幕間 アスティの溜息
前回のあらすじ。
モブだけど、厄介事に巻き込まれやすい。
アスティは魔王城のベルムートの執務室で、ものすごい勢いで書類を処理していた。
「はぁ……」
しかし、順調にいくつもの書類の山を切り崩して更地に変えているというのに、アスティは不満気に溜め息を吐かざるを得ない状況にあった。
アスティが部下たちに徐々に仕事を振る量を増やしていたら、体調を崩して休む者が続出し、結果として余計に仕事が滞ってしまったため、アスティがいなければ仕事が片付かないのだ。
つまり、今のままではアスティがベルムートのもとに向かうことなど到底できないということだ。
そのことに思い至り、アスティは今とても気落ちしているのだ。
当然、部下たちも決して無能ではないのだが、アスティのようなとんでもなく有能な者はいない。
つまり、現状組織としてはほぼ完全にアスティに頼り切っており、アスティが抜けた際の巨大な穴を埋めるための下地がまったくできていなかった。
「このままじゃダメだ」
そこでアスティは、現状を打破するために、人を増やす方向で考え始めた。
具体的には、将来有望そうな者をスカウトしつつ、徹底的に教育を施すことを検討していた。
実に手間がかかるが、そうでもしないといつまでたってもアスティはこの城から出られない。
アスティが頭を悩ませていると、ノックと共に執務室の扉が開き、来客が訪れた。
「お邪魔するぞ」
「ルリアさん? どうしたんですか?」
やってきた小柄なゴブリンの姫を見て、アスティは少々意外に思いながらも訪問目的を尋ねた。
ルリアは普段、食糧関係の仕事で城外に出ており、ここには滅多にやって来ないため非常に珍しい。
ルリア本人自体にはたいした戦闘能力はないが、彼女が召喚するゴブリン兵士はどれも桁外れの力を持っている。
とはいえ、農作業は人手がありあまるほど豊富にあるので、部下であるゴブリンたちに任せてルリア本人はたいしたことはしていない。
せいぜいが、大量に召喚したゴブリン兵士を使っての開墾や、部下のゴブリンでは対処しきれない魔物を倒すくらいだ。
「少し頼みたいことがあってな」
そう言ってルリアが懐から紫色をした大きめの石を取り出してアスティに見せてきた。
「これは?」
「あいつから聞いてないのか? これは紫ゴブリンの欠片だ」
「ああ、これがそうなんですか」
アスティは、ベルムートからの手紙に紫ゴブリンの欠片について書かれていたのを思い出した。
「元凶を探すのに少々骨が折れそうでな」
「ルリアさんなら人海戦術でどうにでもなりそうですけど?」
ルリアが召喚するゴブリン兵士たちに加え、魔王軍に所属している無数のゴブリンたちを動員すれば、すぐに対象を見つけられそうにアスティには思えた。
「それがな、どうもこの紫ゴブリンの主は、かなり魔力の隠蔽が得意なようでな、部下を何人か見繕って紫ゴブリンのいた森を調査したんだが、残念ながら探知能力で劣る我らでは手掛かりさえ掴めなかった」
「そうなんですか……」
無論得意分野ではないとはいえ、ルリアたちが無能というわけではない、きっちりと足がつかないように対策を講じていた相手の方が一枚上手だったということだ。
「というわけで、何人かそういうことが得意な者を貸してほしい」
「わかりました。人手ならすぐに用意できると思います」
「助かる。ついでに、こいつの解析をリーンにお願いしてはくれないか?」
ルリアは軽く礼を述べた後、紫ゴブリンの欠片を指しながらそう言った。
「詳しい話も必要でしょうし、解析の方はご自分で頼まれた方がいいのではないですか?」
「いやいやいや! あいつのところに顔を出したら、絶対に何か碌でもない実験に付き合わされるぞ!」
アスティの当然とも言える返答に、ルリアは全力で首を振って拒否を示した。
「でしたら、ルリアさんが直接出向かなくても、誰か使いを寄越せばいいのでは?」
そのルリアの大げさな態度に首を傾げながらも意思を汲み取ったアスティは別の提案をした。
「前に農薬関係の相談に部下を使いにやったら、魔改造されて帰ってきたんだぞ! もう二度とそんなのは嫌だぞ! しかも、農作業に特化してて妙に優秀なのが腹立たしいことこの上ないぞ!」
「あー……はい、よくわかりました」
一瞬、「優秀なら別にいいのでは?」とアスティは思ってしまったが、きっとそういう問題ではないのだろうと思い直した。
「うむ。分かってくれたようで何より」
アスティが理解を示してくれたことにルリアはほっとした表情で頷いた。
ここまで拒絶しておきながら、最初に名前を上げるくらいにはルリアの中でこういう謎の物体の解析を頼むのに魔王軍の研究部門の局長であるリーンはうってつけだという認識はあるようだ。
「では、使いの者はこちらで手配しておきますので、それをお預かりしても?」
「そうだな。だが、さすがに全部渡すとこちらも動けなくなるから、少し砕いてくれ」
「わかりました」
紫ゴブリンの欠片を受け取ったアスティが両手で握り力を込めるとバキッ!と音を立てて紫ゴブリンの欠片が真ん中から半分に割れた。
「どうぞ」
アスティが割った焼き芋を手渡すかのように紫ゴブリンの欠片の片割れをルリアに渡した。
「すまんな」
「たいした手間ではないのでお気になさらず。こちらのはリーンさんに渡しておきますね」
「頼んだ。それと、報酬と言ってはなんだが、土産として上等な野菜と肉を持ってきたから後で料理してもらおう」
「いいんですか?」
「うむ。仕事を押し付けてしまうのだからこれくらいはな」
ルリアはこういうところでは律儀な性格をしていた。
当然普段城に持ち込まれる食材も上等な物だが、今回ルリアが持参した物はそれよりも間違いなく1ランク上の食材のはずだとアスティは当たりをつけていた。
さすがにルリアは食糧部門の責任者なので、こういうところで融通が利く。
「ありがとうございます」
魅力的な話だったので、特に悩むこともなくアスティは甘えさせてもらうことにした。
それからは2人は雑談に花を咲かせて和やかな雰囲気が流れた。
すると、バタン!と勢いよく扉を開ける音がして、ルリアとアスティは2人して肩がビクッ!と跳ねた。
「じゃまするぞアスティ! お! ルリアじゃないか!」
「げぇ! 魔王ぉ!」
「こんにちは」
突然部屋に入ってきた魔王が元気よく挨拶してきた。
不意打ちをくらったルリアが素っ頓狂な声を上げ、アスティはすぐに取り繕ってにこやかに対応する。
「んー? なにその反応ー?」
「いや、その、あの……」
ルリアの不審な態度に反応した魔王がルリアへと詰めよった。
魔王にばれないようにこっそり城に来ていたルリアは、魔王の登場に心底狼狽していた。
「あれ? それは?」
視線を動かした魔王が、アスティの手元にある物に気づいてアスティに問いかけてきた。
「紫ゴブリンの欠片です」
「ふーん……」
アスティが答えると、自分から話を振っておいて全然興味なさそうに魔王は返事をした。
「そういえばルリア、ベルムートに会ったそうだな?」
「え?」
先程からころころと急に話が変わり、ちょっと思考が追いついていないところに不意討ちのように魔王に問われてルリアは固まった。
「その時に、なんか面白そうなことをしたそうじゃないか」
「な、なぜそれを!?」
「アスティから聞いた」
にやにやと笑みを浮かべる魔王の発言を受けて、ルリアは思いっきりアスティに顔を向けた。
「さてと……新人の育成の予算は……」
アスティは、ルリアからの非難の眼差しを、書類に目を落とすことでやり過ごした。
「それでな、その話を聞いた時に、私もその余興を体験してみたいと思ってたんだ」
「いや、その、我はこれからやることがあるので……」
「えー? いいじゃんちょっとくらいさー」
「今はちょっと都合が悪いというかなんというか……」
冷や汗が止まらないルリアが、どうにかこの場から逃れようと言い募る。
「あーもう! ごちゃごちゃうるさい! とっとと行くぞ!」
「ぐえぇ!」
魔王に襟首をつかまれたルリアが、潰れたカエルのような声を出した。
そして、そのままルリアは魔王に引きずられていく。
「そ、そうだ! とっておきの食材があるんだぞ! 今から調理してもらおう!」
「そうなのか! なら、これが終わったら食事にするか!」
「うむ! ……って、ええぇえええぇええええ!?」
じたばたともがくルリアだが、魔王にがっしり掴まれており抜け出せない。
「助けて!」
ルリアが絶望の表情を浮かべてアスティを見た。
「何々? メイガルド帝国で新たな動きあり?」
アスティは書類に目を通して、ルリアの方を見ていないふりをした。
魔王は、涙目のルリアを引きずって、部屋を出ようとしたところで、ふと立ち止まった。
「あ、そうだ。アスティも一緒に来てよ」
「え……」
「実はここに来たのはアスティを訓練に誘うためだったんだよ。いやぁー私としたことがついうっかり忘れるところだったよ」
魔王が邪気のない朗らかな笑みを浮かべ、それに反してアスティの顔が引き攣った。
そのまま忘れてくれてよかったのにという思いが顔に出てしまったが、アスティはすぐに表情を引き締めた。
「いえ、仕事が溜まっていますので遠慮しておきます」
アスティは都合の良い言い訳をした。
「そう言わずにさー? 仕事ばっかで体鈍ってるでしょ?」
だが、魔王には通用しなかった。
「いえ、それには及びません。きちんと体は動かしていますので」
これは嘘ではなく、実際にアスティは軽い戦闘訓練は空き時間にこなしている。
「なら、どのくらい強くなったか測ってあげるよ」
「え、いや、それは……」
獰猛な笑みを浮かべる魔王にアスティはたじろいだ。
どうやら、アスティは魔王から余計な気を引いてしまったようだ。
こうなるともうアスティは魔王から逃げられない。
「はぁ……わかりました」
観念して、仕方なく、不本意ながら、しぶしぶ、苦渋の決断で、魔王について行くことにしたアスティが席を立った。
「やった!」
そして、喜々として歩く魔王が、やる気のないアスティと、すれ違った使用人が引くぐらい死んだ目をしたルリアを伴って訓練場へと行く。
ほどなくして、爆音と悲痛な叫び声が城中に響き渡ったのだった……。




