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どうやら飛翔は出来たようだ。
失速しないという保証は全くないが。
◇◇◇
啓は飛翔しながらXX-5のことを思い出していた。
三十代の女性だった。啓と同じように促進者による人類への襲撃が起こるようになってから飛翔能力が発現したので、強制的に連行されてきたのだ。
彼女はよく語っていた。
「自分はプロのバレエダンサーになりたかったのだ」と。
「三十歳になるまで芽が出ず、失意のうちに人口五万ほどのこの小さな山間の町に帰郷してきた」と。
「よりにもよってそんな自分が、五万人の中で促進者と戦える七人に入ってしまった」と。
「プロのバレエダンサーとして飛翔できなかった自分だが、今は酷い戦いの苦しみの中にあっても、XXナンバーズとして飛翔している」と。
◇◇◇
そんな彼女を、ある日突然全く飛翔出来なくなり、五階から転落死するという事件が襲った。
拠点の司令は激怒し、精神が弛んでいたからだと言い放った。
その言動に強い賛同の発言を繰り返したのは、XX-2だった。
五十代の男性だった彼は執拗に言った。
「生死が懸かった戦いに向けた飛翔なのに、プロのバレエダンサーになれなかった夢をこれで代わりに叶えるとか甘ったれた考えでいるからだ」と。
「飛翔する。飛翔したいという強い気持ちがなかったから転落死したのだ。自分はいつもそういう強い決意と覚悟の上で飛翔している。他の者も死にたくなければ、自分を見習え」と。
◇◇◇
そして、彼はその運命の日も「俺は飛翔するんだっ!」と叫び、跳躍し、飛翔した。
だが、その日の彼は促進者のいる上空にたどり着く前に失速し、墜落。
頭を地面に強く打ち、ぼろぼろになって、即死した。
墜落していくXX-2の表情を啓は忘れることが出来ない。
絶望感を伴う恐怖の中に見える彼にとっての理不尽なものに対する怒り。
何とも言えず複雑なものだった。
◇◇◇
XX-5とXX-2の相次ぐ墜落死はXXナンバーズメンバーの士気を著しく下げた。
当然のことだ。飛翔能力があり、促進者と戦う能力があるという理由で、その意思にかかわらず、無理矢理動員されているのだ。
それが一番肝心な飛翔能力についての保証がなくなってしまった。そんな状態で何故自分たちだけが命を懸けて戦わなければならない?
だが、その後XXナンバーズメンバーが促進者と戦うことを止めなかった。
何故だ?
啓がそこまで考えた時、電磁バリアが張られた高度まで到達した。
◇◇◇
見える。いつもの通りだ。
五体の促進者が当たり前のように電磁バリアを通り抜け、拠点に侵入してくる。
通る際にバチンバチンと音がする。
全くダメージを与えていない訳でもないようだ。だが、異形の怪物たちは何ら動じた様子を見せない。
そう。奴らには「感情」というものがない。
そして、その姿は人の形をして、影のように黒い。しかし、二つの眼と思われる部分だけ、酸素を失った血液のように不気味に赤黒かった。
「感情」というものがないものにもかかわらず、人間が見ると何とも言えぬ生理的嫌悪感を呼び覚ます。
何度となく間近で見ている啓ですらだ。
促進者たちはその姿に似合わず、機械的な動きを見せ、啓を取り囲んだ。
◇◇◇
促進者は決して先制攻撃してこない。
その時も例外ではなかった。促進者は極めて冷たく、そして、不気味な眼差しで啓を凝視した。
促進者を殺傷出来る可能性を持つ啓を恐れている様子は窺えない。
かと言って、脆弱な人間である啓を見下している様子もない。
そう言った感情は持ち合わせていないのだ。促進者は。
◇◇◇
「促進者はXXナンバーズを『測量』してるのさ」
ニヒリステイックにそう言ったのはXX-3。強制動員される前は土木技師だった四十代の男だった。
「測量」
その単語の持つ妙にドラスティックな響きは、XXナンバーズメンバーの心に刺さった。
当のXX-3は促進者たちから、あえて時間差を置いた攻撃を受け、反撃も自裁も出来ず、耐えがたい苦痛を抱えているところを半日以上に渡り「測量」されて死んで行った。
それでも啓は思う。促進者は啓も「測量」しているのだと思う。
◇◇◇
だが、促進者が「測量」しているのを黙って見守る手はない。
攻撃を仕掛けなければならない。
啓は武器というものを持っていない。いや、持っていても全く仕方がないのだ。
促進者との戦いの初期。人類はありとあらゆる武器を使った。
拳銃、大砲、レーザー砲、毒劇物、核兵器、それを搭載したミサイル。
全てが促進者には何のダメージも与えることが出来なかった。
電磁バリアは初めてダメージを与え得たが、僅かなものでしかなかった。
促進者を殺傷しうる可能性を持つもの。
それはXXナンバーズメンバーの身体に因るもののみ。
啓は右手の拳を固めた。