【閑話】魔王の記憶と、温かい君
「世界を滅ぼそうとする魔王め!覚悟しろ!」
あの日のことは、今も鮮明に覚えている。
それは、今の僕が生きている世界でのことではない。
もっと以前、前世というべき『生』での記憶だ。
魔王と呼ばれる存在に変じ、何十年、何百年、自分でもわからないくらい長い年月を、ただぼんやりと生き続けていた僕の前に現れたのは、勇者と呼ばれる少年と、その仲間達。
少年の目は生き生きと輝いており、純粋な正義感に溢れている。
仲間と厚い信頼関係で結ばれ、絶望など見たこともないような、真っ直ぐな表情は、妬ましく、羨ましい。
数百年ぶりに、感情が蘇ってきた。
僕がどんな思いで生きてきたか、僕がどうして、魔王と呼ばれる存在にさせられたか、知らぬくせに、薄っぺらい正義をふりかざすな。
自分が滅ぶことは、もうどうでも良かった。1人で生きるのは、もうとっくに飽いていた。
でも、最期に、このおめでたく穢れなき勇者を、巻き込んでやろうと思った。
ちょっとした嫌がらせだ。
地獄への旅路は寂しいから。
こうして、忌まわしい世界から、やっと解放されたと、思っていたのに。
◇◇◇◇◇◇
「ヴィンス!一緒に釣りに行こうぜ!」
「行かない」
また僕は人間になっていた。
しかも、あの忌々しい勇者も一緒に。
アルバートは、前世の記憶がないのか、それとも僕に気付いていないのか、いつも馴れ馴れしい。
それと、もう1人。
「ヴィンス~、にゃーこがご飯欲しそう」
「わかったわかった、今用意する」
魔物の赤ちゃんを、恐れる様子もなく可愛がり、僕の魔導を「凄い」と無邪気に褒めてくれる、ちょっと変わった彼女。
独りでいようと思っているのに、この2人には、いつもペースを崩される。
アルもクレアも、温かい。
2人といると、僕も普通の人生を歩めるのかも知れないと、希望を持ってしまう。
だが、僕は生まれ変わっても、『魔王』らしい。
魔王とは、魔物を統べるもの。成長し、魔力が増すに連れて、周囲に魔物が増えてくる。
その度に使役し、村から遠ざけていたが、僕が使役する前の魔物に、アルとクレアが襲われてしまった。
たまたま、旅の冒険者がいたおかげで、事なきを得たが、時間がない。
魔物は本能的に、勇者を、アルを殺そうとする。
それは魔王である僕も同じ。
『勇者を殺さなければ、お前が勇者に殺される。先に殺せ』
確定した事実のように、日夜頭の中を覆う声に、神とやらの『強制力』に、もう耐えられなかった。
せめてクレアだけは巻き込まないよう、クレアが教会にいるはずの時間に、アルのいる港に魔物を召喚した。
だが、なぜか、クレアはアルの側にいた。
血飛沫の中に倒れるクレアを見た瞬間、頭の中を覆っていた霧が突然晴れ、思考が鮮明になった。
自分の愚かさに、目の前が真っ暗になった。
アルや、クレアを失ってまで、自分だけ生き残って、僕は何がしたいんだ?
それからは、クレアが目覚めるまで、必死に魔導をかけた。
「それ以上使ったら、命を縮める」と先生に止められても、限界まで使い続けた。
クレアが目覚めた日、僕は前世から数百年ぶりに泣いた。
クレアは、一生消えない傷をその身に負ってしまったにも関わらず、これまでと変わらず、明るく振る舞っている。
殺されかかったというのに、未だに魔物を嫌悪していない。魔物の子を、捨て猫のように可愛がっていた頃と、なにも変わらない。
これほど優しく、明るく、美しい人を、僕は見たことがない。
本人が「地味だ」と愚痴を言っている栗色の毛も、黒い瞳も、僕には何よりも輝いて見える。
もう僕は、クレアを失うことは出来ない。
彼女を失ったら、また僕は、前世の僕に戻るのだろう。
もし神とやらが、僕にどんな役割を求めようとも、僕は彼女の幸せを守るために抗い続けよう。
僕がそう決意したころ、アルもまた、一つの決断をしていた。
アルは、騎士になると言いだした。
魔力は弱いが、身体能力が高く、何より正義感の強いアルには、確かに向いていると思う。
だが、アルには他にも、村を出ようとする理由があったようだ。
「こんなことを言うと、頭がおかしいと思われるかもしれないが、俺がこの村にいると、魔物を引き寄せてしまう気がする。クレアのことは、しばらくヴィンスに任せる」
「……ああ、わかった」
「まあ、クレアだけは大切にしてくれることは、分かっているけどな」
アルはいつものように、呑気な笑みを浮かべているが、目はこちらの様子を窺うように見据えてくる。
「どこまで気付いているのか?」とは、あえて僕も聞かなかった。
ただ、クレアが悲しむことは、絶対にしない。
旅立つアルを、目を潤ませながらで見送るクレアを横目で見ながら、そう誓った。
アルが傷つけば、クレアは悲しむ。ならば、僕はアルを殺すことはもうしない。
例え僕が勇者に殺される日が来ても。
ふと気付くと、いつの間にか、頭の中の声は聴こえなくなっていた。