第七十五話 缶コーヒーと後悔と抱きつきと 桜side
なんて大胆な事をしてしまったのか、数日経っても私は後悔ばかりしていた。それは冬音ちゃんが夏騎君と付き合って一ヶ月が経とうとしていた時の事。
偶然、帰りが一緒になった雪さんと他愛もない話をしながら歩いていた。すると、雪さんがこんな事を聞いてきた。
「本井さんは、彼氏いないの?」
「いないわよ」
「モテそうなのに」
「モテる=彼氏持ちじゃないと思うけど」
「たしかに」
好きな人は?と聞かれたならば、いると答えたのに雪さんはそれだけ聞いて、また別の話題へと移った。
節中家の玄関先で良ければ上がって行くように言われた。最初は上がったらすぐに帰るつもりだった。けれど背を向けた彼への気持ちが何故か、この時だけ妙に溢れて…。
「も…といさん?」
気づけば彼を後ろから抱きしめていた。普通、逆だと思うんだけど…生憎好意を寄せているのは私の方だ、仕方ない。
「やっ…あの…ごめんなさい!」
その時は自分のしたことが恥ずかしくて、謝ってそのまま逃げてしまった。しかし、改めて考えてみると後悔しつつもチャンスだったのではと思う。
「桜ー」
私の名前を呼びながら春香と冬音ちゃんがこちらに来た。
「昨日さ、兄となんかあった?」
「…なんでかしら?」
「いや、あたしが帰ったらさ兄が玄関で呆けてたんだよね」
あの後、ずっと玄関で!?困らせてしまった事に更に私の罪悪感が募る。そんな私の心境など知らない春香が構わず続けた。
「意外と動じない人だから余計に気になってね」
「だからってなんで私なの?」
「本井さんって桜の苗字出してきたから、桜となんかあったのかなって」
「そう…」
「その様子だと、なんかあったみたいだね」
冬音ちゃんに核心をつかれ、何も言えなくなった。自分でも思い出して恥ずかしくなる事を人に話してよいものなのか…。
ふと冬音ちゃんを見れば、話すまで動かないというオーラを放っていた。ついでに言えば、本当にそう言われた。
「はぁ…分かったわ。勢いで抱きついちゃったのよ、私」
「えっ…」
「会わせる顔がなくて雪さんにも会えないし」
「それはそれは…」
気の毒にといった表情で春香は私を見た。冬音ちゃんは隣で何やら考え込んでいたけれどバッと顔を上げると私の手を握った。
「今日、会おう!」
「なっ、急すぎ…」
「遅いくらいだよ、言ってしまえば桜のした行動で少なからず意識は桜に向いてる」
「………」
「桜だっていつまでも会わないわけには行かないでしょ、会いたくないの?」
「そりゃあ、会いたいわよ」
「じゃあ会おうよ、頑張ってさ」
勇気付けられる冬音ちゃんの言葉により、私は今日雪さんに会う決意をした。
「あたし、のけ者?」
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放課後、緊張しながら部室へと向かう。その途中、雪さんとバッタリ鉢合わせた。
「あ……」
「う…あ…」
何か言った方が良いのかと口を開いてみたものの何も思い付かない。すると、雪さんが屈託なく笑い持っていた缶コーヒーをかざした。
「今日は無駄にならないみたいだ」
「今日はって…まさか毎日私の分も?」
「いつ来るか分からなかったからね、あっ飲む?」
「……もらうわ、せっかくだし」
目を逸らしながら、そう言えば雪さんが笑った。缶コーヒーを受け取り、部室に入る。
「この間はその…ごめんなさい」
「え?……ああ」
一度キョトンとした顔をして、次の瞬間には思い出したのか困ったように笑った。
「びっくりしたよ、急だったから」
「そう…そうよね」
「けど…」
いつもの椅子に座りながら、雪さんは缶コーヒーを置いた。私は言葉の続きを気にしながらも同じように椅子に座る。
「どうして抱きついてきたりしたの?」
「それは…」
その質問は私にとって好きな人は誰かと聞かれているようなもので、答えるのを躊躇った。
「あんな事されたら期待してしまうよ、俺は単純だから」
「へ?」
缶コーヒーを開けて飲んだ雪さんを私は目を見開いて見る。
「飲まないの?」
「それよりも、今…」
「今?」
「…なんでもないわ」
手を少し伸ばして置いた缶コーヒーを飲む。私は追求するのもなんだったので聞き流す事にした。それでも心の中でもやもやと…。やっぱり私…
「私、好きよ」
「………」
…え?今、私なんて言った?言った!?心の声がもれた事に焦る。口に出すつもりなんて無かったのに。雪さんを見てみれば呆けたまま動かない。
春香が玄関で見た雪さんの姿は、こんな感じだったのだろう。
「いや、あの今のは忘れて」
「無理」
声は聞こえているのか即答されてしまった。雪さんが立ち上がったと思えば、ふわりと抱き締められる。
「え?あ…の…え?」
「ずっとこうしたかった」
囁いたようなその声に顔が熱くなる。それから時間がゆっくりと流れたような、そんな気がした。
「俺からも言いたい、好きだ。付き合ってほしい…」
私から離れた雪さんがいつになく真剣な顔で、そう言った後、優しく微笑む。
「もちろん、良いに決まってるじゃない」
「よろしく」
「ええ」
どちらともなく距離をまた詰め、目を閉じ唇が触れあった。
ガタッ
物音がしてサッと離れる。物音がした方を見てみれば赤い顔をした冠凪さんがテーブルの向こうから目だけを出して、こちらを見ていた。
「い、い、いつ…いつから…」
「すみません…最初からです」
気まずさからか目を逸らし、真っ赤な顔を隠すように顔を覆った冠凪さんを見て、こっちこそ、そうしたい気分だった。
そんな私と違い、呑気に残りの缶コーヒーを飲み始めた雪さんを見て、私は溜め息を吐いて頭を抱えた。