、後光の様な薄灯りも見える。ん?彼女の後ろの『神木』も同じ様に光を携たずさえているみたいだ。
『私が見えますか?』
そして、束の間の沈黙を破り、彼女が話しかけてくる。
俺は、何故か言葉を返せず頷く。
胸を見てますか?じゃなくてヨカッタ…
『私の姿は、何に見えますか?』
「____フリアリーゼさんとそっくりで、それを大人にした様な姿です」
ようやく言葉が返せた。緊張しすぎて発声器官でもやられてたんだろうか
『…そう、ですか。あなたは悪ではない様ですね。フリアリーゼは能力を失ったはぐれものだと言っておりましたが』
どうも、勝手に話しが進んでいる。彼女たちは喋って無かったけれども、例の、『こいつ俺の脳内に直接!!?』の技術を使ったのだろう。
続けて話しかけてくる。
『名乗りもせず失礼しました。私はこのヒスイの森の<聖樹>ヒスイノカミと申します。貴方はこの森の外れ、フリアリーゼの管理する区域で倒れていたのを連れて来て貰いました。ようこそ、ヒスイの森へ。』
「___ありがとうございます。」
『それで、貴方の目的を教えて頂けますか?』
この言葉には物腰は柔らかいが、暖かく包まれていた心の奥の部分がキュッとするような力強さを感じられる。有り体に言えば、彼女なりの威圧なのだろう。
「___目的も何も、記憶が無いので…」
『成る程、それ程迄に伝えたくないと。』
「___いえ、本当に記憶が無いのです。」
『……信じましょう。聖域で嘘はつけませんからね』
ここまで話をして、ようやく威圧感は消えさり、先ほどの温かみが戻ってきた。
そういえば、”俺”が話し始めようとすると何か違和感を感じる。恐らく、彼女が何か仕掛けているのだろう。
ヒスイノカミは話しを続ける。
『しかし、珍しいこともあるものです。何か、私に聞きたいことはありますか?』
俺は記憶喪失者のテンプレの質問をぶつけることにした。
「___ここはどこで、私は誰なのですか?」
『ここはズィークエンド大陸の南部に位置する、ヒスイの森の聖域。そして、貴方は___背中の羽を見れば思い出すでしょう。森の同胞、大妖精よ。』
その言葉を聞いて、”俺”は反射的に右後ろを肩越しに振り返る。そこにはフリアリーゼの背中に生えていた羽と同じく薄く透けて輝く__灰色の六枚羽根が有った。
うん、どうも”俺”、今日から大妖精みたい。