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二人の母、一つの境界線 ―空のママと、絆創膏のお母さん―  作者: 横山


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第二話

 十歳になった私への誕生プレゼントは、 小さな、けれど命の灯火が危うい妹だった。


 妹の名前は結衣ゆい。 「人と人を結ぶ子に」という父の願いが込められていたけれど、彼女が結んだのは、自宅と、その隣にある父の病院という二つの世界だった。


「ヒロ、結衣ちゃんな、ちょっとの間……いや、結衣ちゃん、お家に帰れないかもしれない」


 産後の肥立ちが思わしくないお母さんに代わって、父が沈痛な面持ちでそう告げた。


 私の家は、父が院長を務める総合病院のすぐ隣にある。 渡り廊下一つで繋がっているはずなのに、結衣にとっては、そのわずか数十メートルが、宇宙の果てよりも遠い場所だった。


 結衣の心臓は、普通の子よりも少しだけ複雑な形をして生まれてきた。


 三度の手術を経て一命を取り留めたものの、 彼女の生活圏は、常に無菌状態に近い、温度の調節された病室の中に限られた。


「お姉ちゃん、今日は何を持ってきたの?」


 病室のドアを開けると、結衣がベッドの上でタブレットを手に、目を輝かせる。


 結衣にとっての窓は、インターネットの世界だった。 彼女はネット小説が大好きで、物語の中ではどこへでも行き、どんな冒険でも楽しんでいた。


 けれど、ネットの情報はときに彼女の偏食を加速させる。


「今日はね、流行りの小説じゃなくて、これ。……それから、今の街の『匂い』を持ってきたよ」


 私は学校の帰りに買った新刊の文芸誌と、道端で摘んできたばかりの季節の花を差し入れる。


「はい、ニュース。今年はね、記録的な猛暑になるんだって。ニュースサイトでは『異常気象』って騒がれてるけど、実際はね、蝉の声がうるさくて、アスファルトから陽炎が立つくらい、外はギラギラしてるんだよ」


 常に二十五度に保たれた部屋にいる結衣には、夏の「暴力的な暑さ」というものが実感できない。


「へぇ……陽炎。ネットで画像は見たことあるけど、揺れて見えるんだよね?」


「そう。景色が溶けてるみたいにね。学校の帰り道、それを見てると、なんだか結衣の病室だけが本当の世界で、外は全部幻なんじゃないかって思えてくる」


 結衣は、私が運んでくるとりとめのない日常の話を、宝物のように聞いてくれた。


 テレビのワイドショーで流れる噂話。 近所のコンビニに新しく入った店員さんの話。 学校の図書室でこっそり読んだ古い本の話。


「お姉ちゃんの話は、ネットよりずっと面白いよ。ちゃんと……なんだか、生きてる音がするもん」


 結衣の細い指が、私の日焼けした腕に触れる。


 その指先はいつも少し冷たくて、 彼女をこの「完璧に管理された箱庭」から連れ出せない自分の無力さが、チクリと胸を刺した。


 時折、父が病室に顔を出す。 父は以前よりも少し老けたように見えた。


 結衣の前では優しく笑っているけれど、ふとした瞬間に、窓の外を……いや、病院のどこか一点をじっと見つめて、深く考え込んでいる姿をよく見かけるようになった。


「お父さん、最近疲れてるのかな」


 結衣がポツリと言った。


「よくね、私の顔をじっと見つめてるの。どうしたのって聞いても、なんでもないって言うだけで、顔を逸らしちゃう。……お家ではどう?」


「……部屋に閉じこもってることが増えたかな。お母さんも気にしてるみたい。たぶん、結衣の新しい治療法のことでも考えてるんだよ」


 私は、自分に言い聞めるように答えた。 医者である父が、愛する娘を救えないもどかしさに苦しんでいる。そう思っていた。


 けれど、その時の私はまだ知らなかった。


 父が、病院のどのシステムにも記録されていない「何か」を、 結衣のために、あるいは自分自身の贖罪のために、暗い地下室で抱え込んでいたことを。


 結衣の病室は、静かだった。 ネットの物語と、私の運ぶ外の世界の断片。


 その二つだけで、あの子の生まれてからの十数年ができていた。

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