魔王降臨す
衝撃と死を予想しつつ、しゃがんで体を小さくしていたが、いつまで経っても、私の体には小石1つ当たった気配が無い。
恐る恐る顔を上げてみると、私を影が覆っている。
影の主は、ローリングヒヒ。巨大な掌が傘のように、降り注ぐ岩や石から、私を守っている。
魔物が、私を守ってくれている。そうとしか見えない。
「……どういうこと?」
私の問いに、魔物が答えるはずもない。
魔物は、私に目を向けることなく、落石から生き残った盗賊に襲いかかっていった。
その目には、何の感情も窺えない。ただ、本能のままに、殺戮をしているだけだ。
惨状から目をそらし、覚束ない足取りで洞窟から脱出しようとしたが、急に足を掴まれ、地面に突っ伏すように倒れた。
「おい、待て!嵌めやがったな!」
「ひぃっ!」
盗賊の頭が、頭から血を流し這いつくばりながらも、私を逃がすまいと、足首にしがみついていた。
ギラギラと血走った目で私を睨み、もう片方の手に大振りの剣がしっかりと握られている。
もはや何を話しても、通じる状態ではない。
死に物狂いで振りほどこうとするが、頭は足首を砕きそうな力で掴んでいる。
「てめぇ、さては魔物の仲間だったな!」
「ち、違う!」
「死ね!」
(助けて!ヴィンス……!)
なぜヴィンスの顔が浮かんだのかは、分からない。
でも、この時私が、神様よりも仏様よりもすがったのは、幼なじみの魔王だった。
「『静寂の眠り』を」
喧騒の中、静かな声が不思議と響いた。
その途端、洞窟の中であれほど反響していた、岩の砕ける音、人の叫び声がピタッと止んだ。
盗賊の頭は、パタリと地面にうつ伏せに倒れ、足を締め付けていた手が緩んだ。
周りを気にする余裕もなく、洞窟の入り口に立つ声の主の元へ、ふらつきながら歩み寄った。
「ヴィンス……」
「クレア、ごめん、遅くなった」
なぜここに?とか、一体何をしたの?とか、そんなことは、今のところどうでもよかった。
ヴィンスの腕の中に、そのまま飛び込む。
包み込むように、両手で抱き締めてくれたヴィンスの腕の温かさに、絶対的な安心感が生まれる。
ホッとすると同時に、今までの恐怖が一気に沸き上がり、体が震えだす。
子供のように声を上げて泣き始めてしまった私を、ヴィンスは「もう大丈夫だから」と、繰り返し頭を撫で続けてくれた。
◇◇◇◇◇◇
「大丈夫?」
「うん……」
しばらく泣き続けて、大分気持ちは落ち着いている。
だけど、冷静になってきた結果、今度は顔を上げられない。
だって、これだけ泣いてしまったら、自分の顔がどれだけヤバイか想像できる。
よって、ヴィンスの胸に額を押し付けたまま、硬直する羽目になった。
そんな私の心を知る由もない、魔王様は、おもむろに私の膝裏に手を通した。
残念ながら、私は特に痩せ型ではない。別に太ってもいないとは思うが、ごく普通の健康的な体型だ。
よく食べよく寝るがモットーの私を、ヴィンスは事もなげに抱き上げた。
「え、ええ!?」
これは、俗に言う「お姫様抱っこ」では!?
こんな状況なのに、今度は顔に熱が集中する。
ただでさえ泣き腫らした上に、真っ赤になってしまった顔は、世にも恐ろしいことになっているであろう。
両手で顔を覆い、静かに大パニック状態の私をよそに、ヴィンスは冷たい声で言い放った。
「よくやった。後は好きにしろ」
ヴィンスが話した相手が、どう見てもローリングヒヒだったこと、ローリングヒヒが上体を低くして、服従の姿勢をヴィンスに示していること、盗賊団の屍がそこかしこに転がっていること、などなど、とにかく非現実な風景が、指の隙間から見えているが、今の私の頭の中は、この酷い顔をどうすればヴィンスに見られないか、それで一杯だった。
色々なことがありすぎて、恋愛脳に逃げたかっただけなんです。はい。
ヴィンスに抱えられたまま、地下迷宮を抜け、盗賊団のアジトの洞窟から外に出る。
所々に盗賊が倒れていたが、特に血が流れている訳でもなく、寝ているかのようだ。
しかし、その肌の色は、生者のものとは思えない。
(ああ、やっぱり魔王の力……)
恋愛脳から現実に引き戻される。
この状況は、嫌でも『ライトソードファンタジー』ラスボスの技を思い起こさせた。
◇◇◇◇◇◇
「ああもう!なんなんだよ!?」
「こら!他人のコントローラーを乱暴に扱うな!」
私のゲームを勝手にやっている上に、コントローラーをクッションに向けて投げた弟に怒声を飛ばす。
あんなに酷評していたくせに、いつの間にかこの弟は、『ライトソードファンタジー』を始めていたらしい。姉の家で、勝手に。
画面を見ると、なんとラスボス戦まで辿り着いている。どんだけプレイしていたんだか。
「だってラスボスチート過ぎるだろ!即死技なんてどうやって回避するんだよ?HPマックスでも一発でゲームオーバーって、チートにも程がある!」
「詠唱中に攻撃加えれば止まるわよ。隙を突け」
「詠唱って、技名一言いうだけじゃねーか!間に合うかよ」
ったく、不満が多いな。
「大体、味方だった時、こんな技1回も使ってなかったじゃん。なんで敵になった途端、こんなに強くなるんだよ」
「少年漫画あるあるでしょ。強かった敵が味方になった途端、何だか地味になるのの、逆パターン」
「納得できない……」
ぶつくさ言いながら、コンティニューを選択し、再びラスボス戦に挑む弟を、生温かく見守った。
「ああ!まただ。この『静寂の眠り』っていい加減にしろよ!」
◇◇◇◇◇◇
「ヴィンス」
「なに?」
「……ごめんね」
「……クレアに謝ってもらうことなんて、何もない」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ヴィンスの声は、どこまでも昔から変わらない、穏やかで優しいものだった。