第5話 生存
ふわふわと体が浮いているようだ。
体の痛みもなければ、こびりつくような体の重さもない。
久しぶりにこんなに快適な睡眠を取っている気がする。
あまりにも快適なので、すでに自分は死の門を超えているんじゃないか?
とも考えたけど、自分自身でそれを確かめることも出来ない。
目を開くことも、体を起こすことも自分の意志では出来ない。
とにかく今は、久方ぶりのこの穏やかな状態を楽しみたい……
ああ……あの子は大丈夫だったかな……
雅人なら後をしっかりやってくれるはずだ……
それにしても、せっかく体調がいいからゲームしたいな……
今なら、最期までチュートリアル終わらせられる予感がする。
あれ……だんだん、痛くなってきたぞ、もうすっかり日常になっている痛みが、少しづつ戻ってきてしまっていることに気がつくと、痛みは段々と強くなっていく。
嫌だなぁ、慣れてるけど、嫌だなぁ……
ああ、体を重い空気が包み込むような煩わしさ、体の中から内臓を鷲掴みするような痛み。
日常に戻ってきてしまった。
薄っすらと目を開くと、脳がきちんとまぶたの筋肉に作用して目の前が開ける。
ピッピッピと機械音が一定のリズムを刻んでいる。
目に見える天井は見慣れた家だが、ふと横を見ると見慣れない機器が並んでいる。
いや、見慣れているか……職場でよく見るものが家にあることが見慣れない。
腕からはいくつもの管がその機械に伸びており、一層細くなった腕につながっている。
「はぁ……」
自分の腕を見て、思わずため息が出てしまった……
「水無月さん!? 目を覚ましましたか!」
目の前に見慣れた看護師さんの顔が飛び出してきて驚いてしまう。
「……も」
挨拶をしようとしたら、声が出ないことにも驚いた。
ようやく口の中がカラカラになっていることを意識すると、忘れていたように唾液が分泌される。
「……どうも」
自分の声がこんなにも弱々しくなっていることに、悲しくなる。
「わかりますか?」
「はい……大丈夫です……」
「すぐに大林さんが来ますからね」
「雅人が……、ああ、また迷惑をかけちゃったなぁ……」
「迷惑だなんて、大林さんもずっと心配してましたよ。
もう一週間も目を覚まさなかったんですから、病院に搬送する事ができなくて生きた心地しなかったんですからね」
「す、すみません。わがままを言ってしまって」
冗談よと優しく微笑んでくれた。
僕に何が起きても、最期病院で死ぬのは嫌だ。
そういう僕のワガママで、こういった場合でも病院搬送はよほどのことがなければしないことになっている。
一応、雅人の判断で必要なら、任せるとは言ってあるけど……
一週間の昏睡でも僕の尊厳を守ってくれた雅人には感謝しか無い。
ちょっと痛みが強すぎて、少し強い鎮痛薬を使ってもらった。
分厚い壁の向こうに痛みが遠のいてくれて、少し楽になると同時に、また眠ってしまった。
目を開けると、近くに人の気配がする。
少し顔を傾けると雅人の顔が見える。
「……目が覚めたか……颯……」
「うん、おはよう……ありがとう」
僕の感謝の言葉に、哀しそうな顔を一瞬見せて、笑顔で「おう」と短く答えてくれた。
「あの子はどうだった?」
「ああ、ちょうど昨日退院できたよ。奇跡だな……。
本当に、颯はどこまで……」
「良かった。正直自分でもよく覚えてないんだ。
気がついたら体が動いていた。
そして、いつの間にか気を失っていた」
「あれは、とんでもなかったぞ……
いつものオペ室じゃなかったことをどれほど悔やんだか、記録に残っていればとんでもない資料になったのに、何をどうすればあの状態の子を助けられるんだ。
しかも、なんだあのスピードは、ほんとに腕は二本なのか?
あの速度であんなに繊細な縫合、ボロボロの組織を最適な強さで……
お前、師匠だってあそこまで」「それはない! 師匠はもっと凄かった」
「あ、ああ……そうだな。師匠は、凄かったな」
「そうだよ、僕は、師匠の教えを実行しただけだよ。
でも、よかった……助かったんだね……」
「飼い主様はどうしてもお礼が言いたいと毎日顔だしてくれているよ。
早く元気になって挨拶してあげて欲しい。
だから、まずは体を休めて、元気になって病院へ戻ってこい」
「うん」
僕が、曖昧な表情で答えたせいで、雅人が少し哀しそうな顔をした。
僕も彼も、それが、奇跡でも起きない限り実現できないことを、理解している。
たぶん、僕はもう、人の介護がなければこの寝床から出ることが出来ない。
この一週間、全ての行為を看護師さんにしてもらったように、最後の瞬間までこの寝床が僕の人生の終焉の地であり、最後の居場所になるだろうことは、疑いようがなかった……
「頑張るよ」
「ああ、そうだな」
「しばらくはゆっくりするよ、病院、頑張ってね」
「ああ、たまには顔だしてやるよ」
「ありがとう」
「じゃあな」
「うん、またね」
今生の別れでは無いだろうけど、もしかしたら、声を交わせるのは最後かもしれない。
そんな、予感が僕も、そして雅人も感じていたんだろう。
お互いに、なんとも後を引く別れになった。
そして、僕は、生きるために、生きるための処置を他人にしてもらう生活へと足を踏み入れていく……
「看護師さん、ちょっと恥ずかしいんで、ゲームしてる間にお願いします」
「本当は負担になるかも知れないから、おすすめは出来ないけど、痛みや不安が軽減するって報告もあるので、許可します。やりすぎには注意ですよ」
「はーい」
そして、僕にとって、唯一の安らぐ時間は、ゲームの中だけになった。
毎週金曜日の午後18時に投稿していきます。
よろしくお願いいたします。
もし、次が来るまでお暇でしたら、他の作品もお楽しみいただけると幸いです。