第三十四話 安心 桜side
放課後、冠凪さんに用があったのを思い出してサイエンス部へと足を運んだ。ドアをノックしてから開けてみると、冠凪さんの姿がなかった。……って言うか誰もいないし…。
首を傾げていると、後ろから足音が聞こえたので振り向く。残念ながら冠凪さんではなく、春香のお兄さんだった。名前…なんだっけ…存在感があんまりないから忘れた。
「あれ…確か…」
春香のお兄さんは私に気づくと驚いた表情をした。私の名前、もしかして覚えられてない?なんかムカツク…でも自分も忘れちゃってるし…。
「本井桜…。それで冠凪さんは?部室にはいないみたいだけど…」
「今日は部活ないけど…」
「はぁ?」
そう言う事は前もって教えてもらわないと困るわよ!その場にいない冠凪さんに切れる。全く…これじゃあ明日聞くしかないわね…。私は溜息を吐いた。そこで、ふとある疑問が残る。
「部活が休みなのに、春香のお兄さんは何を?」
「雪でいいよ、ちょっとやり残した事があって」
あれ?話してみると意外と落ち着いてるし…まともそうな人なんだけど…。春香とか冬音に対しては…なんだろう?ハッキリ言って変な人なのに。
それにしても…どうしよう。もう帰っちゃったとか…じゃあ時間を持て余した私はどうすればいいのよ。私が困っている事に気づいたのか雪…さんが少しだけ微笑む。
「良かったら、部室に入ってる?帰りたかったら帰って良いから」
「えっ…あ…ええ…」
今更だけど仮にも年上なのに敬語使わなくて良かったのかしら?でも相手も何も言って来ないし…別にいいのかしら?部室に入り、近くの椅子に座ると雪さんは正面に座って何かを作り始めた。
「それは何?」
「ブローチだよ、暇だったから春香にあげようと思って製作中なんだ」
手元を見てみると、可愛らしい白のうさぎのブローチだった。小さく紫の蝶もあって、少しだけ大人っぽいブローチだった。
「蝶……」
「蝶がどうかした?」
「…なんでもないわ」
蝶が…あまりにも綺麗な色の蝶だったから、少しだけ欲しくなった。少しだけ…作ってもらえる春香が羨ましく思えた。って何を思ってるのかしら、私は…。
「……暇?」
退屈そうにしている私を見て、微笑みながら雪さんはそう言った。どうでもいいけど雪さんって「さん」付けをすると女の人っぽい。
「暇、だってここにいても何もする事ないもの」
「それはそうだね」
「……妹さんにはいつもお世話になってます」
「こちらこそ、妹がお世話かけてます」
そしてまた彼は微笑んだ。この人は優しく微笑むんだ…気を許してしまいそうな程、優しく微笑む。だから微笑まれる度に、私は顔をしかめた。
「眉間に皺を寄せると癖になるらしいよ」
「え…?」
いつの間にか眉間に皺を寄せていたらしい。言われて初めて気づいた。あんまり自分の顔なんて意識しないし…。
「なんか…春香とかの前と雰囲気が違うような気がするんだけど…それは私の気のせいかしら?」
「…いつものは愛想笑いみたいなもので、今のが本当の僕だと思ってもらって構わないよ」
「なんで春香たちには…?」
こんな事、私が聞くような事じゃない。それは分かっているけれど、どうしても聞かずには居られなかった。
「春香にはいつも笑ってて欲しいんだ、その為には誰か明るいムードメーカーが必要だと思った」
「完全に空振ってるけど?」
「無理にしようと思っても、やっぱり無理は無理だった。今まで成功した事なんて一度もなかった」
「そのままじゃ…ダメなの?」
手を止めずにブローチを作っている彼に私は自分自身の考えを言ってみた。そのままの自分じゃダメなの?その方が春香も喜ぶ…嘘なんかよりも本当の事を言ってくれた方が誰だって嬉しいはず…。
「まだ勇気が出ないんだ、春香が物心ついた頃から無理をしてたから」
「そんなに前から?」
「春香からしてみれば、いつもの空振ってる僕が本当の僕なんだよ」
「………」
何も…言えなかった。中学とか…数年前くらいだと思ってた。でもまさか数十年も前からだったなんて…。私が俯いていると「顔をあげて」…と優しい声が聞こえた。
なんで平気なんだろう…?本当の自分が実の妹に知られていないのに…自分が勝ってにした事だからと言って、それは本当の自分じゃないのに。
いつもの無理をして作っている性格よりも、こっちの性格の方が…優しくて気遣い上手で妹思いなお兄さんなのに…。私は自分の事でもないのに涙が出てきそうになって唇を噛み締めた。
「話を聞いてもらったお礼に今度、何か作るよ。アクセサリーは得意なんだ」
「…じゃあ…ブローチ…」
「ブローチ?」
「そう、紫の蝶のブローチ作ってよ…」
「…分かった」
声だけで、この人がまた微笑んでいると分かった。私は我がままを言ってしまった?でも、向こうがお礼がしたいって言ったのよ?もう頼んでしまったし、今更やっぱりいいです!とも言いにくい。
「雪って呼び捨てでいい?」
「お好きなように、本井さん」
私はゆっくりと顔をあげて目の前の人物を見た。相手は手元のブローチを見ていた。どうやって渡すのかしら?また、ふざけた性格で渡すのかしら?
そろそろ、帰る頃合の時間になったので椅子から立ち上がる。帰る前に一つだけ言っておこう…。
「私……雪の笑顔見ると、なんだか安心するの。ああ…この人なら信じてもいいんじゃないかって…そう思っちゃうの」
「……ありがとう」
優しく微笑んで、彼はそう言ってから手元へと視線を戻した。答えるまでに間があった。もしかしたら、戸惑っていたのかしら?どうしてこんなに気にするのか自分ではとてもじゃないけれど分かりそうもない。
今はただ、彼が作ってくれる紫の蝶のブローチが出来るまで待っていよう。私は少しの間、彼を見つめてから部室を後にした。