第六十六話 筆談と透明感とのど飴と 夏騎side
そういえば声が掠れていたな、なんて思い出す。のど飴を渡せば良かったと今更ながら後悔していた。けれど、もう遅かった。
「うう…喉いだい」
「うん…」
うめく松永さんを春香が飽き飽きした様子で慰めていた。このやり取り、何度目なんだろうか?と考える。
「喉いだいんだっづの」
「うんうん」
さっきの今でまたやってると思わず苦笑いを浮かべた。昼、三組に春香と一緒に来たと思えば先日より悪化した声で言われた。
「喉いだい」
「え?」
急過ぎて聞き返してしまうほどだった。聞くところによると病院にも行かず放置したらそうなったそうだ。
「自業自得だな」
また秋が煽るような事を言って喧嘩が始まった。それも言い争いだったので今の松永さんの喉への負担が凄まじかった。
それで更に悪化して「喉痛い」の連呼を続けている。秋は喉への負担に対してだけ罪悪感があるのか居たたまれないという様子で出ていった。
「もう、今日病院行きなよ?」
春香にそう言われ、何故かふて腐れた様子で松永さんは頷いた。春香は溜め息を吐いている。すると不意に松永さんがこちらを見た。
「どうかした?」
尋ねてみれば少し慌てた様子で教室を出ていき、ノートとペンを持ってきた。そして何かを書くと僕に見せる。
【なんでもない】
その事を書くためだけにノートとペンを教室まで取りに行ったのかと、思わず笑ってしまった。松永さんが首を傾げる。
【?】
「首を振れば良かったのに」
すると松永さんはハッとして手に持っていたペンを落とした。…気づかなかったんだ。落としたペンを拾って松永さんに返す。
【気づかなかった、余計な手間】
「そんな事ないよ、首を振るだけじゃ限界があると思うし」
【紙に一々書くの面倒】
「ははっ、じゃあ早く直さないとだ」
僕が笑って言うと松永さんも笑って頷いた。それから秋が仏頂面のまま戻って来た。松永さんが持ってるノートに気付き、指を指した。
「なんだ?それ」
「松永さん、会話に不便だからって持ってきたんだ」
「そうか、悪かったな。喉の調子悪い時に」
その言葉に隣にいた春香が目を丸くした。僕も内心驚いている。松永さんは顔をしかめながらノートに何かを書いた。
【お前が謝るとか調子狂う】
「悪いと言っただけだ、謝ってない」
「秋の謝り基準ってどこ!?」
「ははっ」
「いや、夏騎も笑ってないでさ」
喧嘩もしてないし良いじゃないかと言おうとした時、本井さんと冠凪さんがやってきた。やっぱり始めに目につくのは松永さんの持ったノートらしかった。
「なんでノート持ってんのよ」
「喉の調子おかしいんだって、放置したからだよ。全く」
「放置!?」
眉をひそめた本井さんが言わんこっちゃないと松永さんに顔を向けた。
「大丈夫ですか?」
【大丈夫】
こちらはこちらで心配そうに冠凪さんが松永さんを気遣っていた。
「じゃあ、冬音は早く病院行かないと。秋、夏騎バイバイ」
「私も付き添うわ。じゃあね、二人とも」
「わっ私もいいですか?さようなら」
ぞろぞろと帰りの挨拶をして松永さんの背中を押しながら教室を出ていった。残ったのは僕と秋か。
「大丈夫か?あいつ」
「心配なんだ」
からかうように言えばムスッとして顔を背けられた。口を閉ざしてしまい、話す気配がない。
「帰ろうか」
「ああ…」
そういって秋は鞄を持つと逃げるように教室を出ていった。僕も後を追い、教室を出た。
二日後。再び春香達が三組へとやって来た。松永さんの手にノートもペンも見当たらなかったので治ったんだなと悟る。
「復活しました」
思った通り、松永さんの声は前のように戻っていた。改めて聞いてみると透明感のある声だった。
「これでまた口論しても大丈夫」
「する気満々!?やめてよ!」
「戻ったからと言ってお前が勝ちはしないがな」
「こっちも!?」
またいつもの賑やかさが戻っている。秋と松永さんが睨み合っていた。
「あのっ」
声のした方に顔を向けると冠凪さんが赤くしながら目を泳がせていた。次の言葉をそのまま待っていると、意を決したように言った。
「今度の日曜、どこかに出かけませんか?」
「え…」
驚いて冠凪さんを見つめていると、わたわたしながら付け足した。
「皆さんで!!」
「え?何?」
気づいた春香が不思議そうにこちらに来た。先程の事を話すと、なるほどと納得された。何がだろうか?
「今度の日曜、予定ある人いる?」
「わ…私」
「桜?誰かと出掛けるの?」
「…っ!」
顔を真っ赤にさせた本井さんを見て、春香が何故かニヤニヤとしていた。
「ふーん、遊園地?」
「なっ!?」
「あたし達も遊園地にしない?そしたら桜も来れるし」
「あんた分かって言ってるでしょ」
「じゃっじゃあ遊園地に決定!」
何かを誤魔化すように春香がそう宣言して、その場から逃げた。本井さんが追って行く。
「私達も帰ろうか、冠凪さん」
「あ、はい!」
冠凪さんと共に出ようとした松永さんを見ながら、ふと思った事があった。気づけば呼び止めている。
「松永さん」
「え?…冠凪さん先に行ってていいよ」
「…はい」
チラチラとこちらを気にしながら冠凪さんは教室を出て行った。
「夏騎君、何か用?」
「また喉の調子おかしくなったら言って、僕のど飴持ってるから」
「分かった、ありがとう」
透明感のある声で、涼しげな微笑みを浮かべながら風のように松永さんが去っていった。
少しの間、そんな彼女が目に焼き付いて離れなかった。