第4話 限界
「なんとか、なったね」
「……いや、すまない、ついていくのがやっとだった……」
雅人にも疲労の色が見て取れる。
いや、今日の手術は大物だった。
腸管を巻き込んだ脾臓の腫瘍。
複数の腸管を切除し、正しい順に吻合してなんとか完全切除に至ることが出来た。
正直、お腹を開いて閉じたくなったけど、なんとかやりきった……
「颯先生、腸管の走行と順番はどうやって判断してたんだ?」
「最初に全体を見た時に走行を想像して、それぞれの位置を結びつけて考えておいて、一気にって感じかな」
「なるほど……」
納得したようなしていないような、複雑な表情だ。
「雅人もできるよ、技術的な問題じゃないから、想像力だよ。
きちんとしたVR系教育ソフトで繰り返し見ていると頭に焼き付いてくるよ」
「そうだな、まだまだ研鑽が足らないと思い知らされた」
麻酔担当の先生が気を使って冷たいスポーツドリンクを持ってきてくれた。
喉を通る冷たさが、火照った身体に心地いい。
同時に身体の疲労を強く意識する。
少し、めまいもする。
日毎に身体が病に蝕まれている事を自覚するほどに、最近は調子が悪い。
「限界かな……」
「ん? どうした?」
「いや、なんでも……なんだか騒がしくないか?」
「そうだな、受付の方でなにか……」
「院長!! 交通事故です!!」
手術後の穏やかな空気が一転する。
受付から男性看護師に抱きかかえられ大型犬が緊急処置室に運ばれていく。
地面にはぼたぼたとおびただしい血液がこぼれていく。
ああ……厳しい……
その出血量から、悪い考えが頭をよぎる。
しかし、なんとかできるか判断するのはまだ早い。
身体のスイッチが切り替わる音がする。
僕は立ち上がり雅人と一緒に処置室へと飛び込んだ。
そこは、戦場だった。
「留置! 生食バンバン流せ! 超音波こっちだ!」
腹が裂け、腸管が飛び出ている。出血は大量、拍動を感じる。
大きな臓器か血管をやられている。
時間がない。
胸の動きが弱い、これだけのダメージなら胸も損傷が大きいだろう。
「くっ!! タンポナーデ、心房が裂けてるか……、これは……」
雅人の絶望的な声がする。
心臓が裂けている。
さらに腹部にも損傷がある。
絶望しても仕方ない。
だけど、
師匠なら、
諦めない。
僕だって、
諦めない。
「颯、何を!?」
胸壁を切る。
胸腔内には大量の出血はない、心臓は弱々しく動いている。
肺は自発的な活動を止めてしまっている。
「急いで挿管! 呼吸管理して!」
僕の目的は別だ、心臓の損傷を治している間に、腹からの出血で死なれては困る。
なんとしても腹には時間を稼いでもらう。
心臓から横隔膜に伸びる血管を発見し、即座に鉗子で大動脈と大静脈を閉じる。
これによって腹腔内へと供給される血液を遮断する。
背後で雅人がなにか言っているが関係ない。
今は説明している時間さえも惜しい。
パンパンになった心膜を切る。
ドパッと大出血を起こすが、手を突っ込んで、超音波であたりをつけた部位を挟む。
すぐに縫合糸でその穴を塞ぐ。
傷を押さえながら片手で連続で縫合していく。
速度重視、でも、ボロボロの心房を割かないように、スライムの被膜を縫うよりは楽勝だ。
手を離しても出血がないことを確認したらすぐに腹部への処置へ移る。
血行を完全に遮断している。
時間はない。
裂けた腹から腸を引き出す。
腸管の派手な外傷が有れば覚えておく、血管損傷部位は鉗子で次々と抑えていく。
今はそんな細かな出血はどうでもいい。
腹部に流れる血流を遮断しているから出血は落ち着いている。
逆に出血点が見えなくなる。
脾臓は割れている、すぐに血管を鉗子で止める。
「超音波メス用意して」
他の出血点を見る。
肝臓も裂けているが、1肝葉を摘出すればいいだけだ。
根本を鉗子で挟んで肝組織ごとその葉に血流を提供する血管も止める。
緊急処置のトレイから非吸収糸で根本を縛ってしまう。
あとは超音波メスで切ればいい、もうないか?
血管からの出血は一見すると無いように見える。
胸腔の傷に手を入れて、大動脈大静脈を止めていた鉗子を外す。
心臓が弱々しく痙攣している。
「カウンター! 離れて!」
ドンッと心臓を目覚めさせる電気の一撃、鈍く寝ぼけていた心臓がブルリと震え……
ドクン……
大きく拍動する。
安心できるような力強いものではないものの、生命を必死につなごうとする心臓の拍動は頼もしい。
心臓からの出血もない。
しごくように血流を腹部へと流すと、ドプッと出血が起こる。
すぐに鉗子で出血点を捉える。
大動脈が傷ついているが、大きな切断でなくてよかった。
吸収糸ですぐにその傷を縫い合わせる。
マットレス縫合を利用した二重縫合で対応できるはずだ。
人工血管は動物領域ではすぐに準備することは難しい、これしか無いんだ。
我ながら拡大鏡もなく無茶なことをしてる。
そもそも素手だからな。
心臓は弱々しいながらも一生懸命動いてくれている。
腹部からの出血も停まっている。
「せ、先生、ハーモニックです」
「ありがとう」
脾臓と肝臓を摘出する。
便利な道具だ。あっちでは魔法をつかって似たようなことができる。
腸管の何箇所かの損傷は切除して吻合して行けばいい。
これで損傷した臓器はなんとかしたはずだ……
バイタルも、危ないことに変わりないが、安定している。
いつの間にかいくつもの静脈ルートが設置され、点滴や薬剤が入れられている。
さすが雅人、何も言わなくてもやるべきことをやってくれている。
おかしいな、変に静かだな……
腸管を縫っているのに、誰も手を出してこない……
まぁ、一人での手術も慣れている。
しかし、今日は珍しいな。
顔をあげると、雅人の顔色が悪い。
「どうしたんだ?」
「お、お前……まじかよ……」
「なに、いって……ん……だ……」
ああ、せっかく身体に留まっていた熱が……抜けていく。
まだ、腹壁の縫合とかが……
「洗浄と、ドレーン、忘れないで……」
「颯!!」
そのまま、僕は意識を手放した。
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