黒幕?の献身
何か言い争うような声が聞こえる。
鼻にうっすら漂ってくるのは、潮の匂いだ。
「……ら、これクレアに」
「意識ない人間に、どうやって魚食わすんだよ。しかも生……」
「でも……クレアの好きなマフギョだし……目覚めるかも」
「いや、マフギョが好きなのはクレアじゃなくて……」
「……そういやそうだった!」
(……アルと、ヴィンスだ……)
次第にはっきり聞き取れるようになった声を頼りに、重い瞼を、少しずつ離して行く。
光が少しずつ、射し込んできた。
目だけでゆっくり横を見ると、部屋の入り口あたりで、30センチくらいの魚を持ったアルと、片手で頭を押さえるヴィンスが目に入った。
「……あ……」
声をかけようとしたが、乾燥しきった喉からは、掠れたような微かな音しか出なかった。
それでも、その音が届いたのか、アルとヴィンスは、同時に勢いよくこちらを向いた。
「「クレア!?」」
私の寝ているベッドに駆け寄ってくる2人の方を、目だけ動かして見る。
少しでも身じろぎしようとするだけで、全身に痛みが走る。
「ヴィ……ア……ル」
やっぱり声は出ないが、2人には十分に伝わったようだ。
「アル、先生呼んできて!」
「おう!」
慌てて部屋を駆けだしていくアル。
残ったヴィンスに、声をかけようとしたが、止められた。
「今は話さなくていい。先生に見てもらってから……」
2、3回瞬きをして、覗き込んでくるヴィンスの顔をマジマジと見る。
(……ヴィンス?なんか、顔違わない?)
造りは同じなのだが、顔色は悪いし、頬は痩けている。いつも整っている髪はボッサボッサだ。
なんなら、ちょっと魔王っぽくなっている。
短期間でこんなに変わる?と動かない頭で考えていると、この診療所の魔導医師、モーガン先生と奥さんが登場した。
ご高齢だが、昔は高名な魔導士だったらしい。
私のベッドの周りであたふたしているだけの2人を、看護師でもある奥さんが、力任せに部屋から追い出すと、先生は治療を開始した。
魔導紋の書かれた布を、私の首から胸のあたりに掛け、魔力を籠める。
スッと呼吸が楽になった。
「どうじゃ?話せそうかい?」
「……はい。ありがとうございます」
まだ囁くくらいの声量だけど、声が出た。
「痛かろう。生きていたのが奇跡じゃ。アルバートが、咄嗟に引っ張ったおかげで、直撃は免れたが、助かるかは五分五分じゃった」
「アルが……」
バーサークマウスの尻尾で、バッサリ斬られたのは覚えている。
頭から縦に真っ二つにされる軌道だったが、アルのおかげで、グロテスクな死に方は避けられたようだ。
しかし、即死は免れたにしても、目の前に魔物がいたあの状況下で、どうやって生き延びたのか。
(アルが、覚醒したのかな)
死んではいないけど、私が目の前で死にかけたことで、ストーリー通り、勇者の力が目覚めたのか。
と思いきや……。
「ちょうどヴィンセントが近くにいたゆえ、応急処置もできた。いや、本当に運がよかったのう」
(ヴィンスが?何で?)
医者見習いのヴィンスが、村外れの漁港にたまたまいるなんて……。
それに、バーサークマウスは結局どうなったの?
聞きたいことは沢山あったが、再び眠気に襲われた。
「まだ治癒には時間がかかる。とにかく今は休むことだ。そなたはもう2週間、意識が戻らなかったのだから」
(え、2週間って、嘘でしょ!?)
先生に聞き返そうとしたセリフは口から出ることなく、そのまま私は眠りに引き込まれていった。
◇◇◇◇◇◇
「うわ、おいしそう!」
「お粥だけどな。一応煮魚の身も解して入れてある」
「さすがヴィンス!お嫁さんにしたい!」
「さっさと食べろ」
ベッドに上半身を起こした状態で、ヴィンス特製のお粥をありがたく頂く。
バーサークマウスに襲われてから3週間。
身体はまだ痛いし、上手く動かせないものの、モーガン先生ご夫妻やヴィンスのおかげで、随分回復した。
口だけは元の調子に戻っている。
私が1度、目を覚ますまでの2週間、ヴィンスはほぼ寝ずの看病をしてくれていたらしい。
更に、癒しの術をしばしば掛けてくれていたため、私は生還できたと、先生の奥さん――キャシーさんが、ニコニコと教えてくれた。
(だからこんなに人相が悪くなっちゃったのね……ごめん)
私が意識をとり戻してからは、さすがに休むようになったヴィンスだが、やつれた顔はまだ完全には戻っていない。
それでも、一言も愚痴や文句を言わず、私の体を気遣ってくれている。
(なんで、ヴィンスはあの時、漁港にいたの?)
ただ、調子が良くなっていくにつれ、心の中で、モヤモヤとしたものが大きくなっていく。
だけど、甲斐甲斐しく看病をしてくれるヴィンスに、どうしても聞けなかった。
「お邪魔しまーす。クレア、大物捕れたぜ」
「アル、だから生魚を持ち込まないでくれ」
そして、もう1人の幼なじみは、毎日その日の釣果を片手に、お見舞いに来てくれる。
その様子は、どう見ても勇者の力を持つ者ではない。
「アル君、気を付けなさいね。まだあのバーサークマウス、見つかってないんだから」
「わかってます」
キャシーさんの心配そうな言葉に、アルは真面目な表情で答えた。
バーサークマウスは、私を襲った後、突然海に戻り、それ以来姿を見せていないという。
ヴィンスが駆けつけた時と、ほぼ同時に消えたのだ。
(ヴィンス……それは偶然なの?)
優しい幼なじみだと思っていたいのに、どうしてもゲームのネタバレが頭から離れない。
今も、アルとヴィンスは楽しげに話をしている。この光景は、子供の頃から変わらない。
ヴィンスが、アルを2回も殺そうとしていたなんて、やっぱり信じられない。
(ここはゲームの世界とは違う!ストーリーだって大分変わったんだから、主人公もラスボスも違うはず!)
自分自身に言い聞かせ、私はヴィンス特製のお粥を食べ始めた。
「うまっ!」
やっぱり、お嫁さんにしたいわ。