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無量寺

 疎らな雑踏のなか立ち止まって話し込む俺たちを、通行の邪魔と一瞥して眉間に皺を寄せる者こそいるが、多くはまるでそこに見てはいけないオブジェでもあるかのごとく、視線を合わせないように器用に身体を躱して通り過ぎてゆく。


 新手の詐欺だろうか。謂れのないものを払えと言われるのはもちろん嫌だが、よくわからないものに対して勝手に支払いが済んでいるというのは、あずかり知らぬところで密約が交わされていたという薄気味の悪さがある。


 断りづらくするための算段だとはわかっていても、代金が支払われているのなら聞かねばなるまいとする、強迫観念にも似た責任感に偽装したバイアスが働く。それに、いずれにせよ話を聞かなければ携帯は返してくれそうもない。


「わかりました……お話をお聞きしますので、聞いたら携帯を返してもらえますか?」


 男は満足そうに口角の片側を吊り上げるとくるりと踵を返し、ついてこいと言わんばかりに先に立って歩きだした。行き先はボッタクリバーか、それともその筋の事務所か。話を聞くだけでは済まないかもしれない。


「あの、すいません。どこへ行くんですか?」


 暗がりへ連れ込まれて暴力を振るわれる、ということはないだろう。このご時世、裏通りにだって監視カメラは設置されている。繁華街の裏手の道ならばなおさらだ。


 それでも、男が街灯の少ない横道に入り、人の往来がまるでないのを見ると不安になってきた。できるなら振り向いて一目散に逃げ出したいところだが、携帯を取られているのでそうもいかない。


「あの、さっきの代金というのは一体誰が……? 肩代わりして払ってくれるような知人に、まったく心当たりがないんですけど……」


 男はずいぶん前に黙り込んでから一言も発していない。不安を煽る心理術のひとつなのだろう。そうだとわかっていても、他人と無言でいるのがなんとなく気恥ずかしく感じるせいか、つい沈黙に耐えられなくなって口を開いてしまう。


「こちらの中へどうぞ」


 唐突に男が立ち止まり、かたわらのドアを視線で示した。裏手へ回るための通用口とでも呼べばいいのか、建物同士のあいだを埋めるように立っている。ドアの上には『無量寺』と書かれた木製看板があるが寺には見えない。隠れ家的なバーといったところか。


「できれば中ではなく、ここで話してもらえませんか?」


 なんの店どころか外観すらわからない建物へ、おいそれと警戒なしに入るほど俺も馬鹿じゃない。こういった怪しげな店で嫌な目に遭ったのは一度や二度ではないのだ。本能が中に入るのは不味いと全力で訴えかけてきている。


「他の方に聞かれるといけないので、中へどうぞ」


 覚悟を決めて入るしかないのか。携帯を諦めるのは惜しい。男が言うように最新の機種ではないものの去年六年ぶりに買い替えたものだ。それに、本体に入っているデータを悪用されても困る。生体認証のロックなど簡単に破られてしまうに違いない。俺の同意を必要としない残酷な方法をたくさん知っているのだろうから。


「ここは……バー的な場所ですか?」


 男は俺を表情のない顔でジッと見つめ返すだけで何も答えない。鼻から大きく空気を吸い込み、軽く肺に留めて再び鼻から吐き出し、もう一呼吸置いてドアノブにゆっくりと手を伸ばす。


 ドアは抵抗なく手前に開き、奥へと伸びる暗く狭い通路が現れた。通路はまだ屋内ではなく、建物同士のあいだにあるあの余白のような空間をドアで隔てただけらしい。


 振り返ると男と目が合った。死んだ魚のそれのように濁っている。細身なせいで肉体的に強そうには見えないが、何をしでかすかわからない予測不能な恐ろしさがある。ナイフが飛び出してきてもおかしくはない。


 観念して通路へと足を踏み入れる。数歩進むと背後でドアが閉まった音がし、あたりが青みがかった紫色に染まった。ブラックライトが点いているらしい。


「あの」


「突き当たりまで一本道なので迷いませんよ」


 時間を稼ごうとする俺の思惑などお見通しというわけだ。遠回しに先へ進めとせっついてくる。背後に立つ男によって退路はすでに断たれた。ここまできて躊躇っていても仕方がない。

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