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変わるもの、変わらないもの

『闇堕ち』というものは、気軽にすべきものではない。

体が内側から組み換えられるような、死んだ方がマシだったとすら思える苦痛の中で、私は全力で後悔していた。


私を支えたものは、前世の職場への怨み……では勿論無い。そんなことはどうでもよい。

例え魔物と化しても、ヴィンスにもう一度逢いたい、それだけだ。


(ところで、闇堕ちする人が、希望を頼りにしていいの?)


当時はそんな疑問を感じる余裕もなく、永遠かとも思われる地獄を耐えた。



◇◇◇◇◇◇



うっすらとした光を感じ、頭上に向かって手を伸ばす。

がむしゃらにバタつかせた手が、石のような固い物を掴んだ。何か分からないまま、力を込め、身体を持ち上げる。


ブワッと煙から顔が出たような感覚がし、一気に視界が開けた。

久々に視覚を使った気がする。目の前には荒野が広がっていた。

どうやら、今の私は、火口のような大きさの穴の縁から、顔だけ出しているようだ。


ひとまずこの穴から出なければ……と、手に触れた岩を頼りに、よじ上ろうとする。

が、足元は泥に纏わりつかれているかのように重い。

足場もなく、元々懸垂すら満足にできない私には、この状況はかなり厳しい。


「だ、誰か助けて!!」


見える範囲には、人どころか生き物の気配ひとつ無い。しかし、このまま落ちれば、闇に逆戻りしてしまう。それは絶対に嫌だ。

声を振り絞ってみるが、何の反応もない。


ズルズルと穴に引き込まれそうな状況に、もう一度声を上げようと、息を吸い込んだ時だった。


ガサリと、背後で枯れ草を踏む音がした。

(誰かいる!)


「助けてください!」

私の位置から姿は見えないが、もはや魔物でも何でも構わない。心からの叫びを上げたが、その足音は動きを止めている。


(ちょっと、もう、無理!)


あっ!と言う間もなく、手が穴の縁から滑る。

体が宙に浮いた瞬間、伸ばされた手が、私の右手首を掴んだ。

間一髪のところで踏みとどまった私は、ぶら下がったまま、助けてくれた人の顔を見上げた。


黒い布を頭からすっぽりと被っているが、ボサボサの黒髪が覗いている。青白く痩せこけた顔、生気のない表情の中で、赤い瞳だけが不気味に動いていた。


「え、ヴィンス?」

「……」


彼は答えない。ただ無言のまま、私を引き上げた。

ようやく忌まわしい穴から脱出し、黙ったままの男の顔を見上げる。

俯いた彼は、私が知る精悍な幼馴染みとは大分印象が違う。そして、ゲームの魔王のビジュアルとも異なる。

昔、私がバーサークマウスに襲われ、寝ずの看病をしてくれた時も、やつれた顔になっていたが、これはその比ではない。

しかし、どんなに変わっていても、私が彼を間違えることなんてあり得ない。彼のことだけをずっと想っていたのだから。


「ヴィンスでしょ?」


私の問いかけに、怯えたように2、3歩後ろに下がるヴィンスの腕を、今度は私が掴む。


「私のこと、分からない?」

「分からない、はずがないだろ……」


俯いたまま、絞り出すように声を出したヴィンスは、私の肩を引き寄せる。

勢いよくヴィンスの胸に衝突した私を、そのまま痛いくらいの力が包み込む。


「ヴィンス?」

「……クレア……クレア……」


ヴィンスの言葉は、途中で嗚咽に変わった。

いつも泣いて励ましてもらうのは私だったのにな、なんて考えながら、子供のように泣きじゃくるヴィンスの背にゆっくり手を回し、ゆっくりさする。


どれだけ時間が経っただろうか。軽く十数分は経って、聞き逃しそうなほど小さな声がした。


「本当にごめん……僕のせいで……」

「何に対するお詫びなのか分からないけれど、私が知る限り、ヴィンスに謝ってもらうことはないよ」


抱きしめられたまま、ヴィンスの背を思いっきり叩く。バシンっと、とても良い音がした。

ヴィンスの力が緩んだところで、その顔を覗き込む。


「心配かけてごめんね。よく分からないけど、私、生き返ったってこと?」

「そう……なんだと思う」


不健康そうな顔が、泣いたせいで酷いことになっている。でも、そんな顔も可愛いと思ってしまう。

安心させようと微笑みかけるが、私の顔を見て、ヴィンスは辛そうに顔を歪めた。


「僕は、なんてことをしてしまったんだ」

「なにが?」

「僕のエゴで、クレアを……。クレアが死ぬなんて、耐えられなくて……」

「ちょっと落ち着いて」


混乱しているヴィンスを宥めながら、ひとまず地面に座らせる。私も横に座り、少しずつ話を聞いていく。


「ヴィンスが私を生き返らせてくれたの?」

「……生き返らせたなんて、そんなんじゃない。クレアはもう、手の施しようがなかった。だから、僕は、僕は、クレアを、瘴気の穴に……」

「……えええ!?」


な、なんと。魔界にある、魔物を産み出す穴に私を落としたのが、ヴィンスだったとは。


「昔、死にかけていた僕は、あの穴に落とされて、魔王になった。だから、クレアももしかしたら、と思って……」


『昔』とは、ヴィンスの前世、魔王になる前のことだろう。

私のことを惜しんでくれたのはありがたいが、随分突拍子もない手段を思いついたものだ。

おかげで闇堕ちする羽目になり、魔物に生まれ変わり……ん、魔物?


「……ねえ、私、魔物になってるの?」


見える手や足は人間だ。色も大きさも、元々の私の手足に間違いない。

自分の頭や顔をなで回してみても、目があり、鼻があり、口があり、どこが変わっているのか分からない。


「ここ、覗いてみて」


ヴィンスに促されて、水の溜まった窪みを覗き込む。

水面に映る私は、不鮮明ではあるが、見慣れた顔のまま、形は一切変わっていないようだ。

ただ、薄茶色だった瞳が、赤くなっていた。


「え?これだけ?」

「『これだけ』って?」

「なんかこう……牙とかツノが生えるとか、肌が緑色になっているとか……」


途中から魔物とエイリアンと区別がつかなくなってきた。

怪訝な顔になったヴィンスに、慌てて付け加えた。


「じゃ、じゃあ、魔導が使えるようになったとか、人智を越える能力を手に入れているとか!?」

「……僕が見る限り、クレアの能力は全部そのままだ。多分、クレアは完全には闇に呑まれなかったんだと思う」


確かに途中から負の感情どっかに行ってたしね~。って、じゃあ、あれだけ闇の中で苦しい思いをして得たのは、瞳の色だけってこと?

魔物になりたかった訳じゃない、むしろなりたくなかったけれど、それはそれで何故だか悔しい。

まあ、切り替えが速いのが、私の良いところだ。


「こうしてヴィンスにまた逢えたから全然良いや!むしろこの瞳も、ルビーみたいで綺麗だし」


復活させてくれてありがとう、と伝えると、ヴィンスが目を見開いて硬直した。

また瞳が潤み出したのを見て、焦る。


「ちょっと、ヴィンスったらそんなに涙もろかった?それにちゃんと御飯食べてるの?随分痩せちゃって」


なんだかお母さんみたいになっちゃったが、明るい口調で話を変える。

ヴィンスも、涙声で返事をしてくれた。


「そりゃ、一年も経てば、見た目なんて変わるよ……」

「ん?一年?」


魔の行進、そして、刺され、瘴気の穴に放り込まれてから、既に一年も経っていたということを、私はようやく知った。


(それはなんとまあ……色々と変わっているわけだ。あの後、魔物や世界はどうなったんだろう?)


ヴィンスに問いかけようとして、ふいに、あの不吉なスチルが脳裏をよぎる。


「ま、まさか、勇者と聖女、()っちゃってないよね!?」


ヴィンスの顔が、驚愕の表情に変わった。

……口を滑らした私を、許してください。



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