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【閑話】魔王の選択と、君の提案

ヴィンス視点です。

これは奇跡だろうか。それとも、完全に狂った頭が見せる幻覚なのだろうか。


瘴気の穴にぶら下がっているクレアを見た時、現実か妄想か、しばらく判断がつかなかった。

ただ、この一年全く動かなくなっていた『心』が、久しぶりに揺れ始めたことは分かった。



◇◇◇◇◇◇



ウガルムの術にかかり、眠りの中、何とか術を破ろうともがいていた僕を目覚めさせたのは、最悪の予感だった。


クレアの生命が、消えかかっている。


息が止まりそうな衝撃と共に、何かが自分の中で弾けた気がした。

無我夢中で、僅かに残るクレアの気配へ向かう。いつの間にかウガルムの術を破っていたことも、瞬間転移をしていたことも、自分では気付かなかった。


血まみれで倒れるクレアを見つけた時、もう他のことは何も目に入らなかった。クレアを害したウガルムと人間を排除していたのは無意識だ。


倒れていたクレアを抱き上げたが、消えゆく命の灯は、どんな術を使っても戻せないことは、明らかだった。目の前が真っ暗になり、何も考えられなくなった僕に対して、彼女は最期の時まで、僕を気遣う言葉を紡いでいた。


彼女は、誰かを責めることを望んでいない。だけど、その言葉は僕の心には届かなかった。

彼女の望みは何でも聞き届けたいと思ってきたが、それはあの笑顔が見られるから。

彼女のいない世界に、彼女を殺したこの世界には、何の価値もない。

クレアがいない世界なんて、耐えられない。


その時、ふいに僕は、ひとつの光景を思い出した。

周囲では人の声が聞こえていたが、彼女を抱えたまま、魔界に飛んだ。


それは前世の僕の記憶。死にかけていた孤児の子供は、生贄として瘴気の穴に落とされ、魔王として生まれ変わった。

その穴を中心とした地域は全て闇に沈み、『魔界』と呼ばれるようになったが、今も瘴気の穴は、魔物を産む穴として存在している。


それが妙案だったのか、或いは悪魔の閃きだったのか、今も分からない。ただ、正気では無かったのだろう。

僕は、クレアの身体を瘴気の穴に沈めた。


そのまま穴の傍で待ち続けた。待って待って、待ち続けて、そして笑いが止まらなくなった。


僕は、なんて馬鹿なんだろう。クレアは誰も責めず、何も恨まず、最期まで清廉な女性であったのに、そんな彼女を闇に堕とした。最初から負の感情に支配されていた僕とは違う、クレアが魔に変化するはずがない。

自ら招いた、愚かすぎる結末に、何日も何日も笑い続けた。



◇◇◇◇◇◇



「ヴィンスでしょ?」


その声は確かにクレアだ。幻覚に続いて、幻聴まで始まったか。


「私のこと、分からない?」


分からないはずがない。クレアを失ってから、いや、失う前からも、僕の頭の中は彼女の事ばかりだ。万が一クレアにバレてしまったら、いくら優しい彼女といえども、完全に引くレベルだ。

思わず逃げそうになった僕の腕を、彼女は迷わず掴んだ。その手の温もりが、これは都合の良い妄想ではないということを証明する。


もう、溢れる感情を止められなかった。みっともなく泣き喚き、恥ずかしい姿を晒した上、力任せに彼女の身体を抱きしめてしまった。離したら消えてしまう気がしたのだ。


呆れられたかもしれないけれど、クレアはこれまでと変わりなく、大らかに僕を受け入れてくれる。

彼女は、内面も外見も変わらない。ただひとつ、変わってしまった瞳の色が、僕の罪を明確に示していた。

魔の者特有の赤い瞳。その領域に彼女を引きずり下ろしてしまったという、激しい後悔と同時に、彼女が僕と同じ領域に来たことに、仄暗い喜びを感じてしまった。

やはり、僕はまともではない。



あれから一年経っていると聞いて、クレアはとても驚いていた。そしていきなり、勇者と聖女を殺したのか?と言い出した。


その問いに、心が読まれたのかと、咄嗟に言葉が出なくなった。

つい先日、魔王討伐のため、勇者一行が魔界に入ったばかりだ。魔界では、多くの魔物に襲われているだろうが、彼らは数日中に、ここに辿り着く。


そして、僕は彼らを殺すつもりだった。

クレアがいない世界に価値はない。彼らを殺し、人を滅ぼし、魔物を滅ぼし、世界を滅ぼし、最後に、クレアを守れなかった自分自身を滅ぼそうと、ぼんやりとした思考の中で、それだけは決めていた。


しかし、クレアは戻った。ならば別に、他のことはどうでもよい。

僕は自分でも呆れるほど単純だったようだ。


「殺していないし、殺す気もない」と伝えると、クレアはやや疑わしそうな顔をしつつも、納得してくれた。

とはいえ、間もなく勇者達は来る。魔王(ぼく)が魔界にいたこの一年、魔物の勢いは大いに強まり、人類はかなり危機的な状況になっている。

アルはともかく、他の者に、僕を殺す以外の選択肢があるとは思えない。


「じゃあさあ……」


クレアの提案は、僕にとっては突拍子もないものであり、甘美なものでもあった。


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