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影の庭園  作者: 最後に残った形


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# 第29話:迫る影、繋がる絆


夜の帳が、古びた中継基地の廃墟を深く包み込んでいた。錆びた鉄骨が剥き出しになった天井の隙間からは、星屑が僅かに覗いている。風が吹き込むたびに、朽ちた木材やガラクタが軋む鈍い音が響き、それが余計に静寂を際立たせた。湿った土と埃が混じり合った、独特の、過去の記憶に浸食されたような匂いが充満している。


 仁科蒼真は、その場に備え付けられていたと思しき崩れかけたコンクリートの台座に腰を下ろし、瞑想するような体勢で、周囲の気配に全神経を集中させていた。五感拡張能力により、遠くで木の葉が擦れる音、微かに揺れる草の振動、そして何よりも、この場所に忍び寄る可能性のある『影』の気配を、水紋が広がるように感じ取っていた。彼の隣には、白咲由紀が、瓦礫を片付けた平らな場所に薄い毛布を敷いて座っていた。その銀髪は星明かりを受けて淡く輝き、疲労の色を浮かべながらも、その碧眼には確固たる決意が宿っている。少し離れた場所では、星野真琴が、持っていた携帯食料を口にしながら、不安げに周囲を見回していた。彼女の明るかった髪色も、今はどこか煤けて見え、頬には土埃がついていたが、瞳の奥には仲間への揺るぎない忠誠が燃えている。


「ここも、長くは持たないだろうな」


 蒼真の声は、廃墟の静寂に溶け込むようだった。決して感情を露わにしない彼にしては、少しだけ、安堵と同時に押し寄せる疲労が滲んでいる。由紀は、はっと顔を上げた。


「……やはり、そう、ですか」


 由紀の表情が曇る。蒼真は小さく頷いた。


「霧島隆一が、ここを特定できなかったのは幸運だった。だが、彼らは諦めない。俺の能力を検知した能力者が複数いる。それも、学園祭の時と、あの駅での戦闘で、だ」


 蒼真は、静かに言葉を続けた。彼の脳裏には、学園祭での混戦の中、由紀を守るために無意識に能力の一部を解放した瞬間の記憶が蘇っていた。そして、駅での戦闘では、由紀と真琴を守るために、躊躇なく力を解放した。あの時、確かに、遠くで複数の微細な波動が反応したのを感じ取っていた。それは『影』が設置している能力検知システム、あるいは潜在的な能力者の無意識の反応だったのかもしれない。


「複数の場所で、俺の『痕跡』が確認された。それも、Sランク級の。もはや、俺が学園に潜伏していたという情報と結びつくのは時間の問題だ」


 真琴が、ごくりと唾を飲み込んだ。


「じゃあ……もう、ここも危ないってこと?」


「ああ。ここが『影』の旧中継基地だったという事実は、逆に彼らにとって追跡の手がかりになり得る。過去のデータと照合し、廃墟となった今でも隠れる場所として使われる可能性を考慮するだろう」


 由紀は腕を組み、深く考え込んでいた。彼女の知性と観察眼は、常に蒼真の言葉の裏にある情報を引き出そうとしている。


「父の動きも、さらに活発になるでしょうね。私が逃亡し、さらにあなたまで大規模に追われることになれば、父にとっては都合が良い。混乱に乗じて、『影』内部での権力を掌握しようと目論んでいます」


 由紀の言葉には、どこか諦めと、そして強い反発の感情が込められていた。彼女は、血を分けた父親の野望を間近で見てきた。瑛司が由紀を「影の象徴」として祭り上げようとしているのは、単なる親心などではなく、あくまで自身の権力欲を満たすための道具としてでしかないことを、彼女は痛いほど理解している。


「白咲幹部の目的は?」


 蒼真が問う。由紀は静かに答えた。


「『影』は複数の派閥に分かれています。父は、能力者至上主義を掲げる強硬派。能力者こそが世界を支配すべきだ、と。そのために、私を『影』の象徴とし、彼の派閥の正当性を主張しようとしています。私の母は、父の考えに反発して亡くなりました。私は、母と同じ轍を踏みたくない」


 由紀の言葉の端々に、亡き母親への深い愛情と、父親への根深い不信感が滲んでいた。蒼真は、その複雑な感情を無表情ながらも受け止めるように、由紀をじっと見つめた。真琴は、二人の間に流れる重い空気に、何も言えずにただ耳を傾けていた。


「『影』は巨大な組織だ。そして、腐敗している」


 蒼真は、ぽつりと呟いた。それは彼が『影』にいた頃、肌で感じていた真実だった。力が全てを決定し、弱者は使い捨てられる。彼の口から、かつての組織の実態が語られた。


「『影』の能力者たちは、ランク付けされ、命令一つで人としての尊厳を奪われる。Sランクともなれば、国家級戦力として、その存在そのものが『影』の財産となる。俺も、その一人だった。逃亡者には厳しい追跡と抹殺が待っている。あの霧島隆一は、俺を逃した責任を取らされている。彼にとっては、俺の捕獲が唯一の生きる道だ」


 その言葉は、蒼真が背負ってきた重荷の大きさを物語っていた。真琴は、蒼真の過去を初めて明確に知り、息を呑んだ。彼女はかつて『影』の監視人として、無自覚に蒼真を追い詰める側にいた。その事実が、彼女の胸を再び締め付ける。


「霧島隆一は、Sランク能力者だ。それも、俺と同じく『影』の最高機密に触れてきた。彼の追跡から逃れることは容易ではない。そして……」


 蒼真は言葉を区切った。その視線は、由紀と真琴に向けられている。


「俺は、お前たちを危険に巻き込んでしまった」


 彼の声は、わずかに震えているように由紀には聞こえた。いつも無表情な蒼真が、感情の機微を見せるのは稀だ。それは、彼がどれだけ二人のことを案じているかの証拠だった。


「そんなことない!」


 真琴が、思わずといった風に叫んだ。


「蒼真は、私たちを助けてくれた! 私が、あの学園祭の時に、能力に気づいていながら、監視人だったことに気づいていながら、何もできなかった……だから、これ以上、一人で苦しむ蒼真を見ていたくないんだ!」


 真琴の声は震えていたが、その瞳には強い光が宿っていた。彼女は、かつての自己嫌悪から一歩踏み出し、蒼真と由紀のために自分ができることを模索している。彼女の言葉は、蒼真の孤独な心を強く揺さぶった。


 由紀もまた、蒼真の目を見据えた。


「私も同じです。父の駒として生きることを拒否します。私は、私の意志で、あなたと共に生きたい。蒼真、あなたはもう、一人ではありません」


 由紀の言葉は、まるで廃墟の闇を切り裂く一筋の光のようだった。彼女の瞳に宿る真摯な光が、蒼真の心に温かさを灯していく。かつて、誰にも頼ることなく、独りで全てを背負い込んできた蒼真にとって、二人の言葉は、何よりも深い慰めであり、力となった。


「……ありがとう」


 蒼真は、微かに、本当に微かに口元を緩めた。その表情は、二人にしか見えないほどのかすかなものだったが、由紀と真琴には、それが蒼真の心からの感謝であることを理解できた。


「俺は、能力を使うな、と言われてきた。ばれたら確実に消される、と。かつての相棒に、そう警告された。その言葉は、常に俺の心に重くのしかかっていた。だが……」


 蒼真は、そこで言葉を区切り、再び由紀と真琴を見た。


「お前たちを守るためなら、もう、迷わない」


 その言葉は、彼の内側で長い間閉じ込められていた感情が、ついに解き放たれた瞬間だった。能力を隠し続けることの心理的負担、そして能力を解放した瞬間に襲い来る『影』からの追跡。その二つの重圧の中で、蒼真はついに「能力を使い、仲間を守る」という決断を下したのだ。


「では、私たちに何ができるか、具体的な計画を立てましょう」


 由紀が、冷静に、しかし力強く言った。彼女の知性は、このような極限状況でこそ真価を発揮する。


「『影』は、能力者を追う際には、必ず通信網と情報網を駆使します。旧中継基地の情報は、おそらく古いものでしょうが、それでも何か手がかりになるかもしれません。そして、真琴さん。あなたの社交性と情報収集能力が、きっと役に立つはずです」


 由紀は真琴に視線を向けた。真琴は、突然自分に役割が与えられたことに、少し驚いた顔をした後、すぐに真剣な表情になった。


「私に……できること?」


「ええ。あなたは、学園の生徒として、あるいは一般人として、様々な情報に触れる機会があった。そして、その経験は、私たちにとっては非常に貴重な情報源になり得ます。例えば、普段の生活の中で、どのような場所に監視カメラが多かったか、人々の動きに不自然な点はなかったか、あるいは、巷で噂になっている奇妙な事件など、些細なことでも構いません」


 由紀は、真琴の目を見て、その潜在能力を引き出そうとした。真琴は、自分が『影』の監視人であったがゆえに得ていた無自覚な情報が、今度は仲間を救う力になり得ることに気づき、顔色を変えた。


「確かに……私、学園の裏道とか、商店街の人の流れとか、よく見てた。なんか、無意識に……」


 真琴は、自分が監視対象を特定するために、無意識のうちに周囲の環境を細かく観察する癖がついていたことを思い出した。それは、彼女が『影』に操られていたことの証でもあるが、今はそれを、前向きな力に変えようとしている。


「それが、私たちにとっての武器になります。蒼真の強力な戦闘能力、私の情報分析能力、そして真琴さんの、市井の情報収集能力。三人がそれぞれの強みを活かせば、『影』の追跡網を掻い潜れるはずです」


 由紀は、希望に満ちた眼差しで言った。蒼真は、その言葉に静かに耳を傾けている。彼にとって、このような明確な役割分担は、かつて『影』で任務に就いていた頃以来のことだった。しかし、あの頃と違うのは、彼が信頼できる仲間と共にいるということだ。


「俺は、お前たちを絶対に守り抜く」


 蒼真は、もう一度、深く誓うように言った。その声には、一切の迷いがなかった。二人の信頼が、彼の内なる力を解き放ち、新たな覚悟へと昇華させていた。


 その時だった。


 蒼真の五感拡張能力が、微かな、しかし明確な異常を察知した。遠く離れた場所から、かすかに、しかし確実に近づいてくる熱源。それは、複数の人間が発するそれとは異なる、機械的な、冷たい熱だった。


「……何か、来る」


 蒼真の声が、静寂を切り裂いた。由紀と真琴は、彼の緊迫した声に、一瞬で身構える。


「何が?」


 真琴が息を詰めて問う。


「ドローン……か。しかし、単なる偵察用ではない。この熱源の規模は……」


 蒼真の脳裏に、かつて『影』が使用していた大型の偵察・攻撃用ドローンが思い浮かんだ。それは、広範囲をカバーする監視能力に加え、ある程度の武装も施されている。


「『影』が、ここを特定した……?」


 由紀の顔色が変わる。彼女は、すぐに立ち上がり、蒼真の隣に立った。真琴も、不安と覚悟の入り混じった表情で、二人の背中を見つめる。


「おそらく、俺が最後に残した『サイン』から、追跡を進められたのだろう。だが、この規模のドローンを、まさかこの廃墟に投入するとは……」


 蒼真は、自らの選択が、結果として仲間をより大きな危険に晒していることに、再び罪悪感を覚えた。しかし、彼を包み込む由紀と真琴の信頼の眼差しが、その罪悪感を打ち消していく。もう、一人で抱え込む必要はないのだ。


「奴らは、俺たちの居場所を正確に特定しようとしている。そして、ここを拠点として、より大規模な攻撃を仕掛けるつもりだ」


 廃墟の外から聞こえてくる、機械的な駆動音が、徐々に大きくなっていく。それは、まるで巨大な昆虫の羽音のようにも聞こえ、嫌な予感を助長させた。


「どうする、蒼真!?」


 真琴が、焦燥に駆られた声で問う。


 蒼真は、ゆっくりと立ち上がった。彼の全身から、わずかながら、しかし確かな力が放出されているのが、由紀には肌で感じられた。そのオーラは、以前の、感情を押し殺したような重苦しいものではなく、どこか研ぎ澄まされ、そして、温かさを帯びていた。


「ここはもう、使えない。逃げる」


 彼は簡潔に告げた。だが、その言葉には、今まで以上に強い決意が込められている。


「だが、ただ逃げるだけではない。奴らの動きを読み、次の手を打つ。由紀、真琴、お前たちの力を貸してくれ」


 蒼真の言葉に、由紀と真琴は力強く頷いた。


「当然です」


「任せて!」


 二人の声が、廃墟の闇に響き渡った。その声は、恐怖に打ち勝つ、強い意志と絆の証だった。


 蒼真は、素早く周囲を見渡し、最も安全かつ効率的な脱出経路を計算した。彼の能力は、単なる破壊力に留まらない。高速移動、五感拡張、そして優れた洞察力と状況判断能力、全てが組み合わさって初めて、「総合超人能力」となるのだ。


「行くぞ!」


 蒼真は、二人の手を掴んだ。由紀は、彼の腕に伝わる確かな熱と力強さに、不安の中でも安堵を覚えた。真琴もまた、蒼真の決意に満ちた背中に、かつて感じたことのない頼もしさを感じていた。


 外から聞こえるドローンの駆動音は、もう間近に迫っていた。レーザー照射と思われる、赤い光が、廃墟の壁の隙間から、まるで血のように滲み込んできた。


「次なる隠れ家は、あの場所だ」


 蒼真は、夜空に浮かぶ、僅かな光を指差した。その光は、遠く離れた街の明かりなのか、あるいは希望の灯火なのか。


 三人は、それぞれの覚悟を胸に、迫りくる『影』の追跡から逃れるべく、夜の闇へと再び飛び出した。彼らの旅は、まだ始まったばかりだ。しかし、彼らはもう、一人ではない。絆という、何よりも強固な盾を手に、未来を切り開くために、彼らは進む。

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