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影の庭園  作者: 最後に残った形


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# 第31話:学園の深淵、そして決意の解放


薄暗い廃倉庫の中は、しんと静まり返っていた。外から差し込む月明かりが、埃の舞う空気の中で淡い光の柱を作り出す。ドローンの追撃を辛くも振り切り、三人がようやく辿り着いたこの隠れ家は、文字通り安息の地とは程遠い、ただの瓦礫の山だった。だが、あの時ほどの死に瀕した緊張感からは解放され、わずかばかりの疲労感と、それに勝る連帯感が彼らを包んでいた。


仁科蒼真は、壁に背を預け、目を閉じていた。疲労は感じないはずなのに、全身の神経が張り詰め、わずかな音にも反応してしまう。常時発動している五感拡張能力が、遠くの街の喧騒や、風に揺れる木の葉の音、廃墟の梁がきしむ音までをも拾い上げていた。それは彼にとって、常に世界と繋がっている証であり、同時に安らぎを奪う枷でもあった。しかし、今はその五感が、由紀と真琴の穏やかな寝息を捉え、安堵をもたらしていた。彼らの存在が、蒼真の感覚を、孤独な警戒から温かい保護へと変え始めていた。


由紀は、蒼真の隣で膝を抱えて座り、小さな息をついていた。彼女の銀髪が月光を反射して煌めく。昼間の激しい逃亡劇にも関わらず、その顔には疲労よりも、凛とした決意が宿っているようだった。真琴は、少し離れた場所で、ぐっすりと眠りこけている。彼女の口元には、まだ幼さが残るあどけない寝顔が浮かんでいた。蒼真は、二人を見やるたびに胸の奥が締め付けられるような、それでいて温かい感情に囚われる。彼らを巻き込んでしまったという罪悪感と、それでも彼らがそばにいてくれるという深い安堵。この矛盾した感情が、彼の心を支配していた。


「……蒼真君」


微かな声に、蒼真は静かに目を開けた。由紀だった。彼女の碧眼が、蒼真の黒い瞳を真っ直ぐに見つめる。

「眠れないの?」

「ああ。少し、考え事をしていた」

由紀は小さく笑った。

「私と同じね。私も、目が冴えてしまって。ドローンの追撃を振り切ったばかりだから、興奮しているのかもしれない」

だが、その言葉とは裏腹に、彼女の表情はどこか沈んでいた。蒼真はその理由を悟っていた。彼女の父親、白咲瑛司の存在だ。

「父のこと、考えていたの?」蒼真は尋ねた。

由紀は一瞬、眉をひそめたが、すぐに視線を蒼真に戻した。

「ええ。父が、私を『影』の象徴として祭り上げようとしている。その計画が最終段階に入っていると知って、どうすればいいのかと。私たちは、逃げるだけでは解決しない、そうでしょう?」

彼女の言葉には、迷いよりも、むしろ具体的な解決策を求める知性が滲み出ていた。

「ああ。だが、正面からぶつかれば、今度は学園の生徒や一般市民まで巻き込む可能性がある」

蒼真は、それが最も避けたい事態だと考えていた。彼の能力が公に露見すれば、『影』はさらに狂暴な追跡を始めるだろう。そして、何よりも、かつての相棒の警告が頭をよぎる。「絶対に能力を使うな。ばれたら確実に消される」。その言葉は、蒼真の心の奥底に、根深い恐怖として刻み込まれていた。


その時、蒼真の五感拡張能力が、再び微細な異変を捉えた。遠く、夜の静寂を切り裂くように、街の中心部、特に聖徴学園のある方向から、異様な「気配」が複数、急速に集結しているのを感知した。それは、ただならぬ能力者の集団が、何か大きな目的を持って動き出している証拠だった。

「……何だ?」

蒼真は、思わず声を漏らした。

由紀が鋭く反応する。「どうしたの、蒼真君?」

蒼真は、目を見開き、学園の方向を凝視する。「学園の、方向だ。嫌な気配がする。まるで……『影』の部隊が、一箇所に集結しているかのような」

由紀の顔色が変わった。「まさか……。父が、私を誘き出すために、学園を狙うなんて……」

彼女はすぐに携帯電話を取り出し、高速で操作を始めた。その指先が震えているように見えたのは、蒼真の気のせいではなかっただろう。由紀は、普段から『影』に関する情報収集を独自のルートで行っていた。その情報網を、今、フル活用していたのだ。


数秒後、由紀の表情が絶望の色に染まった。

「嘘でしょ……聖徴学園が、今夜から緊急閉鎖されているわ。生徒は全員自宅待機。理由は『インフルエンザの流行』だって。でも、こんな真夜中に突然なんて……ありえない」

由紀の言葉に、蒼真の脳裏に最悪のシナリオが浮かび上がった。

「インフルエンザ、か。そんな建前、通用するはずがない。奴らは、学園を封鎖し、内部に侵入しているんだ。由紀、お前をおびき出すために」

蒼真は歯を食いしばった。学園には、真琴の家族や友人がいる。そして、何よりも、何の罪もない一般生徒が巻き込まれる可能性があった。それは、彼が最も避けたかった事態だった。

「私のせいよ……父が、私が学園に執着していることを知っていて、そこを狙ったのね」由紀は唇を噛み締める。

蒼真は由紀の肩にそっと手を置いた。「違う。お前のせいじゃない。奴らは、お前を利用しようとしているだけだ。だが、このまま見過ごすわけにはいかない」


その時、真琴が目を覚ました。寝ぼけ眼で周りを見回し、二人の険しい表情に気づくと、すぐに状況を察した。

「どうしたの、二人とも。何かあった?」

由紀が真琴に、学園が『影』によって封鎖されたことを説明した。真琴の顔から血の気が引く。

「学園が……? そんな! 私の友達が、みんな、もしかしたらまだ学園にいるかもしれないのに……!」

真琴は、かつて自分が無自覚に『影』の監視人をしていた過去に苦悩していたが、その罪悪感を乗り越え、今は由紀と蒼真との友情を何よりも大切にしていた。だからこそ、彼女は学園の危機を、自分のことのように捉えた。

「学園が危険に晒されているなら、私たちが行かないと! 蒼真、由紀!」真琴は立ち上がり、強く訴えた。

蒼真は、真琴の目を見た。そこには、恐怖よりも強い、仲間と大切なものを守ろうとする純粋な意志が宿っていた。

「危険だ、真琴。お前たちを巻き込むわけにはいかない」

蒼真は、再びその言葉を口にした。彼らを危険に晒すことへの恐怖は、拭い去ることができない。

しかし、由紀は首を横に振った。「蒼真君、もう何度も言ったでしょう? 私たちは、もう一人ではない。あなたは、私たちを巻き込んだと思っているかもしれないけれど、私たちは自分たちの意思でここにいるの。父の駒として生きることを拒否する。それが私の決意よ」

由紀の言葉は、まるで氷の刃のように研ぎ澄まされ、蒼真の心に突き刺さった。


真琴も由紀の隣に並び、蒼真を真っ直ぐに見つめた。

「そうだよ、蒼真! 私は、もう監視人じゃない。由紀と蒼真の、本当の友達なんだ。友達が困ってるのに、見て見ぬふりなんてできない。それに、学園には私の友達もいるんだ。私が動かないで、どうするんだよ!」

彼女の言葉は、蒼真の心に温かい光を灯した。一人で全てを背負い込んできた彼にとって、この揺るぎない信頼と決意は、何よりも心強いものだった。

「……わかった」

蒼真は、深呼吸をして、覚悟を決めた。

「だが、無茶はするな。お前たちを、絶対に傷つけさせない」

彼の言葉には、以前のような冷たい拒絶はなかった。そこには、仲間を守り抜くという、熱い決意が宿っていた。

「作戦を立てる。由紀、学園内部の構造と、監視網について覚えている情報を全て教えてくれ。真琴、お前は、一般生徒の避難状況や、学園周辺の『影』の兵士の配置を探れるか?」

由紀は頷いた。「ええ。学園の監視カメラの位置や、警備員の配置、非常通路のことまで、覚えている限り全て教えるわ。父が『影』の幹部だったから、内部の情報には詳しいの」

真琴も力を込めて頷いた。「任せて! 『影』の監視システムは、以前私も無自覚に使っていたから、その隙を突けるかもしれない。それに、蒼真の五感拡張と、由紀の分析があれば、きっとやれる!」


三人の間に、静かな熱気が満ちた。それは、恐怖を乗り越え、共に戦うことを決めた者たちの連帯感だった。

蒼真は、かつての相棒からの警告を頭の片隅に追いやった。もう、逃げ隠れるだけでは、大切なものは守れない。彼の能力は、呪いではなく、大切なものを守るための力なのだ。その確信が、彼の心に揺るぎない決意を刻み込んだ。

「行くぞ」

蒼真は、力強く言い放った。

「学園へ」


夜の闇の中を、三人は疾走していた。聖徴学園へと向かう道のりは、緊張感に満ちていた。蒼真の五感拡張能力が、周囲の異常を絶えず探知する。学園に近づくにつれて、『影』の能力者たちの「気配」は増し、さらに精密な警戒網が敷かれていることが伝わってきた。

「学園の周囲には、複数の能力者が配置されているわ。特に正門と裏門は厳重よ」由紀が、蒼真の隣を走りながら、冷静に分析する。「監視カメラも、通常時の三倍に増えている。死角はほとんどないわ」

「でも、私がいた頃の『影』の監視システムには、特定の周波数で一時的に機能を停止させる裏技があったはず……」真琴が息を切らしながら言った。「それを探ってみる!」

真琴は、自分のスマートフォンを操作しながら、必死に『影』の監視網を突破する手がかりを探っていた。


蒼真は、由紀と真琴を護るように、先頭を駆けていた。彼の脚力は常人の比ではなく、夜の街路をまるで風のように駆け抜ける。その動きは、周囲の風景を曖昧な残像へと変え、瞬く間に距離を詰めていく。

彼らが学園の敷地近くまで来た時、蒼真は、異様なほどの静けさに気づいた。普段なら、夜遅くまで部活動の生徒が残っていたり、どこかのクラスで明かりがついていたりするはずなのに、学園全体がまるで死んだように静まり返っていた。この不自然な状況こそが、『影』が学園を完全に掌握している証拠だった。

「南側のフェンスが狙い目よ。監視カメラの死角が、わずかだけど存在するわ」由紀が指示を出す。

蒼真は、その指示に従い、南側へと迂回した。フェンスは高く、鉄条網が張り巡らされていたが、蒼真にとっては問題ではなかった。彼は、瞬時にフェンスを登り、由紀と真琴を軽々と抱え上げて、敷地内に飛び込んだ。まるで、空気の抵抗など存在しないかのように、音もなく着地する。


学園の敷地内は、さらに警戒が厳重だった。校舎の影、植え込みの奥、そこかしこに『影』の兵士たちが潜んでいるのが、蒼真の五感で捉えられた。彼らの多くは非能力者だが、特殊な装備で武装しており、能力者を一時的に抑制する術式が施された銃器を携行している。

「蒼真君、第一校舎の裏手に、複数の能力者反応。Dランクが三人、Cランクが一人よ」由紀が、蒼真の耳元で囁くように指示を出す。

「了解」

蒼真は頷くと、由紀と真琴に「ここで待て」と目で合図し、影の中に溶け込むように姿を消した。彼の超高速移動は、肉眼では捉えられないほどの速さだ。瞬く間に校舎の裏手へと到達すると、武装した『影』の兵士たちが、周囲を警戒しているのが見えた。

「目標、白咲由紀。及び、仁科蒼真と思われる対象。いかなる抵抗も排除せよ」

兵士たちの無線から、冷酷な命令が聞こえてくる。


蒼真は、もはや躊躇しなかった。大切なものを守るためならば、この力を解放する覚悟はできていた。

彼は、最も近くにいたDランクの能力者に、一瞬で肉薄した。相手が反応するよりも早く、手刀で首筋を打ち付ける。能力者は、何も理解できないまま意識を失い、音もなくその場に倒れ込んだ。

残りの二人のDランク能力者が、蒼真の存在に気づき、慌てて武器を構える。しかし、蒼真の動きは、彼らの認識速度を遥かに超えていた。残像を残しながら、二人の間を駆け抜け、同じように無力化する。

最後に残ったCランクの能力者は、電撃を操る能力者だった。蒼真の姿を捉えると同時に、両手から青白い電撃を放つ。しかし、蒼真は、その電撃が放たれる軌道を予見し、紙一重でかわすと、一気に間合いを詰めた。

「ぐっ……!」

能力者は、蒼真の圧倒的なスピードと、一切の迷いのない動きに恐怖し、後ずさる。蒼真は、その能力者の胸元に拳を叩き込んだ。

「がはっ……!」

能力者は、口から泡を吹いて、意識を失った。蒼真の攻撃は、まさに一撃必殺。彼の能力が、もはや隠し通せるレベルではないことを、その場にいた誰かが感じていたとしたら、それは当然のことだった。


「蒼真君!」

由紀と真琴が、蒼真の元へ駆け寄ってきた。

「大丈夫。全員、無力化した」蒼真は、冷静に告げる。

しかし、その時、学園全体の警戒システムが作動した。けたたましいサイレンが鳴り響き、校舎の各所から、サーチライトが夜空を切り裂くように動き始めた。

「しまった! 私が監視システムに触れたことで、逆探知されたみたい!」真琴が、悔しそうに顔を歪める。

由紀は、周囲を見渡し、蒼真に鋭く指示を出す。

「敵の増援が来るわ! 蒼真君、このままでは袋のネズミよ! 第一校舎の中庭を突っ切って、体育館を目指すの! あそこなら、一時的に身を隠せるスペースがあるはずよ!」

「了解!」

蒼真は、由紀と真琴の手を掴み、中庭へと向かって走り出した。サイレンの音は、学園中に響き渡り、彼らの存在を『影』に知らしめていた。


中庭に出ると、すでに『影』の兵士たちが集結し始めていた。彼らは、蒼真たちを取り囲むように、徐々に包囲網を狭めてくる。

「目標確認! 白咲由紀と、逃亡者・仁科蒼真!」

拡声器から、冷酷な声が響き渡る。

蒼真は、由紀と真琴を背中に庇い、周囲を見回した。数十人規模の兵士に加え、複数の能力者の「気配」が迫っていた。その中には、以前学園祭で戦った霧島隆一の、強い「気配」も含まれている。

「蒼真、覚悟を決めるんだ」

霧島の声が、冷たく響いた。彼は、中庭の入り口に立ちはだかり、その視線は蒼真に釘付けになっていた。その隣には、彼を補佐する能力者たちが控えている。

「学園内で、これ以上の狼藉は許さない。大人しく捕縛されろ」

蒼真は、その言葉に静かに答えた。

「……それは、俺の台詞だ。お前たちに、学園を汚させるわけにはいかない」

彼の瞳に、怒りの炎が宿る。目の前には、かつて彼を苦しめた『影』の幹部。そして、その背後には、大切な仲間と、守るべき学園がある。

蒼真は、覚悟を決めた。もう、隠し通す必要はない。彼の真の力は、今、この学園で、完全に解放されることになるだろう。


「行くぞ、由紀、真琴。これが、俺たちの、本当の戦いだ」

蒼真の全身から、それまで抑え込んでいた膨大なエネルギーが、まるで抑えきれない奔流のように溢れ出した。地面が微かに振動し、空気が歪む。彼の瞳は、これまで以上に鋭く、そして、どこか悲しいほどに、輝いていた。彼の正体は、今、完全に白日の下に晒されようとしていた。

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