新天地へ2
次の日は馬を売り、交通手段を乗合馬車に変えた。
こっちの方が、同行者も多くて何かがあった時に守ってもらいやすいし、貴族の娘が逃亡するにしては、最も使わなさそうな手段だろうと思ったからだ。
なにせ馬車の座席は硬いし、舗装道路じゃないのでやたら揺れる。
他の平民のみなさんと隣り合わせでもあるので、貴族令嬢は選ばないだろう。
以前から見かけていたので、その存在は知っていた。
だけど乗るのは初めてだった。
でも座席の硬さは本当に辛い。荷物の一部をクッションがわりにして、なんとかしのいだ。
そんな苦労をしてでも乗り合い馬車を選んだのは、道がわからなかったから。
とてもじゃないけれど、たった一人で馬に乗って行ける気がしなかったし、何かあった時に逃げ方を知っている人たちと行動したいという考えがあった。
それにもう一つ利点がある。
人の話を聞いていれば、貴族令嬢の自分ではわからない平民の生活についても、知識を得られる。
安全な旅を続けるためにも、すれ違った人に「おかしいな?」と言われない立ち居振る舞いを身に着けるためにも、とても有効だろうと思いついた。
そうして私は、親を亡くして親戚の家に行かなければならない娘のふりをしつつ、旅をした。
オークリーの別荘近くの町からパトラ村まで、かなりの道のりがある。
川を渡ったり、山をぐるりと迂回するせいだ。その間ずっと馬車に揺られて、乗っているだけで途中でへとへとになりそうだった。
疲れ切った私は、途中で荷物を抱えたまま眠ったけれど、乗り合わせた人達が善良な人達ばかりだったのか、物盗りの被害には合わずにすんだ……よかった。
そんな乗り合い馬車を、三度乗り継ぐ。
二度目と三度目の乗り継ぎでは、山奥の道を進むことになったり、森の側を進む道だったりする。こういう道では、山賊みたいな人達や魔物も出やすい。
いつかは魔物の襲撃か、見かけて道を戻るようなトラブルぐらいは起きるのではないかと怖かった。
それでもあのまま、貴族令嬢のセリナとして生きていくのは嫌だったから、身投げする覚悟をしていたのだけど。
「けっこう平穏……?」
問題なく最後の乗り換えの馬車に乗り、ゆったりと過ごせていた。
それはもしかしたら、時々兵士や魔術師が、旧街道を行き来していたせいかもしれない。
何度か通り過ぎる兵士や魔術師を見ては、首をすくめて荷物にうつぶせるようにして顔を隠していたのだ。
私を探しているかもしれない、と思ってのことだったけど、もしかして何か別の事件でもあったのかしら?
不思議に思って、愛想のいい隣の席のおばさんに聞いてみると、教えてくれた。
「あれはたぶん、幻獣が出てるせいじゃないかね」
「幻獣」
この世界には幻獣がいる。
魔物との区別は、おどろおどろしい姿形ではないこと、人をめったに攻撃しないとか、食べたりしないという部分でしているようだ。
でも他の理由で人里が襲われることもある。
人が彼らの生息地に入って、巣を荒らしたりした場合だ。
とにかく幻獣のおかげで、私は今日も無事に次の町へ到着。
そして別荘を出発してから一週間後。
私は目的の村へやってきた。
パトラ村は、ざっと推測して人口は三百人くらい。
雑貨屋が一つ、宿はなくて、食事ができる店もない。
旧街道がここまで伸びているおかげで、乗り合い馬車もここまでは来るようだ。
ここへ来るまで長くかかってしまったし、貴族令嬢としてあまり動かずに過ごしていた私が、荷物の管理もして、周囲の話を必死で聞いては覚えてと、緊張続きの旅だったせいか、疲れ切っていた。
けれど本日の寝床を確保するためにも、私は募集の紙を持って、村長の元を訪問する。
一か八かでやってみるのだ。
すると――。
「おお、もう来たのか!」
白髭の細身の村長は大喜びだった。
「もう、ですか?」
「募集をすると聞いて、まだ一カ月くらいだからなぁ。数か月はかかると思っておったよ。こんな遠い場所に来るなら、それなりに身辺整理が必要だろうしな」
たしかに……。
普通のメイド職についている人でも、自分の生家から遠く離れた、しかも勤め替えできる場所がほとんどない田舎の村に行くには、それなりの覚悟がいるはず。
でも時間が経っていたから、すでに何人かは来ていると思っていた。
一人目というのは目立つので、避けたかったけど今さらどうしようもない。
「もう夕方だからな。対面は明日にして、まずはうちに泊まっていきなさい」
村長はそう言って、家に招待してくれた。
最初から、メイドに与えられる家に案内されるわけではないようだ。
村長の家に一泊している間に、勤め先へ面接しに行き、合格だったら家の鍵をもらえるのだろう。
なんにせよ、食事の支度もなにもしなくていいのは助かる。
長旅でヘロヘロだった私は、素直に村長の家に泊まり、村長夫人の料理をお腹いっぱい食べさせてもらって、その日は早々に泥のように眠ったのだった。