プロローグ
「すまない。よく聞こえなかった」
禍々しいが、どこか威厳を感じさせる彫刻が施された柱が目立つ荘厳な謁見の間に、ハリのある低音の男の声がよく通った。
男の名はベルムート。
髪は艶のあるさらりとした灰色の長髪で、瞳はアメジストのような紫、肌は墨で塗りたくったような黒、背は高く体格は相応にしっかりとしていて、服は戦闘にも耐えられるように誂えられた礼服を着ており、靴は見た目を革靴に似せた軍靴を履いている。
「だから、勇者探して来い!」
「牛しゃぶ探して来い?」
「違う!」
間髪入れずに、玉座に座っている少女がベルムートに向かって言い放った。
少女は背が低く細身で、顔立ちもやや幼いため、見た目の年齢は人間で言うところの14歳くらいに見えるが、実際の年齢はベルムートと同じで数百年は生きている。
髪は見る者を惹き付ける美しい赤紫で、頭には山羊のような2本の艶のある漆黒の角が生えており、瞳はこの世の輝きをすべて閉じ込めたかのような黄金で、服装は戦闘にも耐えられるように誂えられた髪と同じ赤紫と白のフリフリのワンピースの上から袖がなく丈の長い燕尾服を着ており、靴はヒールのある軍靴を履いている。
少女はその瞳で、ベルムートを軽く睨み付けている。
彼女こそが、正真正銘この城の主にして魔王軍のトップである魔王だ。
そして、ベルムートは魔王軍にいる7人の幹部の内の一人である。
ただ今この場には、ベルムートと魔王の2人しかいない。
魔王の私的な用件で呼び出されたベルムートは、埃ひとつない真っ赤な絨毯の上に立ち、玉座に座る魔王と対面して会話している。
「勇者を探して来いと言ったんだ!」
「硫酸探して来い?」
「おい、ふざけるな!」
「いや、ふざけているのはそっちだと思うのだが……」
「私はふざけてなどいない! 大真面目だ!」
「なら、こちらも大真面目にお断りしよう」
「断るな! つべこべ言わずに勇者を探してこい!」
「まったく……なぜそんなことをしなければならないんだ?」
「それはな……私が退屈だからだ!」
「は?」
「私が! 退屈だからだ!」
「なぜ2回言った?」
「大事なことだからな!」
「クソどうでもいいの間違いだろう」
「なんだと!? ケンカ売ってるのか!?」
「いやいやいやいや、ケンカなんて売るわけないだろう。もし私がお前にケンカを売るとしたら、幹部を全員招集してからだ」
「お前……ケンカでこの星滅ぼす気か?」
「それはそっちの態度次第だな」
「ふんっ!」
魔王は鼻を鳴らして玉座にふんぞり返った。
「話戻すぞ」
「チッ」
「おい! 今舌打ちしただろ!」
「気のせいだろう」
「ったく……。でさ、最近暇だと思わないか?」
「いや、別に暇ではないが……」
「私は暇なの!」
「……そうか」
魔王は戦闘力こそ高いが、まともな仕事はまったくできない。
強大な敵がいない今、戦闘することもないし、必然的に仕事がない状態といえるだろう。
ただ強いて言えば、戦闘訓練という名の部下に恐怖と絶望を与える扱きがあるが。
「誰か襲撃して来たら仕事があるんだけどなー」
「確かここ200年くらいは城に攻めてくる者はいなかったな」
「そうなんだよね」
魔王がため息を吐く。
「昔はよかったよね。強いやつらを探しては、『負けたら私の手下になれ!』とか言って片っ端から勝負してどんどん仲間増やしていってさ」
「まあ、お前は負けなしだったからな」
「まあな!」
(まあ、負けなしというか、単に負けを認めないだけだったような気もするが……)
「そんで城を作ってしばらくしたら勇者とかいうやつがやってきてさ。バチバチやりあったのはいいんだけど、勇者死んじゃったんだよね」
魔王は肩を落としてため息をついた。
「そうだな……今思えば、惜しい人材だったな……」
ベルムートは心の底から残念がった。
(もし勇者が生きていれば、面倒な魔王のお守りを勇者に押し付けられただろうに……)
「だよなー。まさか、魔王城の周りに生えている魔樹から取れる実が、人間にとって猛毒だったとはなー」
「そうだな」
「私たちは普通に食べれたのにな」
「ああ」
「それで勇者が死んでから誰も城に来なくなっちゃってさ。たまに人間の暮らす町に行くと、みんな逃げるばっかで全然向かってこないし」
「そうか? 何人かは立ち向かってきていたはずたが?」
「あれ? そうだったっけ? ……あーなんかいたかも。軽くビュンってやったら死んじゃった奴らがいたね」
「ん? いやそれは……まあいいか」
実はベルムートが防御魔法を使っておいたのでその人間たちは死んでいないのだが、ベルムートは突っ込むのをやめた。
(下手に突っ込むと、そいつらを探して来いとか言われそうだな……。現に今、勇者を探して来いとか言っているしな)
ベルムートたちはただ単に人間の町に行っただけで何もしていないのだが、人間たちに恐れられ戦闘になった。
それは、ベルムートたちが悪魔の見た目を隠しておらず、その姿を見た人間たちが恐がって攻撃してきただけなのだが、本人たちはまったく気づいていなかった。
「じゃなくてさ! もっと200年前の勇者みたいなすっごい強いやつと戦いたいわけよ! 私は!」
「そう言われても、勇者復活の儀式魔法の準備は進めているぞ?」
魔王は、死んでしまった勇者を生き返らせるための儀式魔法の作成を部下に任せていた。
といっても大部分を作ったのはベルムートであり、微調整や膨大な量の魔力の準備に追われてまだ使用されていない。
「200年くらいかかってるじゃないか! もう待てないぞ!」
「では、どうしろというんだ?」
ベルムートは少しイラッとしつつも魔王に尋ねた。
「だ・か・ら! 勇者を探して来いってさっきから言ってるじゃん!」
「流砂探して来い?」
「それはもういい!」
ベルムートは、話をしているうちに勇者探しの件をうやむやしようとしていたが、結局話が戻ってきてしまったことに落胆した。
「ふぅー……探して来いと言われても、勇者なんてそうそう見つからないだろう。だいたい、あれから他の勇者が城に攻めてきたことは一度もない。つまり、あれから新しく勇者が生まれていない可能性が高い」
「じゃあ、勇者くらい強いやつを連れてこい!」
「……まあ、それならいるかもしれないが……」
(いるかもしれないが、連れてこれるかはまた別の問題になるんだが……。というかそもそも、そんな面倒なこと引き受けたくないんだが……)
「じゃあ、そういうことでよろしく!」
「何がそういうことなのかさっぱりわからん」
「おい!」
「そもそも自分で探しに行けばいいだろう?」
「それは面倒くさい!」
「なんだそれは……」
「理屈じゃない、心で感じろ!」
「無理だ……どうやら、俺には心がないらしい」
「いいから行ってこい! じゃないと今ここで暴れるぞ!」
そう言って魔王は魔力を練りだした。
迸る魔力がベルムートに物理的なプレッシャーを与える。
「私はそんな幼稚な脅しには屈しないぞ」
「へぇー?」
魔王はニタリと邪悪な笑みを浮かべた。
「実はさ、この城がどのくらいの攻撃に耐えられるのか、前から試してみたかったんだよねー」
魔王はおもむろに手を掲げ、魔法を唱えようとした。
「まさか、お前本気か!?」
「だとしたら?」
「おい馬鹿やめ――」
「『地獄崩壊』!」
ベルムートの制止の声も虚しく、魔王が魔法を発動させた。
周辺の空間が歪み、建物が歪な形へと変化していく。
荘厳だった謁見の間が、まるで地獄に落ちてしまったかのような禍禍しい歪んだ世界へと変貌した。
「ふん!」
そして、魔王が声と共に掲げた手を握り込むと、地獄のような空間ごと城がガラスが割れたようにバラバラに砕け散った。
「う、うわああああああああああああ!」
「な、なんだ!?」
「ひぇっ! おたすけー!」
「て、敵襲ー! 敵襲だー!」
城で働いていた者たちが悲鳴と混乱の声をあげて、外に放り出された。
幸いにも大きなケガはしていないようで、皆ぴんぴんしている。
どうやら魔王は、城を跡形もなく消し飛ばしておきながら、部下を傷つけないよう手加減していたらしい。
「ふははははははは! もろいもろい!」
魔王は機嫌が良さそうに笑っている。
ゴロゴロピシャァン!
不適に笑う魔王のバックに、空を覆う黒い雲から雷が落ちた。
「魔王のやつ……城にかかっていた多重積層空間防御魔法を一瞬で掌握して歪ませることで強度を著しく低下させて破壊したのか……建物自体もオリハルコンで出来ていたはずだが消滅してしまっている……おまけに防音防雷結界まで破壊されている……」
現状を把握しようとしたベルムートが呟いた。
(今はこの程度で済んでいるが、このまま放っておいたら、いつどこで何をするか……)
魔王の中で燻る闘争本能を感じたベルムートは危機感を抱いた。
「何をやっているんですか!」
ゴロゴロピシャァン!
そこへやって来たベルムートの部下のアスティが、怒りの形相をしながら怒鳴り、彼女の怒りを現すように雷が落ちた。




