隣の席の彼女
「先週も伝えたとおり、帰り道は気をつけてください」
放課後のホームルームで担任教師が静かに告げた。この時間、本当ならみんなの意識はこれから遊ぶことや、部活のことでいっぱいだろう。だけど、先週からずっと教室の空気は重かった。
みんなの注意はひとつの席に向いていた。
同じクラスの女子が姿を消した。何の前触れもなく失踪し、一週間たっても発見に至っていない。彼女は元気で明るく友人も多かった。だから彼女がいなくなったことにクラスの誰もが心配そうにしていた。
下駄箱で靴を履き替えて外に出ようとすると、アスファルトがまだらに黒く塗れている。空を見上げると暗い空から雨が降り注いでいた。
走って帰ってきた自宅のドア郵便受けには封筒が入れられていた。宛名には何も書かれてない、ただの茶封筒。表面には雨で斑点模様ができている。さっき入れられたばかりなのだろう。これで何度目だろうか。既に一週間は続いていた。
まだ誰も帰ってない家に入ると、二階の自室で封筒を開く。中身は写真が一枚。そこはどこかの建物の中、がらんとした部屋で一人の女性が横たわっていた。彼女のことはよく知っている。名前は藤宮サキ。失踪したクラスメイトだった。
制服姿で地面に横たわる彼女は眠っているようにも見えたが、二度とおきることがないことをボクは知っている。今のボクにできるのは、写真を見つめながら、空になった茶封筒を握り締めて立ち尽くすことだけだった。
次の日も教室の中は静かだった。授業開始10分前のこの時間は一番騒がしいのに、みんなが声をひそめている。その視線はボクの隣の席に向いていた。そこが藤宮サキの席だった。
そんな中、ボクの注意が向いているのは彼女の友人である姫井カオリだった。姫井は藤宮のことを親友だといってよく一緒にいる女子生徒だった。二人の関係は姫井が前に立って引っ張り、藤宮がその補助に回っていることが多かった。姫井のわがままに対しても藤宮が言うならしょうがないかというのがこのクラスのルールになっていた。
クラスの王様は彼女だった。藤宮がお姫様。だけど今の姫井は一週間前とがらりと変わっていた。いつもなら綺麗に化粧している顔はひどい様子だった。
彼女のことを心配して声をかけるクラスメイトもいたが、反応をみせずにただ自分の殻に引きこもっている。ずっとその調子だったので今はみんなが距離をとっていた。
それにクラスメイトにとって姫井は藤宮に比べるとそこまで大切な存在ではない。いやもっと言えば、藤宮を利用して常にクラスの一番であろうとした姫井のことを嫌っている節もあった。
机につっぷして寝たふりをしながら姫井の動きに注意し続ける。姫井が気になってしかたがなかった。彼女がいなくなったとき、一緒に帰ったのは姫井だったのだから。何かを知っているはずだ。
家に帰るとまたあの封筒が郵便受けに入っていた。
写真の中の彼女は既に変化してしまっている。化粧もせずに陶器のように白く艶やかだった肌は黒ずみ、柔らかそうな頬も綺麗なまつげに縁取られた瞳も落ち窪んでいた。
目を閉じて思い出す。彼女の生きていた頃を。
自分という人間はクラスから浮いていた。普段から誰かと話すのが苦手だったので、案の定クラスでも友人はできなかった。いつも暗い顔で黙っているやつに話しかけるような人間はいない。
ボクにとっての彼女は一番遠い存在のはずだった。それが変わったのは席替えをしたときからだ。ボクが彼女の隣の席に決まるとあちこちで不満の声が聞こえた。
『隣の席になるのは初めてだね。よろしく、竹田君』
いくつもの視線に刺されながら席に座ると、他のクラスメイトに向けるのと同じ表情で藤宮サキは笑いかけてきた。彼女にとってはボクもただのクラスメイトの一人だったのだろう。そのことに不満がなかったかと聞かれたら嘘になる。
それでも、次の授業やテスト結果などを話しかけられたときはうれしく感じていた。優しい彼女に関しては感謝の気持ちしかなかった。
その見た目を差し引いても、誰に対しても分け隔てなく接する彼女に対して嫌悪感を抱く人間なんていなかっただろう。
だけど、彼女の死はこうして犯人の手によって辱められている。
目を開いて写真に写る彼女を見た。
誰からも愛されて輝いていた彼女だったが、今はこうして動かなくなってしまっている。
そこにはあのくるくると表情を動かして周囲を明るくさせる彼女の面影はない。ボクと同じく無表情を貫いていた。
立ちくらみにも似ためまいの中、憎悪と絶望が同時に襲い掛かってくる。犯人はどんな気持ちで藤宮サキにこんな仕打ちをしているのだろうか。
それからも写真は執拗に届けられていたが警察に届け出ようとはしなかった。
送られてくる写真が唯一彼女とのつながりのように感じられていたからだった。もしも、警察が動き出したことを察知した場合、犯人が写真を送ることをやめるのではと危惧した。
写真にうつる彼女の顔をそっとなでる。
先週に見た写真よりも腐敗の具合は進行している。彼女の肌の上をはいずる虫の数が増えていた。
新しい一枚を写真の束の一番上に重ねる。一番下に置かれた写真はまだ彼女の生前の様子に近いものだった。二枚目は顔が黒ずみ、さらにめくっていくと藤宮サキの形がだんだんとくずれていく様子がコマ送りにされていく。
一ヶ月がたってもクラスの空気は沈んでいる。ぽっかりと穴が空いたようだった。クラスに彼女がいたころは、その一挙一動にクラス中の誰もが見とれていた。授業中の教師でさえ彼女に目を奪われていることもあった。その姿が目の前にあってもなくてもみんなの意識は彼女にむいていた。
もう一ヶ月間なんの手がかりもない藤宮サキに対して、生きていると思っている人間はいなかった。隣の席を見る。誰にも座られることのない席には近いうちに花瓶が飾られるのだろう。
姫井の憔悴はますますひどくなっていた。その顔は青白く、いつも怯えたようにきょろきょろと周囲に視線を向けている。
もう限界だろう。彼女の様子をずっと観察し続けていた。だからこそ確信する。ボクは姫井に藤宮のことを聞かなければいけなかった
放課後、彼女がゆらゆらと体をふらつかせながら教室を出たのを確認する。少し時間がたってから、彼女の後を追った。姫井が彼女の家に入るのをみた後、家の前で隠れて見張り続けた。
動きがあったのはそれから数時間後のことだった。
日がすっかり落ちた頃、姫井はそっと家から出てきた。真っ黒な服で体を包みパーカーをかぶってうつむき気味に歩いている。街灯を避けるように歩く彼女の後を追っていった。
やがてたどり着いたのは雑木林。車一台がぎりぎり通れるほどの道幅で絡み合う木の枝が視界を暗くする。ぱっと明かりがついた。姫井の手に懐中電灯が握られている。
雑木林の中は冷たい空気と静けさで満ちている。黒々とした道を自分の足音に注意しながら歩く。前をすすむ丸い光を追いかけていると彼女の姿が唐突に消えた。
周囲を探すと木々の間に隙間があった。気をつけていないとわからないほどの細いわき道だった。そのまますすんでいくと、白い光の中浮かび上がってきたのは古い小屋だった。
入口のドアを姫井の手がつかむ。軋む音をたてながらドアが開くと、離れた場所でも室内から漂ってくる匂いがわかった。
姫井の持つ明かりに照らされて室内の様子が見えた。がらんとした空間にひとつだけ何かがあった。床に横たわる塊の姿をはっきりと見えなかったが、それが何であるかは明らかであった。
「姫井……、藤宮はそこにいるのか?」
声を聞いた彼女はゆっくりと振り返ってきた。こちらをぴたりと見据える表情は不思議なほど落ち着いていた。
「どうしてだ……どうしてこんなことをしたんだ……」
写真をいれた封筒を届けているのが姫井だというのは早い段階からわかっていた。向こうもばれることを前提に動いているようだった。
「いま、どうしてって、言ったの?」
それまで無表情だった姫井の表情が変化する。言葉の通じない怪物を見たように困惑と恐れで顔をゆがめた。
「あの写真を見て何か思うことはなかったの?」
「そんなの、許せないと思ったよ。本当にひどいことをするって」
「わかってない……わかってない! わたしがこんなことをしたのは、あんたが苦しんで心の底から後悔すればいいと思ったからよ!」
彼女の怒りの声が暗闇の中で響いた。
「そっか、やっぱり見ていたんだね」
ずっと不安だった。
ボクしか埋めた場所を知らないはずなのに、彼女の死体がなくなっていた。それに気がついたのはあの写真が送られるようになってからだった。写真を届け続ける姫井の行動の意味がわからず、彼女のことをずっと気にかけていた。
「警察に言わなかったのはどうして?」
「あんたの歳じゃ、通報されても罰を受けずにうやむやにされるだけ。そんなの許せるわけない。どうして、あんなに優しくしてくれたあの子を殺したの……、それなのにどうして普通に学校にこられたの……、どうしてあの子の写真を見させられ続けて平気なの……、おかしいのよ、あんたは……」
おかしいのだろうか。好きな人を独占したくなる気持ちは。彼女もまたボクと同じだと思っていた。あの写真は自分のものだという宣言なのだと。でも、違っていたらしい。
「わからなくてもいいよ」
大事なのは、彼女がまだ他の誰にもいっていないこと。藤宮をボクだけのものにできること。この二つだけだ。だからボクもこうして姿を見せることができた。
「こ、こないで」
怯えた様子で後ずさる姫井に、ボクはゆっくりと近づいた。