第五話
供給される「薬」の形が変わり、結衣はわずかな間の院内での散歩が許可された。
全てが新鮮だと、血色の良い顔で弾けるように笑い、会うたびに時間いっぱいまで言葉が尽きない。
そんな、結衣の「元気な時間」は、あまりに呆気なく、そして皮肉な形で終わりを迎えた。
結衣に友だちができたのだという。
同じ病棟に入院している、小学生の女の子。
結衣は「お姉さん」になれたことが嬉しくて、私にその子の話をたくさんしてくれた。
「あの子もね、私と同じで苦しい時期があるの。だから……」
結衣は、私が自分の心と引き換えに運んでいたあの「薬」を、こっそりとその子に分け与えていた。
結衣にとっては、純粋な善意だったのだろう。
自分が楽になった魔法の薬を、友だちにも。
けれど、精密なバランスの上で成り立っていた結衣の体は、服用量を減らしたことで一気に崩壊した。
そして薬を譲り受けた少女もまた、不適切な投与によって、取り返しのつかない事態に陥った。
気づいたときには、すべてが遅すぎた。
病院内の騒ぎ、主治医の怒号、
そして、静かに冷たくなっていく妹の指先。
私は、ただ立ち尽くしていた。
結衣を救うために積み上げた罪が、結衣自身の優しさによって瓦解していくのを、
ただ見ていることしかできなかった。
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葬儀を終え、数日が過ぎた。
元から空っぽだった自宅に、あの「組織」の男が再び現れた。
「綾瀬様、お悔やみ申し上げます。……さて、次の調整ですが」
「もう、協力はできません」
私は、男の言葉を遮って冷たく言い放った。
「妹は死にました。私が貴方たちに従う理由は、もうこの世界のどこにもない」
「……報復が怖くないのですか? お父上の名誉も、貴女自身の立場も、すべて泥に塗れることになりますよ」
男の脅しに、私は乾いた笑い声を漏らした。
奪われるもの? 立場? 名誉?
ママも、お父さんも、お母さんも、結衣もいない。
この広い家にたった一人残された私から、これ以上何を奪おうというのか。
「好きにすればいい。……もう、どうでもいいんです」
男は舌打ちを残して去っていった。
それから数日間、私はただ、テレビの砂嵐を眺めるように生きていた。
食事の味も分からず、ただ心臓が動いているから息をしているだけの、肉体の塊。
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ふと、テレビの画面に色鮮やかな風景が映った。
近所の河川敷が、今、花の名所として満開を迎えているのだという。
「……行ってみようかな」
それは、結衣がずっと見たがっていた花だった。
あのまま続いていれば、あったかもしれない未来。
ついにあの子が手にすることのなかった、病室の窓から、あるいは私の拙い描写から想像するしかなかった、外の世界の色彩。
私はふらりと家を出た。
春の陽光は不条理なほど暖かく、
世界は結衣がいなくなったことなど気づかないふりをして、美しく回っている。
花の名所へ続く道。
反対側の前方で、何やら人が騒いでいるのが見えた。
誰かが倒れている。それを取り囲む人々。
(……あ、ママみたいだ)
人を救おうとして、惨劇の渦中に飛び込んだ実の母の姿が重なる。
なぜだろう、足が横断歩道へと向かう。
その時、背後から空気を切り裂くようなエンジンの轟音が響いた。
振り返る余裕もなかった。
凄さまじい衝撃とともに、私の体は宙を舞った。
アスファルトに叩きつけられた瞬間、全身を突き抜ける激痛。
そして、熱い何かが自分の内側から外へと溢れ出し、急速に冷えていく感覚。
私を跳ね飛ばした車は、そのまま加速し、騒ぎのあった歩道へと乗り上げていく。
悲鳴、怒号、砕けるガラスの音。
薄れゆく意識の中で、私は不思議なほどの安堵感に包まれていた。
(ああ……これで、終わるんだ)
遠くから、救急車のサイレンが聞こえてくる。
かつて、家族の誰かが守ろうとし、
誰かがそこで息を引き取った、その音。
視界の端で、風に舞った花びらが一筋、赤く染まった地面に落ちるのが見えた。
ようやく、境界線が消えていく。
ママのいる空へ。
お父さんとお母さんの待つ食卓へ。
そして、大好きな物語の続きを待っている、結衣のところへ。
そんな私へと、慌てたように駆け寄ってくる黒い人。
あ、そんな顔も、するん……




