在る海辺の酒屋にて
ザザァ、ザザァ。と波の打つ音が遠くで聞こえる。
月明かりもなく、この辺りを淡く照らすのは酒場の明かりだけであった。
すっかり静かな店内では、カウンターで私が独り酒を煽りながらぼんやりと波の音を聴いているだけで、あとは何も無い。
「マスター、同じものをくれるかい」
空いたグラスを差し出すと、彼は黙って新しいグラスに酒を注いでそっとカウンターに置いてくれた。彼は客商売の人間とは思えないほど酷く寡黙な男だが、この静寂と酒の味が好きな私にとってはむしろそれが心地よいものに感じられる。
そんなふうに暫く感傷に浸っていると、カラン、カランと店の扉が音を立てるのが聞こえ、ついそちらを見てしまった。そこには古い友人が立っているのが見え、私は少し顔を顰めた。友人は私の顔を見るやニヤリと笑ってこちらに寄って来た。
「なんだ、今日もいるのか。お前はいつもここにいるなァ」
「ここが好きなんだ、別に構わないだろう」
彼は悪い人間ではないのだが、私にとっては賑やかすぎる人柄の男であった。そんな彼は、どういう訳か私を見かけるとわざわざこうして話し掛けて来るのだ。
「こんな静かな場所に何日も居たら、気が狂っちまうんじゃないのかね」
どうやら彼には配慮という物も無いらしい。
「それが良いんじゃないか。ここに居る間の時間が、私の幸せだよ。それも今、お前に奪われたがね」
皮肉混じりにそう言ってやると、友人は少し困ったように笑った。
「お前はいつもそうやって独りになりたがる」
「余計なお世話だ」
酒を煽り、グラスを差し出す。新しいグラスが運ばれる。
「いい加減、友人を作れよ。お前がそうしてるうちは誰も寄ってきちゃくれないぞ」
「…………」
グラスの中の酒を眺めて、少し考える。
カラン、カラン。扉の開く音が聞こえる。
店の中には、私独りだけ。
もう、波の音は聞こえなかった。




