第七十四話 祝福と杞憂と押しと
箸で摘まんでいたおかずを落として、あたしは目を丸くして冬音を見た。
「付き合う事になった?」
あまりの急展開にあたしは思わずそう聞いていた。桜や冠凪さん、秋までもがやっとかと言う表情をしている。
「待って、なんで?」
「夏騎君が好きって言ってきて…」
「帰りに好き同士なら、いっそ付き合う?って僕が」
「お…めでとう」
とりあえず祝福の言葉を言って拍手した。続いて他の三人も同様にする。
「けど冠凪さん良かったの?」
「はい、元々諦めかけてた恋…同じ戦場に立てただけでも満足です」
「恋敵ってやつね」
桜が、にやりと笑って冠凪さんと肩を組んだ。どうせなら、その場に居たかったと思うあたしはどうなんだろう。出来れば見届けたかった。
「春香」
「ん?」
「ありがとね」
思いがけない言葉にあたしは、また目を丸くした。冬音が照れ笑いを浮かべている。
「私、春香が親友で良かった」
「何、急に?」
「ううん、たださ春香に元気付けられてたってこと」
いつになく素直な冬音に、こちらが照れてしまう。あたしは弁当に視線をおとして俯いた。
「さあ、ご飯だ」
「もう、冬音ってば」
唯一つ以外何も変わらないランチタイム。嬉しそうな横顔を見つめながら、あたしは箸を動かしたのだった。
そんな事があってから数日後、恥ずかしながらも気になる事を質問してみる。
「ねっ、冬音」
「どうした?」
「夏騎、まだ冬音の事を苗字で呼んでるよね?」
そう、まだ付き合いたてとは言え、名前を呼び合うくらいは、しているものだと思っていた。しかし、聞いてみれば
『松永さん、これどうかな?』
『あ、松永さん』
『春香、松永さん知らない?』
…といった具合に見事に苗字呼び、しかもあたしは名前呼びなのに。冬音は気にならないのかな。
「あー、そういやそうだね」
「名前呼び願望ないの?」
「だって苗字呼びで不便な事、今のところ無いじゃん」
「うっ、そうだけど…」
便利、不便の問題?けれど冬音は大して気にしてないようでペン回しに熱中し始めた。
「じゃあアレは?」
「アレ?…って何?」
「きっ…キ…ス」
「純情か」
「て…手つないだ?」
「だから純情かって」
何故か冬音に笑われながらツッコまれた。とりあえず質問に答えてもらわなければ。
「誰かさん達と違って、ラブラブじゃないから無いよ」
「褒められてるんだよね?これ」
「うん、それに夏騎君も全然来ないからさ」
まだ初々しいからなのかとあたしは考えて、納得した。しかし、それから一ヶ月ほど経ったある日…。冬音が机に肘をついて指を組み、険しい顔をしていた。
「どうしたの?」
「無さすぎる…あまりにも何も無さすぎる」
「無さすぎるって…無いの?何も?」
「手も繋げてないし、ましてやキスなんて…」
「それって…」
「言うな、何も言うな!!」
あたしの言わんとしていた事を悟ったのか若干、自暴自棄になりながら冬音は頭を抱えた。
「……女として見られてない…よね」
「うっ…けどじゃあ何で付き合うとか言ったわけ?」
「何処かへの方…とか?」
「会話の流れから違和感全く無かったけど…そっちか!?」
勢いで立ち上がった冬音を宥めて、あたしは秋に聞いてくれるよう頼む事にした。
「夏騎に?」
「うん、冬音が下手なマネする前に」
「…チッ分かった」
快く(?)引き受けてくれたところで、あたしは冬音に声をかけた。
「自分で言っといてなんだけど、杞憂だと思うよ?」
「だったら私、春香に駅前のクレープ奢るよ」
「ありがたいけど、なんで賭けたの!?」
そうこうしていると秋が聞いてきたのか、こちらに戻ってきた。あたしだけ廊下に引っ張られる。
「えっ?ちょっ!冬…」
「大切過ぎるんだと」
「あ、うん」
「だから無闇に触れたくないんだと、傷つけそうで怖いから」
「……て、あたしが伝えればいいんだ?」
すると秋はバツが悪そうに頷いた。どうせ直接言うのは癪だとかいう理由なんだと思う。代わりにあたしが伝えると冬音は困った顔をした。
「なるほどね」
「けど、それだけ大切に思われてるって事だよね?」
「まあ…なら、いいかな。そもそも好かれてんのか心配だっただけだし」
「んじゃあクレープね」
「うわっ下手な事、言うんじゃなかった」
顔をしかめた、冬音にあたしは満面の笑みを返した。もちろんクレープを奢ってもらったのは言うまでもないだろう。
「あれ?」
ちゃっかりとクレープを完食して帰宅した、あたしは玄関で立ち尽くしていた兄を見て声をあげた。
「こんな所に立って…どうしたの?」
「ん?ああ、春香…おかえり」
「ただいま…」
「さっき本井さんと…」
言いかけて兄は口を閉ざした。それから目を泳がせて、もう一度口を開いた。けれど、それは質問だった。
「彼女、積極的なの?」
「桜?うーん…なのかなー?けどなん…」
「ありがとう」
お礼を言って、そそくさと自室に姿を消した兄。これは桜と何かあった。しかも、桜が兄に何かをしたのだろう。
兄の部屋を見つめながら、あたしはこっちもこっちで大変だと溜め息を吐いた。